空色ピアス

     1


 狂ったように心臓が音を立てていた。
 いつものように電車を降りて改札の方へ向かうと、改札口の向こうに見慣れた姿があった。
 伊織くんは人が下りてくるのに気づくとスマホから顔をあげた。困ったような怒ったような、今にも泣きそうな、そんな顔をしていた。
 もしかしたらもう、長峰さんと付き合ってるのかもしれない。伊織くんが好きなのはわたしじゃないのかも。
 でももう、今はそんなことは関係なかった。
 逸る気持ちを押さえながら改札を通った。こじらせちゃったけど、別れよう、って言われたけど……やっぱり伊織くんを見るとうれしかった。ほっとした。
 伊織くんもわたしに気づくとスマホをポケットに入れた。
「ごめんね、急に呼び出して」
 駆け寄った。伊織くんはわたしのことを上から下まで見たあと、変な風に笑った。
「もしかして、デートとかだった?」
「え、なんで……」
「風間と付き合い始めたんだろ?」
「違うよ!」
 近くを通っていた会社員風の人が「何事か」という風にわたしたちを見た。伊織くんはうつむいた。
「ごめん」
「歩こう」
 わたしたちは並んで駅を出た。
「風間くんとは付き合ってないよ」
「でも、毎日ふたりで学食行ってんだろ」
 寂しそうに笑った。
「まあ、それはそうだけど」
「風間が華にまとわりついてる、っていうか」
「あの人、そういう人だから」
 すると小さく「あ」と声をあげた。
「たしか……江川もそんなこと言ってたな……あいつ、風間と同じ中学だったから」
「そう。誰とでもふんわり仲良くなっちゃう人」
「なんで風間が華と仲良くなるんだよ」
「それは……『同士』、だからじゃない?」
 前に風間くんが使った言葉を出してみた。
「なんだよそれ」
「ほら、ちょっと浮いてる者同士」
 駅を離れると、とたんにあかりが少なくなる。歯医者のシャッターの前を通り過ぎたとき、軽い足音が聞こえた。
「すみません」
 子供の声に振り返る。サッカーボールを持った小学生が二人、わたしたちの脇をすり抜けてコンビニへと入っていった。
「昔は、伊織くんの試合、よく見に行ってた」
 伊織くんもぼんやりと二人の背中を見つめた。
「ほかの女子と一緒に大きな声で応援してくれて。華に見せたくて頑張った。シュートを決めて手を振ったら、華も小さく手を振り返してくれて」
 わたしも、あのときのことを思い出して息が詰まりそうになる。
「……最初に冷たくしてきたの、華の方だぞ」
 責めるみたいな言い方。
「ずっと、友達だと思ってた。誰よりも信頼しあえてるって信じ込んでた。俺は自分のことなんでも話してきたつもりだった。華も俺には心を開いてくれてるんだろうと思い込んでた。なのに……急にピアスの穴開けて、別室登校し始めて。そのせいで……学校で話せなくなった。すごくショックだった」
「ごめん」
 後悔した。自分が浅はかすぎて恥ずかしかった。だから言えずにいた。
「……ピアスの穴をあけることで、あんな大変な事になるなんて思ってなかった」
 ともすると言葉が引っ込んでしまいそう。でもそれを無理に口元に押し上げる。
 絶対に口に出したくなかった。知られたくなかった。伊織くんには、絶対。
 でも。
「覚えてる? 田中麗奈さん」
「ああ。華と同じクラスだった……」
 あの姿が、なぜか長峰さんと重なってしまう。
 言おうと思うのに、勇気が出ない。
「ねえ、何か飲む?」
「ああ」
 コンビニの前の自販機でコーラを買って伊織くんに手渡した。わたしは自分の為にカルピスウォーターを買った。
 ひと口つけて、口を開いた。
「実はね……」

 田中さんは同じクラスで、同じグループにいた。
「原宿に行こう」
 そう言われて中二の夏休みにふたりで原宿に行った。ひしめき合う人々。下り坂になった小さな通りの両側に所狭しと立ち並ぶ店。すべてが特別で、洗練されていた。
 人もみんなおしゃれで、どきどきした。でも何より驚いたのは、田中さんが赤い石のついたピアスつけていたことだった。同じ年で友達なのに、わたしよりずっと大人に感じた。
「かわいい……」
 そうつぶやいたら、田中さんは言った。
「みんなには内緒だけど、あたし、ピアスの穴をあけたの」
「ええ、嘘」
「内緒だよ」
「いいなあ。ほんとに、すごくかわいい」
 そう言ったら、田中さんはいたずらっぽく笑った。
「じゃあ、そのお店に連れて行ってあげる。竹下通りにあるんだよ」
 わたしは半分熱に浮かされたような気分で田中さんについて行った。
 まるで、夢のようだった。大きいもの、小さいもの、キラキラ光るもの、きれいなピアスがたくさん並んでた。
 その中に見つけてしまった。
 ものすごくきれいな、空色のピアス。
 それがすごくかわいくて、どうしても、どうしても欲しくなった。
 そしたら、田中さんは言った。
「華も開けちゃえば?」
 最初は不安だった。
「でもこんなの校則違反だよ」
「大丈夫。学校につけて行かなきゃいいんだから」
 首をすくめて笑った。
 わたしは田中さんとは一年以上一緒にいたけれど、今までピアスの穴が開いていたことに気づかなかった。
 外せば気づかれないものなんだ。
 今から思えばそんなことあるはずないのに、そのときのわたしはそう思いこんでいた。……そう思いたかったのかもしれない。本気でピアスの穴をあけたくて。本気であの空色のピアスをつけたかったから。
 夢の中にいるみたいだった。その場で穴をあける道具を買おうと思ったけれど、わたしたちは未成年だから、親の承諾が必要だ、と返された。
 わたしは、空色のピアスだけを買った。
 でもその日からずっと、あの空色のピアスをながめて過ごした。
 その日は夏休み中の一日だけの登校日で、田中さんと一緒に帰っていた。
「見て」
 彼女は髪で隠れた耳を見せてくれた。そこにはこの間とは違う、オレンジ色のピアスが光っていた。
「全然バレなかった」
「毎日つけてるの?」
「うん。これつけてると、自信が持てるっていうか。わたし、すごい、って思うっていうか」
うらやましかった。どうしても、どうしても開けたくなった。
「でもさ、うちの親、だめだって。まあわかるんだけどさ」
 すると田中さんは声をひそめた。
「じゃあ、あたしが買ってあげようか?」
「え?」
「あたし、クレジットカード持ってるの。うちの親、働いててあんまり家にいないから、必要なものはこれで買いなさい、って」
 だから田中さんはピアスの穴をあけることができたんだ、と感心した。わたしはお小遣いから田中さんにお金を渡し、田中さんはわたしの代わりにピアスの穴開け機を買ってくれた。田中さんの家に行き、田中さんに開けてもらった。
 すごく痛かった。でもそれ以上に嬉しかった。じんじんと続く痛みも、あのきれいな空色のピアスの為なら耐えられた。今はファーストピアスだからしばらく外せないけど、穴が固まったら真っ先にあの空色のピアスをつけよう。
 本気でそう思っていた。
 なのに新学期が始まったら……わたしがピアスの穴をあけた、ということが学校中に広まっていた。
 田中さんが言いふらしたのだった。
 「ほかの生徒への影響もあるから」といって先生はことを大きくしたがらなかった。「今すぐ外せ」と言われた。嫌だと言ったら親まで先生に呼び出された。
「なんでこんなことしたの?」
「だって、田中さんもつけてる、って……」
 田中さんも先生から呼び出された。田中さんは泣いていた。
「ひどい、人のせいにするなんて」
 耳を疑った。
「でも、麗奈ちゃんだってつけてるんでしょ⁉」
「つけてないよ」
 田中さんはそう言って、耳を隠していた髪を上げた。
 そこに、ピアスはなかった。ピアスの穴も存在していなかった。




     2


 伊織くんは青ざめていた。
「だまされた、ってこと……?」
「そう、だね」
「でも田中さんだってつけてたんだろ?」
「シールになってるピアスだったの」
「なんで……」
「後で、ほかの子に言ってるの、聞いちゃったんだ。『華、騙されてやんの。バカだよね』って」
 伊織くんは真っ青になっていた。
「……伊織くん?」
「俺、中二の夏休みが終わったあと、田中に告られたんだ……」
 うわごとのように言った。
「断ったんだ。そしたら、『華がいいの?』って。『あの子、ピアスあけたんだよ。校則違反するような子なんだよ』って。でも、違うって言ったんだ。誰ともつきあう気はない、って。まさか……!」
 目の前が真っ暗になったような気がした。
 そうじゃないか、と思う気持ちはあった。驚かないか、と言われれば嘘になる。むしろ、やっぱりそうだったんだ、と、すべてが腑に落ちた。
 田中さんが伊織くんのことを好きなのは、わたしも知っていたから。だから、わたしも伊織くんが好きなこと、田中さんには気づかれないようにしていたつもりだった。でも……気づかれていたのかもしれない。
色々考えたけれど、結局、田中さんがなんでわたしをだましたのか、はっきりした原因はわからないままだった。それを確かめるのさえ怖かった。
 コーラのボトルを持った伊織くんの手がふるえた。
「……俺のせいじゃん」
「違うよ」
「でも!」
「最初はわたしもだまされた、って思った。田中さんのことが大嫌いになったし、誰も信じられないと思った。でもね」
 胸がどきどきと音を立てた。早く言いたくてたまらなかった。うれしいような気持ちで伊織くんを見る。
「わたし……ピアスの穴をあけたことは、一度も後悔したことがないんだ」
「……え?」
 伊織くんは、本気で驚いたようだった。
「親から『今つけてるピアスを外しなさい。そしたら穴はふさがるから』って言われたとき、『どうして?』って思った。ピアスをつけることは犯罪なの? って。それでお母さんと大ゲンカになって、絶対外すもんか、って思ってしまった。先生も外せ、って言うし。でも、どうしても外したくなかった。だって外したら穴が塞がっちゃうもん。わたし、そのときにはもうピアスが大好きになってた。だから学校に行くのをやめたの」
「そんな……」
「本当は学校なんか戻りたくなかった。でも、伊織くんが心配してくれたから、『行かなきゃ』って思って……ファーストピアスの穴が固まってから学校に戻った。でも、もう自分のクラスには行けなくて、別室登校したの」
 伊織くんはコーラの蓋を開け、一気に半分くらい飲んだ。手の甲で口をぬぐい、わたしを見た。
「なんで教えてくれなかったんだ? 俺……聞いたよな?」
 ただ、うなずいた。胸が詰まって言葉が出なかったから。
 伊織くんは続けた。
「ずっと不安だった。力になりたかったんだ。家に行っても会ってもらえなかったから、放課後になにもなかった顔してLINEすんのが精いっぱいだった。でもそれだって、本当は話もしたくないのかな、とか、無理に相手してくれてるのかな、とか……信じてもらえてないのかな、とか」
 最後の方は声が小さくなっていった。
 わたしはとっさに口を開いた。
「違うの! 恥ずかしかっただけなの!」
「え?」
「自分でも、バカなことしたな、ってわかってたから。大学生くらいになればなんの問題もなくピアスの穴をあけることだってできたのに。思い付きだけでやって、あんな大事になっちゃって。伊織くんからどんな風に思われてるのか不安で、不良だ、って思われたらどうしよう、とか、田中さんのこと話して、『自分の間違いを人のせいにする奴だ』って思われたくないとか、そういうこと。本当はLINEくれるの、すごくうれしかった。話したかった。でも自分がみんなから嫌われてることを自覚するのが怖かった。伊織くんまでみんなの方に回ったらどうしようと思うと怖くて……」
 あのときは、自分でもなにが起こったのかわからなかった。世界が一日でひっくり返ったみたいだった。前の日までは仲良しだったのに、翌日からみんながわたしを避けた。嫌われた。少なくとも、わたしはそう思ってた。
「華がピアスが好きなのは分かった。でもさ……なんでそこまでこだわるんだよ」
 あきれたようだった。
 わたしもつい、笑ってしまった。だって、嫌だったら外せばいい。穴だってふさいじゃえばいい。大学生になってからもう一度開けることだってできるんだから。
 ほんとに、バカだったな、と思う。思うけど……やっぱり今、同じ状況になっても、同じことをするだろう。
「伊織くんに見せたかったの」
「……俺?」
 コンビニから洩れるあかりでも、伊織くんが戸惑っているのがわかった。それを今、すごくドキドキしながら見ている。
 だってわたし、ずっとこの言葉を伊織くんに言いたかったから。
「空色のピアスをつけたところを伊織くんに見せて、『かわいい』って思ってもらいたかっただけなんだ」




     3


 商店街はいつものように、にぎわいを見せていた。
「華ちゃん!」
「とよちゃん」の前に立っていた人がわたしたちを見つけて声をあげた。
 順子さんだった。
「長い間お世話になりました」と書かれた貼り紙がついたままのシャッターの前にかがみこんだ。
「手伝いますよ」
 伊織くんが隣に行き、
「ぼくも!」
 と、風間くんがその反対隣にかがみこんだ。
「せーの」
 はげしい音を立ててシャッターが上がった。近くを歩いていた人が、何事か、と、わたしたちを見る。
「さあ、入って」
 促されるまま、横開きの戸を開いた。
 ガラガラガラッ。
 懐かしい音に、少し、涙がにじみそうになる。
「おう、よく来たな」
 その声に顔を向けた。
 カウンターの向こうに立っていたのは、斎藤さんだった。
「斎藤さん!」
「久しぶりだなあ。元気だったか」
 以前よりも痩せて小さくなったようだった。けれど相変わらずの不愛想な顔でわたしたち見た。
 今日は斎藤さんの退院祝いだ。
 食べ物を持ち寄ろう、と言ったのに、直前になって順子さんから電話があった。
「ごめん! 悪いけど、何も持たずに来て」
「どうしたんですか?」
「お父さんが、華ちゃんたちにラーメン食べさせるって言ってきかないのよ!」
「いいんですか?」
「だって、これが最後だから」
 悪いことを想像してしまい言葉に詰まった。順子さんは続けた。
「あの店、取り壊すの」
「えっ」
「取り壊して、建て替えるのよ。一階を店舗にして貸して、上が三階建てのアパート。お父さんがそのうちの一室に住んで残りは貸そうと思って」
「そう、なんですか」
 完全に「とよちゃん」はなくなってしまう。けれど、今はもう、以前のように世界が揺らぐような不安には襲われなかった。
 みんな、歩き出す。そして、わたしも。
 厨房の中にはいつものようにお湯が沸いていた。シルバーの入れ物の中には「かえし」があり、古いお鍋の中には煮卵と大きなチャーシュー。
 斎藤さんは隣にいた伊織くんに視線を向け、
「彼氏か!」
「もうお父さん! そういうのは言ったらダメなの!」
 順子さんが慌てて止めた。わたしと伊織くんが小さく見つめあったら、順子さんは「えっ」と詰まったような声をあげた。そして、目を輝かせた。
「もしかして、そうなの⁉」
 わたしたちは顔を見合わせて笑い、うなずいた。
「よかった! ……よかったじゃない!」
 今にも泣きだしそうになった。斎藤さんはその視線を風間くんに向けた。
「おまえ、相変わらず派手だな」
「あー、大将。ぼくのこと覚えててくれたんですかー?」
「こんな変なの、忘れられるわけねえだろ」
「変なの、ってひどいなあ」
 少しも気にしていないように声をあげて笑った。
 今日の風間くんは相変わらず両耳にたくさんのピアスをつけていた。首周りにはいくつもネックレスをつけ、両方の手首にもブレスレットをじゃらじゃらつけている。
「でもおまえ、アクセサリーの行商みたいだぞ」
 伊織くんが半分呆れたように笑った。本気で驚いて風間くんを見ると、同じように思ったのか、「えっ⁉」と、憤慨した声をあげた。
「もう、望月君までなに言いだすんだよ!」
 伊織くんが困惑していると、
「日向さんにも全く同じこと言われたんだよ!」
 風間くんはわたしたちを小さくにらんだ。
「行商って! ひどいこと言わないでよ。これは、ぼくの大切なアクセサリーたちなんだ。いつも肌身離さずつけてるんだ。誰かに売るわけないだろ!」
「だから、そういう意味じゃなくて」
 伊織くんが小さく首を横に振ると、
「じゃあどういう意味なんだよ! 失礼な!」
 と、やっぱりわかっていないようだった。
 わたしは、伊織くんと顔を見合わせて小さく笑った。そして、
「斎藤さん、退院、おめでとうございます!」
 カウンター越しに、持っていた花束を差し出した。斎藤さんが顎で順子さんに「ほら」と示した。順子さんはもう、
「やあね、照れちゃって」
 と、受け取ってくれた。風間くんも頭を下げた。
「今日はお招きいただき、ありがとうございます! 実は『とよちゃん』のラーメンが食いたくて死にそうになってました」
「もう、大げさね」
 順子さんは冷蔵庫へと向かった。
「あ、わたし手伝います」
「ありがとう」
 そばに行くと、順子さんはわたしをまっすぐ見つめた。
「華ちゃん……元気そうね」
 その言葉に色々感じてしまい、少し泣きそうになってしまった。
「はい」
 あの日からわたしは、学校にピアスをつけて行かなくなった。学校ではピアスを外し、下ろした髪で耳を隠している。お昼はほとんど香澄ちゃんたちと過ごし、学食にもいかなくなった。
 風間くんはやっぱり別室登校のままだった。けれど、お弁当があるときは教室に来て、わたしたちと一緒に食べたりする。
 伊織くんは、長峰さんに「付き合ってるわけじゃないから、誤解されるようなことはやめてほしい」と言ったらしく、同じグループにはいるけれど、もう、腕を組んだりはしなくなった。
「よかったな。まだ友達やってもらえてんのか」
 斎藤さんは中華麺を冷蔵庫から取り出し、風間くんをじろりと見た。
「みなさんのおかげです! でも、最初はめちゃくちゃ嫌がられて」
 責めるように見てきたので、肩をすくめてお返しをした。
「だろうな」
 ニヤリと笑う。
 風間くん、わたしが嫌がってるのに気づいてた。それなのに、暗いところで一人でうずくまっていたわたしを無理やり引きずり出してくれたんだ。
 ありがとう、という気持ちで見つめたら、風間くんは怯えた声を出した。
「え⁉ 今でも嫌がってる?」
「そんなこと言ってないでしょ!」
 声をあげたら、みんなが笑った。
「仕方ないから今度はラーメン食いに行くの、付き合ってやるよ」
 伊織くんが小さく首を横に振ったら、
「なに、ぼくを当て馬に使いたいわけ⁉ 冗談じゃないよ!」
 とまた、変なことを言った。斎藤さんはへの字に曲げた口元に笑いをにじませ、
「ふん」
 と、背中を向けた。
「あーっ、豊子さん!」
 風間くんがカウンターに置かれた写真に手を伸ばした。
 それは、白い三角巾をつけ、優しい笑顔を浮かべた豊子さんだった。
「ここは豊子さんの店。だから『とよちゃん』なんだ」
 こういうときだけ見せる、斎藤さんの優しい笑顔に、やっぱり胸がじんとする。
 写真に向かって心で語り掛ける。
 豊子さん、ありがとうございました。わたし、居場所を見つけることができたと思います。
 斎藤さんがわたしを優しいまなざしで見ていた。目が合ったら小さく咳払いをした。
「ねえ、華ちゃん。それ……新しく買ったの?」
 順子さんが目でわたしのピアスを示した。
 ピンクのピアスの下に並んだ空色のピアス。
「違うんです。わたし本当はずっと……このピアスがつけたかったんです」
「……そっか」
 順子さんは最初驚いたような顔をして、それからちょっと涙をこらえるように唇を噛んで笑った。何度も小さくうなずきながら、
「素敵よ。その色、すごくきれい」
 と、声をつまらせた。わたしもこみ上げる塊を飲みこんだ。
「ありがとうございます」
 順子さんは指で目じりをぬぐい、声を張りあげた。
「もう、いいから座ってて。ここはわたしがやるからさ」
「はい」
 伊織くんの隣に腰かけた。伊織くんはわたしの耳を見た。
「順子さん、なんて?」
「ピアス、素敵だって」
「だろ?」
 伊織くんは、わたしの大好きな顔で笑った。
「それ、すごくかわいい。華によく似合ってる」




                            おわり