空色ピアス

     1


「日向(ひゅうが)さん」
 いきなり声をかけられ、普通に警戒した。
 そこにいたのは、長い前髪で目をかくした感じの男子だった。
「だっ、誰⁉」
 あまり学校で話をしないせいか、とっさにはこれが自分の声だとは気づかなかった。
 わたしが本気で驚いていることなどどうでもよさそうに、その人はその大きな口に人差し指を当て、「しいいいっ!」と息だけで言った。
 ……あなたのせいなんですけど⁉
 昼休みの図書室。
 一人ぼっちでお昼ご飯を食べ終え、逃げるようにしてここまで来た。返却ボックスに借りていた本を戻し、ちらほらと席の埋まっているテーブル席の間を通って一番奥の哲学書セクションまでたどり着いた。
 別に本が好きなわけでも哲学書が好きなわけでもない。ここが一番人がいないからだ。
 やっと息ができたような気がして深呼吸をした。
 それなのに。
 足音が近づいてきた。「なんで?」と思うと同時に体がこわばった。逃げよう、と動きかけた途端、両脇に並んだ棚の間から、ひょっこり、という表現どおりに誰かが顔をのぞかせたのだった。
 知らない、わけではない。いや、知っているというか。
 それはほんの十数分前の出来事だった。

「ここいい?」
 学食の隅の方でお弁当を広げていたら、ラーメンのトレーを持ったその人が向かいの席の前に立った。全然知らない人だし、なんならほかにもたくさん席が空いているのにわざわざそこに座るから、はっきり言っていやだった。それにわたしは……色々難ありの人だし。
 でも、そんな気軽に声をかけられて、「いやです」というのも性格が悪そう。それで仕方なくうなずいたのだった。ものすごく居心地が悪くて、急いでご飯を食べていたらいきなり、
「あつっ!」
 とか言って。……ラーメン、湯気が立ってるのに、冷ましもしないで口に入れたみたいで……それを見たらつい……少しだけ笑ってしまった。
 あわてて食事を終え、逃げるようにしてここに来たのに。

 まさか……つけてきた、とか?
 そう考えると、かなり気持ち悪い。
 なのにその人は、前髪の隙間から見える目をキラキラさせてその大きな口で笑った。
「ぼくのこと知ってる? 一応同じクラスなんだけど」
「だ、だから、誰?」
「風間(かざま)。風間恒一(かざまこういち)。別室登校してる……」
 風間くんは声をひそめて笑った。
 別室登校。
 その言葉を聞いたとき、小さな痛みのようなものが胸をよぎった。そして……ちょっとした親近感、のようなものも。
「さっき話しかけようとしたんだけど、やっぱり声かけづらくって。それで、追いかけてきたんだ」
「……なんで?」
 やっぱりつけられてたんだ。
 眉をひそめ、風間くんを見つめ返した。これは、みんながわたしを見て「怖い」と陰口をたたくときの顔だ。風間くんが特に嫌いというわけじゃないし、声をかけてくる人全員が悪い人ではないとも思うけれど、できるだけ返事はしないようにしよう、と、心に決めた。
 なのに、だ。
 風間くんはその長めの前髪の下で、また、柔らかく笑った。
「あの、ぼくの勘違いだったら悪いんだけど……」
 あからさまに声をひそめた。
「あそこでバイトしてるの?」
「ひ!」
「バイト」という言葉に体が反応して声がもれた。
 慌てて両手で口をふさぐ。
 だって、うちの学校はバイトは禁止だから。「返事をしない」と決めていたこともすっかり頭から吹き飛んでしまった。
「な、何のこと?」
「芦塚駅のラーメン店『とよちゃん』」
「あっ……」
 自分でも表情がこわばる。
「ひ、人違いじゃないですか?」
「間違えるわけないだろ? あんな不愛想接客」
 自分でも気にしていることを言われて、かなりムッと来た。
「不愛想じゃありません!」
「あー、ひでえ。急によそよそしくなるとか」
 きゅ、急にじゃないし! ほぼほぼ「初めましてだし!」……とは思うけれど、そんなに簡単に言葉が出てくるわけでもない。
 間違えて水槽から飛び出してしまった金魚みたいに口をパクパクさせていると、風間くんは突然、人差し指と親指で前髪の部分だけを根元からすくうように持ち上げて見せた。優しげな目元にすうっと通った鼻筋。形のいい大きな口……。
「え、うそ!」
 また声を上げてしまい、また手で口をおおった。
「アクセサリーの行商人!」
「……なんだよ、それ!」
 あからさまに不満そうになったので、あわてて付け足した。
「日曜日の午後二時。ラーメンに煮卵と餃子の人!」
 風間くんはそれでやっと納得したのか、なにもなかったように明るく笑った。
「ビンゴ! 覚えててくれたんだ!」
 ……この人の場合、忘れろ、という方が難しい。

「とよちゃん」は、わたしのバイト先で、この人は週に一回のリピーター。
 風間くんはいつも前と横の髪をあげ、両耳にピアスを三つずつつけている。首にはネックレスをいくつも重ね、両腕にもたくさんの腕輪をつけている。両手の指にごつい指輪をはめ、ベルトも大きなバックルのついたものをつけていた。わたしはひそかに心の中でその人のことを「アクセサリーの行商人」と名付けていた。

「……なんで今さら声をかけてきたの?」
 責めるように言ったのに、風間くんは面白そうにわたしを上から下まで見て、
「だって、ほら」
 楽しそうにわたしの耳元を指さした。カチンときて、また眉をひそめる。
「それ、嫌味?」
 すると長い髪の隙間から見える目が見開かれた。
「え、まさか!」
 そして、口の形だけで、「だってぼくだって仲間なのに」と、伸びきってすっぽり耳をおおっている自分の髪を指さした。
「前から『似てるな』、って思ってたんだよ。なのに、声をかける前にとよちゃんで見かけなくなっちゃって。『声かけとけばよかったな』って後悔してたんだけど、今日、たまたま学食で見たからさ。チャンス、って思って」
「あ、ああ……」
 それ以上、言葉が出ない。けれども風間くんはそんなことは少しも気にならないように小声で続けた。
「いつ話しかけようかな、って気になっちゃって、ラーメン熱いまま食べちゃってさ。口の中やけどしちゃったよ」
 わたしもそのときのことを思い出して、ちょっと噴き出しそうになる。
 また、自分から隙を与えてしまったみたいだ。
 風間くんはさらに親しげに続けた。
「日向さん、最近とよちゃんで見ないけど、やめたの?」
「ま、前は土、日、両方入ってたんだけど……今は……土曜日だけ……」
「ああ、だからか。よかった」
 風間くんは屈託なく笑った。
 誰かの靴音が近づいてくる。それで、現実に引き戻された気がした。
 悪いことは何もしていないのに、見られたらヤバい、みたいな気になっていた。
「またね」
 わたしは逃げるようにその場を離れた。
「え? なんで?」
 風間くんの残念そうな声が聞こえたような気がしたけれど、廊下に飛び出した。

 教室に向かいながら、まだ心臓がどきどきしている。いきなり話しかけられたし、ちょっと知ってる人だったし、伊織くん以外の人とちゃんと話したの、久しぶりだったし。
 望月(もちづき)伊織(いおり)くん。
 わたしの幼なじみで……わたしのことを支えてくれる人。
 ちょっと落ち込んだ。学食で、ほかの女子と仲良くしてたから。
 ああ。
 考えるのが嫌で、風間くんのことを思いだしていた。気づいたら頭の中でさっきの会話を何度も繰り返していた。
 十回くらい繰り返し終わったとき、「あっ」と、声を上げてしまった。
 バイトのことは、誰にも言わないでね。……そう釘を刺すのを忘れた。
 うちの学校、バイト禁止されてるから。
 そこではたと気づく。
 今さら何を気にしてるんだろう。
 でも。
 あわててスカートのポケットに手を突っ込む。
 ハードタイプのグミを出して口に放り込んだ。
 ぎゅっ、ぎゅっ。
 噛んでいると、少しずつ落ち着いてきた。
 だって、こんなのって久しぶりだし。なんか……ちょっとだけ気分が明るくなった、ような。
 ……ま、いっか。




     2


 ポキン、と音を立ててシャーペンの芯が折れた。
 反対側の手で頬杖を突き、シャーペンの後ろを何度か押したときだった。
「日向さん!」
 教壇から厳しい声が響いた。
 現国を教えていた女の先生がわたしを見ていた。
 奥歯にはさんだグミをきつく噛みしめながら、体がびくっとしなかったかどうかが気になっていた。
 クラスの視線がわたしに集まった。何だろうと思って上目遣いに先生を見る。
「……ちょっと」
 今まで静かだった教室がざわっと音を立てる。のろのろと立ち上がったら、クラス中からの好奇の視線を向けられた。その中でひとつだけ、心配してくれるようなまなざし。
 伊織くんだ。
 目が合った。でも……先にそらしたのはわたしの方。
 教室の隙間から染み出るように、囁き声が聞こえてくる。
「またかよ」
「今度は何やったんだ?」
「いい加減、学べよ」
 そんなの少しも気にしてない振りで、いつものようにまっすぐ顔を上げて教壇へと向かう。
「こっちに来なさい」
 先生はわたしを促して廊下に出た。
 何を食べてるの?
 と言われるのかと思って、もっと強く噛んだ。口の中に甘い汁が溶けたとき、先生が声を潜めた。
「ピアス、外しなさい」
 ……こっちか。
 ため息をつく。顔を傾けたら、ストレートの長い髪がこぼれた。両手で耳たぶに触れながら、少し驚いていた。てっきりグミを食べているのを注意されるかと思っていたから。
 今日はバレないと思ったんだけどな。
 わたしには片耳に二つずつのピアスの穴が開いている。でも今日は一組しかつけてないし、光る石がついてるわけでもない。肌に近いピンク色の桜の形。
「この学校ではピアスは禁止だって知ってるでしょう⁉」
 わたしの通っている高校の校則はゆるい方。なのに、ピアスの穴をあけるのも、学校にピアスをつけてくるのもだめ。
気づいたのは、入学した後だった。まさかここに通うなんて思ってなかったから、調べもしなかった。
 両方外し終えると、先生が頬をふるわせた。
「没収します」
 仕方ないので掌に載せて差し出すと、先生がひったくった。
「何度注意されたらわかるの⁉」
 ぎゅっ、ぎゅっ。
 うつむいて、奥歯にあるグミをすりつぶすみたいに噛み締める。髪にかくれているから見つからないはずだ。
「どうしてたったこれだけのルールも守れないの? 何度も言ってるでしょう? 服装の乱れは生活の乱れを招くのよ!」
 服装の乱れ、って。
 こみ上げそうになる笑いをかみ殺す。
 確かにうちの制服はかわいい。女子は白いブラウスにチェック柄のプリーツスカートにおそろいのリボン。男子だって、チェック柄のズボンに白いシャツに縞のネクタイ。ほかの女子なんか、下着が見えそうなくらいスカートを短くしてる子もいるし、第一ボタンを外して、リボンをゆるく結んでる子だっている。
 先生にとってそれは「乱れ」てるわけじゃないらしい。
 わたしなんかスカートは既定の長さのまま、ひざ下五センチだし、白いシャツの第一ボタンまできっちりつけて、リボンに首が絞められそうなくらいに隙間なく結んでるのに。
「あなた、聞いてるの?」
 先生の声で我に返った。
 返事をした方がいいとは思うけれど、口を開いたらにおいでグミを食べていることがバレてしまう。
 仕方なく小さくうなずいた。すると、先生の声が怒りにふるえた。
「本当に反省してるの⁉」
「……はい」
 うつむいたまま小さく答えた。
「今度からは外してきなさい!」
 唇をかんだ。
 言いたいことがないわけじゃない。でも……何を言ったって、わかってもらえるはずはないのだから。
 先生は今度は一転、本気で心配しているような顔でわたしの目をのぞき込んできた。
「あなたのために言ってるのよ。こんなことくりかえしたってあなたにとっていいことなんか何もない。先生たちからの評価が悪くなるだけ」
 ……わたしのため?
 胸の中にざらりとした感情がともる。大きくなっていく不快な塊を飲み込み、声がふるえないように答えた。
「ありがとうございます」
「次は、ご両親に連絡するから」
 先生だってわかってるくせに。連絡しても何も変わらないし、わたしが絶対にやめるつもりもないこと。

 顔を隠すように教室に戻ったら、五限が終わるチャイムが鳴った。
 運がいいことに、次は移動教室だった。
 のろのろと机の上を片付け、理科の準備をして教室を出た。
「おっと」
 前から来た男子とぶつかりそうになった。わざとらしくよけてくるので、ちらりと見たら、
「おお、こわ。日向華に睨まれちゃったよ!」
 とか楽しそうに騒いだ。
 ――二年四組の日向華だよ。
 ――またピアスつけてきたの?
 ――いい加減、学べよ。バカなのか?
 そんな陰口を聞き流しながら、もう一度、その硬めのグミを噛みしめた。
 ぎゅっ。
 水の入ったコップに一滴だけ落とされた油のような存在。交わることもなく、かといってはじき出されることもなく浮かんでいるだけ。
 それがわたしの学校での立ち位置だ。
 さっきのピアスを思い出す。
 あれは百均で買った安物。別に没収されたからって心が痛むわけじゃない。最初からこうなることを見越してつけてるんだから。
 楽しそうにはしゃぐ人、違う教室に向かう人。友達と顔を突き合わせて笑う人。
 そういう人たちの間をすり抜けるようにして廊下を歩く。
 階段に足をかけたときだ。
「もう、伊織、待ってよお」
 嫌だと思ってても、その声だけを耳がすくいとってしまう。視界の端でとらえてしまう。
 同じクラスの長峰愛瑠(ながみねあいる)さん。長めの前髪を横に流し、肩までの茶色い髪を下の方だけカールしている。マスカラで固められたまつげはくるん、と上を向き、唇にはつやつやのリップ。自他ともに認める学校内ランキングの上位者だ。
「早いってば」
 片方の手をポケットのズボンに突っ込んで二段飛ばしで階段を上がる伊織くんに、飛び跳ねるみたいにまとわりついている。
 見たくないのに見てしまう。聞きたくないのに耳を傾けてしまう。
 伊織くんは背は高いし、顔だちもいい。成績もいいし……すごく優しい。男子からも女子からも人気があるから、長峰さんが伊織くんと同じグループなのは自然だし、実は付き合いたい、と思うのも当たり前なのに。
 二人は周りにキラキラしたオーラをまき散らしながら、
「伊織、待ってってば」
「早く行かねーと後ろの席がなくなる」
「そうだけどさあ」
 なんてやっている。 
 青春ドラマの主人公と相手役みたい。
 口の中に残るソーダ味が、なんだか苦い。


 

      3


 理科室では席が決まっていない。
 こういうとき、ほんとにいや。
 みんな普段の仲良しグループの人たちと一緒だったり近くの席だったりする。
 席、決めてくれればいいのに。
 そう思いつつのろのろと教室に足を踏み入れた。まだ授業が始まっていないからみんな楽しそうにしている。
 早く来すぎたことを後悔しながら、いつものように入り込めそうな席を探していると、
「日向さん」
 心臓が音を立てる。伊織くんだった。後ろの席を探していたみたいだったのに、どういうわけか入口に近い実験台についていた。いつものグループから離れて、六人掛けの席に長峰さんと二人だけで座っていた。
 目が合うと、伊織くんはいつものようにさわやかに笑った。
「ここまだ席、空いてるよ。……来れば?」
 そのとたん、長峰さんが責めるように伊織くんを見た。そして、わたしを。
 昔の記憶が胸にかすかにともる。
 怖い、と、思ってしまった。別に、悪いことをしているわけでもないのに。
「ありがとう。でも、大丈夫だから」
 あわてて答えると、長峰さんは安心したように表情を緩めた。でも、わたしの方は見ない。
 だよね。わかるよ。……好きな人がほかの女子と仲良くするのなんか見たくないもんね。
「ねえ、やっぱりあっちの席に座らない?」
 ガタン、と音をさせ、長峰さんが席を立った。
「いいじゃん、別に」
「いいから!」
 伊織くんの腕に自分の手をかけた。伊織くんはちょっと責めるようにわたしを見たけれど、わたしは小さく首を横に振った。
 ため息をつき、のろのろと立ち上がる。
「伊織ってほんとにみんなに優しいよね」
 周りに聞こえるように言い、伊織くんを強く引っ張りながら歩きだした。伊織くんはそれをやんわりとほどいたけれど、長峰さんは懲りずにまた、伊織くんの腕に自分の腕を絡めた。そして、伊織くんもさりげなくほどく。
 わたしはほっと小さく息をついた。
「ねえ伊織、今度買い物つきあってよ」
「ああー?」
「行こうよ」
「たりぃわ。部活あるし」
 ふたりはいつものグループがいる席へと向かった。
「なんでこっち来てんだよ」
「そうよ。せっかく気ぃつかってあげたのに」
 そんなふうにはやし立てられる。
 二人がそんな風に扱われているのはすごく嫌。そんなの、聞きたくない。
 でも……誰も座っていない実験台が一つ空いたことには助かった。実験をするときだけ、ほかの人に見せてもらえばいいんだから。
 ほっと息をついて教科書とノートを置いたときだった。
「華ちゃん」
 明るい声がした。演劇部の松島(まつしま)香澄(かすみ)ちゃんだった。
「ここ、座ってもいい?」
 わたしは小さくうなずいた。すると一緒にいたバレー部の高田(たかだ)小春(こはる)ちゃんが、
「あ、ラッキー。席取ってくれたの?」
 と、ショートカットの髪を揺らした。
「そ、そういうわけじゃ……」
「さすが華ちゃん」
 吹奏楽部の杉本(すぎもと)友美恵(ゆみえ)ちゃんは、銀縁丸メガネをぎゅっと鼻の上に押し上げた。
「ありがとう」
 とっさにお礼を言うと、
「やだ、なんでお礼言うの?」
 三人で顔を見合わせて笑った。
 彼女たちは本当にいい人だ。お昼を一緒に食べよう、と誘ってくれたのに断ってしまった。それだけじゃない。さっきだって、ピアスを没収されてしまったばかりなのに。
 いつも、なにもなかった顔で接してくれる。
 三人は席に着くと他愛ないおしゃべりをし始めた。わたしは凍りついたようにそこにいながら、笑うでもなく、かといって話に加わるわけでもなくじっとしている。
 こういうとき、いつも正解がわからない。
「仲間に入れてもらってるのに、ごめんね」、という気持ちもある。でも、本当は仲良くしたくないけれど、かわいそうだから一緒に居てくれるのかもしれないし、「日向華がおとなしいグループの子たちを脅して仲間に入れてもらってる」とか「あの子たち、かわいそうだよねえ」などと陰で言われている言葉を気にしているかもしれない。……そしてまた元に戻ってしまう。もしかしたら本当に、嫌々仲間に入れてくれてるのかもしれない、と。
 三人は楽しそうに話し続ける。
「今日の実験めんどくさくない?」
「そう? 普通に授業してるよりはましだけど」
「でも、ぼーっとできないじゃん」
 わたしは少しだけ口元に笑みを浮かべた。
 うれしいのと、居心地が悪いのと、半分ずつ。
 本当に、どうしていいのか……わからない。




     4


 メッセージの着信音がした。
 どきどきしながらスマホを見る。伊織くんからだ。
 ――イオンで飯食う?
 ――今どこ?
 ――市山駅。
 ――行く。
 すっぴんに黒縁メガネ、髪はお団子、だぼだぼパーカーとおそろいのだぼだぼパンツ。耳たぶに開いた上の穴にはピンクの石がついたピアスをつけていた。そして下の穴にはいつもつけている小さなシルバーのリング型のピアス。
 行きかけてふと思い立ち、机のひきだしを開けた。あるのは白い箱。思い切って取り出してみる。
 きれいな空色のピアスが一組ならんでいた。
 つけようか。
 指をかけたら、心臓が大きな音を立てた。動きが止まる。息が苦しい。
 本当はつけていきたい。でも。
 しばらくそのままでいたけれど……やっぱり勇気が出なくてそのまま机の中に戻した。
 お母さんがキッチンで晩ごはんの支度をしている。こっそり玄関に向かったはずなのに、
「華、出かけるの?」
 スリッパの音がした。話もしたくないし、「ごめん」とかも言いたくない。クロックスに足を突っ込んだ。
「今日のご飯、エビフライなのよ!」
 また、わたしの好きなおかずだ。
 わかってるのに、何も言わずに外に出た。
 ……行ってきます、も、言わなかったな。
 返事をした方がいい。ちょっとくらい顔を合わせた方がいいことも。でも……やっぱり無理。学校の話をされるのも嫌だし、バイトのこととか……今日は、ピアスを没収されたこととか。
 初夏の夕方は空気がもったりしているのに、なんとなく冷たい。普段はいい顔して笑ってるくせに、裏で悪口言ってる人みたいでなんか、やだ。
 近くに森も草もないのにどこからか草のにおいとか漂ってくる。
 別に、伊織くんから誘われたからって喜んでるわけじゃない。そういうわけじゃないけど、自転車を立ち漕ぎして暗くなり始めた空気を突っ切ってイオンへと向かった。
 イオンは電車の駅から歩いて数分のところにある。そのフードコートは夕食時なのにそれほど混んでいなかった。なのに制服姿の学生のグループなんかが何組かいて、知り合いがいないこをと願いながら、うつむきがちに早足で歩く。
 昔はわたしだってあの中の一員だった。でも今は……中に入る勇気もそこに居続けられる自信もない。
 伊織くんからは言われる。
「いいじゃん、見られたって。友達なんだから」
「でも悪いよ。伊織くんまでわたしと同類だと思われちゃう」
 すると伊織くんはあからさまに悲しそうな顔をする。
 ごめんね。でもやっぱり……怖いんだよ。
 そんなことは口に出してはいけないけれど。
 それでも伊織くんが待っていてくれる姿を想像するだけで胸が音を立てる。この音が周囲に響き渡るほどに。

 一番奥の、キッズスペースのそばの席に視線を向けると……伊織くんがスマホをいじっていた。部活帰りだから制服で、学校でシャワーを浴びて来たのか髪がまだ少し濡れている。
「待った?」
 声を潜めて向かい側に座った。
「いや、別に」
 スマホをしまう。
「注文した?」
「まだ。ついでに一緒に頼むよ。一花、いつものだろ?」
 そう言って立ち上がった。財布から千円を取り出して渡すと、黙って受け取ってポケットにしまう。
 伊織くんの背中を見送って、スマホをのぞき込む。
 見ているのは、たくさんの空色の石がついたピアスの写真。お気に入りのサイトだ。
 伊織くんがもどってきた。
 あわてて画面をスワイプする。現れたのはインスタの写真。ピンクと白のストライプのお店の写真があった。同じ歳くらいのおしゃれな女子が人差し指と親指で見せているのがハート型のグミ。「これずっと気になってたPOPPIN POPのグミ。やっと買えたんだけどハード系ガチで硬い」とあった。
 わたしはグミをよく食べる。ガチガチに硬いやつ。今は常にカバンの中とかポケットの中に入れている。市販のものは大概食べつくして飽きたから、この有名な専門店のグミを一度、食べてみたかった。
 伊織くんが戻ってきた。
「何見てんの?」
 スマホの画面を見せた。
「これ」
「またこれ?」
「だって、みんながおいしいって言ってるんだもん。この、超ハードなやつ、食べてみたい」
 本当の気持ちを隠して笑った。伊織くんにはちゃんと話してもいいと思う。それでも、やっぱり勇気が出ない。
 伊織くんはほかの人とは違う。伊織くんだけは。
 わかっているのに、別の不安も頭をもたげてくる。
 でももし、伊織くんもほかの人と一緒だったら。
 伊織くんが学校で一緒にいるのは、明るくて目立つ人たち。そして……多分、わたしのことを陰でわらっている人たち。
伊織くんは席についた。そして、
「華、風間と仲いいの?」
 スマホを見ながら言った。わたしも自分のスマホから目を離さない。返事をしないでいると、
「ほら。昼。学食で華の向かいに座った奴」
 気づいてたんだ。
 うれしいような、気恥ずかしいような……ちょっと複雑な気持ち。
「ああ……別室登校の」
 仕方ないから答えた。「実はあの後、図書館まで追いかけてきて……」とか「『とよちゃん』の常連の人」とか、続けようと思えば会話が続く。わかっているのに、口に出すことができなかった。
 なにを思ったのだろう。
「あのさ、これ」
 伊織くんは突然、ピンクの紙袋を差し出した。
「うん? ……えっ⁉」
 袋の横には、かわいい字で「POPPIN POP」と入っていた。
「え⁉ これ! これだよね⁉」
 スマホの画面と今、目の前にある紙袋を見比べる。
「ちょっと待って。これ、東京の専門店に行かないと買えないやつでしょ?」
 伊織くんはテーブルに頬杖を突き、顔を隠すように横を向いた。
「……服買いに行ったついでだよ」
「かわいい!」
 袋に入っていたのは白地にストライプとハートが描かれた箱。その中から現れたのは、ピンク、黄色、紫、黄緑……パステルカラーのハート形のグミ。一つずつが小袋に入って並んでいた。
「超、かわいい……!」
 その中の一つを手に取り、袋から出した。親指と人差し指でつまんで明かりに透かして見る。
「空色。きれい」
「水色」
 伊織くんはご丁寧にも言いなおしてきた。だからわたしも言い返す。
「空色。同じ色だし、水より空の方がかわいいし」
「変な奴」
 わたしは本気でそう思ってるのに、伊織くんは小さく肩をすくめた。
「SNSとまったく同じ!」
「当たり前だろ。同じ店で買ったんだから」
「うれしい! ありがと……」
「だって、ずっとそればっか見てるから」
 わたしは両肘をテーブルにつき、伊織君の顔を覗きこんだ。
「ねえねえ、誰と行ったの? 江川君?」
 伊織くんと仲のいい、サッカー部の友達の名前を挙げた。けれど、憮然とした顔で答えた。
「……一人だよ」
 そこで、ブザーが音を立て小刻みに震え出した。お客さんも少なくなったこの時間は、出来上がるのが早い。
「取ってくる」
「一緒に行こうか?」
「いや、いい」
 立ち上がり、ふと動きを止めた。わたしの耳元に目を向ける。
「やっぱりそれ、華によく似合う」
 ピアスを没収された直後だからかもしれないけど、今日は特にこの言葉がうれしかった。恥ずかしさをこらえつつ「ありがとう」と頷くと、伊織くんはかみしめるみたいに笑って料理を取りに行った。
 やっぱり、あの空色のピアス、つけてくればよかったかな。
 何度も何度もこんなことを繰り返している。いつも、「次は絶対につけよう」……そう思うのに、いざとなると勇気が出ない。

 伊織くんはわたしがバイトのある日には必ず『とよちゃん』でご飯を食べる。バイトがない日はこんな風に呼び出されて、一緒に食事したりする。でも別に、付き合ってるわけじゃない。
 伊織くんとは、小学校、中学校が同じだ。わたしの家が学校の近くの坂の途中にあり、伊織くんの家は坂の上。伊織くんが小学校の低学年の時に引っ越してきて、同じクラスになって……よく一緒に遊んだ。親同士も仲良くて、頻繁にお互いの家を行き来していた。今では、学校にいる時は話もしないし目も合わせない。伊織くんは派手なグループにいて、わたしはボッチ。伊織くんはいつもわたしを誘おうとしてくれる。でも避けてるのはわたしの方。
 わたしのせいで、伊織くんが変な風に見られてしまうのは申し訳ないと思うから。それに……長峰さんは明らかに伊織くんのことが好きで……邪魔してる、って思われたくない。伊織くんだって、あんなふうに「好き」って思われたら、悪い気はしないと思うし。
 ジュウジュウ、とはげしい音をさせる鉄板を乗せたトレーを持って伊織くんが戻ってきた。受け取ると、もう一つのトレーを取りに戻っていった。
 伊織くんはサーロインのサイコロステーキ、わたしはハンバーグステーキのセット。ここに来るときは、いつもこれを頼む。
「いただきます」
 手を合わせ、つけ合わせのサラダをがつがつとほおばる。
「伊織くん」
 思い切って言ってみた。
「ん?」
 その、無防備な顔を見たら……言葉がつかえて出てこなかった。
「ごめん、なんでもない」
 動きが止まった。けれどもすぐにまた手を動かす。聞こえなかったみたいに大きく切ったステーキを頬張り、「はふ、はふ」とやっている。
 わたしの視線に気づくと、伊織くんは少し恥ずかしそうに笑った。だからわたしも笑ってみた。
「ひと切れちょうだい」
 伊織くんのお皿からいつものようにステーキのひとかけを奪った。
 自分のハンバーグにナイフを入れたら、肉汁があふれて鉄板に広がった。大きめに切って鉄板ごと伊織くんの方に押し出す。
「わたしのもどうぞ」
「一切れ大きすぎ」
「わざとそうやって切ったの」
「じゃあ、ありがたく」
 切り分けた一切れにフォークを突き刺し、そのまま口に運んだ。
「やっぱハンバーグもうまいわ」
 がつがつと白いご飯をかきこむ。
「だよね」
 ふたりでそっと声を上げて笑う。わたしも伊織くんからもらったステーキを口に入れた。柔らかかった。柔らかくて、優しい。
 伊織くんみたいだ。
 ゆっくり噛みながら、いつものように思ってしまう。
 いつもごめんね、って。
 本当は言ってあげられたらいいんだと思う。
 もう、わたしのことは構わなくてもいいよ。長峰さんと……伊織くんの好きな人と付き合ってもいいんだよ、って。
でも、弱いわたしはそれを言えずにいる。