さよなら、スタジオ有栖ちゃん ー仮面の優等生と秘密の練習会ー


「……変じゃないかな」

 洗面所で鏡に向かい、髪をこねくり回す。
 初めはストレートアイロンで伸ばしたけれど、パキンと不自然なほど真っ直ぐになり過ぎてしまったので、一度水で濡らして戻した。
 ナチュラルな感じで、でも癖毛はおさえて……塩梅が難しい。 
 今日は佐伯君のおうちに遊びに行かせてもらう。
 午後からお邪魔するのかと思っていたら『お昼ご飯もどうぞ』と誘ってもらえた。佐伯君のお母さんからの提案らしい。
 一度は遠慮したけれど『良いから』と押されて、結局お昼をいただくことになった。

「ひなた、そろそろ時間じゃない?」

 リビングから母が叫ぶ声が聞こえる。

「わかってるー」

 色付きリップを塗って、最後にもう一度、前髪に櫛を通す。
 鏡の中に映る自分を見つめた。
 膝丈のスカートに、ロンT、それにざっくり編みのカーディガンを羽織った。靴は少しだけヒールのあるショートブーツ。
 よそのお宅にお邪魔するのだからと、靴下は新しいものを下した。

「……これも持っていこう」

 お小遣いを貯めて買ったちょっといい櫛を、カバンに入れる。



*



「おはよう、佐伯君!」

 改札を出ると、わかりやすい場所に立っていてくれた佐伯君が手を振ってくれる。

「おはよう。迷わなかった?」
「うん、中央口って教えてもらったから」

 佐伯君のお家の最寄駅は、三線が交差する大きな駅だ。

「行こうか」

 彼が案内してくれる通りに歩く。

「バスに乗ってもいいんだけど混んでるし、歩いてもいい? 十五分くらいなんだけど」
「もちろん」

 二人で、佐伯君の地元を歩く。しかも私服。
 いつもと違う状況に、どうしたってどきどきしてしまう。

「なんか、変な感じだね」

 思わず言葉が口から漏れてしまう。

「何が?」
「いつも制服なのに、今日はお互い私服だから」
「ああ、そうだよな」

 信号で止まると、佐伯君は改めて私を見た。

「うん、見慣れない」
「佐伯君はイメージ通りだよ」

 ジーパンにTシャツ。パーカーを羽織った姿は、休日の男子高校生のお手本みたいだ。

「そう? 有栖川は……イメージとちょっと違った」
「え?」

 どう違ったのだろう。がっかりさせただろうか?
 急に不安が押し寄せてくる。

「だってなんか、すごい可愛い服だし、髪もいつもと違ってサラサラだし、化粧してるし……」
「お化粧してないよ? 色付きの薬用リップだけ……」

 佐伯君はまじまじと私の顔を見ながら聞いた。

「え、まじで? そんなにかわいいのに?」
「うっ……え?」

 声ともつかない私の唸り声を聞いて、彼は弾かれたように身を引く。

「あ、ごめん。いつもと違い過ぎてその……いや、でも可愛いっていったのは本当。……似合ってるよ、服も、髪も、リップも?」
「あ、ありがとう」


 ピッポー、ピッポー


 信号の音が響く。

「行こ」

 佐伯君は歩き始めた。
 その背中を追いながら、おうちに着くまでに顔の赤みが引いてくれるだろうかと、そんなことばかり考えていた。



*



「いらっしゃい」

 出迎えてくれた佐伯君のお母さんは、優しそうで綺麗な人だった。

「初めまして。同じ学年の有栖川ひなたと申します」

 玄関先でペコリと頭を下げる。

「どうぞ、入って。さあさあ」

 促されるまま靴を脱ぐ。

「お邪魔します」

 日差しの気持ち良い、大きな窓があるリビングに通される。

「あのコレ、母からです。ケーキなんですけど、甘いものお好きですか?」
「まぁありがとう、甘いの大好きよ。おやつの時にいただきましょうね」
「手、洗うだろ。洗面所こっち」

 佐伯君が手招きする。

「あ、ありがとう」

 佐伯君のお家だ。
 どこを見ても胸が詰まりそうになる。
 佐伯君が靴を履く玄関。佐伯君がくつろぐリビング。佐伯君がいつも使ってる洗面台。
 視界に入るすべての場所に彼の生活があって、ただそこにいるだけで体中が熱くなった。

「少し早いけど、もうお昼でいいかしら?」

 リビングへ戻ると、続きになっているダイニングスペースのテーブルにご飯が並べられていた。

「もちろんです。あ、お手伝いします」
「いいのよ、お客様なんだから。座ってて。ほら颯真、お茶出してあげなさい」
「うん」

 佐伯君はきっといつも手伝っているのだろう。
 慣れた手つきで冷蔵庫からお茶を出し、グラスに注いでくれる。

「ありがとう」
「いいえ」

 そのままお母さんが盛り付けた食器を運ぶ。
 唐揚げに豚の生姜焼き。山盛りの千切りキャベツと、トマトはピクルスになっている。

「わぁ、おいしそう」
「いただきまーす」

 手を合わせて皆で食べ始めると、お母さんが申し訳なさそうな顔で言った。

「ごめんなさいね、こんな茶色いおかずで。私、颯真がお友達を連れてくるって、てっきり男の子だと思ってて。だからお肉を焼いて揚げ物も作っとけばいいかーってこんなメニューに……」
「いえ、嬉しいです。唐揚げも生姜焼きも大好きです!」

 急いで言葉を返す。
 こんなにたくさん作ってもらえて、嬉しい気持ちしかない。

「だから言ったじゃん、何でも平気だって」
「もう、女の子が来るならそう言ってよ! ちゃんと聞いてたらもっとオシャレなもの作ったのに」

 佐伯くんのお母さんはいじけたみたいな声を出す。

「あの、佐伯君はお母さんの唐揚げが一番好きだっていっていました。だから、今日食べることができて嬉しいです」
「ばっ……有栖川、違うよ。ただ好きな食べ物って話だろ、それ」

 佐伯君が顔を赤くして慌てる。

「え、違うかな?」
「全然違う」
「やだ颯真ったら、そんな照れなくてもいいのに。そっか。お母さんの唐揚げが一番好きなの」

 お母さんは本当に嬉しそうに、パッと声を弾ませた。
 そのやり取りがおかしくて、思わず笑ってしまう。

「ちがうって……もう母さん、喋ってないで食べてよ。そんなに話してばかりじゃ有栖川も食べられないじゃん」
「分かってるわよう。有栖川さん、いっぱい食べてね」



*