さよなら、スタジオ有栖ちゃん ー仮面の優等生と秘密の練習会ー


「なあ、忘れてた。好きなことの話をするってやつ。ちょうどいいからやろう」
「あ、そうだった」
「じゃあ俺からな。俺が好きなのはバスケ。昨日見にきてくれたよな、試合」
「え、あ、気づいてたの?!」
「うん。前の方にいたじゃん。拍手、ありがとう」

 あの大歓声の中で気づかれているとは思わなかった。「へへっ」と返事ともつかない間抜けな声を漏らしてしまう。

「バスケは小三の頃はじめたんだ。俺、帰国子女だって話したっけ?」

 首を横に振る。

「でも知ってるよ、有名だもん」
「七年間ベルギーにいた。インターに通ってて、そこで始めたんだ」

 ベルギー。インターナショナルスクール。
 テレビドラマの中でしか聞かないような単語を当たり前のように口にする佐伯君は、普段学校で見せる姿よりも、少しだけ大人びて見えた。

「初めはアクティビティ……うーん、期間限定の教室みたいなのが開催されて、で、楽しかったから親に頼んでキッズスクールを探してもらって……」
「学校のクラブとは違うの?」
「うん。日本のクラブ活動みたいなのは盛んじゃないんだ。で、地元のスクールに行ったら学校と違ってアジアンがゼロでさ」

 佐伯君は過去を懐かしむように笑った。

「露骨ないじめみたいなのがあったんだけど、俺すごいバスケやりたくて。くそーっと思って頑張ってたらコーチに褒められてさ。選手に抜擢されて、で、上手くなると同時にチームの奴らも認めてきて。『二度とアジアンいじめるな』って怒って、それから仲良くなった……そいつらとは今でも友達」

 昔の仲間を思い出して、少し誇らしげにはにかむ佐伯君を見て、ふと気づいたことがあった。

「佐伯君は、バスケが好きだけど、バスケを通じてできたお友達が好きなんだね」
「え?」
「ベルギーのお友達の話をする時、村田くんと話してる時みたいな顔してたよ」

 佐伯君は動きをピタリと止め、それから勢いよく自分の二の腕で顔を覆い隠した。

「うっわ、まじか。はっず……」

 真っ赤になって照れている様子が妙に可愛らしくて、私は思わず吹き出してしまった。

「あははは」
「恥ずいなこれ。よし、じゃあ次は有栖川の番」

 佐伯君は誤魔化すように腕を退け、私に視線を向けた。

「私はね、これ。写真」
「写真部だもんな」
「うん。この一眼レフで撮ってるの」
「すごい。高そう」

 佐伯君はカメラに目を落とす。

「ふふ。もっと高いカメラはいっぱいあるから何とも言えないけど……お祖父ちゃんがくれたんだ。いくつかあるからってお下がりで」
「へえ。お祖父さんも写真撮るの?」
「うん、好きみたい。昔私が……」

 言葉が途切れ、胸の奥に古い記憶が蘇る。
 中学の時だ。
 学校でどうしても上手くいかなくて、家へ帰れば私のことで落ち込むお母さんがいて、自分の居場所がどこにもないような気がして、逃げるようにお祖父ちゃんの家を訪れたことがあった。

 『ひなた。これ、使ってみるか?』

 落ち込む私を見て、お祖父ちゃんは棚にいくつか並んでいたコレクションの中から、この古いカメラを選んで渡してくれた。

『カメラはいいぞ。自分と向き合う時間が持てる』
『自分と?』
『何を撮るか、どう写すか。それを考えていたらあっという間に時間が過ぎてしまう。それくらい、自分が好きなものと向き合えるんだ』

「……昔、くれたの。これで好きなもの撮りなさいって」

 中学のことを思い出していたから、会話の間に少し不自然な沈黙が生まれてしまった。
 けれど、佐伯君は深掘りすることもなく、ただ優しく話を聞いてくれていた。

「触ってもいい?」
「うん」

 首からストラップを外し、両手で渡す。

「わっ……重い」
「ふふ」
「こんなの首から下げてたら折れそうだな」
「折れないよ」

 彼のオーバーなリアクションに、思わず笑いがこぼれる。

「画面は付いてないの?」
「うん、これはフィルムだから。部室には貸し出し用のデジタル一眼レフもあるよ」
「へー。じゃあ現像するまでわからないのか」

 スマホで撮ってその場ですぐに確認できることに慣れている私たちの世代には、回りくどくて不便に感じるかもしれない。

「あの……時間はかかっちゃうんだけど、でも……」

 変に思われたかも、と慌てて補足しようとした私の言葉を待たず、佐伯君が少し身を乗り出した。

「すごいな。現像できるまで分からないって、楽しみがその分ずっと続くってことだもんな」
「あ……そ、そう、そうなの!」

 自分の言いたいことを完璧に理解してくれたことが嬉しくて、声が高くなる。
 そう、それこそがフィルムカメラの醍醐味なのだ。

「だから私、現像して出来上がる瞬間がすごく好きで! 想像もしていなかった色で出てきた時なんかもう、本当にたまらな……」

 ハッと息をのんで、言葉を止めた。つい興奮して、夢中で喋りすぎてしまった。
 恐る恐る顔を上げると、ぽかんとした顔の佐伯君と目が合った。

「あ……ごめん。つい」

 捲し立てるように話してしまった自分が急に恥ずかしくなって、俯く。けれど、佐伯君の口元は優しくほころんでいた。

「見てみたい。そんな熱烈に語られたらすごく見たくなるな、フィルムの写真。この花がどんな写真にあるのか、俺、見たいな」

 おずおずと、問いかける。

「み……見る?」
「え、いいの?」
「うん。現像したら見せる」
「やった! ありがとう」

 こちらこそありがとう。

 本当はそう返したかった。
 けれど、胸の奥が熱く込み上げてきて。言葉にしようとすると声が震えてしまいそうで、言えなかった。


 すごい。すごいよ、佐伯君。


 私、学校でこんなに自分の気持ちを喋れるなんて思わなかった。
 自分の大切なカメラや写真の話を、こんなに身を乗り出して聞いてくれる人がいるなんて思わなかった。
 誰かの大好きな話を、こんなに温かい気持ちで聞けるなんて思わなかった。
 誰かと、自分たちの好きなことについて、こんなに素直に話して笑い合っていいなんて、これまで一度だって思ったことがなかった。

 油断したら涙が溢れてきそう。
 バレないように、私はスカートの影でぐっと拳を握りしめた。