硝子のラビリンス

 畦道(あぜみち)を敷き詰める雪は、陽光をあびて虹色に煌いていた。
 夜のうちに凍った雪が、ひとあしごとにサクサクと靴の下で溶けていく。時折吹きぬける冷たい風は、うっすらと降り積んだ新雪を青空に散らしながら、利人(りひと)の襟元に(たわ)んで流れていった。
 駅から歩いて数分。今はまだ閑散とした商店街の先、山肌に沿うように延びるゆるやかな坂道の手前に、利人の店があった。
 東向きの大きな窓から朝陽が射し込む店内は、北風を遮って少しだけ暖かく感じる。けれどほっと一息つくのも束の間、コートを脱いだ瞬間、すかさず冷気が利人の身体から熱を奪っていく。
 寒さを宥めるように二の腕を擦りながら暖房のスイッチをいれ、コンロの上にポットを置く。カチリと燈されるガスの火が、ポットの下で青白く揺れる。銀色に磨かれたポットが、瞬く間に色褪せていく。
 やがてシンと冷えた空間に、しゅんしゅんとお湯の沸く音が溶け込んでいく。ゆるやかに(ぬく)もっていく空気が、窓硝子を淡く潤ませる。
 うっすらと靄がかかる窓の外を眺めながら、利人は朝一番のお客のためにサイフォンに火を入れる。香気がゆっくりとたち昇り、コポコポという音が店内の音楽に馴染みだした頃、くすんだ真鍮のドアベルが控えめに鳴る。

「おはよ」
 利人の短い挨拶にちらりと視線をよこした少女が、学生鞄を椅子に置く。
 口元まで覆っていたクリーム色のマフラーをその上に置き、濃紺のコートを脱ごうとして少しためらい、袖だけはずして肩に羽織る。
「いつものブレンドでいいのかな?」
 コートにくるまるようにしてカウンターに座った少女が、小さく頷く。
 淹れたばかりの珈琲を少女の前に置き、利人は自分用のマグカップに残った珈琲をそそぐ。カウンターに並べてある灰皿のひとつをひきよせ、煙草に火をつけながら少女を見守る。細く吐き出す紫煙(しえん)のむこう、背中を丸めた少女が、ゼンマイ仕掛けの人形のようにぎこちなく動き出す。
 コートの隙間から伸ばされる指先が、薔薇色に染まっている。その(かじか)む指先を目の前の白いカップに添えて、少女はじっと睫毛を伏せている。指先に伝わる熱が、ぬくもりとなって身体をみたしてゆくのを待つように。
 瞳を閉じたまま、大事そうに持ち上げたカップが少女の唇にふれる。こくんと一口。少女のふっくらとした唇が、(ほの)かに色づく。

「解凍」
 今日、初めての少女の言葉。
「なんだ、凍ってたんだ」
 クスリと笑う利人を、少女が見上げる。
「なんだ、って?」
「ん? ほっとしたのかな?」
「なんで?」
「不機嫌そうに見えたから」
「別に、機嫌、悪くないよ」
「ん、だから、ほっとした」
 他愛(たあい)ない会話の始まりだった。