沈丁花

 俺はそれからも体を動かす日々を送った。体調が悪い日ももちろんあったが、それでもめげずに俺はまた走れる日を夢見ている。今日も体を動かそうと外に出た。夏の暑さは加減を知らず、外を歩くだけで汗が出ていた。熱中症になりかねないので、今日は早めに切り上げて帰ろうと考えながら、いつもの場所に向かっていると、誰かがそこにいることに気が付いた。
 「な、んで」
 あいつがそこにいることに気づいたとき、あいつも俺がここにいることに気がついていた。俺はすぐに背を向けて、入り口まで走った。でも、すぐにあいつに追いつかれる。腕を捕まれて俺は足が止まる。
 「捕まえた」
 激しい息切れと共に痛いほど心臓が鳴る。それとは裏腹にこいつは一切息切れをしていない。それを見て俺は一層こいつが嫌いになった。走れる身体と才能。こいつの全てに嫉妬した。息を少しずつ整えて俺は言った。
 「何だよ、東」
 「君と話したくて」
 「何だ?笑いにでも来たのか?こんな無様な俺を見て楽しいか?!」
 見られたくなかった。会いたくなかった。こいつとの差を身に染みて感じてしまうから。もっと走れるはずの足も体力も無くなっていることに改めて実感させられる。
 「違うよ。君が言いたくないなら何も聞かない。ただ少し話したいことがあるんだ」
 こいつの真剣な顔に俺はおののきながらも、「わかった」と頷いた。それからは一言も話さず、病院の屋上まで向かった。すでに日が暮れてきていて茜色の空が俺たちを迎えた。俺はこの空に眩しさを感じながら、屋上の端のベンチに腰を下ろした。東は俺の隣を少し開けて座った。俺たちの間に沈黙が流れる。この空気から早く立ち去りたいのを我慢しながら、俺は口を開いた。
 「話って何だ?」
 単刀直入に言うねと東が言う。何を言われるかなんて予想は付いている。しかし、東の口から全く予想もしてなかったことを耳にした。
 「君に何があったのか知らないけど、あの言い方はないと思うよ」
 「は?なんの……」
 「佐江さん」
 「え?なんでお前がその人を……」
 「あぁ、やっぱ聞いてなかったみたいだね。佐江さんは俺の祖母なんだよ」
 佐江さんが東の祖母?それなら、東は由宇の従兄弟ということになる。そして東がこの病院にいるのも納得できる。
 「お前のばぁちゃんに当たったことを謝れとでも言いに来たのか?」
 佐江さんに当たった自覚はあるがこいつに口出しはされたくはない。俺は佐江さんのように受け入れることは出来ない、絶対に。それだけは間違いではないのだから。謝れと言われても絶対に無理だ。
 「なんか言えよ」
 そう言いながら東に視線を向けると、そこには悲しそうな、怒ってそうな、なんとも言えない東の顔があった。
 「謝れとは思ってない。ただ、祖母は君にそういう意味で言ったんじゃないってことを知ってほしい。そしてもう一度祖母と話してほしい」
 嫌だと言っても真面目で誠実で、祖母を大切に思うこいつはまた俺の前に現れるんだろう。つけ回されるよりマシだと判断した俺は、事が済んだら東が俺の前に現れないことを条件にまた別の日に佐江さんと話すことになった。東は少し納得してないようだったが。
 「あ!いた!颯!」
 いきなり俺を呼ぶ声が聞こえて振り向くとそこには由宇の姿があった。
 「由宇か」
 「は?!なんだよ」
 「いや」
 「なんか元気ない?大丈夫か?」
 「何?心配してくれてんの?」
 「え?!いや、ちがっ、あ、そうじゃなくて、違わないんだけど!!」
 由宇の相変わらずなツンデレぶりに俺は少し落ち着いた。それと同時にいつまで変わらないでくれるだろうかという不安も残して。
 「由宇」
 名前を呼ばれて由宇は驚いたように目を開く。
 「なんで、仁がここに?」
 「祖母に会いに来たんだ」
 「へぇ」
 それから沈黙が流れる。二人の間に何があったか知らないが、俺は気まずい雰囲気は苦手だ。でも、気になることがあって口を開く。
 「由宇はなんで東と従兄弟だって言わなかったんだ?」
 「聞かれなかったし。言うほど仲良い訳でもないから」
 そう言った由宇は仲が良くないというよりあまり東を好いていないように見えた。俺はそのまま東の方を向くとそれに気づいたこいつはニコッと笑みを浮かべた。それに少し違和感を覚えながら俺は由宇と共に自分の病室に向かった。病室に戻った後、由宇はいつも通りで、授業のノートと差し入れをくれ、時間になると帰っていった。