ありふれた毎日に光の花束を

ピピピピッ……。朝5時。枕元で鳴り響くアラームで私は目が覚める。

 桜が咲き誇る4月。今日から新学期が始まり、私は無事高校二年生になった。

 カーテンの隙間から滑り込んできた薄青い光が、空気中の小さな埃をきらきらと輝かせている。物音ひとつしない空間で、光に照らされた塵だけが、ダンスを踊るようにせわしなく浮遊している。

 それはまるで、命をもって必死に生きているようで、息を潜めてそれを見つめる私よりも、ずっと自由そうに見えた。それを掻き消してしまうように、私は勢いよくカーテンを開けた。

 制服に着替えて部屋を出る。冷たいフローリングの感覚を足の裏に感じながら、きしむ階段を一段ずつ下りていった。

 洗面所で冷たい水を使って顔を洗い、眠気を無理やり追い出す。鏡に映る自分の顔は、相変わらず冴えない。髪を後ろで一つに結び、まだ誰もいない薄暗い台所に立った。

 昨日のうちに作っておいたおかずを冷蔵庫から取り出してお弁当に詰めていく。卵焼きだけ朝に作るのが私なりのこだわり。両親の分のお弁当も無事に詰め終え、残り物で簡単な朝食を済ませる。

 それから自分の分の食器を洗って、私が家を出るころにパタパタ……という小さな音が聞こえてきた。

「おねえちゃん、いってくる?」
とまだおぼつかない日本語で妹の花鈴が言った。

 妹の花鈴はこの春、年中さんになったばかり。
少し大きいパジャマの袖から小さな手をのぞかせながら、眠たそうに目をこすって、そう聞いてくる。

「うん、いってくるよ。ままは?」
 そういったとき、花鈴の後ろからお母さんが現れる。

「あら、今日も早いのね。お母さん、まだ寝ていたいのに花鈴がお姉ちゃんが行っちゃうって。
毎朝、こんなに早くなくてもいいんじゃないの」

「あーそうなの?ごめんね起こしちゃって。早めに学校行って勉強しておきたくてさ」

 母はしばらく私を見つめたあと、「そう」 とだけ頷いた。

「気をつけて行ってきなさいね」

「うん。二人の分のお弁当はいつものところに置いてあるからね。じゃあ、行ってきます」

と告げて花鈴のお見送りの声とともに家を出る。

 別に勉強したかったわけじゃない。ただ、一人の時間が欲しかった。

 家から少し歩くと、通学に使っている駅がある。午前6時半。まだ通勤客もまばらで静かなホームに滑り込んできた電車に乗り込む。
 
 ガタゴトと規則正しい音を立てる車内はガラガラで、私の知っている「騒がしい高校生の日常」とは切り離された、
特別な空間のようだった。窓の外を流れる桜並木をぼんやりと眺める。

 『桜は花に顕わる』
 ふと、どこかで聞いたことのある言葉がよみがえる。
 たしか、源頼政が自分を桜に重ねて詠んだ歌だった。
 花が咲いて初めて、人はそれが桜だったと気づく。

――私もいつか、ちゃんと咲くことができるのかな。

 そんなことを考えているうちに学校の最寄り駅についた。

5分程度歩くと私の学校『桃乃宮学園』に着く。玄関に入り靴を脱いで下駄箱にしまい、階段を二階分上って、三階に着く。

 一年生は四階だから、学年が上がるにつれ、階段を登る回数が少なくなり、少し得をした気分になる。

 『2-3』と書いてあるプレートをくぐる。時刻は午前7時になったばかり。

 まだ生徒はほとんどおらず、先生の姿もまばらな時間帯だ。いつもなら、花瓶の水替えをしたり、黒板をきれいにしたりとありきたりなことをしているのだが、新学期早々、そんな仕事があるはずもなく──。

(仕方ない、今日くらい勉強してみるか)

口から出まかせに言ったことを、まさか自分で有言実行する羽目になるとは思わなかった。


 ガヤガヤとしてきた午前8時。そろそろ切り上げるか、と教科書をしまおうとしたところ、騒がしいクラスでも聞こえる、とびきり大きい声がした。

「めいあ~~!今年も同じクラスだね、やったぁ!」

 とうさぎのようにぴょんぴょん飛び跳ねてやってきたのは中学から仲良しの一ノ瀬紬。

「おはよ。ね、うれしい」
 私は口元を緩めて答える。

「高校二年生かぁ~勉強だけじゃない、部活、行事、遊び......。そして、恋愛っ!!あ~青春っていいね~」
なんて、どこかの老人のようなことを言っている。

「たしかに笑 でも、紬は勉強も──」
「あー!!聞こえない!なんか言ったぁ?!私はね、青春したいの!勉強なんてノンノン。うけつけませ~ん。あ、そうだ!これみた?昨日新曲出たんだ~!」

 そういいながら紬はスマホの画面を見せてくる。

 画面に映るのは今大ヒット中の女性アイドルグループ『Melty♡Candy』略してメルキャンだ。かくいう私はアイドルにまったくもって興味がない。でも、最低限の情報は頭に入れておくのが人間関係を円滑にするコツだ。

「よかったね~紬、ずっと新曲楽しみにしてたもんね。しかも紬の推しのりりちゃん、初センターだよね?」

と、紬が推している桃井りりのことに触れると目をキラキラさせて語りだす。

「そーなのっ!今回は春の出会いをイメージにした曲になっててね──」


 あー、いいなぁ。紬には熱心になれることがあって。私には、何もない。
紬みたいに推しもいないし、周りみたいに彼氏だっていない。

「これが好き」と胸張って言えるものさえ、思いつかなかった。

(青春、かぁ)

「……ぃあ、めいあ、聞いてる?」
「あ、うん、聞いてるよ」
「それでね努力が報われたっていうか──」


 紬が、うらやましい。