さよなら、スタジオ有栖ちゃん ー仮面の優等生と秘密の練習会ー


「忘れ物ない? お菓子持った?」

 土曜日の朝。
 玄関でスニーカーの紐を結び直していると、母が後ろから声をかけてくる。
 今日の服装はいつもの制服ではなく、指定の体操着の上にジャージを羽織ったスタイルだ。

「持ったよ。大丈夫」
「水分取るのよ。飲み切ったら買ってね」

 お小遣いとは別にと、母はジャリジャリと小銭を差し出してきた。一応、財布にはお札も入れてあるのだけれど。

「チャージした?」
「もう、昨日ちゃんとしたって話したじゃん。わたし高校生だよ?」

 母はいつまでも私を子供扱いして心配してくるのだ。

「はいはい。じゃあ、楽しんでね。いってらっしゃい」
「行ってきます」

 扉を開けて家を出る。
 今日はいつもより丁寧に髪をブローした。
 教室での居心地の悪さは相変わらずだが、今日の校外学習では、班行動の規定上どうしても芹香と希美の二人に向き合わなければならない。
 けれど、以前のような足がすくむような怖さは、もう胸の中にはなかった。

「あとは、気合いだけ」

 自分を鼓舞するように、ぐっと小さく拳を握りしめながら現地へと向かう。



「各班、早めに課題だけ終わらせてな。そしたら自由時間でいいぞ」

 全体の集合確認のあと、担任が大きな声を張り上げて指示を出した。

「じゃあ、解散」

 先生の言葉を合図に、周りの生徒たちが一斉に動き出す。私は隣に立つ二人を振り返った。

「行こうか」
「……ん」

 蚊の泣くような小さな返事らしきものが聞こえ、私たちは三人で並んで歩き始めた。
 今回の学習課題として設定したエリア、日本庭園へと向かう。

「これが『野面積(のづらづ)み』か」

 あらかじめ用意してきた事前調査の用紙を取り出す。
 終始あからさまに気が乗らなさそうな二人の雰囲気を視界の外へ追いやりながら、やるべき作業を着々と進めていく。

「自然石をそのまま積んだもの。多種多様な大きさがあり、大きな石を積んだ隙間に小石を詰めている。凸凹が多いので敵に登られる欠点があるが、排水性に優れており、強度が高く崩れにくい、と……調べた通りだね」

 解説を読み上げても、芹香も希美も欠片ほどの興味も示さず、ただ黙って立っているだけだった。
 大丈夫。
 最初から予想していた反応だ。これくらいで傷つくことは、もうない。

「……じゃあ、写真を撮って」

 スマートフォンを取り出し、角度を変えながら石垣を画面に収める。
 提出資料に貼り付けるためのカットを数枚確保し、念のために首から下げていた一眼レフのシャッターも切っておいた。

「これでグループの課題はおしまい。ってことで大丈夫かな?」

 班長として、一応の確認を入れる。

「うん」

 手入れされた自分のネイルをじっと眺めながら、芹香が素っ気なく答えた。

「私、プリントアウトしておくね。火曜の提出までには整えておくよ」
「んー」

 今度は希美が短く生返事を流した。

「よし。じゃあおしまい」
「いこ、芹香ちゃん」
「うん」

 特に労いの言葉を交わすでもなく、二人はさっさと踵を返して歩き出していく。
 遠ざかっていく二人の背中を見送りながら、私は声にならないくらい小さな声で呟いた。

「……ばいばい」

 これでおしまいだ。
 私たちはきっと、この日本庭園にある野面積(のづらづ)みの石垣と同じだったのだと思う。
 芹香という大きな石。
 希美という大きな石。
 それらをグラグラさせずに支える隙間埋めの粒の一つとして、間に私という小さな石が無理やり詰め込まれていたのだ。
 でも、最初から形が噛み合わないのなら、別の石を嵌めた方がずっといい。
 そうしなければ、いずれ石垣そのものがガラガラと崩れてしまうのだから。

 日本庭園を課題場所に選んだグループは多い。同じクラスの女子だけでなく、他クラスの生徒たちも私たちの様子をチラチラと横目で気にしていた。
 二人の姿が完全に人込みへ消えたのを確認すると、私は調査用紙をファイルにしまい、二人とは真逆の方向へと歩き出した。
 きっと二人は、事前にクラスの女子たちが話題にしていた流行りのSNS映えスポットへ向かったはずだ。
 そこを回避して歩けば、鉢合わせして気まずい思いをする可能性も低い。

「さて」

 ここからは、待ちに待った写真の練習時間。


 ヴヴヴッ……


 ジャージのポケットの中で、スマホが短く揺れる。画面を見ると、新着メッセージの通知が表示されていた。

 『弁当、一緒に食べる?』

 佐伯君だ。
 どこまでも優しい人。こんなクラス単位でバラバラになる遠足のような校外学習の日にまで、一人になった私のことを気遣ってくれる。
 彼のまっすぐな優しさに触れて、自然と頬が緩んでいくのが分かった。

 『大丈夫、佐伯君はクラスのお友達と楽しんでね』

 そう画面に打ち込んで返信を送信すると、私は愛用のカメラを両手でしっかりと握り直し、光の差し込む園路へと歩き出した。