「キャー、颯真くーん!」
土曜日の放課後。体育館の中に足を踏み入れた瞬間、鼓膜を揺らす女子たちの甲高い悲鳴に圧倒された。
今日はバスケ部が、近くの高校を招いて練習試合を行っている。
授業が終わったあと、会話の流れで芹香たちに「試合見に行こうよ」と誘われた。
声をかけてもらえたことが嬉しかったし、佐伯君がバスケをしているところを見てみたい気持ちもあった。
「すごい人だかり……」
「ほら有栖ちゃんも、前行こう!」
背中をぐいぐいと押され、人混みをかき分けるようにして最前列へ出る。
ピィーッ!
審判の短い笛の音が響き、試合が動き出す。
バン、バン、バンッと床を叩くボールの軽やかな音。
キュッと体育館のフロアにこすれるシューズの摩擦音。
それらに混じり合って、選手たちの切迫した指示や呼びかけが飛び交う。
「パス!」
「村田!」
鋭く短い声掛けとともに、選手たちが目まぐるしくフォーメーションを変えていく。コートをかける彼らの動きは滑らかで無駄がない。
「うっわ……すごい」
バスケの試合なんて、体育の授業でしか見たことがなかった。
思わず息をのむ。
スピード感と迫力に胸が小さく震えた。
「せーのっ」
「「颯真くーん!」」
隣で芹香と希美が、声を揃えて大きな声を張り上げた。
あんな風に、周囲の目を気にせず自分の感情をストレートに出して応援できるのは、素直にすごいと思う。
いつも周りの顔色を伺って、自分の声を喉の奥に押し込めてしまう私から見れば、彼女たちの積極的で堂々とした振る舞いは、率直に見習いたい部分だ。
ガコンッ!
彼女たちの声援が届いたのかはわからない。
佐伯君は、相手ディフェンスの隙を突いてゴール手前へ切り込み、鮮やかなフォームでシュートを決めてみせた。
「キャーッ!」
「すごい、すごい!」
抱き合いながら弾んだ声を上げる芹香たち。私はその横で、せめてもの思いを込めて手を叩いた。
大歓声が渦巻く体育館で、こんな小さな拍手の音が彼に直接届くはずがない。
それでも、私は精一杯の拍手を送り続けた。
*
「あ、もう少しで咲きそう!」
家に帰ると、グラスに浮かべていた蕾が、今朝よりもあきらかに綻び始めていた。
「明日の朝かなぁ」
スマホを取り出し、カシャリと写真を収める。
今朝撮った、学校の裏庭の花壇の写真と画面上で並べてみると、どちらの蕾も同じくらいの膨らみ。いい勝負だ。
「うーん、月曜日か……いや、明日には咲いちゃうかな」
『開花間近』
キャプションにそれだけを打ち込み、インスタグラムへ投稿する。
しばらくそのまま画面を見つめていたけれど、ハートのマークは付かない。
「……まだお家に帰ってないのかな」
部活が終わって、友達と遊びに行っているのかもしれない。
あの花壇の投稿を始めて一週間。
いつの間にか、毎日届く佐伯君からの『いいね』を、今か今かと楽しみに待っている自分がいることに気付く。
少しだけ頬が熱くなる気がした。
「ひなた、お風呂入っちゃいなさーい!」
「はーい」
母の声に返事をして、私はスマホを静かに伏せた。
*
翌朝。
日曜日だというのに学校へ来た私は、誰もない校舎の横を抜け、裏庭へと走った。
「わぁ、こっちも咲いてる。同時だ!」
朝日が照らす花壇の前で、パッと開いた可憐な花を見つめていると、こみ上げてくる感動を抑えきれない。
今朝、自室のグラスに浮かべていた蕾が綺麗に花開いた。
それが嬉しくて朝一番にインスタグラムへ投稿したのだけれど、そうなると学校の花壇にいるこの子の様子が気になって仕方がなくなってしまったのだ。
首から下げた一眼レフカメラを構える。
いつもはスマホのカメラだけど、今日は特別な写真が撮れる気がして、家から持ってきた。
カシャッ。
シャッター音が早朝の静寂に響く。
ファインダーを覗き込みながら、角度を変えて何度もレンズを向けた。
花壇全体を引きで捉え、今度は膝をついて、花弁の瑞々しさを捉えるために極限まで近づいて接写する。
「うん、いい感じ」
これは写真部のアカウントに載せてもいいと思えるくらい納得の一枚になった気がする。
「あれ、有栖川?」
不意に背後から声をかけられ、跳ねるように振り返る。
佐伯君が立っていた。
「あ、おはようございます」
「何でいるの、日曜なのに?」
「あの、花が気になってしまいまして……」
日曜日の早朝から、ゴツい一眼レフカメラまで持ち込んで裏庭の花壇を真剣に撮っている女子生徒。
こんな地味で変な高校生はなかなかいない。
恥ずかしさで俯きそうになった。
「ぷっ……ふはははは!」
佐伯君はお腹を抱えて、声を上げて笑い出した。
「すげー、俺も同じ」
「え」
「俺も今朝、有栖川の投稿を見て『咲いたんだ』と思ってさ。そしたら学校のこいつのことも急に気になって」
彼は手にしたジョウロを、少し誇らしげに掲げてみせた。
「で、水やり」
「ふっ……ふふ。同じだったんですね、佐伯君と私」
彼の可笑しそうな顔につられて、私の口元からも思わず笑いがこぼれ落ちる。
すると、佐伯君は真面目な顔を作って言った。
「敬語、やめるって言ったろ」
「あ、忘れてまし……忘れてた」
「今から禁止な」
ニカリと悪戯っぽく笑うと、彼は花壇へ視線を落とした。ジョウロを傾ける。
「これはパンジー。こっちはビオラ」
水をやりながら、佐伯君は区画ごとに咲く花の名前を教えてくれる。
「ごめん、同じ花かと思ってた」
「はは。咲かないと分かんないよな」
「これは何?」
よく見かけるけど、名前がわからなかった花を指さす。
「ニチニチソウ。その向こうがコスモス。もうしばらくしたら咲くよ」
佐伯君の静かな声を聞きながら、私は再びカメラを構えてシャッターを切った。
注がれた水が葉の上で弾け、光を浴びてキラキラと輝く。その瑞々しさが、胸が苦しくなるほど綺麗だった。
「あ!」
ハッと思い出して、私は大きな声を上げた。
「安心してね、佐伯君のことは撮ってないよ!」
以前、彼が写真に写るのが苦手だと言っていたことを思い出した。
勝手に一眼レフを振り回していたけれど、彼を不快にさせたり不安にさせたりしてしまったかもしれない。
佐伯君は一瞬だけ水やりをする手を止め、それから柔らかく目を細めた。
「有栖川は勝手に撮らない人だって知ってるから、気にしてなかった」
朝の太陽に照らされた彼の笑顔が眩しくて、胸の奥がキュッと締め付けられ、顔が熱くなるのを感じた。
