「はい」
いつもの朝。
花壇の前で一通りの水やりを終えたところで、私は佐伯君へ一通の白い封筒を差し出した。
「何これ?」
「約束してたもの。開けてみて」
やたらと緊張した声が出てしまい、こっそり息を整える。
佐伯君が勘づかないようさり気なく促すと、彼は不思議そうに封筒へ手を伸ばした。
カサリ、と紙が擦れ合う音が静かな朝の空気中に響く。
「あ、写真!」
嬉しそうな声が返ってきて、胸の奥でキュッと固まっていた結び目がほどけるのを感じる。
「すごい、この花だ!」
少し興奮気味に、佐伯君は写真を一枚ずつ目繰っていった。
「わぁ、これも……こっちは蕾の時だ」
ニチニチソウとコスモス。
これまで何枚も撮りためてきた写真の中から、一番綺麗に撮れたものを選び抜いて焼き増ししたのだ。
「すっごいな、こんな色で出るんだ。わぁ……」
発色が良いものを選んだので、そこを褒められるとくすぐったいような嬉しさがこみ上げてくる。
「構図がちょっと下手だったり、寄りすぎてたり、作品としては今ひとつの物もあるんだけど、でも、綺麗に撮れたのを選んだんだ」
「うん、すごく綺麗だ。これは本物みたいな色だし、こっちはもっと詳しいっていうか……接写っていうのかな。近い分、よく見える。花にも葉脈みたいなのがあるんだな」
「花脈っていうんだって。私も初めて知ったの」
写真の中の小さな花弁一つ一つに、うっすらと繊細な筋が伸びている。
水や栄養分を運ぶための大切な管だ。
「こういうのをみると、やっぱり生きているんだなぁって感じがするな」
佐伯君は満面の笑みを浮かべて写真を見つめている。
「なあ、さっき『選んだ』って言った? まだ他にもあるのか?」
「うん。たくさん撮ったから、厳選したの」
すると、佐伯君がぐいと顔を近づけてきた。
「見たい。見てもいい?」
「え……?」
*
「おお、ここが暗室か。本当に、窓も塞がれてんだ」
昼休み、密やかに佐伯君を写真部の部室へ連れてきた。
本来、部外者の立ち入りはあまり好まれないけれど、部員である私が一緒なら問題ないだろう。何せ現像した写真はかなりの枚数があったので、部室に来てもらった方が手っ取り早い。
佐伯君はキョロキョロと部屋の中を見渡し、好奇心に満ちた目で尋ねてくる。
「なあ、あれ何?」
「現像するための、液体を入れるバット」
「あれは?」
「乾かしてるの。あれに吊るしてね」
「あ、そっか。液体に入れるから」
「そうそう」
佐伯君は次から次へと質問をしてきてくれる。
頭の良い人は好奇心が旺盛だと聞いたことがあるけれど、彼のそれは、どちらかと言えば五歳児の興味関心のようにも思える。
きらきらとした瞳が可愛らしい。
「どれくらい時間かかるの?」
「量にもよるけど、現像は一時間くらいかな。干すのは最低でも数時間から半日。私は一日くらい干しちゃう」
佐伯君は、ロープに吊るされている何枚もの写真を食い入るように見つめた。
「……これ、全部有栖川が撮った写真?」
「うん。今干してあるのは私の」
昨日、放課後に残って作業した分だ。
「あ、これ有栖川の家?」
一枚の写真の前で、佐伯君の目が止まった。
グラスに入れられた茎の短い花。あの日、花壇で折れていた蕾を持ち帰り、自分の部屋の机に飾ったときのものだ。
「そう。もう枯れちゃったけど、しばらく元気に咲いてくれたんだ」
自分の部屋の背景も少しだけ写り込んでいるため、なんだか恥ずかしくなって身を縮める。
そんな私の動揺も知らず、佐伯君はぽつりと呟いた。
「ありがとうな」
「……え、何が?」
「この花、持ち帰ってくれて」
頭の中に蘇るのは、乱雑に踏み荒らされた花壇を見つけたあの日の記憶。
小さな蕾をつけたまま倒れていたお花に申し訳なくて、必死に泥を払っていたら、佐伯君が駆けつけてくれて……。
「ううん、私の方こそ。一人じゃ直せなかったから、佐伯君が助けてくれて嬉しかった。ありがとう」
「ちがう。花壇は直したけど、茎が折れた花は諦めたんだ。それを有栖川が持ち帰ってくれた」
佐伯君の真剣な瞳が、まっすぐに私へ向けられる。
「有栖川が、俺の育てた花を諦めないで咲かせてくれた。だから、ありがとう」
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
喉の奥に熱いものが詰まったような感覚がして、私は声を出せないまま、小さく頷くことしかできなかった。
