大きく口を開けて、熱々のトンカツを頬張る。
サクッとした衣の食感と肉汁が口いっぱいに広がったその時、真正面に座るお母さんが口を開いた。
「何か良いことあった?」
「ぐふっ……!」
予期せぬ質問に、思わず盛大にむせてしまう。
「もー、何やってるのよ」
焦りながら必死に咳き込む私を見て、お母さんが呆れた声を出す。
水を取りに流しの方へ回りながら、私は絞り出すような声で何とか言葉を返した。
「だっ……て、けほっ。お母さ……げほっ」
これは危険だと察知したのだろう。
お母さんも慌てて立ち上がり、私の背中を優しくトントンと叩いてくれた。
「もう。お母さんが急に変なこと言うから」
ようやく呼吸が落ち着き、二人で再び食卓につく。
「変なことって何よ。良いことあったか聞いただけじゃない」
お母さんは心外だと言いたげな表情を浮かべている。
完全に呆れられてしまっているけれど、こちらとしては心臓が飛び出るほどびっくりしたのだ。
だって、ちょうど佐伯君のお家に遊びに行く日のことを考えていたから。
校外学習の振替休日。まだ少し先の予定だけれど、それでも浮き立つ心を抑えることなんてできない。
「最近、楽しそうだなと思ったの」
お母さんは目尻を柔らかく下げながら笑った。
その顔を見て、ふと中学の頃の出来事を思い出す。
私を心配して、夜中にこっそり泣いていたお母さん。
そんな苦い記憶があるからこそ、こうしてお母さんが穏やかに笑っている姿を見ると、胸の奥がじんわりと温かくなっていた。
「最近……新しく友達ができたの」
「あら、芹香ちゃんたち以外に?」
小さく頷く。
「友達って言っても、少し話すくらいなんだけどね」
「同じクラスの子?」
首を横に振った。
「別のクラス。学年は一緒だけど。……なんか、大した話じゃないけど、話してると楽しいんだ」
ぽそぽそと照れくさそうに喋ると、お母さんは少し目を見開いて、それからもう一度嬉しそうに目尻を下げた。
「そう。良かったわ」
気を取り直して、改めてトンカツを口に入れる。
今度はむせないように、しっかりと噛み締めた。
「お母さんね、いろんなお友達がいていいと思うのよ」
「……いろんな友達?」
モグモグと咀嚼し、綺麗に飲み込んでから聞き直す。
「そう。クラスのお友達、部活のお友達、そうじゃなくても、たまたま何かで一緒になって知り合ったお友達。いろんな出会い方があるわ」
昔を思い出しているのだろうか。
私の知っているお母さんじゃないような顔をしている。
「学年が上がったり、卒業をしたらクラスのお友達とは疎遠になるかもしれない。でも、そうじゃないお友達とは長いおつきあいになったりしてね」
「……お母さんにも、高校時代のお友達、いる?」
「いるいる。時々話す、君江ちゃんがそう。クラスは別だったんだけど……あらやだ、部活も別だったわ。なんで仲良くなったのかしら?」
お母さんは首をひねって真剣に考え込んでいる。
その様子がおかしくて、思わずくすりと笑ってしまった。
「でも、高校時代の友達で今でも連絡をとっているのは君江だけね。あとは大学時代のお友達とは忘年会をしてるけど」
「毎年行ってるやつだ」
共働きの母が夜に遊びに行くことは滅多にないけれど、その忘年会だけは毎年欠かさず行っているのを知っている。
私が寝た後に帰ってくることが多いけれど、出かける時のお母さんはたぶん、一年で一番オシャレをして輝いている。
「新卒で入った前の会社の同期とも未だに会うし、本当、いろんなお友達がいるわ」
「……私もできるかな、いろんな友達」
ポツリと呟く。
自分にあまり自信はない。私は父に似て大人しく、母の方がよほど社交的な性格をしているのだ。
母は、私の心を読んだかのように語った。
「大丈夫よ。実はお母さんよりお父さんの方がお友達が多いもの」
「……えー、それは嘘!」
思いがけない事実に、思わず声を張り上げてしまった。
「本当よ」
母の明るい笑い声が、温かな食卓を賑やかに彩る。
*
「あ……また雨だ」
朝、目を覚ましてカーテンを開けると、外は強い雨が降り続いていた。
これでは今朝の裏庭での練習は中止だ。
「話したかったのにな、遊びに行く日のこと」
昨日の夜、色々と考えていたらメッセージを送れないまま寝落ちしてしまった。
ご飯の時間に被らない方が良いだろうから午後かな、とか。手土産は何がいいのかな、とか。
兄弟はいるのかな?
私と同じ一人っ子なのかな?
そんなふうに佐伯君のことをぐるぐると考えていたら、いつの間にか夢の中だった。
「あ、写真投稿しなきゃ」
昨日撮った花壇の写真も、まだアップできていない。
『コスモスが咲きました』
昨日の朝は秋らしい爽やかな気候だった。
おかげで、早朝の柔らかな陽の光が満開の秋桜を優しく照らす良い写真が撮れた。
「明日晴れたら、一眼レフでも撮ってみようっと」
毎日が楽しい。
毎日、朝が来るのを心待ちにしている。
そんな自分が好きだなと、思い始めていた。
*
