モノレールを降りて展望台の広場へ外に出ると、頬を撫でるように爽やかな秋風が吹き抜けていった。
今年の秋は、とても穏やかだ。
「いい風」
「本当ですね。あ、あの木、いい形」
カシャリ。
ファインダー越しに、青空に枝を広げる見事な大木を捉えてシャッターを切る。
「紅葉の季節には、神宮の外苑もいいかもね」
「あ、たしかに」
「ああ、でもこれは花壇を撮るための練習だから、もうその頃にはコンテストも締め切られてるか」
「あ、たしかに」
同じ短い返事を二度続けて口にしてしまい、私の顔を見合わせた先輩と私は、示し合わせたように同時に吹き出しながら笑った。
日差しを浴びながら、ゆっくり写真を撮りつつ小さな山を下りていく。
自販機でお茶を買い、広場の木陰にあるベンチに腰を下ろした。
冷たいお茶を口に含んでいると、となりの先輩が「あ、とんぼ」と声を弾ませる。
「え、どこですか? あ、わー本当、とんぼだ」
指差された先の秋空をすーっと滑空する小さな影を見つけ、私が感嘆の声をあげると、先輩はすかさずレンズを向けた。
カシャ
「え、や、急にそんな」
「いい顔」
カシャカシャと、連続して乾いたシャッター音が響き渡る。
「こっち向いて、ほら」
指先に止まりそうなとんぼを目で追いかけつつも、構えられたカメラのレンズが気になって仕方がない。
何枚も撮られる音に耐えかねて、思わず声を上げた。
「もう。もったいないですって、フィルムが」
長谷部先輩も、今日はデジタルではなくフィルムカメラを首から下げていた。
「そんなことないよ。油断した顔とか慌てた顔とか、面白い」
「もーう……」
口元をへの字に曲げて、少し拗ねた声を出す。
「良かった」
「……え?」
「今朝会った時は、元気がなさそうだったから。だんだん、笑顔が増えてきた」
温かい眼差しで見つめられ、胸がキュッと締め付けられる。
ああ、最初から気づかれていたのだ。
隠せていたと思っていたのは自分だけで、先輩にはすべてお見通しだった。そんな気はしていたけれど。
「部室で一緒に写真をみた時はすごく楽しそうで良い笑顔だったけど、今日は全然違う。何かあった?」
「……その」
急に喉の奥が詰まったようになり、言葉がうまく出てこない。
何と説明したら良いのか分からなかった。
二人だけの朝の約束。
『無理をしない練習』の相手だった。
クラスで孤立していた私に手を差し伸べてくれた、一番の友達だったと思う。
そして、私の知らないところでずっと私を助けてくれていた、密かに、恋心を抱いていた大切な人。
その人が、もう練習は終わりだと言った。
糸が切れるように、あまりにあっけなく終わってしまったのだ。
もしかしたら、友達だと思っていたのは私だけだったのかもしれない。
勝手に友達だと思って、勝手に恋をして、二人で笑い合ったから仲が良いと思ったのも、他の誰とも違う特別な関係だと思ったのも、全部私の身の程知らずな勘違いで……。
「喧嘩したの、お友達と?」
先輩が口にする『お友達』という言葉が、かつてグループだった芹香たちのことを言っているのか、それとも佐伯君のことを言っているのか、あるいは誰のことも指していない一般的なことなのか、私にはわからない。
膝の上で両手を強く握り締め、私は小さく口を動かす。
「喧嘩、ではないです。私が……勝手に勘違いしてて」
長谷部先輩は口を挟まず、静かに私の言葉に耳を傾けてくれている。
「前みたいに話したいけど、もう終わっちゃったんです。その……勉強会みたいなものが。だから接点もないし……せめて、笑って『ありがとう』って言いたかったんですけど」
今の私には、もう話しかける勇気も口実もない。
廊下や下駄箱で彼を見かけるたび、胸の奥が張り裂けそうに苦しくなって、まともに顔を見ることもできなかった。
それでも、休み時間になるたびに視線は無意識に佐伯君の姿を探してしまうのだ。
「いっぱい……お世話になったのに、お礼も……い、いえなくて」
一度溢れ出してしまえば、感情は止められない。声が酷く震えていく。
目の前が涙で歪みそうになる。手のひらに爪が食い込むほどの力を込め、グッと涙を耐えた。
「そっか。……仲直りしたい?」
喧嘩じゃない。
そういったけど、先輩があまりにも確信をもって尋ねるので、もう否定するのはやめた。
こくりと、大きく頷く。
仲直りしたい。
心からそう思っている。
私が何か気に触るようなことをしてしまったのなら、ちゃんと言葉にして謝りたい。何か行き違いがあるのなら、それを丁寧に解きたい。
それから、私が芹香たちを相手に無理をして合わせなくて済むようになったのも、麻里奈ちゃんというかけがえのない友達ができたのも、全部、全部、佐伯君のおかげなんだとお礼を言いたい。
練習会を続けたいし、また佐伯君と話したいと、自分の言葉で伝えたい。
そして――。
好きだと伝えたい。
長谷部先輩のことは本当に誤解だと。私が好きなのは佐伯君なのだと、ちゃんと伝えたいのだ。
「……できるよ」
「え……」
「有栖川さんなら、きっと仲直りできる。そう、自分を信じてごらん」
弱気な私を包み込むように、長谷部先輩が優しく微笑む。
「今の有栖川さんになら、できるはずだ」
先輩のまっすぐな言葉が、じんわりと冷え切っていた私の胸の奥へ染み渡っていく。
足踏みばかりだった私の心に、もう一度前を向くための小さな灯火が灯ったような気がした。
