空色ピアス

     1

 角を曲がったら、通り向こうに十人ほどの行列が見えた。
 わたしは黒いベースボールキャップのツバをぐっと押し下げ、その列を目指して歩いた。汁が飛んでも目立たないように、グレーのTシャツ。サクッと行ってサクッと帰れるよう、身動きしやすいスキニージーンズにスニーカー。
 横の髪は耳にかけ、キャップで押さえているからピンクのピアスと輪っかのピアスがよく見える。
 先生からは目をつけられているし、親からも賛成されてない。でも、家で鏡を見るとき、ショーウインドウに映るとき、この小さなピアスが耳に光っているのを見ると自信が沸く。わたしはわたしでいいんだ、と思える。
 不思議だな。
 思わず皮肉な感じに笑ってしまった。
 いつもはこのピアスに苦しめられているというのに。
 息が上がらないほどの早足で歩き、列の最後尾に立つ。
 結局、来てしまった。ラーメン「福元」。
 でも、風間くんには連絡していない。何となく、伊織くんじゃない男子と一緒に食事するのが嫌だった。それも、ラーメンに並んじゃうとか……恥ずかしい。
 ただ、やっぱり「とよちゃん」の客足が落ちていることが気になっていた。わたしの接客のせいもあるのだろう。でも、それ以前に……。
 ほかの店のラーメンを食べてみることで確認したかった。
「とよちゃん」はまだ、大丈夫なのだ、と。
 うつむいて少しずつ前に進みながら、「おいしいナビ」で「福元」を検索してみる。人気店らしく、「中華そば」の最初に出てきた。「醤油ラーメンのスープの色が薄い」「セットメニュ―がボリューミーでお得」というコメントが最新で書かれていた。恐る恐る「とよちゃん」のページにも飛んだ。「店員は不愛想だけど親切」というのが一番上にあった。
 伊織くんだ。あまりに露骨な反論に恥ずかしくなり、そのまま閉じた。
 カウンターが十席しかないそのお店は回転も早く、すぐに順番が回ってきた。券売機の前でどれを食べようか、と迷ったけれど、結局無難に醤油ラーメンにした。
 肩が触れ合うほどの距離で男の人にはさまれた席にすべりこんだ。何の飾りもない壁にそれほど明るくもない照明。厨房にはもうもうと湯気が立ち、そろいのTシャツを着た屈強な感じの男性が三人で麺のお湯を切ったり、激しい音を立てて野菜を炒めたりしていた。そのうちの一人が手を出してきたので食券を渡す。
 ちょっと手持無沙汰になってほかの人の席を盗み見る。ほぼ全員が「ラーメンと餃子」、「ラーメンとチャーハン」、「チャーハンと餃子」などのセットメニュ―を頼んでいた。それも一品ずつが一人分ありそうなくらいの量で、それをみんなが黙々と吸い上げるように食べていく。
 セットメニューを頼まなくてよかった、と息をついたとき、
「お待たせ。熱いよ」
 と、さっきの男性がわたしの前のカウンターの一段高くなったところにラーメンを置いた。
「ありがとございます」と、それを自分で取って、目の前に置く。
「とよちゃん」と比べてもスープの色が薄い。食べてみたら、ちゃんと醤油の味がした。麺は黄色い平打ち。具材は、チャーシューが一枚にメンマとねぎ。チャーシューは脂身が少ないけれど薄くスライスしてあるせいか、パサついた感じはしない。
 この店のラーメンは確かにおいしい。でも、「とよちゃん」だって決して負けてるわけじゃない。絶対にチャーシューはとよちゃんのほうがおいしいし、大きい。それに、ここのスープは甘みが強すぎる。
 大丈夫。「とよちゃん」は絶対に大丈夫。
 なんとなくほかの男性たちと競っているような気分で麺をすすりながら、頭の中では「とよちゃん」のことを考えていた。
 セットメニューを作れば、少しはお客さんがもどるんだろうか。いや……それは無理だ。あの量だと斎藤さんが忙しくなってしまう。
 そこで気づいた。
 ほかの店と比べたって「とよちゃん」が何か変わるわけでも、わたしの不安が消えることもないのだ。
 来てしまったことを後悔しながら急いで食べて店を出た。駅の方へ行きかけたとき、
「日向さん?」
 男の人から声をかけられた。ぎょっとして振り返る。
「ひ!」
 驚いて声が喉に引っかかった。そこにいたのは風間くんだった。
 今日は前髪を上げて、サングラスで横の髪と一緒にカチューシャみたいにしている。両耳には黒くてつややかな小さなピアスが並んでいて、右側は深い赤、左側はシルバーが一つだけ混じっていた。大きめのダークブルーの五分袖のシャツから伸びた腕のヘナタトゥーが茶色っぽく変わっている。手首には革っぽいブレスレットが幾重にもまかれていて、第二ボタンまで開けたシャツの中には黒い紐とシルバーが見えるから、ペンダントか何かをつけているのだろう。
 この姿は確かに、「とよちゃんの常連」の風間くんだった。
「あー、やっぱりそうだー。ぼく、二人後ろに並んでたから、急いで食べて出てきたんだ」
「ご、ごめん。何も言ってないのに来ちゃって……」
「えー、謝らなくていいよ。来てくれただけで嬉しいからさー」
 風間くんは気のいい感じで笑った。たしかに見た目は「とよちゃんの常連の風間くん」だけど、この話し方は確かに「同じクラスだけど別室登校の風間くん」だ。
「……どした?」
「たしかに風間くんだってわかるんだけど、違和感に少し戸惑ってる」
 つい笑みがもれた。風間くんも照れたように後頭部に手をやった。
「まあねー。ほんとはぼくだって学校でもおしゃれしたいんだよ。でもさ、学校では耳を隠さなきゃいけないだろ? 横の髪だけ長くて前髪短かいとかフツーにナシじゃん?」
 あっけらかんと笑った。わたしは、このじゃらじゃらとアクセサリーをつけた姿が「風間くんにとってのおしゃれなのか」と思ってしまい、にやけそうになる顔をそむけた。風間くんは続けた。
「髪型の自由がきかない、っていうのはキツいよね。きれいにしたら『おかっぱ頭の小学生』になっちゃうから仕方なくぼさぼさにしてるけど、傍から見たら、ただの汚い奴じゃん? ネックレスだって没収されたくないからシャツは上の方までボタン留めてるし、『一人にバレたら全員にバレる』って思ってるから、学校ではなるべく友達作らないようにしてるし」
「え? じゃ、なんで学校でわたしに声かけたの?」
 するととたんに風間くんは真顔になった。
「だから言ったでしょ。日向さんは同士だって」
 わたしのピアスに目を向け、あはははは、と、声を上げて笑った。列に並んでる人たちが変な顔で見てくる。風間くんは「やべ」というように慌てて口を閉じた。
「けどすごいな、日向さん」
「な、なんで」
「だって、この列に一人で並んで、一人で食って出てきたんだろ?」
「そうだけど……」
 言われてみれば、並んでいるのは男性ばかり。それも、二十代から四十代くらいの人たちだ。友達同士で来ている人は少ないのか、黙ってスマホを見たり、列の前のほうを見たりしている。
 なんだか急に恥ずかしさがこみあげてきた。
「さすがだなあ。ぼくだってここに一人で並ぶのは勇気がいるのに!」
「もうそれはいいから!」
 思わず声を強めると、風間くんは、
「そうだよね、ごめん」
 と、明るく笑った。
 しばらくふたりで黙って歩いていたけれど、今度はわたしの方から口を開いた。
「あの……怒ってないの?」
「何を?」
「誘われたのを断ったのに、一人で来ちゃって……」
「怒らないよ。日向さんが来ても来なくても、どっちにしろぼくは来るつもりだったし。というか、いくら男子と一緒でも女子高生がここに一人で並ぶのはハードル高いだろうな、って思ってたからさ。最初から来るなんて思ってなかったからね⁉」
 言われてみれば、確かにそうだった。
「なんか、ごめん……」
「だから、いいって。気にしてないから。列に並んでるところで声をかけようと思ったんだけど、かえって恥ずかしいかな、って思ってさー」
 何度も首を横に振った。笑ってくれてるけど、やっぱり申し訳なかった。
「ほんと、ごめん」
 もう一度謝ると、もう一度笑った。
「日向さん、めっちゃいい人じゃん」
「いい人かどうかはともかく、怖い人ではないの。怖くみられるだけで」
「大丈夫。今はちゃんと、表情筋、動いてるから」
 美容家のようなことを言うので、今度は二人で笑った。
 風間くんが聞いてきた。
「で、何を食べたの?」
「醤油ラーメン」
「それはいいチョイスだね。「福元」は、スープには九州の方から取り寄せた甘みの強い『白醤油』を使ってるんだ」
「白いの? 醤油が? だからスープの色が薄かったの?」
「そうなんだよ。あそこの使ってる醤油は特に甘みが強いんだ。それが人気の秘密でもある」
「……詳しいんだね」
 今さらながら、細かいことも調べずに勝手に「とよちゃん」と比べてしまったことを恥ずかしく感じた。風間くんはそんなわたしの気持ちなど知らず、あっけらかんと続けた。
「ぼく、アクセサリーも大好きだけど、ラーメンも大好きだから」
「ふうん」
「セットにした?」
「ううん」
「あー、それは残念。ここで有名なのはセットメニュ―なんだ。単品の二百円増しで二種類食べられるし、量も多い」
「やっぱりそうなんだ。周りの人、みんなセットで頼んでたけど、あれは多すぎ。普通に二人前」
「そうなんだよ! ぼくは塩ラーメンとチャーシュー丼」
「え! セットで食べたの? それで、わたしと同じくらいに食べ終わったってこと?」
「そうだよ! だから掃除機みたいな速さでかきこんだんだよ!」
 風間くんは屈託なく笑うけれど、特に体が大きいわけでもないのにあの量をその速さで食べるのはすごいと、普通に感心した。風間くんは続けた。
「知ってた? 福本はここ、チャーシュー丼が有名なんだ。焼き豚も醤油ラーメンと同じ会社の甘い醤油を使ってて味が濃いから、あっさりした塩ラーメンとよく合うんだ。みんなさ、ここの焼き豚がおいしいっていうんだけど、ぼくは『とよちゃん』の焼き豚の方が好きだな」
 今まで「チャーシュー」と呼んでいたものがいきなり「焼き豚」に変わったので話を見失いそうになる。
「焼き豚、ってチャーシューのこと?」
 一応聞き返すと、
「同じことだろ」
 と、真顔で返してきた。
「お店にとっては同じじゃないと思う」
 すると急に口ごもり、「実はさ……」と、照れたように笑った。
「子供の頃、よく家族で近くのラーメン屋に行ってたんだけど、そこの『チャーシュー』が、脂身の少ない肉だったんだ」
 想像するだけであまりおいしくなさそうだというのはわかった。
「そう。分厚いのはいいんだけど、硬くてぽそぽそしてて。子供の歯で噛み切るのが無理で『飲みこめない』って言ってんのに、親は『残さず食べろ』って強制してきてさ」
「それで、どうしたの?」
「丸飲み。毎回、窒息するんじゃないかと思いながら」
 つい、小さく笑ってしまう。風間くんは割と本気で、
「『チャーシュー』っていうと、どうしてもそれを思い出してしまって、おいしく思えないんだよ」
「だったら仕方ないかもね」
「だろ?」
 風間くんは、安心したように再び口を開いた。
「それでさ、『福元』、メンマも手作りらしいよ」
「メンマはメンマなのね」
 一応、ツッコんでみた。
「なんで?」
「『シナチク』を期待した」
「今時そんなの、使う人いないだろ!」
 あからさまに口をとがらせた。
「わかんないよ。わたしだって知ってるくらいだし」
「いや、ぼくのトラウマは、焼き豚だけだから!」
 駅に入りかけたときだった。
 風間くんが声をあげた。
「日向さん、まだ時間ある?」
「あるけど」
 つい反射的に答えたあとで、頭のどこかで「しまった」と思った。案の定、風間くんは続けた。
「じゃあさ、ちょっと付き合ってよ」
 いやだった。
 いつもだったら「ごめん、帰る」って言うんだと思う。でも今日は、抜け駆けみたいにここに来て見つかってしまった、という負い目、みたいなものがあった。
 答えられずにいると、風間くんはやっぱりうれしそうに言った。
「近くに百均があるんだよ」
 もし、誰かに見られたらどうしよう。
 急に不安が頭をもたげてきた。
 この間のフードコートだって、「大丈夫」と思っていたのに見られていた。
 そう思ったら、足がすくんだ。
「あの……わたしやっぱり帰ろうかな」
「なんで?」
「もし、誰かに見られたら……」
 すると風間くんは声を上げて笑った。
「大丈夫だよ。ぼく、今日は髪型違うから別室登校の奴と一緒にいる、って思われずに済むよ」
 あ、まただ。この間の「怖い」の解釈のときも気になった。
 別室登校は別に悪いことじゃない。「クラスは嫌いだから、別室登校にしてるんだ」と、前向きに考える人だってたくさんいるというのに。
「別室登校の人だからって、差別する人なんかいないよ」
 自分を見ているような気になって、思わず声を上げた。けれども風間くんは首を横に振った。
「人なんて、いつだって誰かを見下す理由を探してる。他人を見下すことで、自分を優位に立たせたいんだ。日向さんがみんなから変な噂を立てられてるのもそれが理由じゃないか」
 そうじゃない。……と思いたい。でも、抗えない。だってわたしたちは被害者だから。加害者が無意識にわたしたちを傷つけるのと同じように、気が付いたら無意識に、自分で自分を落としてしまっている。
 それ以上「帰る」と押し通すこともできなかった。ただ、「学校の人に見られませんように」「このことが、伊織くんに知られてしまいませんように」……そんなことだけを心の中で強く願った。




     2


 その商業ビルの二階は、ほぼ半分が百均のフロアだった。日曜のせいか家族連れが多い。何となく、伊織くんじゃない男子と二人でいるのが恥ずかしくて下を向いて歩いたけれど、風間くんは気にする様子もなく奥の方へと歩いて行った。
「……何買うの?」
 風間くんは楽しそうに答えた。
「ピアス」
「え?」
 立ち止まり、その大きな口を楽しそうにゆがめた。
「だって、この間また没収されたんだろ?」
 大股で歩き続ける。わたしも小走りでついて歩きながら、つい顔をしかめてしまう。
「なんで風間くんがそんなこと知ってるの? 別室登校なのに」
「別室登校でもニュースは聞こえてくるからさー。特に、日向さん、有名だし」
 風間くんの言葉を苦々しく聞いていたら、
「ほら」
 と、立ち止まった。
「え、すごい……!」
 思わず感嘆の声が漏れてしまった。
 その棚の一面には色とりどりのピアスが何十種類も吊るされていた。いつもは近くの百均で買うけれど、こんなにたくさんの種類は見たことがない。どうせ没収されるんだし、と、同じものをいくつも買っていた。
 思わず駆け寄って見てしまう。百円だけれど、小さくてかわいいのがたくさんある。本当はキラキラとしてかわいいものが欲しいけれど、学校に着けて行ったら没収されてしまう。
 小さくてあまり目立たないものを手に取った。風間くんも前かがみになってピアスの一つ一つを丹念に見ていた。
「けど、日向さんがそんなにラーメン好きだとは思わなかった」
 まるでピアスの話をするみたいに言ってきた。
「だから、そういうわけじゃなくて」
「だって、わざわざ電車に乗ってここまで来て、一人並んで食べちゃうし、ラーメン屋でバイトまでしてるんだから」
「それは……」
 一人ででも来てしまったのは、「とよちゃん」の人気回復になる手掛かりがあるかと思ったから。そしてラーメン屋でバイトをしているのは……。
 確かに「とよちゃん」のラーメンは好きだけど、だからと言ってラーメンが大好き、というわけでもない。昭和レトロが好きなわけでも、白い三角巾とエプロンが好きなわけでも。
 仕方なく重い口を開いた。
「バイトは、あそこしかなかったというか……」
「そんなことないだろ? 高校生募集してる店なんてたくさんあるんだから」
 信じてなさそうな口ぶりだった。
「もしかして、おじいちゃんとかおばあちゃんが好きとか」
「まあ、斎藤さんたちは好きだけど……」
 これ以上はぐらかしていると、痛くもない腹を探られて、教えなくてもいい個人情報まで教えてしまう羽目になりそうだった。
 思い切って口を開いた。
「ほかは全部、面接で落ちたの」
 わたしの言葉を聞くなり、風間くんは手にしていたピアスを落とした。
「嘘だろ⁉」
「もう、驚きすぎ!」
 理解しづらいのは、まあ、わかる。わたしも最初は自分でも信じられなかったから。
「だって、ファーストフードとかファミレスとかコンビニとか……」
「だから、全部落ちたんだって!」
 語気を強めると、風間くんは「えっ」と、声にならない声を上げ、手で口全体を覆うような仕草をした。
「そんなこと、あり得る……?」
「仕方ないでしょ、そうなんだから」
「あ!」
 風間くんは「今、思いつきました」とでも言うように、今度は両手でその大きな口を覆った。
「それで不愛想接客!」
「不愛想じゃなくて無表情と言って」
 剣幕に押されたように、風間くんは怯えたように笑った。
「……無表情接客」
 わたしはにらむようにピアスを一つずつ見て行った。
「多分、もう誰も信じられない、って気分になってたんだと思う」
「え?」
「高校生でピアス開けてる人なんかたくさんいるじゃん。なのに、なんでわたしだけみんなから拒絶されなきゃいけないの? って。卑屈になってたっていうか」
 こんなの、普段は誰にも話さない。たとえ伊織くんにも。
 でも今日はどういうわけか、何の抵抗もなく言葉だけが飛び出した。それは、風間くんが「同士」だからかもしれないし、今こうやってピアスを見ているからかもしれない。
「中学の時、どうしても入りたい都内の私立高校があったの。単願推薦で受験するつもりでずっとまじめに勉強してきたから成績はいつもよかったし、先生からも好かれてたと思った。でも、ピアスの穴をあけたことですべてがひっくり返っちゃって。成績は良かったけれど、入っていたテニス部も退部して、先生からの評価は最悪になった」
「……あるあるだな」
 風間くんの言葉にうなずいた。
「一般受験で、付属大学のある私立高校を四校受けた。偏差値は余裕だった。どの高校も「個性を大切にする高校」で、制服はあるけれど、着てもいいし着なくてもいい。髪型やファッションに制約はない。もしくは、制服自体がものすごくかわいかった。でも、全滅だった」
「どうして……」
「面接試験で落ちたの。内申書が問題だったのかも。ピアスの穴をあけてることもバレてたんだと思う」
「変だよな」
 風間くんはうっすら笑った。
「高校に入ったら好きな格好していい。けど、そこに入る前にやっちゃダメ、ってことだろ?」
「そういうことなんだろうね」
 わたしはピアスを見つめ続けた。百均と言ってもやっぱりピアスはどれもかわいくて、気持ちが上がった。思わず空色のピアスを手にしてしまった。
 水色ではなく、空色。
 ふと、伊織くんの顔が浮かんだ。
 受験に失敗した、と言ったとき、
「華を落とすなんて、ひどすぎんだろ」
 伊織くんはわたしの為に、本気で怒ってくれた。
「そんな学校、行く価値ない」
 仕方なくこの公立高校を受けたら……伊織くんも同じ高校を受けた。
 伊織くんは、「別に、華が心配とか、そういうことじゃないんだ。この学校、結構楽しそうだし、大学入試も推薦枠多いしさ」と言った。でもやっぱり、わたしを気にしてくれてるんだろうな、と思った。……負い目、みたいなものも。
 だって伊織くんの実力ならもっといい高校に行けたはずだから。
 わたしなんか、気にしないでいてくれればいいのに。
 でもそれと同時に思う。
 もし伊織くんがいてくれなければ、学校には行けてなかった。別室登校だって無理だった。
「うちの学校がピアスが禁止だって知って、ちょっとショックだった。でも、別に嫌ではなかったの。穴が開いててもピアスをつけなければいいんだし、絶対に隠し通せばいい、って。髪を伸ばして、耳を隠し続けた。ピアスのことさえバレなければ、きっと普通に過ごせる。だから勉強も頑張って、部活も頑張れば普通の高校生としてやっていけるはず、って。勉強は頑張った。今も頑張ってる。中学のときはピアスを開けてしまったせいで、テニス部をやめてしまった。だから高校ではバドミントン部に入部届を出した。でも、顧問から呼び出されたの」

 あの時のことは今でもはっきり思い出せる。
 人気のなくなった職員室。真面目そうな四十代くらいの女性の先生は言った。
「あなた、ピアスの穴をあけてるんですってね」
 背筋が凍り付くような気がした。それまでずっと隠せてたのに。
 中学のときに一緒だった子がバドミントン部にいる。その子が言いふらしたのかもしれないな、と思った。
 わたしが同じ部に入るのが嫌だったのかもしれない。中学校のときは、問題児だと思われていたから。
「わかってるわよね。それが、校則違反だ、ってこと」
 これは高校に入ってから開けたんじゃありません。学校にピアスをつけてきてはいません。……そんな言葉も諦めに飲み込まれた。真っ青になってうなだれるわたしを見て、先生はどう思ったのだろう。その口を歪めて笑った。
「穴をふさぎなさい」
「え?」
「皮膚科に通えばそういう処置をしてくれるらしいから」
 ……そこまでしなきゃいけないの?
 ずっと思い続けてきた反抗心がまた、もたげてきた。
 わたし、何も悪いことしてない。ピアスが可愛くて、どうしてもつけたくて、それで開けてしまった。今は反省しているし、学校にはつけてきていない。新しい穴も開けてない。お母さんに思いを聞いてもらった。でも、言われた。
「仕方ないでしょ? ピアスの穴をあけるのも、学校も、あなたが選んだことなんだから。普通の学校に行きたいならピアスの穴なんかあけるべきではなかったし、ピアスをつけたいなら、そういう学校に行くしかないんだから」
 わかってるよ、そんなの。言われなくたってそんなの、痛いほど感じてる。なのに、そんな正論言われて「そうですね」って納得できるわけじゃない。
 自信がそがれていった。



     3


「この間、風間くん、言ったよね。『怖さ』のベクトルが違う、って。……先生から穴を塞ぎなさい、って言われたとき、思ったの。塞いだところでわたしの印象が良くなることなんかないだろう。一度ついてしまったレッテルは、そう簡単にはがすことはできない。わたしを、ただの日向華、って見てくれる人なんかいない、って」
 風間くんは黙って聞いていた。
「わたしは、校則を破るような人。みんながそう思ってる。反省しても、もうやらなくても、そういう人としてしか見てくれないなら……もう、それでいいや、って」

 わたしは顧問に言った。
「じゃあ、辞めます。すみませんでした」
 退部届を出したらもう、部活をやろう、という気にはなれなかった。
「それで、バイトすることにしたの? うち、バイト禁止だろ?」
「だからこそやってやろうと思って」
「やっぱすげえな、日向さん」
 風間君は感心するみたいに目を輝かせた。……別に、すごくもなにもないのに。
 面接を受けまくった。最初はバレなかったけれど、うちの学校がバイトを禁止している、というのは有名な話なのか、校則を理由に片っ端から落とされた。受かったところもある。でも、働いてみたら元からいる人がすごく意地悪だったり、年上の男の人が「二人で食事に行こう」とか誘ってきて怖かったからすぐにやめてしまった。
「それで残ったのが……ほぼほぼやけくそで応募した『とよちゃん』だけだった、というわけ」
「やけくそ、って……。言い方!」
 風間くんは笑ってくれたけど……その目は笑っていなかった。
「けど、よく雇ってくれたな」
「そうなの」
 後ろからピアスをのぞきこんでいる人がいた。「すみません」と言ってよけたら、同じ歳くらいの女子が二人、手に取って見始めた。
 買うんだろうか。
 息を詰めて見ていたけれど、彼女たちはすぐに興味を失ったみたいに売り場を離れた。
 なんとなく、がっかりした。
「最初はうちの学校がバイトを禁止していることを隠していたんだけど、商店街の人から何か言われたみたいで、豊子さんから『学校で禁止されてるって聞いたんだけど』って言われて」
 騙そうと思ってやっていたわけではないけれど、言わなかったのも事実だった。ううん……言い出そうと思ったけれど、言い出せなかったんだ。
 豊子さんも斎藤さんも順子さんもすごく優しくて温かくて……あまりに居心地がよかったから。
 絶対に泣かないようにしよう、と決めたのに、涙が止まらなかった。だから、
「ごめんなさい。やめます」
 とだけ言った。豊子さんはまるで自分のことのように顔を歪めた。
「泣かないで、華ちゃん。やめさせようと思って言ったわけじゃないのよ」
「でも」
 斎藤さんは怒った顔のまま言った。
「華ちゃんにやめられたら困るなあ。うちは人手が足りないし」
「……え?」
「ご両親には、『知り合いのお嬢ちゃんに手伝ってもらってる』ってことにしてもらえるよう、おれたちから頼んでみるよ。それで、いいって言ってくれたらもう少しここで働いてくれるか?」
 斎藤さんも豊子さんも順子さんもいる前で、子供みたいに泣いてしまった。三人とも、「泣かないでいいんだよ。ここにいていいんだよ」
 そう言ってくれた。

 話を聞き終わると、風間くんは、
「わかるなー」
 噛みしめるみたいに言った。
「斎藤さんもそうだけどさ、豊子さん……すっげえいい人だった」
「だよね……」
 心の中が温かくなるような気がした。
「わたし、一度だけ、豊子さんに聞いたことがあるの。『どうしてわたしを雇ってくれたんですか?』って」
 風間くんは身を乗り出した。
「そしたら、なんて?」
「『あなた、うちのお父さんにそっくりだもの』って」
「ああ……。豊子さん、そうだよな。斎藤さんのこといつも『お父さん』って呼んでたな」
 今でも豊子さんが言ってくれた言葉は胸の中に残っている。
「表情は乏しいけど、悪い子じゃないのはわかるわ。誤解されやすい、っていうのもね。みんなが求めるようにもできないんでしょ? 華ちゃんはとってもいい子。素敵な子。だから、そのままでいいのよ。わたしたちは、そのままの華ちゃんが大好きなんだから」

 たまらなくなってピンク色のピアスに触れた。

 豊子さんはわたしのピアスを見ると、いつだって言ってくれた。
「あら、かわいらしいわねえ、そのイヤリング。普段もつければいいのに」
「でも、学校で禁止されてるんです」
「そうなの? こんなにかわいいのに」
 思い出すだけで瞼が熱くなる。
「豊子さんは、わたしを褒める以外の言葉は一切、言わなかった」
 なのに豊子さんは病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
 豊子さんのお葬式が終わってから最初に店を開けた日に斎藤さんから小さな箱をもらった。
「これ、豊子さんが華ちゃんに、って買ってたんだ」
 それは、このピンク色の石がついたピアスだった。
「退院したら渡すんだ、って、楽しみにしてたのに」
 だからわたしはもう一つ穴をあけた。このピアスをつける為だけに。そして、これ以上穴は開けない、と決めた。
 先生からも両親からも、「ピアスをはずせ」、と言われたけれど、穴が固まる前に外したら塞がってしまう。停学になった。それでも外さなかった。親はわたしが部屋にいるとわかっていながら、リビングルームで「困った子だ」とか「反抗期だ」とか、心配しているようなことを言っていたけれど、わたしにとっては悪口を言われているようにしか感じなかった。
 だから、極力ふたりと顔を合わせないようにした。そして、部屋にこもって勉強した。いい成績を取ることだけが、辛うじて「わたしは悪い人間じゃない」と証明できる手段に思えたから。
 わたしを大切にしてくれない人たちの言うことを聞くのがバカらしいと思った。でも……ほんとはわかってる。一番バカなのは自分だと。この悔しい気持ちを、やるせない思いを、どう飲み込んで生きていけばいいのかわからない。
 風間くんも深く頷いた。
「豊子さん、そういう人だったよな」
 思い切ったように、かかっているピアスのいくつかを選んでいった。そして、
「また今度、一緒にラーメン食べに行こうよ。今度は、ちゃんと約束して行こう」
 目が合った。
 わたしはそれを、慌ててそらした。
 こんな風に話したからって、別に、風間くんに気を許した、とか、そういうことではない。多分風間くんだって特別な意味があって誘ったわけじゃないと思う。
 わかっているけれど、急に距離を縮められるのは、やっぱり……。
 口を開いていた。
「だったら、うちのクラスにおいでよ」
「え?」
 驚いたような顔を見せてから、いたずらっぽく笑った。
「……考えとく」
 風間くんは結局、ピアスを十個くらい買った。
 帰り際に、「あげる」と、それを全部わたしにくれた。
「なんで……」
「なんか、応援したくなった。これつけて行って、見事に没収されてくれ」
「……変な人」
 けれども風間くんはただ笑うだけだった。
 想定通りではあったけれど、翌日もその翌々日も、風間くんは教室には来なかった。学食で顔を合わせることもなかった。
 そしてわたしは、もらったピアスを毎日のように着けていき、お約束のように没収された。




     4


  午後六時。
  少し前から雨が降り出したせいか、今日もお客さんの入りは悪かった。
「どっこいしょ」
 斎藤さんが厨房に置いた丸椅子に腰かけた。
「お父さん、大丈夫?」
 順子さんが心配そうに斎藤さんの背中をさすった。わたしも不安になって声をかける。
「斎藤さん、大丈夫ですか?」
「おう、平気平気」
 斎藤さんはいつものように笑った。すりガラスの入口を見つめ、
「雨の日ってぇのは、こんなもんだよ」
 はあ、とため息をついた。その表情がやっぱり寂しそうに見える。三人でぼんやりとつきっぱなしのテレビを見つめていた。
「華ちゃん、賄い食べる?」
 順子さんが明るい声をあげた。
「いいんですか?」
「うん。ラーメンでいい?」
「はい」
「自信ないけどなあ」
「かえしもスープも混ぜりゃいいだけになってんだから、誰が作ったって同じだろうよ」
 斎藤さんは目をこすり、コップに入った水をひと口だけ飲んだ。
「それが、違うのよねえ」
 順子さんは大きな鍋に引っかかったざるの中に中華麺をほぐしながら入れた。
「お母さんもよく言ってたわ。同じ材料で、同じ分量混ぜるだけなのに、自分が作ると味が違う、って」
 斎藤さんはぼんやりテレビの画面を見ながら、
「豊子さんが作ると……なんか、味がまろやかだったんだよなあ」
 ぽつりと言った。順子さんは小さく鼻をすすった。やっぱりまだ、豊子さんを思い出してしまうのかもしれなかった。
「華ちゃん、冷蔵庫からチャーシュー出して」
「はい」
 冷蔵庫を開けながら、そういえば、風間くんが「焼き豚」と言っていたことを思い出した。
 スマホが音を立てた。
 ――華、今どこ?
 ――とよちゃん。
 ――今から行く。
 斎藤さんがちらりと見て来た。
「彼氏か」
 思わず順子さんと顔を見合わせる。
 ごめんね、と小さく口の動きだけで言い、わたしはそれを見てつい笑ってしまった。首を小さく横に振り、
「そうじゃないけど、伊織くんです」
「もう、お父さんたら。そういうの、セクハラって言われるわよ」
「それは言い過ぎです」
 わたしたちの笑い声が店内に響いた。けれど斎藤さんは真剣だった。にらむようにテレビの画面を見つめている。
「大切な人は、ちゃんと自分で大切なんだ、って自覚しとかなきゃダメなんだよ。そうじゃなきゃ、いなくなったときの後悔が半端ねえ」
 順子さんが動きを止めた。
「……そうだね」
 わたしも小さく頷いた。
 ガラガラっと音がして横開きの戸が開いた。
「いらっしゃいませ」
「こんちは」
 伊織くんだった。みんなの視線が集中したので、
「な、な、なんだよ」
 驚いたように後ずさった。順子さんが声をあげた。
「ちょ、やだ、帰らないでよ。せっかく来たお客さんなんだから!」
「なんですか、それ」
 あんなことを言われたから恥ずかしかったけれど、伊織くんの方へと歩いて行った。
「な、なんだよ華まで」
「いらっしゃいませ」
 肩にかけたスポーツバッグをいつものように受け取った。邪魔にならないように奥に運びながら思う。
 わたしにとって伊織くんは大切な人。でも、伊織くんにとってわたしはどうなんだろう。

 今日もお客さんはあまり来なかった。週に三回ほど来る常連さんと、近所に住む人が数人。
「お疲れさまでした」
 そう言って店を出る頃には雨もやんでいた。
 いつものように雨上がりのアスファルトをふたり並んで歩く。
「なあ」
「うん?」
「最近さ……ラーメンの味、ちょっと変わったよな」
 伊織くんがためらいがちに言った。
「やっぱりそう思う?」
「味にばらつきがある、っていうか」
「うん」
「今日は……あんまり味がなかった」
 実はわたしもそのことは感じていた。実は順子さんも気づいていて、だから手伝っているのかな、と思ったりもした。
 斎藤さんの表情と、順子さんが浮かない顔をしていたのを思い出してしまう。
「やっぱり、豊子さんがいなくなったのが寂しいのかも」
「まだ、一年もたってないもんな」
 雨上がりの空にはまだうっすら雲がかかっていた。
 カバンの中からグミを出した。
「どうぞ」
「そんな、人にあげたら自分の分がなくなるぞ」
「伊織くんにしかあげてないよ」
「え?」
「伊織くんとだから一緒に食べたいんだよ」
「……そっか」
 ふたりでひとつずつ小袋を取った。口に放り込み、
「やっぱこれ、硬い!」
「それがおいしいの!」
 ぎゅうっ、ぎゅうっ、と噛む。
「何味?」
「ソーダ。華のは?」
「グレープ」
 しばらく黙って歩いていたけれど、
「華はさ、進路、どうする?」
 突然切り出してきた。
「なんで?」
「だって、進路決定の紙、そろそろ提出期限だろ」
「わたしの場合は、推薦は無理。先生から嫌われてるから。やりたいことも好きなこともないし、一般受験する、ってことぐらいしか決めてない」
「まあ、華は成績いいからな」
「伊織くんは、指定校推薦?」
 すると、急に黙り込んだ。
「伊織くんは成績もいいし、面接だって問題なしでしょ? サッカー頑張ってるから活動報告書も問題ないし。うちにある推薦枠、どこでも……」
 やっぱり返事がない。そういえば学校で、長峰さんに聞かれたときも誤魔化してたっけ。
「……なんかあった?」
「俺も、一般受験しようかな」
「あの、さ」
「なに?」
「大学受験は、わたしのこと、気をつかわないでいいからね」
 思い切って口にした。すると伊織くんはわかっていたみたいに小さく笑った。
「別に、高校受験だって華のこと気遣って同じ学校に来たわけじゃねえぞ」
「でも」
「華からこの高校のこと聞いて、楽しそうだな、って思っただけだよ」
 その優しさがうれしくて、ちょっと痛い。
 閉塞感、みたいなものから逃れたくて、ごん、とぶつかったら、伊織くんも、ごん、と返してきた。
「えー、今のちょっと強すぎ」
「先にやったの華だろ」
「お返しだ」
 もう一度ぶつかろうとしたらさらりとかわされた。
「え、ずるい」
「ずるかねーわ」
 わたしたちは、街灯が落とす影を捕まえるようにお互いを追いかけあった。

 家に帰ると、
「おかえり」
 リビングでパソコンをのぞきこんでいたお母さんが顔を上げた。かけていた赤いフレームのメガネを外した。
 
「進路調査の紙、もらったんだって? 学校からメールが来たわよ。……どうするの?」
 部屋に入ろうとして、足を止めた。
「どう、って」
「ピアスよ。大学受験が終わるまでの辛抱じゃない。ピアスの穴があるのは、万が一推薦取れたときに不利じゃない?」
 いつになく明るい声で話してくるのがウザい。
 ……とうとう担任から連絡が行ったんだろう。毎日のようにピアスを没収されていること。先生からは問題児だと思われてるんだから、いくら成績がよくたって、推薦してもらえるわけはない。それは高校受験のときにも感じたし、入学したときからずっと三者面談で言われていることなのに。
「わたし、一般受験するって言ったよね」
 すると、今初めて思い出したように、
「あ……そう、だったね」
 と、声のトーンを落とした。部屋に退散しようと背中を向けたときだ。
「伊織くんはどうするのかしら」
 一緒に居るところ、見られてた? ……そんなはずはないのに、体がこわばる。それを誤魔化したくて思わず声を上げる。
「知らないよ。なんでそんなこと聞くの?」
「だって、気になるじゃない」
 お母さんにも、伊織くんとこっそり会ってることは話してない。部活帰りに「とよちゃん」に顔を出してくれていることも、こうやって、夜、送ってもらっていることも。
 だって、思ってるはずだから。
 わたしは中二のときに道を踏み外してしまった。そのときに伊織くんに振られてしまった。もしくは、伊織くんから振られてしまったからピアスなんかあけたんだ、と。
 何度も違う、と言った。
 それなのに、お母さんは諦めてくれない。
「グループ違うからしかたないよ」
「でも同じクラスなんでしょ」
 黙っていると、体を乗り出してきた。
「伊織くんは一番目立つグループなのよね? みんなの人気者で、サッカー部でも活躍してて勉強もできるのよね?」
「……大丈夫。もうクラスに友達いるし、別室登校もしてない」
 一番の懸念がそこなのかと思って、一応言ってみた。けれどもお母さんは納得できないようだった。
「伊織くん、ずっと華のこと好きだったわよね? だから、最初は別の高校行こうとしてたのに、華と同じ高校に変えたのよね?」
「それ、勘ぐり過ぎだから」
「でも」
「シャワー浴びてくる」
 逃げるようにその場を離れた。
 外側からわたしたちの関係に名前を付けないで。
 強く思う。
 自分が「そうあってほしい形」に持ち込んでほしくない。
 今は、これがわたしたちの形なんだから。