春夏秋冬花祭 —夏の花は、不知火に結われて—



 初めて会ったのは、夜だった。

 雨が降る日に、結俐はこの家に連れてこられた。

 どうしてだったかは、もうはっきりとは覚えていない。

 たしか、結俐の母が出かけている時に、結俐の父に急用が入ったのだったか。

「すまんな、雄輝(ゆうき)。結俐を頼めるか」

「気にするな、部屋はいくらでもある。結俐さんは私に任せてくれ」

 結俐の父は、結俐が見知らぬ男性……雄輝に手を合わせ、結俐の頭を撫でた。

 その手をそっと掴んで、結俐は尋ねる。

「おとうさん、いつ帰ってくる?」

「明日には迎えに来るさ。こいつは俺の友達だから、心配はいらない」

 そう言って結俐の父は、雄輝を指さした。

 雄輝は線が細く、こちらに向けてくれる笑みも優しい。

「こいつには、結俐と同い年の娘さんがいるんだ。あ、そうだ。その子と友達になったらどうだ?」

「ああ、いい考えだな。うちの娘は、身体が弱いせいで、あまり外に出られないんだ。友達になってもらえると、私も嬉しいな」

 その時は、たいして深く考えていなかった。

 安心できること、新しい友達ができるかもしれないこと。

 それを聞いて安心した結俐は、新しい友達という言葉に、胸をときめかせた。

「うん! いってらっしゃい、おとうさん」

 結俐の父は笑って手を振ると、その場を後にした。

 雄輝は後ろを振り向く。

「絵美」

 そう呼ぶ声につられて、結俐もそちらを見る。

 すると、どこからか若い女の人が現れた。

「絵美、この子を紅羽のもとに連れて行ってくれ。俺の友人の子だ、だいじに扱えよ」

「承知いたしました、旦那様」

 深々と頭を下げる絵美に、雄輝はこくりと頷いた。

 そして、不思議そうに自分を見上げている結俐に、笑いかけた。

 少しためらうような仕草を見せてから、結俐の父と同じように、その頭を撫でた。

「夕飯ができるまで、娘と……紅羽と、お喋りをすると良い。あの子はあまり口が達者ではない。君のほうから話を振ってもらえると、あの子も喜ぶ」

「……! わかりました!」

 結俐はぱっと顔を輝かせた。

 誰かの役に立てる。

 それが、ただ純粋に嬉しかった。

 見知らぬ大人に頼みごとをされるのも、初めてだった。

 だから、結俐は浮かれながら、絵美に連れられて紅羽の部屋に向かった。

 絵美が部屋の扉をノックして、扉を開ける。

 その瞬間だった。


「……絵美」


 その高い声は、少し掠れていた。

 でも、それで彼女の声の美しさが、消えるわけではない。

 むしろ、脆くて弱い、儚さを纏って。結俐は、立ち尽くした。

——こんなに美しい声が、この世にあったのか。

 絵美は、迷わずに部屋の中へ進んでいく。

 その部屋は黒を基調としており、結俐には、大人びたものに見えた。

「紅羽お嬢様、お体の調子はいかがですか?」

「うん……だいじょうぶ。……おきゃくさま?」

「ええ。旦那様のご友人の娘さん、結俐さんです」

 結俐の視線を奪って離さないのは、天蓋ベッド。

 白いヴェールが、よく目につく。

 見たことのないものばかりだった。

 それに、結俐は圧倒されていた。

 同時に思う。

 この部屋の主は、お姫様なのか、と。

「結俐さん。お嬢様は、こちらですよ」

 その声で、結俐は我に返った。

 絵美は優しく笑い、手招きをした。

 それに引っ張られるように、一歩ずつ、結俐はベッドに近づいていく。

 もぞもぞ、と布団の中で何かが動いた。

 結俐は思わず足を止める。

 絵美は天蓋のカーテンを引き開けた。

 真っ白な髪と、撫子(なでしこ)色の瞳が、すぐに目に入った。

 その少女は、結俐を見つめて微笑んだ。

 人形のように白く、美しいかんばせを、結俐に向けて。

「こんにちは。……白川紅羽(しらかわくれは)、です。紅羽とよんで。……結俐で、よかった?」

 その声は、結俐の胸を、温めていく。

 その声は、結俐の耳に、焼き付いていく。

 白川、紅羽。

「うん、大丈夫」

 気づけば、結俐は笑っていた。

「私、黒葉結俐(くろば)! よろしくね、紅羽」