西陽が傾き、校舎の背景に広がる空が鮮やかなオレンジ色に染まった頃、ようやくすべての作業が終わった。
「……元気になるかなぁ」
「わかんないけど、信じるしかないな」
少し量の減ってしまった花壇。
元気のない、どうにかこうにか立っている花たちを見ると不安でたまらないが、佐伯君のいう通りあとは信じるしかない。
「ねえ、この花また持ち帰ってもいいかな?」
植え直しができない、避けた花の中から、まだもう少し咲きそうな花を選びながら尋ねる。グラスへ入れれば、数日は咲いてくれるかもしれない。
「もちろん。俺もそうする」
二人で、花をわけっこした。
寄り分けを終えると、佐伯君は軍手の土を払いながらこちらへ顔を向ける。
「ありがとうな、手伝ってくれて」
「ううん、私こそ。手伝わせてくれてありがとう」
お礼を口にすると、佐伯君は一瞬キョトンとした顔をした。
そして次の瞬間、急に噴き出すように笑い出した。
「ぷっははは」
「え、な、何? 変なこと言った?」
「いや、良いこと言った。なのに……あははは」
込み上げる笑いを堪え切れない様子で、佐伯君が私の鼻先を指さす。
「鼻の頭に泥がついてる。せっかくいい返事だったのに、全然決まってない」
ついにはお腹を抱えて笑っている。
「え、やだー!」
私は焦って、軍手をはめたままの手の甲で必死に鼻を拭った。
「取れた?」
佐伯君に見せると、彼はもう一度小さく笑った。
そして、そっと温かい指先を伸ばし、私の鼻の頭を優しくさする。
「ん。取れた」
柔らかく微笑む彼の顔が、夕陽のオレンジ色に包まれて輝いて見える。
「……ありがとう」
熱を持った自分の顔が今どんな状態になっているのか、自分では確かめようもない。
きっと赤くなっていると思うけれど、どうかこの赤さが夕陽の光のせいだと思ってもらえますように。
心の中で強く願いながら、私は俯いた。
「よし。有栖川、こっち向いて」
「え?」
急に名前を呼ばれ、弾かれたように顔を上げる。
すると、佐伯君の顔が至近距離までグッと迫ってきた。
「はい、チーズ」
カシャ。
いつの間にか彼が手に持っていたスマホから、シャッター音が響く。
「え、なんで? 私、泥が」
「取れたって。うん、良いかんじに花壇も映ってる」
佐伯君が画面をこちらに向けて見せてくる。
「二人で花壇を直した記念」
画面の中に映っていたのは、スカスカと少し寂しくなってしまった花壇と、軍手をつけたまま並ぶ私たち二人。
そして私はといえば、完全に不意を突かれて目線が明後日の方向を向いている。
「えーっちょっとこれひどい、え、もう一回撮ってよ。ちゃんとするから!」
急いで軍手を脱ぎ捨て、乱れた前髪を手ぐしで整えながら訴える。
ハッと、思い出した。
「あれ、佐伯君……写真苦手だって?」
「うん。でも、撮りたかったから」
佐伯君は、一度も見たことがないような笑顔を浮かべていた。
「俺、有栖川と一緒に撮りたかったんだ」
穏やかで、どこまでも優しい顔。
汗の粒が夕陽を浴びてキラリと光るその表情を見つめていると、胸の奥がドクリと大きく跳ね上がる。
「……ごめん、嫌だった?」
「ううん、嫌じゃないよ! でも、せっかく撮ったのに……顔がひどいから」
さっきまで激しく泣いていたせいで、自分の目がぶ厚く腫れ上がり、真っ赤になっているのが嫌でもわかる。
「じゃあまた撮ろう。この花壇の花が綺麗に咲いたら、二人で撮ろうよ」
「……うん」
新しい約束が、二人の間にひとつ増えた。
それがたまらなく嬉しくて、胸の奥から声を絞り出す。
「よし。帰るか」
「うん」
手分けして散らばった道具をまとめていく。
「……はあ。帰るのやだな」
片付けの途中、抑えきれずに小さな吐息が口から漏れた。
「なんで?」
「こんな顔で帰ったら、お母さんが心配しちゃう」
「あー……」
大きなザルの中にスコップや細かい道具類を手際よく重ねた。
重くなったザルを佐伯君がさっと持ち上げてくれ、私は箒とちりとりを手に歩く。
夕陽が背中から二人を照らす。
長い、細い影がふたつ。倉庫へ続く裏庭の小道に伸びた。
「私ね、中一の夏休み明けに引越しで転校したんだけど、新しい学校に馴染めなくて。友達がいなかったんだ」
並んで歩きながら、私は静かに語り始めた。
「どうにか不登校にはならなかったけど、親が心配してさ。お母さんが夜中に泣いてるの、見ちゃったんだよね」
佐伯君は歩調を合わせながら、黙って私の言葉に耳を傾けてくれている。
「だから、お母さんに心配かけることしたくなかったんだけど……はあ。何て言おうかなこれ」
手のひらで軽く目元をさすってみる。
こんなことをしても赤みが引くわけがないと分かってはいるけれど、じっとしていられなかった。
「有栖川の家ってどこ?」
道具を仕舞い、カチャンと音を立てて倉庫の扉を閉めたところで、佐伯君がふと尋ねてきた。
「ここから電車で二駅のところ」
「あ、じゃあうちに帰る途中の駅だ」
佐伯君はオレンジ色に染まる空を見上げながら少し思案し、それから思いついたように明るい声を出した。
「俺、家まで送るよ」
