三学期が始まったが美月は三日続けて昼休みに美術室へ来なかった。四日目にようやく見つけたときは、図書室のいちばん奥の席で参考書を開いていた。
「ここにいたの。探したんだけど」
参考書は数学だった。美月が自分から数学を開いているところなど、春は見たことがない。ページには線が一本も引かれておらず、開いてはいるが進んではいなかった。
「正月、どうだった」
「親戚が来た。叔母さんに、将来なにになるのって聞かれて。イラストレーターって言おうとしたら、お母さんが先に『まだ考え中なんですって』って言った」
春は隣の椅子を引いて座った。
「否定されたわけじゃないんでしょ」
「されてない」
「じゃあ」
「応援したいって言ってるよ。やりたいならって。ただ、うまくいかなかったときのことも考えてほしいって」
「それ、いい親じゃん」
「いい親だよ。わかってる。でも、うまくいかなかったときのこと考えてって、それ、どうせうまくいかないと思ってるってことじゃん」
「いや、そういうのとは違うんじゃ」
「同じだよ。お母さん、私の描いたやつあまり見てくれない。上手だねとは言ってくれるけど……」
そう言いながら参考書の紙の端を指で押さえた。
春は考えた。考えたけれど、思いついたのは短い一言だった。
「だったら勝手にやればいいじゃん」
美月の目がこちらに上がって、それから少しだけ細くなる。何か言いかけて、やめたのが分かった。黙られると春のほうが落ち着かなくなって、埋めるつもりで続きを足してしまう。
「応援するって言われてるんでしょ。反対されてるわけじゃないんだし。親がどう思ってるかなんて、別に関係ないじゃん」
「春って、何でも簡単に言うよね」
声が大きかった。周りの人がこちらを見て、それから視線を戻す。美月は椅子ごと体を春に向けた。
「私がイラストレーターになって、生活できなくなったら?」
「それは」
「三十になって、バイトしながら描いてて、家賃も払えなくなったら? 親に頼る? 頼るしかないよね。そのときも言える? 応援してくれたからいいじゃん、って」
紙の端が、押さえた指で折れていた。美月はそれに気づいていない。
「私、お母さんに一回だけ聞かれたことあるんだ。もし駄目だったらどうするのって。何にも答えられなかった。何も。それって私が、そこまで考えてないってことじゃん」
「でも、まだ二年だし」
「春は自由って、好きなほうに行くことだと思ってるでしょ。それは違くて、選んだあとにどうするかまで考えることなんじゃないの」
美月は参考書を閉じて鞄に押し込んだ。折り目がつくのも構わずに。
そのまま鞄を肩にかけて席を立ち、出口の引き戸を開けて出ていった。
春はしばらく、その席から立てずにいた。
やりたいならやればいい。自分の人生でしょ。勝手にやればいい。
どれも間違ってはいない。教室でも、ネットでも、たぶんどこでも、誰かがそう言っている。正しいことを言ったつもりだった。
「ここにいたの。探したんだけど」
参考書は数学だった。美月が自分から数学を開いているところなど、春は見たことがない。ページには線が一本も引かれておらず、開いてはいるが進んではいなかった。
「正月、どうだった」
「親戚が来た。叔母さんに、将来なにになるのって聞かれて。イラストレーターって言おうとしたら、お母さんが先に『まだ考え中なんですって』って言った」
春は隣の椅子を引いて座った。
「否定されたわけじゃないんでしょ」
「されてない」
「じゃあ」
「応援したいって言ってるよ。やりたいならって。ただ、うまくいかなかったときのことも考えてほしいって」
「それ、いい親じゃん」
「いい親だよ。わかってる。でも、うまくいかなかったときのこと考えてって、それ、どうせうまくいかないと思ってるってことじゃん」
「いや、そういうのとは違うんじゃ」
「同じだよ。お母さん、私の描いたやつあまり見てくれない。上手だねとは言ってくれるけど……」
そう言いながら参考書の紙の端を指で押さえた。
春は考えた。考えたけれど、思いついたのは短い一言だった。
「だったら勝手にやればいいじゃん」
美月の目がこちらに上がって、それから少しだけ細くなる。何か言いかけて、やめたのが分かった。黙られると春のほうが落ち着かなくなって、埋めるつもりで続きを足してしまう。
「応援するって言われてるんでしょ。反対されてるわけじゃないんだし。親がどう思ってるかなんて、別に関係ないじゃん」
「春って、何でも簡単に言うよね」
声が大きかった。周りの人がこちらを見て、それから視線を戻す。美月は椅子ごと体を春に向けた。
「私がイラストレーターになって、生活できなくなったら?」
「それは」
「三十になって、バイトしながら描いてて、家賃も払えなくなったら? 親に頼る? 頼るしかないよね。そのときも言える? 応援してくれたからいいじゃん、って」
紙の端が、押さえた指で折れていた。美月はそれに気づいていない。
「私、お母さんに一回だけ聞かれたことあるんだ。もし駄目だったらどうするのって。何にも答えられなかった。何も。それって私が、そこまで考えてないってことじゃん」
「でも、まだ二年だし」
「春は自由って、好きなほうに行くことだと思ってるでしょ。それは違くて、選んだあとにどうするかまで考えることなんじゃないの」
美月は参考書を閉じて鞄に押し込んだ。折り目がつくのも構わずに。
そのまま鞄を肩にかけて席を立ち、出口の引き戸を開けて出ていった。
春はしばらく、その席から立てずにいた。
やりたいならやればいい。自分の人生でしょ。勝手にやればいい。
どれも間違ってはいない。教室でも、ネットでも、たぶんどこでも、誰かがそう言っている。正しいことを言ったつもりだった。


