さよなら、スタジオ有栖ちゃん ー仮面の優等生と秘密の練習会ー


 時間が過ぎるのはあっという間だ。

 毎朝の練習会がなくなった。
 目覚まし時計をセットする時間を少しずらし、家を出るのも以前より少しだけ遅くなった。
 お母さんは私が元気をなくしていることに気づいているのだろうけれど、何も言わずに「いってらっしゃい」と微笑んで見送ってくれている。

 学校に着けば、自分の席で静かに過ごす。
 休み時間、時々廊下で麻里奈ちゃんと喋る時間は救いだった。放課後になれば部室へ直行し、一人黙々と現像作業に没頭した。
 何もしない時間があると、彼の冷たい声を思い出してしまう。あの時の音。空気。花の香り。それらを思い出すと、胸の奥がぐっと圧迫されて心が嫌な揺れ方をする。
 そうならないよう、私は必死に佐伯君のことを考えないように心を固く閉ざした。



*



「有栖川さん、こっちだよ」

 爽やかな秋晴れの日曜日。
 お昼を少し回った約束の時刻、駅前の広場で長谷部先輩が手を振っていた。

「お待たせしました、長谷部先輩」
「お昼ご飯、食べた?」
「はい軽めに。先輩は?」
「僕も軽めに。じゃあ先に撮影をして、あとでお茶とおやつにしよう」
「はい」

 スマートに行き先や時間を決めてリードしてくれる先輩を見つめる。
 たった一つしか年が変わらないはずなのに、どうしてこんなにも大人びて見えるのだろう。自分の幼さがどこか情けなく感じられた。

「わぁ、すごい」

 目的地である北公園に足を踏み入れると、思わず声が漏れる。
 小さな山そのものを活かした北公園は、高低差を利用したダイナミックな作りになっていた。
 子どもたちが声を上げて駆け回る遊具広場や、街を一望できる景色の綺麗な展望広場。少し離れた場所には地域の歴史を伝える資料館や博物館まで併設されている。
 緑豊かな山頂へは、木々の間を縫う歩道を登っていくこともできるけれど、目の前には斜面をのんびりと滑り上がっていく小さな自走モノレールが設置されていた。
 カタツムリのような、丸っこくて愛らしいフォルムが緑の中に映る。


 カシャ、カシャッ。


「そんなに気に入った? あのモノレール」

 夢中でファインダーを覗き込み、シャッターを切っていた私を見て、隣でカメラを構えていた長谷部先輩が苦笑いを浮かべた。

「あ、すみません。皆が楽しそうなので、つい」

 モノレールの窓から顔を覗かせる子。降りてくる子。皆、弾けるような良い笑顔を浮かべていた。
 その無邪気な表情を見ていると、自然と指先が動いてしまう。

「せっかくだから乗ろうか」
「え、でも……」

 ゆっくり写真を撮りながら歩いて登ろうと、さっき撮影の計画を話し合ったばかりだ。

「計画は崩れるもの、ってね。ほら」

 長谷部先輩は私の返事を待たずに手首を優しく取り、小走りに駆け出した。

「わぁ、たかい!」

 丸い車両に乗り込み、ガラス越しに外を眺めて驚きの声を上げる。
 モノレールが静かに斜面を登っていくにつれ、視界がぐんぐんと開けていった。

「ゆっくり登れば大したことない高さだけど、斜面を見るとけっこう高さがあるものだな」

 先輩も隣で感心したように頷き、レンズを外に向けた。

「あ、駅が見えます!」

 下方にJRの平行するレールが見え、線路を走る列車の姿をとらえた。高揚感に包まれて思わず先輩の方へ振り返る。


 カシャッ。


「え?」
「ははは、いい顔」

 不意にレンズを向けられ、シャッターを切られていた。

「あの、すみません子供みたいに」
「全然。楽しんでもらえて良かったよ。あ、ほら都電も見えるよ」
「え、どこです?」

 先輩が長い指で指差す方へ、必死に目を凝らす。

「……ちいさい」

 眼下に広がる街並みの中で、走っていく電車も、行き交う車も、歩道を歩く人々も、何もかもがミニチュアのように小さく見えた。

「本当に。こう言う景色を見ると、自分も他人から見れば小さいパーツで、世界の一部なんだなって思うよ。ありきたりだけど」

 肩をすくめて、照れ隠しのように長谷部先輩がおどけながら笑う。

「世界の一部……」
「そう思うと、自分が悩んでいることも、すごく小さな問題のように思える。それで、まあいいかって、次に進むための勇気が湧くような気がするんだよね」

 遠くの景色を見つめながら先輩は続けて話すと、自分の言葉の気恥ずかしさに気づいたようにまた笑った。

「ははは、年寄り臭いこと言っちゃったな」

 私は小さく首を振った。