さよなら、スタジオ有栖ちゃん ー仮面の優等生と秘密の練習会ー


「と言うことで、明日の放課後は麻里奈ちゃんにカメラのことをレクチャーするんだ」

 昨日、時間がなくて中途半端に終わってしまっていた会話の続きを、少し息を弾ませながら口にする。

「良かったな」

 佐伯くんは柔らかく目を細めて微笑んだ。
 けれど、その笑顔が何だかいつもと微妙に違う気がして、胸の奥の方がもやりと疼く。

「……うん。あの、写真の現像、できたらまた見てくれるかな?」
「もちろん。いつでも見せて」

 そう返事をする佐伯君の声が、どこか少し硬い気がした。
 朝の心地よい風が通り抜けていくというのに、二人の間の空気だけが僅かに引き結ばれている。

「……佐伯君は、今日も部活?」
「うん。練習試合は終わったけど、次は関東の二次予選で、勝てたらウィンターカップ。まぁ、うちはそこまでは難しそうだけど」

 彼はどこか苦笑いをするように肩をすくめて見せた。
 その表情が、どうしてか陰って見える。

「そっか。あの……応援って行っても良いのかな?」
「え、試合?」

 この間、体育館で見た練習試合を思い出していた。
 あの激しい動きと真剣な眼差しに、胸を揺さぶられたのだ。
 もっともっと、佐伯君がバスケットをしているところを見たい。そして、今度は大きな声で応援したい。

「うん。もしよかったら……」
「いや、いいよ無理しないで」
「……え?」

 こちらの言葉を途中で遮るように言った佐伯君は、ふいと顔を横に向けて言葉を続けた。

「有栖川も写真のコンテストで忙しいだろ? お互い、自分のやるべきことをやろう」
「……うん」

 そう返事をするしかないくらい、有無を言わさない強い拒絶の響きを含んだ声だった。

「あの……」
「あ、予鈴だ。じゃあ、またな」
「あ……うん、また」

 佐伯君はレンガから勢いよく立ち上がると、振り返りもせずに校舎の方へと走り去っていく。
 残された私は、重い足取りでゆっくりと歩き出した。



 何がいけなかったのだろう。
 家に帰ってからも、ため息が止まらなかった。
 振替休日の昨日。おうちにお邪魔させてもらった時の佐伯君は普通だったはずだ。普通以上に、二人で笑い合って、楽しそうに過ごしてくれていたと思う。
 アルバムを見せてもらって、私が校外学習の話を報告して……。
 なのに今朝の佐伯君は、いつもと違っていた。薄いガラスのバリアを張っているかのように、見えない拒絶を感じる瞬間がたくさんあった。
 昨日まで見せてくれていた佐伯君の自然な笑顔は消えて、学校の廊下や教室で見かける、あの「爽やか優等生」の貼り付けたような笑顔になっているように思う。

「体調が悪かったのかな」

 声に出してみる。
 きっとそうだ。そうであってほしい。
 そうでなければ……私にはもう理由が分からない。

「どうしたら……」

 何をどうすれば元の二人になれるのか。答えの出ない暗闇の中でただ途方に暮れるしかなかった。



*



 失敗した。とんでもなく失敗した。

 自分の部屋の机の前に座り、開いたままの教科書とノートを前にして、俺は深く両手で頭を抱え込んだ。

 有栖川が好きだと、あんなにもはっきりと自覚してしまった。
 途端に、彼女とどう話したら良いのか分からなくなってしまったのだ。
 いままでみたいに、自然に笑おうと思えば思うほど、自分がどう思われるか、どう見られるかが頭をよぎってうまく口角が上がらない。

「……絶対、変だと思われた」

 極め付けは今朝の部活の話だ。
 せっかく有栖川が応援に行きたいと申し出てくれたのに、俺は自分からそれを断ってしまった。

 バスケは好きだけど、うちの部は特別強豪ってわけじゃない。
 一次予選は難なく通るけれど、二次予選を突破するのは厳しい。ずっとそういう立ち位置のチームだ。
 奇跡的に神がかったメンバーが揃えばウィンターカップに近づく年もなくはないけれど、今年のチームはそうじゃない。
 コートの中にいる自分が、その限界を一番よく分かっている。

 無格好に負ける姿を、有栖川に見られたくなかった。

 『うちはそこまでは難しそうだけど』

 負けた時のための予防線を、自分から張った。

 『お互い、やるべきことをやろう』
 
 それらしく聞こえる理由をつけ足して逃げた。
 けれど、去り際に聞いた彼女の声は、絶対に納得なんてしていない落胆の混じった返事だった。

「あああ……」

 喉の奥から汚い唸り声を絞り出す。
 有栖川は少しずつ殻を破って前に進んでいるのに、俺は自分から後ろへ退がっている。
 後ろ向きになって、弱気になって、自分の小ささにぐずぐず悩んでいるだけだ。
 最低だ。
 もっと頑張らなければ。もっともっと、有栖川のように泥臭く努力をしなければ。
 そう思えば思うほど、顔の皮膚が突っ張るように固くなり、作り笑いしか浮かべられなくなっていく。



*



「お花、だいぶ元気そうになってきたね」

 翌朝、花壇の前で有栖川が柔らかく笑う。
 かわいいな。
 心底そう思うのに、喉を通って出てくる返事はどこまでも素っ気ないものになってしまう。

「うん」
「……昨日ね、麻里奈ちゃんとインスタのアカウント交換したんだ。今日の放課後の練習の持ち物とか話したの」
「うん、そっか」
「……夜、遅い時間にメッセージ送ってごめんね? 天気予報が怪しかったから心配になっちゃって」

 昨日の夜の予報は小雨だった。
 『明日、雨じゃないといいね』
 画面に届いたたった一言。
 メッセージには確かに気づいていたけれど、どう返していいのか分からず、指がすくんで既読にすらできなかった。

 朝起きたら空は一面の曇り。雨が降っていなければ開催。
 約束した通り、彼女はちゃんときてくれた。

「ごめん、ちょっと寝坊して返事する余裕がなくて」

 寝坊したのは本当だ。
 自分に対する落ち込みと不安で宿題は全く進まなかったし、ベッドに入っても頭が冴えて眠れなかったのだから。

「全然! 佐伯くんが寝坊って珍しい印象がある。あ、でも、そう言う日もあるよね」

 明るく振る舞おうと必死に声を弾ませてくれているのが察せられる。
 その有栖川の気遣いに触れるたび、俺の全身の筋肉はますますガチガチに固まっていく。
 好きな子にこんなに無理をさせて、顔色を窺わせて……俺は一体、何をしているのだろうか。

 互いの言葉が噛み合わないまま、俺はただ予鈴が鳴り響くその瞬間を、救いを求めるように祈りながら待っていた。



*