春夏秋冬花祭 —夏の花は、不知火に結われて—

 結俐(ゆり)は湯気を立てる器をトレーの上に乗せ、紅羽(くれは)の部屋の前に来た。

 彼女は再びノックする。

……しかし、紅羽の返事はなかった。

 結俐の頬が、わずかにこわばった。

 お粥を零さぬように、丁寧に扉を開ける。

 視線の先に、天蓋付きのベッドがある。

「……」

 荒い息が、部屋に響いていた。

 掛け布団の下で、紅羽がもぞもぞと身をよじる。

「……いやだ……おいて、行かないで……」

 うなされている。

 結俐はぎゅっと眉をひそめた。

「紅羽……っ」

 結俐は扉の隙間から身を滑り込ませ、扉は自然に閉まるのに任せた。

 早足でベッドに近づき、サイドテーブルにトレーを置く。

「紅羽、紅羽」

 肩をそっと揺すると、紅羽の瞼がゆっくりと開いた。

 焦点を結ばぬまま、まるで幼子のように、紅羽は手を伸ばす。

「……ゆ、り……」

「だいじょうぶだよ。私はここにいる」

 結俐は紅羽の頭を抱きよせた。

 すると、紅羽が結俐の制服の袖を、掴んだ。

 結俐は顔を歪め、目を伏せる。

 紅羽の荒い息が、首元を撫でた。

 彼女の身体が、酷く冷たい。

 小さく震えているのも、感じる。

「わたし……こわく、て……」

「わかってる。わかってるよ」

 結俐はベッドに腰かけ、涙がにじむ紅羽の頭を優しく撫でてやる。

 紅羽はもう片方の手で結俐の服の胸元を掴んだ。

「悪い夢を……見たの」

「うん」

「みんな……愛想をつかして、いなくなって。苦しいのに、一人きり……」

 紅羽の身体が、震えた。

 結俐の手が、一瞬だけ止まったが、それから何事もなかったように、また動き始める。

 彼女の唇の端は、歪んでいた。

「居なくなっちゃって、ごめん。紅羽が好きなさつまいものお粥を持ってきたよ」

 それから、少し迷うように視線をさまよわせ、

「……食欲、ない?」

 ぽつり、ぽつりと言葉を選ぶ。

 声が震えないように。

 その言葉を聞き、紅羽の手に力がこもる。

「ううん。……結俐の作ったもの、粗末にしちゃうなんて、嫌だよ」

 そう紅羽が言った途端、結俐は目を伏せた。

 深く息を吐く。

「そう」

 それだけ言って、紅羽をぎゅっと抱きしめた。

 抱かれたまま、紅羽は結俐を見上げる。

 紅羽の不安そうに揺れる瞳が、結俐を捉えた。

 そこに映る結俐は、笑っていた。

 その笑みは、どこか不思議な笑みだった。

「体、起こすけど、平気?」

「……うん」

 結俐に支えられ、紅羽は身体を起こす。

 ヘッドボードに背中を預けると、紅羽は結俐を見つめた。

 視線は揺れ、惑い、やがて、目を伏せた。

 されど、気持ちはおさまらないようだ。

「……」

 何かを口ごもり、言おうとしては止める。

 やがて、紅羽は小さくため息をついた。

「……何かあった?」

 結俐が尋ねる。

「……結俐」

 紅羽は薄く、目を開ける。

 組みあわせた手の指を、何度もこすりあわせた。

「怒って……る?」

「……え?」

「さっき、結俐……笑って、なかった……」

 結俐の目が、見開かれた。

 しかし、それはすぐに、伏せられた。

 結俐の手が、小刻みに震えだす。

 結俐はその手を、もう片方の手で強く握った。


——気を乱すな。紅羽を、不安にさせては駄目だ。


 自分にそう言い聞かせて、再び紅羽を優しく抱きしめた。

 自分の温かさが伝わるように、と思って。

 どうか、安心してくれるように、と祈って。

「ごめんね、紅羽。いつでも、どんな時でも、私は紅羽を怒らない。ちょっと考え事してただけだよ」

 再び、紅羽の背中を撫で始める。

 しばらくすると、紅羽の両手が、結俐の背中に回った。

 結俐の腕の中で、紅羽は微かに笑う。

「よかった」

「……お粥、食べる?」

「……食べる」

 結俐はそっと手を離し、お粥の器を手に取った。

 それはまだ温かく、湯気が揺らめいている。

 それをスプーンですくい、息を吹きかけて冷ます。

 そして、紅羽の口元に運ぶ。それを、繰り返す。

 そのうち、紅羽の頬に、笑みが浮かんだ。

 結俐はそれを見ながら、目を少し伏せた。


——紅羽。あなたは……