深夜、蔵で必死に楽譜を読み解きながらクラリネットを練習していると、足音が聞こえてきた。従者を連れているらしいし、どこか厳かな雰囲気を感じる……これは、お母さまの足音だろう。
「……貴女、最近「ツェー」だとか「アー」だとか変な言葉ばかり言っていると思ったら、こんなところで衣服を乱して、騒音を起こして……何をしているのかしら?」
「お母さま、丁度良いところに! わたくし、hihiCが出るようになったので聞いてくださ――」
その時、頬に衝撃が走った。クラリネットを吹いているのとは比べ物にならないつんざくような音だ。
「もう十八にもなって、花嫁修業も碌にせずに何をしているのかと思えばこの様ですか! 北風家の三女として恥ずかしいとは思わないの、来代!」
甲高い、ヒステリックとも言えるような声。このままではクラリネットまで奪われるかもしれない。そう思ってクラリネットを自身の体で覆うと、お母さまは更に激昂した。……と思えば、急に深呼吸をして静まる。
何かと思えば、蔵から何人ものお母さまの従者が入ってきた。
「来代。そのようなうるさいものを捨てるか、自分自身がそれと同じく捨てられるか、選びなさい」
「お母さま――ッ」
目を見開いて驚愕すると、またも頬に衝撃が走る。目に涙が浮かんで、どうしてか悔しい気持ちになる。けれど……
「クラリネットを捨てる気にはなれません。わたくし、捨てられます」
決意の籠った瞳で言うと、即座に従者に羽交い絞めにされた。それでも来代はクラリネットを離さない。
「征市郎さんには申し訳ないですけれど、致し方ありません。これ以上名誉を傷つけるならば容赦はしないとあれだけ言ったのに……」
お母さまの遠ざかっていく。門の外にクラリネット一本と一式の着物のみで締め出され、自分の口から出ていく白い息を見つめながら、暗がりのクラリネットを見つめた。
それから、丘の下に広がる港の夜景、そして異人館を見つめる。
「羨ましいなぁ……」
ポツリと地面に虚しく落ちた言葉を拾うものは誰もいない。こんなところでうずくまっていても珍しがられるだけだと、荷物を持って来代は立ち上がった。何かとぶつかったのはその時だった。
「おや、若いお嬢さんがここらでどうした?」
適度に低く、甘い声。そして何故か漂う香ばしい匂い……。
「誰!? どこにいるの?」
来代が驚きのあまり叫ぶと、「そうか、君たちの世界では幽世の住民は見られないものなんだったね」と言う声と共に、半人半狐というあまりにも現世とはかけ離れた御伽噺のような姿が目の前に現れた。
その姿を照らすものも、ランタンでは無く丸い火の玉だ。
「か、怪異!?」
「人は私たちを『怪異』と呼ぶね。それは半分正解で半分間違いなのだけれど……」
それが、とある御狐さま「紅迂」との出会いだった。
「……貴女、最近「ツェー」だとか「アー」だとか変な言葉ばかり言っていると思ったら、こんなところで衣服を乱して、騒音を起こして……何をしているのかしら?」
「お母さま、丁度良いところに! わたくし、hihiCが出るようになったので聞いてくださ――」
その時、頬に衝撃が走った。クラリネットを吹いているのとは比べ物にならないつんざくような音だ。
「もう十八にもなって、花嫁修業も碌にせずに何をしているのかと思えばこの様ですか! 北風家の三女として恥ずかしいとは思わないの、来代!」
甲高い、ヒステリックとも言えるような声。このままではクラリネットまで奪われるかもしれない。そう思ってクラリネットを自身の体で覆うと、お母さまは更に激昂した。……と思えば、急に深呼吸をして静まる。
何かと思えば、蔵から何人ものお母さまの従者が入ってきた。
「来代。そのようなうるさいものを捨てるか、自分自身がそれと同じく捨てられるか、選びなさい」
「お母さま――ッ」
目を見開いて驚愕すると、またも頬に衝撃が走る。目に涙が浮かんで、どうしてか悔しい気持ちになる。けれど……
「クラリネットを捨てる気にはなれません。わたくし、捨てられます」
決意の籠った瞳で言うと、即座に従者に羽交い絞めにされた。それでも来代はクラリネットを離さない。
「征市郎さんには申し訳ないですけれど、致し方ありません。これ以上名誉を傷つけるならば容赦はしないとあれだけ言ったのに……」
お母さまの遠ざかっていく。門の外にクラリネット一本と一式の着物のみで締め出され、自分の口から出ていく白い息を見つめながら、暗がりのクラリネットを見つめた。
それから、丘の下に広がる港の夜景、そして異人館を見つめる。
「羨ましいなぁ……」
ポツリと地面に虚しく落ちた言葉を拾うものは誰もいない。こんなところでうずくまっていても珍しがられるだけだと、荷物を持って来代は立ち上がった。何かとぶつかったのはその時だった。
「おや、若いお嬢さんがここらでどうした?」
適度に低く、甘い声。そして何故か漂う香ばしい匂い……。
「誰!? どこにいるの?」
来代が驚きのあまり叫ぶと、「そうか、君たちの世界では幽世の住民は見られないものなんだったね」と言う声と共に、半人半狐というあまりにも現世とはかけ離れた御伽噺のような姿が目の前に現れた。
その姿を照らすものも、ランタンでは無く丸い火の玉だ。
「か、怪異!?」
「人は私たちを『怪異』と呼ぶね。それは半分正解で半分間違いなのだけれど……」
それが、とある御狐さま「紅迂」との出会いだった。
