「今日は一日降り通しだったなぁ」
放課後。
教室の窓からどんよりとした外を眺めつつ、小さくため息をつく。明日は晴れるだろうか。
「雨、止まないね」
ヒョイっと顔を出した芹香が言った。
希美と一緒に行っていたトイレから戻ってきたらしい。
「ね。嫌になっちゃうよね」
帰り際にこうして話しかけてくると言うことは、今日は一緒に帰る日なのだろう。どことなく察して、私は鞄に教科書を詰め込み、帰る支度を始める。
「ねえねえ有栖ちゃん、教えて欲しいんだけど」
「なに?」
一向に鞄を持とうとしない芹香に聞き返す。
まだ帰らないのかな、ここで話をするのかな、と思いながら顔を見つめた。
「いつの間に颯真くんと仲良くなったの?」
「……え?」
どきりと、大きく心臓が脈打った。
「見ちゃった。下駄箱のところで颯真くんと話してたでしょう。二人で話すほど仲が良いって知らなかったから、私びっくりしちゃった」
見られていたのだ。
二人はとっくに帰宅したと思っていたけれど、まだ学校に残っていたらしい。
「あ……えーっと、仲が良いと言うか……少し、話をしただけで」
どこまで聞かれたのだろう。
佐伯君の家に行く約束のことまで知っているのだろうか。
隠さなくても良いのかもしれないと思いつつも、頭が良くてスポーツ万能で人気者の佐伯君と友達になったと知られたら、彼に迷惑がかかるんじゃないかと不安になる。
それに、早朝の練習は二人だけの秘密にする約束だった。
なんと説明するべきか、頭の中で焦りがぐるぐると渦巻く。
「え、嘘。だいぶ長く話し込んでたじゃん。よく聞こえなかったけど、楽しそうだったし、部活頑張って、とか」
表情が硬直する。
「うん、体育祭の時に少し喋って、それから……あ、カメラの話をしてたの。一眼レフに興味があったみたいで、ほら、私写真部だから」
これは嘘じゃない。一眼レフで撮影した写真の話をしたのだから。
上手い言い訳ができたと、胸の中でホッと息をついた。
しかし、芹香は途端に顔を明るくして前のめりになってきた。
「え、颯真くん一眼レフに興味があるんだ。やだ、写真苦手って言ってたのに、平気になったのかな?」
しまった。
指先が冷たくなる。
佐伯君は写真が苦手なままなのだ。カメラに関する話題は避けるべきだった。
「あ、いや、苦手。苦手のままだよ。それに映る方じゃなくて撮る方に興味があるみたいで」
「ふーん……」
芹香も希美も、いかにも怪しそうな目を向けてくる。
重苦しい沈黙が、冷たく肌に突き刺さる。今すぐこの場から逃げ出したい衝動に駆られた。
「まあいいや。でも、有栖ちゃんが颯真くんと仲が良いのは事実だもんね。ね、お願いがあるの」
背中を、冷たい汗がつつっと濡らしていく。
「颯真くんの写真、撮ってよ」
「……え?」
「私、言ってなかったけど颯真くんのこと好きなんだ。だから颯真くんの写真が欲しいの」
「そうだよ、芹香ちゃんは一年の頃からずっと颯真くん一筋なのに、ずっと隠しててさ。一途なんだよ」
希美が横から加勢してくる。一途なことと写真を撮ることに、一体なんの関係があるのか分からなかった。
「いや、でも佐伯君は写真が苦手なわけだし、嫌がると思うよ?」
「うん。だから、こっそり撮って」
教室の中が、シンと静まり返る。
「……え?」
思わず、眉根が寄った。
「有栖ちゃんにカメラのこと聞いてるなら、有栖ちゃんがカメラを持って操作してても気にしないってことだもんね。だからさ、こっそり颯真くんのこと撮影してよ。その、良いカメラで」
「あの……」
額から流れる冷たい汗が、髪を湿らせながらじっとりと肌にへばりついてくる。
「ね、お願い。私たち友達じゃん」
「そうだよ、芹香ちゃんの恋。一緒に応援しよう?」
友達。
恋の応援。
その言葉は、甘美な響きを持っている。私をがんじがらめに縛りつける一番甘くて凶悪な呪い。
ここで「うん」と言えば、私はただのトモダチではなく、二人と本当の友達になれるのだろうか。
一緒に帰るのかどうか毎日一人で悩まなくて済むようになるのだろうか。
休みの日に、一緒に遊びに行こうと素直に言えるような関係になれるのだろうか。
しかし――。
「ごめん、できない」
私は両手をギュッと固く握りしめた。
「肖像権があるの。撮られたくない人を勝手に撮るのは、その人の権利を侵害することになるの」
まっすぐと二人を見据えて伝える。
これは、私たちの友達関係の話ではない。佐伯君という一人の人間の、大切な権利の話だ。
ニコニコと笑っていた芹香の顔から、一瞬で表情が消え、スンと真顔に変わった。希美はこちらを射すように睨みつけてくる。
一分。
いや、本当は十秒くらいだったのかもしれない。
けれど、息が詰まるほど長く感じる沈黙が場を支配した。
やがて芹香は、張り付いたような笑みを浮かべた。
「……そっか。わかった」
それだけ言うと、彼女は鞄を持ち、帰る支度を始めた。希美もそれに続く。
ベランダに置かれたクラス専用の傘立てからそれぞれの傘を回収すると、二人は振り返る。
「じゃあね、ばいばい」
芹香は笑顔でそう言った。
そのまま、私のすぐ目の前を二人が通り過ぎ、教室のドアから出ていく。
「……うざっ」
廊下へ出た瞬間、小さな、小さな声でそう言い放った芹香の声が、ハッキリと耳に届いた。
