答えのない問題

三月に入って最初の月曜日、昼休みの教室は妙に騒がしかった。窓際に三人が集まっていて、その真ん中に翔がいる。春が近づくと、二人の男子が大きな声で言っているところだった。
「えっ、だから継ぐってこと? あの駅の近くの」
「まあ、そう」
「マジで? もったいなくない?」
翔は笑っていた。声のわりに、返事が半拍ずつ遅れている。
「模試の判定めちゃくちゃ良かったじゃん」
「だから、それはそれっていうか」
「いや、俺だったら行くけどな。行けるなら行くでしょ」
チャイムが鳴って人が散った。翔は席に戻らず、窓の下のへりに腰を預けたまま外を見ている。春はその横に立った。
「親はなんて」
「好きにしろって」
「反対されてないんだ」
「されてない、一回もな」
そう答えた翔の口の端が、少しだけ上がった。羨ましがられるような話ではないと言いたげに。
だったら何も問題はないはずだった。やりたいことがあって、親も止めない。春の位置から見れば、それは自分が欲しくて手に入らないものの全部だ。
「じゃあ、翔がやりたいなら、それでいいじゃん」
言ったあと「そうだね」と返ってくるものだと思っていた。
翔がこちらを向いた。
「そう言われると、逆にわかんなくなる。いいじゃんって言われるとさ、じゃあ俺、ほんとにそれでいいと思ってんのかなって」
「思ってないの?」
「思ってる。たぶん」
翔は窓の外へ視線を戻した。
「でも、たぶんなんだよな。反対されたらまだいいんだよ。なんで駄目なのって、こっちも説明しなきゃいけないだろ。説明してるうちに俺けっこう本気だなって自分でわかると思う。今は誰も何も言わないから。もったいないとは言われるけど、やめろとは言われないし。何も言われないと、自分が本気なのかどうかも分からない」
翔が一度言葉を切る。
「ただ、受験したくないだけなのか。わかんないままなんだよ」
風が入ってきて、誰かの席からプリントが一枚落ちた。
翔の言っていることは、たぶん、贅沢な悩みなのだろう。春には口を出してくる親がいて、進みたい道がなくて、翔にはその逆が揃っている。それでも羨ましいとは言えなかった。
「でも、結局さ。自分で決めるしかないんじゃない?」
翔はすぐには答えなかった。
「うーん、そうなのかな」
翔は体を起こして自分の席へ戻っていく。春はプリントを拾い上げたが、名前も含めてどの欄も空白だったので、そのまま教卓の上に置いた。
放課後、職員室に呼ばれた。担任の机には十一月に集めた進路希望調査票があり、その一枚の紙は未定に丸がひとつついただけの、自分の紙だった。
「相沢、これ。あれから何か考えたか」
「まだです」
担任は椅子を回してこちらを向いた。職員室はストーブが焚かれていて、乾いた空気に灯油の匂いが混じっている。
「四月で十八だろ」
「そうです。二日の日です」
「早いな」
「学年でいちばんだと思いますね」
そう言ったとき、自分の声が少し得意げだったことに、春は自分で気づいた。
「相沢さ、四月二日に何か降ってくると思ってるだろ」
「……思ってないです」
「思ってるよ、俺も思ってた」
そこで担任の声の速度が落ちた。生徒に言い聞かせるというより、自分で確かめ直すような速さだった。
「十八になってから考えるんじゃない。考えた上で十八になるんだぞ」
言葉が、思ったより深く入ってきた。だから反射で返してしまった。
「じゃあ、いつまでに決めればいいんですか」
「それを自分で考えるのも、進路だ」
「それ、答えになってなくないですか」
「なってないな」
担任はあっさり認めて、それ以上は何も言わない。行っていいということらしかったので、春は頭を下げて職員室を出た。
外は雨が降っていて廊下は寒かった。窓ガラスが白く曇っていて、指で触れるとそこだけ冷たい水になって残る。
夜、ベッドに寝転んでスマホに文字を打ち込んだ。
『十七歳 将来 決まらない』
出てきた記事を上から順に開いていくと、「夢を持とう」「自分らしく生きよう」「挑戦することが大切だ」と書いてある。
三つ目まで読んだところで、春はスクロールをやめた。どの記事にも、同じ言葉が並んでいる。書いた人が違うはずなのに、後半になるほど似てくるのが不思議だった。
今度は、少し言葉を変えて打ち込んでみる。
『十八歳 進路 不安』
出てくる言葉は変わらず、夢と自分らしさと挑戦ばかりだった。
美月が言っていたお金の話は、どこにも書いていない。
春はスマホを伏せて枕に顔を押しつけ、布の中で声が潰れる。
「そんな簡単じゃないよ」