空色ピアス

     1


 夏休みが目前に迫っていた。
 伊織くんと別れてから二週間がたった。ううん……別れた、と言ってももともと付き合ってたわけでもないのだけれど。
「あー、マジでショックだ」
 学食のいつもの席で、風間くんは自分の頼んだラーメンを見つめた。薄いチャーシューを箸でつまみ上げ、
「見てよ、この薄さ。『とよちゃん』の丼を覆うほどのあの巨大焼き豚が懐かしい……」
「チャーシュー」と言い直す心の余裕もなく、変な感じに笑った。
 あのあと順子さんはすぐに、「閉店のお知らせ」という紙を店頭に貼った。噂はあっという間に広まった。けれど、閉店まであまり時間がなかったから、店が混雑することはなかった。
 風間くんも最後に来た客の一人で、そのときに「実は同じクラスだった」というのを斎藤さんと順子さんに打ち明けた。
 もう伊織くんは「とよちゃん」に来なくなっていたから……ふたりはなにか変な勘違いをしているみたいに、気まずそうに顔を見合わせていた。それを見るのが苦しかった。
「まあ、仕方ないかあ。斎藤さんの体の方が大切だしなあ。五百円で肉が入ってるだけでも感謝しなきゃいけないかもなあ」
 今までだったらこういうところを伊織くんに見られるのが嫌だったし、構ってくれる風間くんをウザいと思っていた。
 けれど、風間くんが何の屈託もなく接してくれること。それだけが、今のわたしには救いになっていた。
 本当はクラスで伊織くんを見るのが辛い。走って逃げだしたい。そんなことしたら伊織くんとお別れした意味がなくなってしまう。頭ではわかっていても気持ちが崩れそうになる。

 風間くんはわたしの前でズルズルとラーメンをすすった。すん、と鼻をすすってから、にこっと笑った。
「ねえねえ。またデートしようよ」
 少し離れた席に座っていた人たちがぎょっとしたようにわたしたちを見た気がした。でもそれさえもどうでもよかった。伊織くんのことを目で追わずに済むのは気が楽な反面……すごく寂しかった。あの日以来、伊織くんと長峰さんは学食に来ていないから。
 もう一度ため息をついたときだった。
「おーい、聞いてる?」
 顔をのぞきこまれた。
「あ、ごめん」
 風間くんは真顔で言った。
「ケンカでもした?」
「え?」
 風間くんは口の形だけで「望月君」と言った。
「なんで……」
「見てたらわかるよ。望月君、最後の方にも一度も見かけなかったし、なんか、ヤケになってる。日向さんは日向さんでドーンと落ち込んでるし」
「そんなんじゃない!」
 人のいないところで伊織くんと仲良くしていたことだけでなく、こじれてしまったことまで見抜かれて、気が動転した。
「『とよちゃん』がなくなって、斎藤さんが手術しなきゃいけなくて、それで心配になってるだけ!」
 口にしたあとで気づいた。
 周りにいる人達が何事かという目でわたしを見ていた。
「……ごめん」
「最近、ピアスもつけてきてないしね」
 風間くんは肩をすくめ、もう一度ズルズルとラーメンをすすった。
「……関係ないし」
 お弁当の中からエビフライをつまんで頬張った。
 それは、わたしが「好きだ」と言ったお母さんの手作りで……今はそんなことにさえ泣きそうになる。
「ねえねえ日向さん」
 返事をする気力もなく、目だけで風間くんを見た。風間くんはやっぱりそんなことは気にする風もなく、
「またラーメン食べに行こうよ」
 屈託なく笑った。本気で気が進まなかった。元々ラーメンがすごく好き、というわけではなかったし、色々なことを思い出してしまいそうで。
「行こうよ」
「なんか、そういう気になれない」
「じゃあさ、今度はみんなも誘おう」
「みんな?」
「ほら。松島さんとか高田さんとか杉本さんとか?」
「え、と、風間くんが誘うの?」
 すると、「はあっ⁉」と顔を突き出してきた。
「なんでぼくが誘うんだよ! ぼくなんかほぼほぼ他人だぜ。彼女たちは日向さんの友達じゃないか」
 友達……。
「いい、のかな」
「え?」
「だって、あんまり仲良くないっていうか。わたしのことあんまり好きじゃないかもしれないし、嫌がってるかも」
 風間くんはあきれたように首を横に振った。
「じゃあさ、日向さんはどう思ってんの? 彼女たちを大切だと思う? 仲良くしたいと思う?」
「それは、もちろん……」
「だったら誘うしかないっしょ」
 その大きな口で笑った。
「でももし、来てくれなかったら。みんな部活で忙しいし……」
 風間くんは呆れたように肩をすくめた。
「だったらぼくとふたりで行けばいいじゃん。もともと、ふたりだけで行くところから始まった話なんだから」




     2


「えっ! ……ラーメン?」
 香澄ちゃんがらしくない声を上げたので、わたしももう少しでプチトマトを落としそうになった。小春ちゃんと友美恵ちゃんも動きを止めてわたしを見ている。
 翌日のお昼休み。香澄ちゃんたちとお昼を食べながら、ラーメンを食べに行こうと誘ったら、こんな反応になった。
「それも、風間くんと一緒って……」
 三人で顔を見合わせる。それがすごく気まずく感じた。
「だ、」
 ダメなら全然大丈夫、と言いかけたのに、香澄ちゃんの言葉が重なった。
「もしかして、華ちゃん、風間くんと付き合ってるの⁉」
「えっ!」
 久しぶりにお昼に教室にいるせいか、緊張する。後ろの方の席には伊織くんたちがいて、そっちに意識を向けないように必死だから。
「違う! 全然、そういうわけじゃないから」
「でもさ、最近すごく仲いいじゃん?」
「そうそう。ふたりで学食行っちゃったり」
 小春ちゃんと友美恵ちゃんも顔を見合わせて、くすっ、と笑った。
「それで? 今までも何度か一緒に出掛けてるとか?」
「そうじゃないの。風間くんがわたしのバ……」
 バイト先、と言いそうになって慌てて口をつぐむ。
「……行きつけのお店の常連さんで」
 友美恵ちゃんが声をひそめ、メガネをぎゅっと押し上げた。
「もしかして、それってバー?」
 とっさには意味がわからなかった。返事に困っているのにも気づかないのか、小春ちゃんも身を乗り出した。
「お酒、飲んだりする?」
「おいしいの?」
 香澄ちゃんが口元に手を当て、三人が「きゃー」と肩を揺らして笑った。
「大人ぁ!」
「やっぱり華ちゃん、やることが違う」
「かっこいい!」
 どういうわけか嬉しそうだった。それで、やっとわたしの思考が会話に追いついた。
「違うよ!」
「だって今、バーって」
 小春ちゃんが声をひそめた。
「言ってない!」
 すると三人は「そんなはずはないだろう」とでも言いたそうに顔を見合わせた。
「ほんとに違うの! ラーメン屋!」
 三人はきょとんとして動きを止めた。
「……うそ」
「ごめん、ほんと」
 すると三人はまた顔を見合わせた。
「なんだあ」
 明らかに落胆しているようだった。
 誤解が解けて、こんなに「ごめんなさい」と思ったのは初めてだった。

「でもさあ、ラーメンっていうのも意外だよね」
「うん。華ちゃんって全身アサイーボウルとかスムージーとかスタバのキャラメルマキアートでできてそうだし」
 小春ちゃんが真顔で言うので、つい、
「なにそれ」
 と、首を突き出してしまった。友美恵ちゃんは大きくうなずいた。
「わかるなー。よくわかんないけど、オシャレな感じのことしか受け付けない感じ?」
「うん。カッコいいことだけが正義、みたいな」
「……全然違うんだけど」
「えー、そうなの?」
 少しも信じてなさそうに香澄ちゃんが言った。
 彼らの思うわたしと本物の自分があまりにもかけ離れすぎていて、どう説明していいのかもわからなかった。
 香澄ちゃんは、ごはんをお箸ですくった。
「わたし、行くよ」
「え?」
「ラーメン屋」
「……いいの? でも、部活……」
「休む」
「……いいの?」
「だって、華ちゃんから休みの日に誘ってもらえるなんて」
 香澄ちゃんは、次になにを食べようかというようにお弁当に目を走らせた。
「じゃああたしも休む」
「わたしも」
 小春ちゃんと友美恵ちゃんもうなずいた。
「いいの? ふたりとも」
「いいよ。ちょっとうれしかったし」
 香澄ちゃんがソーセージを口に入れ、もぐもぐ、と音がしそうに食べた。二人も、うんうん、とうなずいた。
「なんで?」
「だって、華ちゃんが自分からこっちに来てくれるとか。休みに誘ってくれるとか」
「……え?」
 意外過ぎて声が上ずった。香澄ちゃんは動きを止め、わたしを見た。
「ずっとすごいなあ、って思ってたの。悪い人と付き合ってる、とか言われても『それがなにか?』みたいな感じで堂々としてるし」
「そうそう。先生からピアス没収されても、『くだらない』みたいな」
 小春ちゃんはとろろ昆布が巻かれた大きなおにぎりにかぶりつき、友美恵ちゃんは卵焼きをほおばった。
「でもさ、いい人」
 小春ちゃんはおにぎりに視線を落とした。中身は、大きくて真っ赤な梅干しだった。
 香澄ちゃんと友美恵ちゃんもうなずいた。
「わかるなー」
「……な、なにそれ」
「去年、自転車置き場で自転車倒しちゃってさ。ドミノ倒しみたいに他の人のも倒れちゃったの。手伝ってくれたの華ちゃんだけだった」
 小春ちゃんはすっぱそうに顔をしかめながら視線をあげた。
「『ありがとう』って言ったら、『別に』みたいな顔して行っちゃったけど」
 今度は友美恵ちゃんが、ずり落ちかけたメガネをぎゅっと指で押し上げた。
「入試のとき、華ちゃんと同じ教室だったんだけど、消しゴム落として、転がっちゃったの。緊張して試験官の先生に言えなかったし、みんなちらっと見たのに無視してた。なのに華ちゃんが『誰か消しゴム落としましたけど』って言ってくれたの。言い方は怖かったけど助かった。帰りにお礼言おうかと思ったけど、話しかけづらくてやめちゃった」
「雨の日に捨てられてる子猫を拾ってるの見た」
 香澄ちゃんが普通の顔をして言った。
「……は?」
 最初のふたつはあまり覚えていないけど、言われてみればそういうこともあったかと思う。けれど、これだけは絶対に違うと断言できる。
 小春ちゃんと友美恵ちゃんも食べる手を止め、わたしを見た。香澄ちゃんは真顔で、
「……あり得そうじゃない?」
 すると二人が、声をあげて笑った。
「あの、あれね! 少女漫画でよくあるやつ」
「そうそう。不良が実はいい人だった、みたいな」
 一体、どんな人間だと思われてるのか。……と思いつつ、自分でも笑ってしまった。
「なに、実は自覚ある?」
 香澄ちゃんがツッコんでくる。
「ないよ! 不良じゃないし、猫も拾わない」
「残念」
 四人で顔を見合わせる。
「華ちゃん、グッジョブ」
「わたしじゃないって」
「香澄、ナイスツッコみ」
 ひと通り笑ったあと、思い出したように小春ちゃんが言った。
「けどさ、なんで風間くん、今日に限って来ないわけ? いつもあれだけ華ちゃんにまとわりついてるのに」
「さあ……」
「そもそも風間くんってどんな人? 同じクラスって言っても、最初からいなかったから全然覚えてない」
 友美恵ちゃんもブロッコリーをつつきながら、首をかしげた。香澄ちゃんは卵焼きを箸で半分に切った。
「実はわたし、風間くんと同じ中学だったんだよね」
「そうなの?」
 わたしを、じっ、と見て、
「あの人、ちょっと変わってない?」
「あ、わかる」
「全然悪い人じゃないんだけど、なんか浮いてる、っていうか」
 態度に出すつもりはなかったのに、思わず何度もうなずいてしまった。香澄ちゃんは身を乗り出して、
「だよね⁉」
 と、笑った。
「あんまり空気読まないっていうか」
「マイペースっていうか」
「でも、不思議。中学のときはイケメンだったのに、なんであんなムサくなっちゃったのか」
「え⁉ うそ!」
「イケメン⁉」
 二人が食い気味に顔をつきだした。すると今度は香澄ちゃんがぎょっとして、
「だよね⁉」
 と、わたしに聞いていた。
 今まで「アクセサリーの行商人」とか、「空気読まない」ぐらいしか思っていなかったけれど……。
 以前、風間くんが自分で「イケメンすぎてみんなが友達になりたがる」的なことを言っていたのを思い出した。
 あのときは冗談だと思ってスルーしてしまったけれど、一応、
「言われてみればそうかもしれない」
 と答えた。小春ちゃんと友美恵ちゃんは、「きゃー」と両手を取った。
 香澄ちゃんに聞いてみた。
「中学のときは普通だったの?」
「結構人気あったよ。だから、別室登校してるのがすごく不思議で」
「へえ、そういう人なんだ。意外」
 小春ちゃんは二個目のおにぎりに目をやった。ツナマヨがたっぷり入っているのを確認し、真ん中にかぶりついた。
「香澄は仲良くなかったの?」
「話はするけど、それほどでもないかな。風間くんって、みんなと仲がいいけど誰かと特に仲いいとかグループに入ってるとかじゃなくて。こう、いたらいたで仲良くするけど、いなくても別にって感じで、ふわふわ浮かんでる感じの人?」
「わかるかも」
 思わずうなずくと、
「へえ、不思議」
 友美恵ちゃんが唐揚げをほおばった。
「まあでも、そういう人だったら華ちゃんと友達になった、っていうのも、なんか納得」
「ちょっと話してみたいかも」
「だよね」
「まあ、なにはともあれ、華ちゃん、ありがと」
 小春ちゃんが笑った。
「同じグループにイケメン男子がいるのって、青春、って感じで嬉しい」
 香澄ちゃんが小さく首を横に振った。
「え、でも来たら教室中がうるさくなりそう」
「そういうタイプの人なの?」
「ほんとに、悪い人じゃないんだけどね」
 その感じがすごくわかるような気がした。四人で顔を見合わせて笑ったとき、背中に視線を感じた気がした。
 伊織くんだったらいいのに。
 でもきっとそれは……わたしの勘違いだろう。




     3


「昇竜」というお店は、最寄りの駅から十分くらい歩いたところにある住宅街にあった。その小さなビルは一階部分が店舗、二階から上がアパートになっていた。
 当日になるまでは来てくれるか不安だったけれど、三人は本当に来てくれた。その姿を見たとき、ちょっと泣きそうになった。
 そして小春ちゃんと友美恵ちゃんは、風間くんを見て小さく「うそっ」と声をあげ、小春ちゃんは「でしょ?」と、ドヤ顔をした。
 今日は長めの前髪を左右に分けておでこを出し、サングラスをカチューシャのようにしてつけ、横の髪がピアスを隠すようにしていた。おどろいたことに、今日の風間くんは「アクセサリーの行商人」ではなく、普通の「おしゃれな男子」になっていた。
 みんなのいないところで、
「風間くん、普通におしゃれもできるんだね」
 思わず口にしたら、
「当り前じゃないか」
 と大げさに憤慨した。
「福元」は男性客ばかりだったのに、この「昇竜」というお店は並んでいる人たちが女性と男性半々ぐらいで、家族連れもいた。わたしたちはニ十分ほど並んで中に入った。
 店内は明るくてキッチンが見えない造りになっていた。ラーメン屋、というよりはレストランという感じだ。
「なんかこの麺、カップのインスタントうどんみたいでおいしい」
 香澄ちゃんはその平たい麺をすすった。小春ちゃんは、分厚いチャーシューを口に含んだ。
「え、これ、口の中でとろけるよ」
 スープを飲んだ友美恵ちゃんは、メガネを真っ白にくもらせていた。近くにあったティッシュで内側を拭きながら、
「スープもおいしい」
「あ、よかった!」
 通路側の一番端に座った風間くんはその大きな口を、にかっ、とあけて笑った。
「鶏がらスープも入ってるんだけど、メインは昆布なんだって」
「へえ」
「となりが、オーナーのお父さんの店なんだよ。鰹節とか、昆布の卸売をしてるらしい。そこの商品をたっぷり使ってるからスープがおいしいんだ。ふつうに贅沢だよな」
 風間くんがまるで自分の店のように目を輝かせると、小春ちゃんが鼻をぐすぐすとやった。
「高田さん、泣いてるの? ちょっとおいしすぎたかな」
 風間くんが真顔で小春ちゃんにティッシュを渡した。小春ちゃんはそのティッシュをひったくるように受け取り、鼻をぬぐった。
「おいしいけど、ちがうわ! ラーメンとか食べると普通に鼻とか出るじゃん」
 そしてもう一度盛大に、ずずっ、とやった。四人で声をあげて笑った。
 香澄ちゃんもつられるように、すん、と鼻を鳴らした。
「風間くん、なんか、グルメレポーターみたい」
「グルメ動画の人とか、こういう感じの人、いそう」
 友美恵ちゃんが真顔で言うと、風間くんはまんざらでもなさそうに笑った。
「えーほんとーマジで? ぼく、ラーメン好きだからそんなこと言われたらほんとに動画撮っちゃうよ」
「けどまさか、華ちゃんの行きつけのお店がラーメン屋さんだとは知らなかった」
 小春ちゃんが言うと、友美恵ちゃんもラーメンを見ながらうなずいた。
「華ちゃんって色々意外だよね。通ってたお店がラーメン屋で、それも超レトロな感じとか」
 三人にはまだ、バイトをしていたことは言っていない。風間くんにも「わたしたちは『とよちゃん』の常連で、通っているうちに知り合いになった」ということで口裏を合わせてもらっている。
 風間くんは、ずっ、と、スープをすすった。
「あ、とよちゃん? でもあそこ結構有名だったんだぜ。テレビとか出てて」
「たしかに、丼を覆っちゃうくらいのチャーシューは見たことあったかも。閉店する前に行っとけばよかったな」
 友美恵ちゃんは頷いた。
 こんな風に話をしているだけで、斎藤さんのあのむすっとしているのに優しい人柄や、豊子さんの優しい笑顔、順子さんの元気な声なんかを思い出す。
 今、どうしてるんだろう。
 本当は気になって仕方がない。走って会いに行きたいほどの衝動に駆られるときもある。けれど、今は大人しく待つしかなかった。
 わいわい言いながら五人で外に出た。お昼を過ぎていたけれど、店の外にはまだ長い行列ができていた。
「すごい! 列が長くなってない? 実はここも、すごい人気店だったりするの?」
「えー、そうだよ? 知らなかった?」
「『おいしいナビ』では星四・七になってたから、おいしいんだろうな、とは思ったけど」
 友美恵ちゃんはまたメガネを拭いていた。
 歩き出したとき、
「やっぱり、ピアスってかわいいねー」
 小春ちゃんがわたしの耳たぶを見ていた。そんなに見られると照れてしまう。ちなみに今日つけているのは、豊子さんからもらったピンクのものと、学校に着けて行こうと思って買っていた百均のもの。
「二個も開けたんだね。痛くなかった?」
「痛かったけど、どうしてもつけたくて」
「わかるなー。わたしも大学生になったらあけよ」
「えー。それを言ったらぼくだって」
 少し前を歩いていた風間くんが、いきなり振り返った。そして前髪を押さえていたサングラスを外し、今度は横の髪を耳にかけた。
「え!」
「なにそれ!」
「ちょっと多くない⁉」
 わたしが声をあげるより先に、香澄ちゃんたちが口々に言った。
 風間くんの両耳にはピアスが五個ずつついていた。
 香澄ちゃんがぎょっとしたように風間くんを見た。
「なに、風間くんももしかしてピアスの穴……」
「まさか!」
 風間くんは作りものっぽい笑みで香澄ちゃんを見た。そして、耳の上の方についている輪っかを指さした。
「こっちはイヤーカフ。これはフープイヤリング」
そして耳たぶの方へ行くと、
「これはシール。こっちがマグネット。で、これがイヤリング」
 三人はのぞきこむみたいに見ていた。それを見て風間くんはいたずらっぽく笑った。
 小春ちゃんが感心したようにつぶやいた。
「イヤリングは知ってたけど……ピアスってそんなに種類があるんだね」
「えー、頼むよ。高田さんだってイヤーカフぐらいは知ってるでしょ?」
「まあ、言われたらわかるけど、改めて考えたことなかった、っていうか」
「わたしも」
 友美恵ちゃんもうなずいた。
「アクセサリーとか全然興味なかった。メイクだってしないのに」
「じゃあさ、売ってる店に行ってみる?」
 三人は顔を見合わせた。
「いいけど……高いんじゃないの?」
「あたしたち、ピアスの穴あいてないし」
「まあ、高いのもあるけど、ほとんどが安め。穴が開いてなくても大丈夫。ここからだったらシールピアスの専門店が一番近いよ」
 風間くんがその言葉を発した瞬間、刺されるように胸が痛んだ。
「シールって」
 友美恵ちゃんが少し引き気味に笑った。
「って思うだろ? 意外と本物っぽいんだよ」
 わたしたちは顔を見合わせた。何となく頷いたら、
「じゃあ、電車で移動な」
 風間くんは先に立って一人で歩きだした。

 連れて行ってくれたのは電車の高架下にある小さなお店だった。穴をあけずにオシャレを楽しみたい人が多いのか、若い人が多かった。
 わたしが知っているのは小さいものだけだったけれど、天然石とか本物の金属を使ったものまであった。
「ええ⁉ これ、全部シールなの⁉」
 香澄ちゃんがピアスの棚を覗きこんだ。風間くんが声を弾ませた。
「ここのって、何度もつけたり貼ったりできるんだよ」
「ええ、すごい!」
 小春ちゃんと友美恵ちゃんもそのピアスに見入った。香澄ちゃんが不思議そうにわたしを見た。
「ねえ、華ちゃん。こういうのじゃあだめだったの?」
「そう、だね」
 胸の中に広がるざらりとした感覚。
 あのときのことを考える。何度も思い返しては泣いた。恨んだ。
「華ちゃん?」
 香澄ちゃんの声で我に返る。
「ううん……何でもない」




     4


「えー、これ、かわいい」
 友美恵ちゃんがサクランボの形のピアスを手に取った。
「買っちゃおうかな……」
 すると風間くんが、すっと隣に行ってささやいた。
「ちょっと待って。一応言っておくけど、ここが唯一の店じゃないからね?」
「どういうこと?」
「シールピアスの弱点って、はがれやすいこと。確かに普通のシールとは違うけど、汗をかいたり長時間だとちょっと危険。髪に引っかかったりしてもはがれやすい。ここのお店のシールは結構粘着力が高いけど、それでも何度か使ったらシールを付け替えたり、買いなおさなきゃいけない」
友美恵ちゃんは「あ、そうなの?」と、笑った。
「じゃあこれにしよう。今、ちょっとピアス気分を楽しみたいだけだから。ほんとに好きかどうかもわかんないし」
 そう言って、そのピアスを持ってレジへと向かった。
「ねえ、そういうのってどこに売ってるの?」
 香澄ちゃんが、風間くんの耳をちらりと見た。
「そういうの、とは?」
「イヤーカフとかマグネットピアス、とか?」
「じゃあ行ってみる?」
「え、行きたい」
「どこどこ?」
 香澄ちゃんが即答すると、小春ちゃんも身を乗り出した。わたしも仕方なく笑みを見せた。
「お待たせ。……見てみて!」
 友美恵ちゃんは肩までの髪を耳にかけた。そこにはキラキラ光る赤い石と緑の石でかたどられた小さなサクランボがあった。
「えー、かわいいんだけど!」
「なんか、急にほしくなってきた」
「わたしももう一個買ってもいいかな、って思っちゃった。これ、安かったし」
 友美恵ちゃんは上気した顔で笑った。
「じゃあ行ってみよう」
 風間くんはみんなが乗ってくれたのがうれしいのか、はずむように駅へと向かって歩きだした。
 
 連れて行ってくれたのは、電車で数駅のところにある駅ビルだった。
「ここ、ぼくがよく行く店があるんだよ」
 風間くんはいつになく饒舌だった。
「昔からそういうのつけてるの?」
「たまにね」
「風間くんがそういう人だったっていうのは驚き」
 香澄ちゃんがしみじみと言うと、
「そういう人、って?」
「おしゃれに関心がある人」
 思わず女子三人で顔を見合わせる。
「だよねー!」
 最初に噴き出したのは小春ちゃんだった。
「だってさ、学校ではチョーむさいじゃん!」
「髪切ればいいのに」
 友美恵ちゃんが言ったところで、風間くんはぎょっとしたようにわたしを見た。わたしはつい笑いだしそうになり顔をそむけた。
「なに、ふたり。あやしー」
「そういうことじゃないんだよ」
 風間くんは慌ててさえぎった。
「前に、日向さんからも同じこと言われたから」
 今度は視線がわたしに集まった。
「やだ! 華ちゃんってそういうツッコミできちゃう人なんだ!」
「ふたりの掛け合い、見てみたい!」
「実はすっごく面白かったりして」
 すると風間くんは冷たい視線を向けてきた。
「まったく、君たちはさっきからひどいなあ。むさいとか言って」
「だから、髪切りなよ。切ったらモテるよ」
 あきれたように香澄ちゃんが言うと、風間くんは真剣に答えた。
「モテるぐらいなら、ぼくはむさいままでいる」
「なんだ、認めてんじゃん!」
 みんなで笑ったところで、風間くんは足を止めた。
「ほら、ついたよ」

 そこは、アクセサリー全般を売っているような店で、レディースだけでなくメンズのセクションも充実していた。値段も五百円くらいから、高くても三千円くらいだった。
 風間くんは慣れた足取りで奥の方へと向かった。
「ほら、こっちがイヤーカフ」
 そこにはいろんな形のイヤーカフが売っていた。細い鎖がついたもの、石がついたもの、指輪みたいな形のもの。
「なんか、おしゃれ」
「あたしにはちょっと大人っぽ過ぎるかも」
「えー、つけたらかわいいって」
 三人は楽しそうに声をあげている。
「その隣がマグネットピアス」
「あたし、こっちがいいかな」
 小春ちゃんがそっちに興味を示した。
「小さいやつがいいんだよねー」
 真剣に探し始める。
「じゃあ、ぼくはこっちね」
 風間くんだけはみんなから離れてメンズのセクションに向かった。バングル、サングラス、ネックレス、と、真剣な表情で見ている。
 その横顔を見て、思った。
 風間くんは、本当に、本気でアクセサリーが大好きなのだ、と。
わたしは少し後ろに立って、みんながピアスを選ぶ様子を見ていた。
頭の中にあるのは、昔買った空色のピアス。高いものじゃない。特に質がいい、というわけでもない。それでも、わたしにとっては特別で。
そこからすべてが始まった。
「見て! かわいい!」
「なんか、気分が上がる!」
「ちょっと自信が持てるっていうか」
みんなの耳にはそれぞれピアスが光っていた。香澄ちゃんは二連のチェーンがついたシルバーのイヤーカフ。小春ちゃんは小さな星型のゴールドのマグネットピアスだった。
「……日向さん?」
声をかけられて我に返った。
「あ、風間くん」
 考え事をしているのを見抜かれた気がして、あわてて言葉をつけ足す。
「何か買ったの?」
「ううん、ぼくはいいや。日向さんは?」
「……わたしも」
「楽しんでる?」
「……楽しいよ」
風間くんは何か言いたそうだったけれど、何も言わないでいてくれた。
そのあと、かわいい服の売っている店とか、雑貨の店とか、少し離れた場所にあるショッピングセンターなどを回った。
帰りの電車に乗るころには、すでに外が暗くなっていた。
「風間くん、色んなところ知ってるんだね」
 香澄ちゃんは言った。
「最初は部活休むの、罪悪感半端なかったんだけど、休んでよかった」
「ほんと」
「渋谷とか原宿じゃなくても楽しいね」
 最初は立ったまま、そんなことを話していたけれど、疲れてしまって最後は座った。混んでいたので三人とふたりの席に別れてしまい、「一番仲がいいから」ということで、風間くんとわたしが二人がけの席に座った
「日向さん、大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ」
 無理して笑ったけれど、気持ちが塞がったままだった。
「……疲れた?」
「そうかも」
会話がなかった。
疲れた。それは本当。でも気持ちが沈んでどうしようもない理由はほかにあった。最寄りの駅が近づき、人もまばらになっていた。
ほかの席に座った三人は、仲良く頭をくっつけて眠っていた。
思い切って口を開いた。
「風間くんが最初にピアスの穴をあけたときは、知ってたの?」
「知ってた、って何を?」
「穴を開けなくても楽しめるピアスがあるってこと」
「もちろん。たくさん持ってるし、友達の前ではつけたりしてたよ」
「じゃあ、どうしてピアスの穴をあけたの?」
「……へ?」
風間くんは変な声を出した。
「どうして、って……」
「うちの学校がピアス禁止だって知ってたんでしょ? わざわざそのタイミングで開けなくったって、待つことだってできたのに」
すると、「ああ……」と声を漏らした。わたしは問い詰めるようにつづけた。
「だって、シールピアスもマグネットピアスもイヤーカフも。アクセサリー全般が好きなら、わざわざ今、ピアスの穴を開けなくたって楽しめるじゃない」
「ま、そうなんだけどさ」
「じゃあなんで……」
風間くんは少し考え込んだ。そして、いつものようにその大きな口をにゅっと曲げて笑った。
「今度、デートしない?」
 これは二回目だからさすがにそこまで動揺はしないけれど、あまりいい気はしなかった。
「また、みんなを誘って?」
「ううん、ふたりで。……連れて行きたいところがあるんだ」


     5


「デート」は翌週の土曜に行くことになった。本当はあまり気が進まなかったけれど、バイトの予定がなくなった今、家にいるよりはましに思えた。
「あー、日向さん」
 待ち合わせの駅で、風間くんが手を振った。
 顔を合わせたとたん、つい、言葉が出てしまった。
「なんか……今日は一層すごくない?」
「なにが?」
 そう言う風間くんは、今日は黒い襟付きのシャツを第二ボタンまで外して、ダボっとした黒いパンツをはいていた。相変わらずサングラスで前髪と横の髪を押さえている。今日のピアスはじゃらじゃらと重そうなやつだった。シャツの内側には黒い紐とかシルバーが見えてるし、やっぱり両方の手首には革ひもとか木の玉の数珠みたいなのとかがたくさん巻きついている。今日は両手、ほぼ全部の指に指輪までつけていた。
 さすがに何度も「行商」というのははばかられたので、
「たくさん、色々つけてて、っていうか……」
「そうなんだよ」
 風間くんは駅ビルのショーウインドウに近づいて行った。自分の姿が映ると、満足そうにうなずいた。
「この間は連れていけない子もいたからさあ。今日は全員、連れてきた。みんな、ぼくのお気に入りの精鋭たち」
「……そうなんだ」
 男子と二人で出かける、というのはちょっと緊張するけれど、こういう言葉を聞くと「嫌だ」が「ま、いっか」となるのも不思議だった。
 今日の風間くんはおとなしかった。会話がなくても平気そうだったけれど、わたしはなんとなく気まずかった。
 仕方なく口を開いた。
「ねえ、そのピアス、重くないの?」
「見た目ほど重くないんだよ。まあぼくは、耳たぶが切れない限り、穴が大きくなるのは構わないけどね」
「そうなの?」
「ほら、大きな穴にはめる感じのピアス、あるだろ? ああいうのもつけてみたいなーって」
 乗り換えの駅を歩いていたら、ショーウインドウに自分の姿が映った。
 いつものようにまっすぐな髪を下ろし、丈の短い白いTシャツに黒いワイドパンツ。厚底サンダル。パラシュート素材の小さなカバンを斜め掛け。
 豊子さんからもらったピンク色のピアスに指を触れたら、風間くんはいつものように楽しそうな笑顔を作った。
「やっぱりおしゃれっていいよな。自分がすっげーイケてるみたいに感じる」
 おしゃれ。ちょっとその言葉に笑いそうになる。
「なに?」
 風間くんがすかさず突っ込んできた。
「なに、って」
「今、笑おうとしたでしょ」
「ごめん」
「なんだよ、言って。怒らないから」
「……風間くんの場合、むしろ、重そうだな、と思って」
 怒らない、と言っても少しはむっとするかと思って身構えた。けれど、
「そうなんだよぉ」
 肩を落とした。
「全部好きで、どれもつけたいからつけてるけど、マッッッジで重いから」
 わざとらしく右手を左肩に置いて、もむような仕草をした。
「じゃあなんでつけてるの?」
 すると、「ん?」という顔で見てきた。
「だって、好きなものに囲まれてると、なんか、自信、わいてこない?」
 そんなことは一度も考えたことがなかったから返事に困った。けれど、風間くんは気にも留めてないようにつづけた。
「この間は松島さんとかいたから思いっきり楽しめなかったけど、日向さんは同士だから好きなようにできる」
「結構楽しそうに見えたけど」
「楽しかったよ、もちろん。でもさ、彼女たちを楽しませなきゃ、とかさ、つまんなかったら困るな、って思って結構頑張ったんだ。特に松島さんは中学時代のぼくを知ってるわけじゃん? 期待を裏切ったら悪いな、と」
 意外だった。この笑顔の裏で、そんなに気を遣っていたなんて。
「……香澄ちゃんたちなら、ピアスのこと、言っても大丈夫だと思うよ」
 けれど風間くんは眉をひそめた。
「そういうことじゃないんだよ。秘密っていうのは大勢に知られれば知られるほど守るのが難しくなるんだ。本人は言わないつもりでも、なにかの拍子にもれる、ってことだってあるわけじゃないか」
「それを言ったら今日のわたしたちも同じだと思うけど」
 すると死んだ目で見て来た。
「でも日向さんの友達の範囲は少ないじゃないか」
 そう言われると反論の余地はない。

 渋谷の駅に着いたとたん、老若男女、日本人、外国人、たくさんの人の洪水の中に一瞬で埋もれてしまった。さっきピアスをつけた自分を見てちょっと自信を持てたのに、なんだか気後れしてしまう。
 わたしは渋谷なんかもう何年も来たことないけれど、風間くんは慣れているみたいで人の間をすり抜けていく。わたしは何度も人にぶつかりながら風間くんの後を追いかけた。
 駅から緩い坂道の方をのぼっていくと人が少なくなり始めた。大きなビルとビルの間の道を入ったら、見慣れた紙袋を手にした人たちとすれ違った。それに気づいた胸が激しく鼓動を打ち始める。
「今日行くの、ってもしかして……」
「そう。最初はPOPPIN POP」
 緊張して息が詰まりそう。吸い寄せられるようにして坂を上がっていくと、小さくておしゃれな感じの外装の店が立ち並ぶ一角に、ピンクと白のストライプの屋根が見えた。
「……わあ」
 店の前に立ち、思わず声を上げた。
 実際、小さな店の中には同年代の女の子たちが何人かいて、友達同士で楽しそうにショーウインドウをのぞきこんでいる。ピンク、オレンジ、黄色、水色、黄緑……。たくさんのハート型のグミ。
 入ろうとしたら風間くんが立ち止まった。
「風間くん?」
「いや、ぼくはいいよ。日向さん、好きなだけ見て」
「でも……」
 目だけで店内を見た。
「ほら、狭いしさ。そこまでグミが好きなわけじゃないし。それに……こんなに女子ばっかりだと入りにくいじゃん」
「それ、風間くんが言う?」
 少しだけ笑ってしまった。
「なんだよ、それ」
「この間、女子三人とお出かけしたじゃない。女子がいっぱいいるアクセサリーさんにも連れて行ってくれたし」
「ああ、それは別だよ。だって、ぼくはラーメンもアクセサリーも好きなんだから。でも、グミはそうじゃない。恥ずかしさを押してて入るほどの熱量はない。だからさ、日向さん、一人で見てきなよ」
「わたしだって、なんか物怖じする」
 ちらりと店内を見た。けれど風間くんは呆れたように言った。
「一人で『福元』にならんでた人がよく言うよ!」
「そ、それは……!」
 だってあのときは、「とよちゃん」を助けるヒントがあれば、って。ただそれだけだった。
 ただ……必死だった。
「とにかく、一人で行ってきなよ。ぼくはここで待ってるから!」
 入口で小さく手を振った。
 少し残念な気もしたけれど、おそるおそるお店に足をふみいれた。おしゃれな女の子たちがショーケースをのぞきこんでいた。
「え、かわいい」
「あたし、ピーチが好き」
「この黄色いのもおいしいんだよ」
 そんな声が聞こえる。ハート、星、丸。一色のもの、いろんな色が混ざったもの。柔らかいタイプ、固いタイプ。色とりどりのかわいいグミを見ながら、「ここに自分がいてもいいんだろうか」なんて気になってしまう。
「えー、すごい列」
 誰かの声に店の奥を見る。小さなかごにグミを入れた子たちが長い列を作っていた。並んでいるのも女子ばかりだった。
 みんながファッション系のインフルエンサーみたいに見えたし、自分がみすぼらしい田舎者みたいな気になってしまった。
 わたしなんかがここで買うなんて、ふさわしくない。でも、なにも見ずに店を出るのも風間くんに悪い気がした。
 早足で店内を一周して外に出た。
 スマホを見ていた風間くんが顔をあげた。
「あれ? もういいの?」
「うん」
「なにか買った?」
「ううん……なんか、見るだけでお腹いっぱい、っていうか」
「そうなの? わざわざ片道一時間もかけてきたのに」
「うん。……ごめんね」
「いや、ぼくはいいんだけどさ」
「なんで?」
「ぼくの目的はこっちだから」




     6



 風間くんが向かったのは、POPPIN POPから少し上の方にある小さなジュエリーショップだった。
「ここは?」
「うん? インディアンジュエリーのお店。ほら、これ」
 右手の指につけたごついシルバーの指輪を見せてくれた。
「今つけてんのはナバホ族風のジュエリーなんだけどさ」
「ん? ナバホ?」
「そう。ネイティブインディアンって、いろんな種族に別れてて、種族ごとに生活様式とか言語も違ってた。ジュエリーも同じでデザインとか作り方が違うんだ」
「へえ……」
「ナバホ族のは金属を銀に打ち付けて模様を作るから、手作りの温かみがあるっていうか。ぼくが今ねらってるのはホピ族のアーティストが作ったイヤーカフ」
「どう違うの?」
「ホピ族は、二枚の銀の板を重ねて、模様をくりぬく。そして、舌の金属に黒い色を付けるんだ。ほら、こういうの」
 風間くんが見ていたのは、シルバーに黒い模様が入ったイヤーカフだった。今つけている指輪が手作り感にあふれているのに対し、ホピ族のものは幾何学的な模様に見えた。
 値段を二度見した。
「結構高いんだね」
「だよね。アメリカでは本物のインディアンの人が作ったものしか、インディアンジュエリーって認められてないらしい。ちなみにぼくのは偽物。でも、好きだからいいんだ」
 そう言って大切そうにその指輪を撫でた。
「いつか自分で買えるようになったら買おうと思って。そういうのがあると、なんか、いろいろ頑張れるだろ、勉強とかさ」
 風間くんが食い入るようにイヤーカフを眺めているので、わたしは一人でその狭い店内を歩いた。
 リング、ネックレス、ブレスレット。
 途中の一画で足を止める。
 そこにはピアスがあった。
 色のついた石もあるけれど、透き通る石はなく、真っ赤とか、オレンジとか水色などだった。
 ぶら下がるタイプのものがほとんどで、石も小さめなのが多い。
 その中で、目に止まるものがあった。
 鮮やかな空色。
 ほかのものがねっとりと濃い水色なのに、これだけはまるで空を思わせるような薄い水色で、どことなく黄色というか緑というか、そういう色味を感じさせるものだった。
「ターコイズ/トルコ石」とあった。
 伊織くんを思い出した。そして、机の中に入れっぱなしになっている空色のピアスを。
 あれは……本物の石でもない。ただの偽物。
「それが好きなの?」
 風間くんだった。小さくうなずいたら、後ろからのぞきこんできた。
「うん。確かにかわいい。試着もできると思うよ」
「ああ……でもいいや」
 わたしは首を横に振った。
「そう。……高いしね」
「つけたら買わなきゃいけなそうだし」
「別に、そういうわけではないと思うけどさ」
「でも、いいの」
「そっか」
 わたしたちは店を出た。風間くんは飛び跳ねるように歩きながら、
「もう一軒行っていい?」
「いいけど……本当にアクセサリーが好きなんだね」
「そうなんだよ」
 その笑顔がすごく幸せそうに見える。
 ふたりでゆっくり坂を歩く。
「普通の人のおしゃれって、全体的にバランスいいのがいいじゃない? ぼくは、大好きなアクセサリーを全部身に着けたいわけ。けどそれっておしゃれ、って言うのとはちょっと違うじゃん。だから結構変な目で見られるんだよね」
 気づいてたんだ。
 ちょっとした驚きだった。風間くんもわたしの表情に気づいたようだった。
「もしかしてこれが、ぼくにとっての『本気のおしゃれ』だと思ってた?」
 声をあげて笑うので、わたしも反論した。
「だってさっき、『おしゃれっていいよね』って……」
「日向さんをぼくの世界に引きずり込もうしたんだよ。日向さんならわかってくれるかと思って」
「普通に引いた」
「だよねー」
 と笑ってから急に真顔になり、「え、うそ」と言った。
 それがなんだかおかしくて、少し笑ってしまった。けれども風間くんは少し寂しそうな表情に変わった。
「初めのころ、『怖い』のベクトルが違う、っていう話、したよね」
 うなずくと、風間くんは続けた。
「ぼくさ、中学のころからシールピアスとかマグネットのとかはつけてたんだよ。友達もそれは知ってて、別に普通に仲良くしてて」
「そうなの?」
「ああ。だから高校入試に合格してすぐにピアスの穴を開ける、ってみんなに言ってたんだ。けど、うちの高校に通ってる先輩から、うちの学校、ピアス禁止だ、って言われてさ。そのときに言われたんだ。『今年、ヤバい新入生が入ってくるらしいぞ』って。『すげえ不良で、中二の時にピアス開けて、先生にも逆らったらしい』って」
「不良、って誰のこと?」
 すると、「はあっ?」というように見て来た。
「もちろん日向さんでしょ」
 もしかして自分のことかも、とは思ったけれど、「もちろん」と言われてむっとした。
「わたし、不良じゃない! 話が大きくなりすぎてる!」
「けど、噂なんてそんなもんじゃん? 実際、もう一つ穴をあけて停学になったし、今だってほとんど毎日学校にピアスつけて行って没収されてる。なんか、いつも怖い顔してるしさ。外から見たら立派な不良だよ」
 たしかに、そう言われると返す言葉がなかった。
「今になってみれば日向さんが『そんな人じゃない』っていうのはわかるけどさ、正直、その噂を聞いたときは真っ青になったよ。だからさ、思い切って穴をあけたんだ」
 風間くんは声を上げて笑った。
「……は⁉」
「だろ! なんかさ、悔しかったんだよ。ぼくのピアスに対する愛情は誰にも負けない、って思ってたのに、それより強い気持ちを持ってる人がいるなんて!」
「別にそんなんじゃ……」
「日向さんにとってはそうかもしれないけど、ぼくにはそう見えたんだよ。だからぼくは最初は両端の二個、一気にあけたんだ」
「痛そう!」
「マジで痛かったよ。血がいっぱい出て、ジンジンしてるのが怖くてさ。それでも、うれしくてうれしくて」
 坂を上りきったところで左に曲がった。大通りをまっすぐ歩いたところにある店に入る。
 それは、ハワイアンジュエリーのお店だった。



     7


 お客さんはいなかったけれど、木彫りのカメとかハワイの写真などが飾ってあった。飾られているジュエリーはたくさんの彫りがはいっていて、それがライトに当たってキラキラと輝いていた。
「きれい……」
「だろ?」
 風間くんは自慢げに笑った。
「これも職人さんが一つ一つ手で彫ってるから、高いんだよ」
値段を見て、息が止まりそうになる。
「何か所かハワイアンジュエリーの店はあるんだけどさ、ぼくはここが一番好きなんだ。ほかの店は結構閉めちゃって、今は日本に店舗を構えているブランドも少ないしね。渋谷に来ると必ずここに寄るんだ」
 風間くんが見ていたのはフープ型のピアスだった。銀色の太い部分に花や葉っぱやカメなどの模様が彫られていて、中に書かれた飾り文字は黒いエナメルで彩られていた。
 やはり、わたしたちが普段で買えるものの十倍くらいの値段がついていた。
「さっきのインディアンジュエリーもそうだったんだけどさ。ハワイアンジュエリーにもデザインごとに全部意味があるんだよ」
「そうなの?」
 わたしは風間くんの指輪に視線を落とした。それは、翼を広げた鳥の形だった。
「それはどういう意味?」
「豊穣」
 同年代男子の言葉に思えず、つい、吹き出しそうになる。
「……秋にたくさん穀物が実る、というやつね」
 風間くんも口元に笑みをにじませ、うなずいた。
「実りが多ければみんなも幸せ。……というわけで幸福。かっこいいから、これでいいんだよ」
 ふたりで小さく笑った。
 風間くんは、丸い感じの花弁が五枚重なった花が彫られた指輪を指さした。
「この花、プルメリアっていって、女の人を守ってくれるんだって。そこから、魅力を引き出してくれる、っていう意味があるらしい」
「そうなんだ」
 次に、葉っぱの模様がほどこされたものを示す。
「この葉っぱは、マイレっていうんだ。昔から結婚式なんかでよく使われていたらしくて、『大切な人との縁を結ぶ』っていう意味。こっちのカメは『災いから身を守る』とかね」
「風間くんはどれが欲しいの?」
「これ」
 そこには波の形が彫られていた。
「キラキラしてて、きれい」
「だろ?」
「波にはどんな意味があるの?」
「『永遠』。途切れることのない愛情、とか、絶え間なく訪れる幸運、とか」
「素敵……」
「女性向けのはこっちにもあるよ」
 そこには長細い板に彫刻のほどこされた、ぶら下げるタイプのものだった。
 すべてが美しくて、輝いていた。意味を聞いたあとだから、なんとなく欲しいような気にもなってくる。
 吸い寄せられるようにひとつひとつを見ていく。
 なのに、心が浮き立たない。つけてみたい、という気持ちが別の思いにかき消されてしまう。
 思い切って風間くんにたずねた。
「穴をあけたとき……親から怒られなかった?」
「そこな⁉」
 風間くんはピアスを見つめながら、声を潜めた。
「ねーちゃんにすっげー怒られた。『あんたバカなの⁉』って。で、両親も僕がアクセサリーが好きなのは知ってたけど、まさかそんなことまでするとは思ってなかったみたいで、クレジットカード没収されたんだ。ぼくのお小遣いの口座につながってるのに、ひどいだろ? それを見て、やっぱり学校も親と同じ感じなんだろうな、って思った。『ピアスの穴が左右合計で四個もあいてるなんてバレたら、不良どころの話じゃない』って思ったから、別室登校することに決めたんだ。学校から問題視されなきゃいいわけだろ? 別室登校して、友達も作らなければいいや、って」
「……友達よりも、ピアスを選んだの?」
「まあ、そういうつもりはなかったけど、そういうことだね」
 小さく肩をすくめた。
「でもさ、去年の冬くらいに日向さん、もう一個穴をあけたろ? それで停学になった、って聞いて、ほんとに悔しかったんだ。ぼくのピアスに対する愛は誰にも負けない! って思ってたのに、さらに上に行く人がいるんだ、って。あのときは、ほんとに後悔したね。先を越された、と思って悔しかった。それでぼくも、ひそかに三個目を開けたんだ」
「……なにそれ」
「でもさ、すっげえ勇気、もらえた」
「どういうこと?」
「ぼく、これでいいんだ、って」
 風間くんは足を止めて、シルバーの釣り針型のペンダントをヘッドを見た。胴体にはカメの模様が彫られている。
「これもほしいんだよなあ」
「カメの絵が彫られてるから、風間くんを守ってくれるんだね」
「それもあるし、釣り針型そのものにも、『幸せを釣り上げる』とか『捕まえた幸せを逃がさない』とかいう意味があるんだ」
「へえ」
 その「幸せ」という言葉がなんだかすごく遠いところにあるようなもののような気がした。
「風間くんはどうしてそんなにアクセサリーが好きになったの?」
 じっくり見て歩く。
「こんなこと言ったらシスコン、って言われるかもしんないけど、姉ちゃんの影響。十個上なんだよ。大学の入学祝いに親から小さなダイヤモンドのピアスをもらったんだ。それをつけるのを見て、もう、『うわあ、きれい』って思っちゃって。きれいだなあ、いいなあ、ぼくもつけたいなあ、って。それから自分でも色々探すようになったんだ」
「へえ、そうなんだ……」
「なに」
「いや、もっとすごい理由なのかと思って」
 すると風間くんは変な風に笑った。
「頼むよ。ほんとに好きなだけなんだ。好きにそんな大げさな理由なんかいらないでしょ。好きだから好き。以上」
 それで、我に返った。
「……たしかに、そうだね」
 自分がピアスを好きになったときのことを思いだし、痛いような苦しいような気分になった。
「それは、日向さんが教えてくれたことじゃないか」
 風間くんはそう言ってくれるけど……実際のわたしがそういう人間じゃないから、すごく後ろめたかった。

 店から出た。大通り沿いをぶらぶら歩きながら、
「渋谷だけ?」と聞いてみた。
「何が?」
「アクセサリー屋さん」
「ううん。御徒町の問屋街とかも行く」
「問屋街?」
「うん。でもさ、あそこら辺にあるのってなんか、ぼくたちはおよびでないっていうかさ。会社勤めの女の人とか、奥さんとか、そういう人が来そうなお店で。『ないな』って思ったんだけど、すっげえフレンドリーな店員さんが、『彼女さんへの贈り物ですか?』とか言ってきてさあ。ほかにも姉ちゃんくらいの歳の人の女の人とかカップルとかいて、なんか、『自分のです』って言えずに『すみません、彼女はいません!』って宣言して帰ってきちゃったよ」
「宣言して逃げたの⁉」
 つい、声を上げて笑ってしまった。……と。
 視線にぶつかった。
「な、なに?」
 風間くんは顔を傾けて見つめてきた。
「ううん。日向さんって、そんな明るい顔で笑うんだな」
「えっ?」
 すると少しだけ考えこみ、
「いや、違うな。望月君といる時だけはその顔で笑う」
 一気に表情がこわばるのを感じた。
「この間も思ったんだけど、風間くんは、望月くんがとよちゃんに来てたこと、知ってるの?」
 恐る恐る聞いてみた。風間くんは変な風に笑った。
「なに、今さら誤魔化そうとしてんの? 知らないわけないだろ。だって望月くんも『とよちゃん』の常連じゃないか」
「え、あ……」
 あまりストレートに言うので、わたしの方が言葉に詰まった。風間くんは心外だ、というようにつづけた。
「バイト終わりに一緒に帰ってるのも二回ぐらい見たよ」
「そ、そうなの……?」
「えーっ、覚えてないの? ぼく、何度か平日の閉店間際に駆け込んで食べたことあるんだけど」
「そうなの?」
「商店街の入口の自販機でジュース買って飲んでたら、ふたりでその後ろ通ってて」
「え、え、でもそのときって……」
 なにかを言いかけて、思い直したように笑った。
「同じ学校だってバレたら気まずいからパーカー着てた」
「ごめん、全然気づかなかった」
「まあね。望月くんはいつも勉強してたし、日向さん、無表情接客で怖いから、ぼくも見ないようにしてたしね」
「え! 『おいしいナビ』に書き込んだの、風間くん⁉」
「まさか!」
 ぎょっとしたように後ずさった。
「『とよちゃん』は店主も店員もちょっと怖い、っていうのは結構有名な話で……」
「うそっ!」
 そこで、さらなる疑念が浮かんでしまった。
「もしかして風間くん、市山駅まで行ったりする?」
「ああ、行くよ。あそこのイオン、アクセサリーショップあるでしょ。まあでも、ほとんど女性ものだけどね。二階の専門店街の一角にあるサーファー系の店には割とかっこいいピアスとか売ってるけど」
 話を聞きながら心臓が音を立て始める。
「……あのさ」
 おそるおそる聞いてみた。
「あの、疑うわけじゃないんだけど、伊織くんとわたしがイオンで一緒に食事してたの、見たことあ……」
「ええっ⁉」
 風間くんはものすごく驚いたように体を引いた。
「なに、ふたりで食事とか行っちゃうの? それ、デートじゃん? ふたり、ほんとは付き合ってんの⁉」
「そうじゃない! 違うの。付き合ってるとかじゃなくて。たまにご飯誘ってくれる。幼なじみだから、わたしのこと心配してくれてるだけ。学校では反抗してるし、友達いないし……」
 自分の言葉で自分の現状に気づいてしまった。今さらながらに落ち込みかけていると、
「ふうーん」
 風間くんはわたしを別の角度から見るように、首をかしげていた。
「なに、その言い方」
「うん。いや、別にそこまで卑下する必要はないと思って」
「卑下なんかじゃない」
 言い方が少しきつかったかもしれない。風間くんは少し考えこんだあと、
「日向さんは?」
 と聞いてきた。
「え?」
「日向さんは、なんでピアス開けたの?」
「それは、好きだから……」
「好きでも、強い動機がなきゃそこまでしないんじゃない? だって、校則違反だぜ」
 ピアスの穴をあけたこと、後悔してるわけじゃない。でも、心に引っかかっているのは確かだった。
 答えられずにいるのをどう思ったのだろう。
「望月君のことが関係ある?」
 それも答えることができなかった。
 店から出た。人気の少なくなった大通り沿いの道を歩きながら、
「ほんとはさ、何度も『とよちゃん』にいるときに声をかけようかな、って思ったんだ。でも、できなかったんだ」
「どうして?」
「しちゃいけないな、って思ったからだよ」
 風間くんは真顔になった。
「望月君、あんなに日向さんのこと好きだったのに」
 それがまるで自分のことのように悲しそうにつぶやいた。
「……そう、かな」
「そうだと思うよ」
「ずっと、そうじゃない、って思ってたんだ」
「どうして……」
 わたしたちはまた、駅の方へ向かって歩き出した。わたしは、口を開いた。


     8


「伊織くんはね、小学校二年の時に転校してきたの。かっこいいし、最初は人気者だった。なのに、そのうちディスられることが多くなっていた。田舎ってわけじゃないけど、昔から住んでる人が多い地域だから、よそから来た人が目立つのが嫌だ、みたいな空気があるのはわかってて。図工の時間だった。色鉛筆を使うときに、伊織くんが『水色』の色鉛筆を『空色』って言ったの。それで、変なヤツ、みたいに言われ始めて」
「え⁉ たったそれだけで?」
 風間くんは詰まった声をあげた。
「それだけだけど、多分、みんな今まで理由を探してたんだと思う」
「うん?」
「ほら、よそ者を排除する理由」
 風間くんは言葉なくうなずいた。
「リーダー格の男子が、『気持ち悪い』って言い出して、色鉛筆の後ろの方を見たの。『ほら、ここにも書いてある。これは水色だ。空色とか言うのはキモい』って。それからはもう、事あるごとに『空色』ってバカにされて。伊織くんのこと、かっこいい、とか言ってた女子も何も言わなくなって。わたしね、そういうことする方がよっぽど気持ち悪い、って思ったの。わたしはあそこで生まれ育ったから目立つグループの中心にいた。だから、言ったんだ。『別に、水でも空でもどっちでもいいのに、そんなことでいじめるとか意味わかんない』って。最初は『ラブラブ』とか、からかわれたし、伊織くんはなにかにつけイジられてて。もう、そういうのもほんとに腹が立って。だから、わたしだけは伊織くんの味方になろうと思った。それは好きだとかそういうのじゃなくて、純粋な正義感だった」
 風間くんは真剣だった。
「『当時は』ね」
「うん?」
「始まりが『正義感から』だった、ってことだろ? そこは……ちゃんとしとかないと。そうじゃないと、自分の気持ちがわからなくなっちゃうから」
 反射的に否定しようとした。でも……風間くんの言うことはもっともだった。今まで、恥ずかしいとか、申し訳ないとか、そういう気持ちで自分の気持ちをごまかそうとしてきた。だからこんな風になってしまった。
 わたしは小さくうなずいた。
「そうやってるうちに、伊織くん、どんどん目立つ存在になっていった。サッカーはじめて、最初はのけ者みたいにされてたけど、一人でこっそり練習して。意地悪されたとき、楽しいとき、わたしのところに相談に来た。わたしも一緒になって怒ったり笑ったりした。わたしたち、同じグループにいた。サッカーの試合があるときはみんなで応援に行ったりしてたの。でも、中学二年のときにピアスの穴をあけて……それから、わたしがその中から転落した、っていうか」
「まあ……人って、多かれ少なかれマウント取りたがるよな」
「気づいてたはずだった。わたしのことを気に入らないって思ってる人がいること。その人を怒らせないように気をつけてはいたの。けど、ピアスの穴をあけてしまった。そのときから、みんなの態度が変わって。伊織くんは、わたしのこと庇ってくれてたんだと思う。わたしが昔、そうしてあげたから。そのお返しで、ずっと味方になってくれてるんだと思う」
 風間くんはなにも言わなかった。いつも笑ってるみたいなその大きな口をまっすぐに結び、前を向いていた。
「風間くん?」
「日向さんはさ」
 不思議そうに首をかしげた。
「『空色』の事件があったあともずっと、望月君と仲良くしてたんだよね?」
「そう、だけど」
「それは、望月君がかわいそうだと思ったから?」
「違うよ! そんなことない」
「だったら……」
 風間くんはわたしの手首を取った。
「え?」
「ちょっと来て」
 大股で歩き始めた。わたしは半分引きずられるみたいにして歩いた。
「風間くん、ちょ、なに」
「いいから」
 スマホを見た。
「早く行かないと閉まっちゃう」

 わたしたちは、暮れかけた空の下、走るようにして渋谷の喧騒の中へともどった。
「ほら、ここ!」
 ピンクと白のストライプの屋根。たくさんの女の子たち。
 そこは、POPPIN POP。
「早く行って。ここ、売り切れたらすぐに店を閉めるんだ」
 店の中にも外にもたくさんの女子がいた。棚の商品は空になっているものも多く、レジにはまだたくさんの人が列を作っていた。
「風間くん……」
「ぼくは行かないよ」
 強い口調で言い切った。
「さっきも言ったろ? 『こんな女子がいっぱいいる中、男一人は入りづらい』んだよ。『よっぽどの理由がないと入れない』んだって!」
 声を失った。
 伊織くんはここに一人で来た、と言った。
 一人で来て、この女子がたくさんいる中、男子一人で入っていった。そして、あの長い列にならんで買って来てくれたんだ。
 わたしは女子だけど、それでもやっぱりここにいたら緊張するし、どきどきする。それなのに、買って来てくれた。わたしにはなにも言わずに。
 勇気を出して、きれいな女の子たちの間を通り、ディスプレイされたグミを見る。
 なんでこんなことに気づかなかったんだろう。
 ずっとここのグミを食べてみたいと思っていた。食べたらすごくおいしかった。大好きだ、って思った。でもそれは、伊織くんが買って来てくれたから。
 あのとき、伊織くんは言った。
「華が信じてないのは俺のことじゃないよな?」
 今やっと、その言葉の本当の意味を理解した。
 本当はずっと気づいてた。
 わたしが信じていないのは、自分自身だった。
 打ちのめされたような気分のまま外に出た。
 ショーウインドウに映るのは、ピアスをつけたわたし。
 最初は純粋にうれしくて、誇らしくて、楽しかった。
 伊織くんはわたしの金のファーストピアスを見たとき、笑顔で言った。
「それ、華によく似合う」
 なのに、友達とか、両親とか、先生とか。
 みんなからなじられて責められるたび、自信が揺らいでいった。
 だからわたしは自分の殻にこもった。表情を失い、反抗的になっていった。
 ピアスをつけた自分を守りたかったんだ。
 「問題児じゃない」。「悪い人間じゃない」。そう信じてくれる人を探してバイトを始めた。自分で自分を認めるために、学校でピアスをつけ続けた。
 そのはずなのに……いつの間にか「ピアスをつけること」に囚われ、自信まで失ってしまった。
 伊織くんはずっと寄り添ってくれたのに、明るい方へ行こうと誘ってくれたのに、自分自身で感情の深い森の中に迷い込み、動けなくなってしまった。
 わたしは、やっぱりなにも買わずに店から出た。
 風間くんを見上げた。
「なんで……ここのグミ、伊織くんが買って来てくれた、ってわかったの?」
 風間くんは、「ああ」と、小さく笑った。
「だって、前に食べてたのに、さっきは『初めて来ました!』みたいな感じだったから。 自分で買ったんじゃなければ、望月君だよな。そういえば、ぼくにはくれなかったよな。大切なんだな……ってまあ、色々思った」
 全部当たっていた。恥ずかしくて、つい、下を向いてしまう。
「今からでも仲直りできるんじゃない?」
 風間くんはわたしの目をのぞきこんだ。
 でも……わたしは、絶望的な気分で答えた。
「もう、遅いよ」
「そうかな」
 ショーウインドウに自分の姿を映し、耳に着けたピアスに触れた。
「ぼくだってさ、家族からすっげえ怒られたけど、髪を伸ばして別室登校してる。でもそれは大切なものを守りたいから。好きなものはどうやったって変えられないから」
 その大ぶりの重たそうなピアスを優しくなでる。
「ぼくさ、ずっと親からスポーツやれ、習い事やれ、って言われて、強制的にやらされてきたんだ。でも、どれをやっても本当に好きになれずに、全部すぐにやめてしまった。でも、姉ちゃんのピアスを見たとき、思ったんだ。『ぼくは、これが好きなんだ』って」
 強い視線でわたしを見た。
「好き、ってそういうことじゃん?」
 どきん、と心臓が音を立てた。
「でもさ、みんなは変な目で見るんだよ。『おまえ、そういう感じなの?』『なんか変わったね』って。たしかに芸能人とか普通にピアスしてるし、ほかの学校の男子なんかはつけたりしてる。けど、ぼくの周りはそうじゃなかったんだ。挙句の果てには知らないおじさんから、『男のくせになんだそれは!』って怒られたりして。……最初は傷ついたよ。なんでみんな、ぼくの好きなものをそんな風に言うんだろう。ぼくの好きなものを否定するんだろう。ぼくって変なのかな、って。でも、好きなんだよ。理由なんかない。好きなんだからしょうがないじゃないか。いくら周りから攻撃されたって反対されたって、変な目で見られたって変えられるものじゃないじゃん。『好き』ってすごいんだよ。一つあるだけで、怖いものなんかなくなるんだよ。日向さんにとって、ピアスってそういうものじゃないの? 望月君って、そういう人なんじゃないの?」
 胸が狂ったように高鳴っていた。
 ずっと机の中にしまいっぱなしになっている空色のピアス。一番つけたいはずなのに、手に取るのさえ怖くなっていた。
 大好きなのに。あのピアスをつけるためにあけた穴だったのに。
 わたしはまっすぐ風間くんを見た。
「……ありがとう。わたし、行ってくる」
「へ?」
「今すぐ、伝えてくる」
「ひ、日向さん⁉」
 風間くんが後ろで何か言っている。
 でも、自分を止めることができなかった。
 ネオンがともり始める。昼間とは少し種類の違う感じの人たちがこっちに向かって歩いてくる。わたしはその中を一人、走った。
 家に着く頃には暗くなっているだろう。
 でも、今。
 今、どうしても伊織くんに伝えたかった。