……公園を出て、海岸へと続く静かな小道を二人で並んで歩く。
(……何だか、妙に気まずい空気になっちゃったな……)
一軍グループとの衝突で相当な精神的ショックを受けたのだろうか、柚希は俯いたままなかなか口を開こうとしない。かく言う僕も、この重苦しい沈黙を破るための話題を必死で探してはいたものの、気の利いた言葉がまるで思い浮かばず苦慮していた。
(自分で決めた決別とはいえ……あの一軍グループから完全に外れるっていうのは、想像以上の恐怖だったはずだ……)
グループを離脱したからといって、柚希がいじめの標的になったり、クラスで完全に孤立するような事態にはならないだろう。柚希は人間として極めてまともだし、何より男子全員を黙らせるほどの絶世の美貌を持ち合わせている。
そう簡単にスクールカーストの底辺まで落ちるような対象にはならない……頭ではそうわかってはいるけれど、週明けからの教室で居づらい空気を味わうことになるのは間違いない。
「……私、ずっと嫌だったんだよね……」
潮風に乗って、ようやく柚希の小さな声が聞こえた。ゆっくりと歩くその歩幅に付き合いながら、僕は「ずっと?」と低く聞き返した。
「……うん。このクラスになってから、自然な流れであのグループの中に固まるようになったけど……私、あの人たちみたいに、他人を見下して優越感に浸りたいわけじゃないからさ」
柚希が書いて僕に送ってきた、あの二万字の小説。そこに描かれていた主人公そのものの苦痛と吐き気が今、柚希本人の生の口から直接語られている。活字で読んだときよりも遥かにリアルな重みを持って、僕の胸を刺した。
そして、柚希が言った「他人を見下して」という言葉が、頭の中に引っかかる。
(他人を見下して冷笑しているのは……僕も同じだ……)
そう自覚した瞬間、猛烈な恥ずかしさと惨めさが全身を駆け巡った。柚希が嫌う人種の中に、僕も含まれているのだ。あいつらと違って、僕が冷笑している理由は傷つかないための自己防衛から……とはいえ、やっていることの本質はあいつらと何も変わらない。
一瞬で、底なしの自己嫌悪に引きずり込まれそうになる。でも、ここで僕まで陰気に落ち込んでいる場合じゃないことくらい、僕にだってわかっていた。
胸の中を渦巻く黒い感情を表に出さないよう必死に押し殺し、平静を装う。
「やっぱり私……器用に生きられないんだよね。みんなと上手に波風立てずに付き合うことだってできるはずなのに、どうしてもそうしたくないの」
「……自分を押し殺してまで偽るくらいなら、ありのままの自分で生きたほうがいいんじゃないかな」
「……そう、だよね」
……よくもまあ、こんな一丁前な言葉を白々しく口にできたものだと、自分自身が酷く滑稽で、惨めに思えてくる。自分の足元すらおぼつかない僕に、そんな大層なアドバイスをする資格なんてないことくらい重々承知していた。
それでもいい。僕がどれだけ惨めで滑稽だろうと……今の柚希の孤独と自己嫌悪に、少しでも寄り添ってあげたかったのだ。
「……倉科君は、ちゃんと自分を持ってて羨ましいよ」
「僕が?」
「だって、いつも一人でいるじゃない? 本当に本が一番の友達って感じがして……私、心の中でずっと尊敬してたんだ」
柚希の目には、僕の姿がそんな風に映っていたのか……。
確かに、スクールカーストの頂点で常に周囲に合わせ続けてきた柚希とは、対極に位置する立ち振る舞いだ。それが柚希にとって、羨ましいものに見えていたなんて。
ただ……これは、ちゃんと訂正しておかなきゃいけない。僕は柚希が思っているような、芯のあるかっこいい人間なんかじゃない。自分に自信がないから、自分の世界に塞ぎ込んでいるだけなんだ。
僕がその本当の情けない本心を口にしようとしたところで、目的地である海岸の広場に到着した。広場はすでに、季節外れの花火を楽しみにやってきた大勢の地域の人々で賑わいをみせている。
「……僕はね、ただ自分に期待していないだけなんだよ」
「期待?」
「そう。みんなと一緒にいたって誰を楽しませることもできないし……誰かと一緒にいたところで、僕と過ごすメリットなんて何一つないって、すぐに愛想を尽かされるに決まってる。だから最初から諦めて、一人でいるだけなんだ」
自嘲気味に呟いた僕の言葉を遮るように、柚希は激しく首を左右に振った。
「そんなことないよ! だって……倉科君の小説、すごく面白かったもん!」
(……え? 僕の小説が?)
教卓の中にぽつんと忘れ去られていた僕のあの拙い短編小説……あれが、柚希の胸に想像以上に刺さっていたというのか。
あの小説は、僕の捻じ曲がった性格と冷めた世界観がこれでもかと詰め込まれた作品だ。それを面白かったと言ってくれたということは……僕の捻くれ曲がった生き方のスタンスそのものを、全肯定してくれたようなものではないか。
(柚希は……根の部分では、僕と同じ種類の人間なのかもしれない)
それでも、その圧倒的な美貌ゆえにカーストの頂点に担ぎ上げられてしまう。だからこのクラスになって、ずっと悩んでいたのかもしれない。
「私ね、倉科君みたいに、もっと自分の世界を極めようって思えたの。周囲の評価に合わせるのに必死になって、自分の本当に好きなことを消しちゃうのは……すごくもったいないなって」
「……それは、そう思う」
「だから、今日……みんなに言えてよかった。何だか、心の中がすーっと軽くなった気がするよ」
目を細めた柚希が、目と鼻の先に夜海が広がる鉄柵へと優しく手をついた。そして、打ち寄せる波音に混じって、僕にだけ届くような小さな声で呟く。
「……倉科君のおかげだよ」
――その瞬間、小学六年の苦い記憶が、鮮烈なフラッシュバックとなって脳裏を駆け巡った。
運動会で、クラス中から冷ややかな反感を買ったあの日。柚希と同じような、カーストの頂点にいた女の子から投げつけられた「倉科君のせいだよ」という冷酷な言葉。
自分という存在の無価値さを嫌というほど思い知らされたあの呪いの言葉から……今、まったく真逆の、温かな救いの言葉となって僕の胸に返ってきたのだ。
「僕の……おかげ?」
思わず小さく声にすると、柚希は微笑みながら優しく頷いた。
……その瞬間、漆黒の夜空を打ち破るように、巨大な大輪の花火が弾けた。
(あ……もう、そんな時間か……)
柚希の視線が、吸い寄せられるように夜空へと向く。すっかり闇に包まれた海岸。大音響とともに花火が花開くたび、赤や金、紫の光が柚希のどこか儚く美しい横顔を色鮮やかに照らし出す。
(……わかってはいたけど、柚希って、こんなにも美しくて、消えてしまいそうな顔をするんだ)
その瞬間、僕の胸の奥で、絶対に生まれるはずがないと突っぱねてきた感情が静かに産声を上げた。
胸の奥がじんじんと響いて、大きな音と光が夜空に広がるたびに、嬉しそうに笑う柚希の表情。その横顔から目が離せなくなって、本気で呼吸の仕方を忘れてしまいそうになる。
(嘘だろ……僕が、柚希に……)
こんなベタなライトノベルみたいな展開に、心が揺さぶられるなんて。これは、シチュエーションの雰囲気に酔わされているわけじゃない。
柚希という、憂いも弱さも、強さもすべて抱えた一人の美しい女性に……僕の瞳と心は、完全に奪われてしまったのだ。
「倉科君……?」
「……う、うん?」
ずっと夜空を見上げていた柚希が、ふと視線を落とし、横に立つ僕の顔をじっと見つめてきた。
「今日は倉科君を誘って……本当によかった!」
弾ける花火の光に照らされた柚希の笑顔は、きっと一生僕の脳裏に焼き付いて離れない……と、そんな自信を持たせてくれるくらいの美しさだった。
僕は押し寄せる猛烈な照れくささを隠すように、一度だけ深々と頷いてみせる。
(僕も……来てよかった)
絶え間なく夜空を彩る、季節外れの大花火。
心臓を揺らすほどの大きな音を感じるたびに、柚希は嬉しそうに笑う。
そして僕は、そんな柚希の横顔を隣で見つめながら……生まれて初めて知る甘くて苦い感情を、静かに胸の奥へ秘めていた。
――そうか。
こんな僕でも、人に対して本気になれることがあるのか。
散々嘲笑っていた僕が、いざ自分にもその熱いものが心の底から湧き上がってくるのを感じたら、これは認めざるを得ない。
これは恥ずかしい感情ではなかったと、今ハッキリと断言できる。青春は、恥ずかしいものではなかった……と。
まさか……。
(冷笑系の僕が、花火を見る君の横顔に恋をするなんて……)
〈了〉
(……何だか、妙に気まずい空気になっちゃったな……)
一軍グループとの衝突で相当な精神的ショックを受けたのだろうか、柚希は俯いたままなかなか口を開こうとしない。かく言う僕も、この重苦しい沈黙を破るための話題を必死で探してはいたものの、気の利いた言葉がまるで思い浮かばず苦慮していた。
(自分で決めた決別とはいえ……あの一軍グループから完全に外れるっていうのは、想像以上の恐怖だったはずだ……)
グループを離脱したからといって、柚希がいじめの標的になったり、クラスで完全に孤立するような事態にはならないだろう。柚希は人間として極めてまともだし、何より男子全員を黙らせるほどの絶世の美貌を持ち合わせている。
そう簡単にスクールカーストの底辺まで落ちるような対象にはならない……頭ではそうわかってはいるけれど、週明けからの教室で居づらい空気を味わうことになるのは間違いない。
「……私、ずっと嫌だったんだよね……」
潮風に乗って、ようやく柚希の小さな声が聞こえた。ゆっくりと歩くその歩幅に付き合いながら、僕は「ずっと?」と低く聞き返した。
「……うん。このクラスになってから、自然な流れであのグループの中に固まるようになったけど……私、あの人たちみたいに、他人を見下して優越感に浸りたいわけじゃないからさ」
柚希が書いて僕に送ってきた、あの二万字の小説。そこに描かれていた主人公そのものの苦痛と吐き気が今、柚希本人の生の口から直接語られている。活字で読んだときよりも遥かにリアルな重みを持って、僕の胸を刺した。
そして、柚希が言った「他人を見下して」という言葉が、頭の中に引っかかる。
(他人を見下して冷笑しているのは……僕も同じだ……)
そう自覚した瞬間、猛烈な恥ずかしさと惨めさが全身を駆け巡った。柚希が嫌う人種の中に、僕も含まれているのだ。あいつらと違って、僕が冷笑している理由は傷つかないための自己防衛から……とはいえ、やっていることの本質はあいつらと何も変わらない。
一瞬で、底なしの自己嫌悪に引きずり込まれそうになる。でも、ここで僕まで陰気に落ち込んでいる場合じゃないことくらい、僕にだってわかっていた。
胸の中を渦巻く黒い感情を表に出さないよう必死に押し殺し、平静を装う。
「やっぱり私……器用に生きられないんだよね。みんなと上手に波風立てずに付き合うことだってできるはずなのに、どうしてもそうしたくないの」
「……自分を押し殺してまで偽るくらいなら、ありのままの自分で生きたほうがいいんじゃないかな」
「……そう、だよね」
……よくもまあ、こんな一丁前な言葉を白々しく口にできたものだと、自分自身が酷く滑稽で、惨めに思えてくる。自分の足元すらおぼつかない僕に、そんな大層なアドバイスをする資格なんてないことくらい重々承知していた。
それでもいい。僕がどれだけ惨めで滑稽だろうと……今の柚希の孤独と自己嫌悪に、少しでも寄り添ってあげたかったのだ。
「……倉科君は、ちゃんと自分を持ってて羨ましいよ」
「僕が?」
「だって、いつも一人でいるじゃない? 本当に本が一番の友達って感じがして……私、心の中でずっと尊敬してたんだ」
柚希の目には、僕の姿がそんな風に映っていたのか……。
確かに、スクールカーストの頂点で常に周囲に合わせ続けてきた柚希とは、対極に位置する立ち振る舞いだ。それが柚希にとって、羨ましいものに見えていたなんて。
ただ……これは、ちゃんと訂正しておかなきゃいけない。僕は柚希が思っているような、芯のあるかっこいい人間なんかじゃない。自分に自信がないから、自分の世界に塞ぎ込んでいるだけなんだ。
僕がその本当の情けない本心を口にしようとしたところで、目的地である海岸の広場に到着した。広場はすでに、季節外れの花火を楽しみにやってきた大勢の地域の人々で賑わいをみせている。
「……僕はね、ただ自分に期待していないだけなんだよ」
「期待?」
「そう。みんなと一緒にいたって誰を楽しませることもできないし……誰かと一緒にいたところで、僕と過ごすメリットなんて何一つないって、すぐに愛想を尽かされるに決まってる。だから最初から諦めて、一人でいるだけなんだ」
自嘲気味に呟いた僕の言葉を遮るように、柚希は激しく首を左右に振った。
「そんなことないよ! だって……倉科君の小説、すごく面白かったもん!」
(……え? 僕の小説が?)
教卓の中にぽつんと忘れ去られていた僕のあの拙い短編小説……あれが、柚希の胸に想像以上に刺さっていたというのか。
あの小説は、僕の捻じ曲がった性格と冷めた世界観がこれでもかと詰め込まれた作品だ。それを面白かったと言ってくれたということは……僕の捻くれ曲がった生き方のスタンスそのものを、全肯定してくれたようなものではないか。
(柚希は……根の部分では、僕と同じ種類の人間なのかもしれない)
それでも、その圧倒的な美貌ゆえにカーストの頂点に担ぎ上げられてしまう。だからこのクラスになって、ずっと悩んでいたのかもしれない。
「私ね、倉科君みたいに、もっと自分の世界を極めようって思えたの。周囲の評価に合わせるのに必死になって、自分の本当に好きなことを消しちゃうのは……すごくもったいないなって」
「……それは、そう思う」
「だから、今日……みんなに言えてよかった。何だか、心の中がすーっと軽くなった気がするよ」
目を細めた柚希が、目と鼻の先に夜海が広がる鉄柵へと優しく手をついた。そして、打ち寄せる波音に混じって、僕にだけ届くような小さな声で呟く。
「……倉科君のおかげだよ」
――その瞬間、小学六年の苦い記憶が、鮮烈なフラッシュバックとなって脳裏を駆け巡った。
運動会で、クラス中から冷ややかな反感を買ったあの日。柚希と同じような、カーストの頂点にいた女の子から投げつけられた「倉科君のせいだよ」という冷酷な言葉。
自分という存在の無価値さを嫌というほど思い知らされたあの呪いの言葉から……今、まったく真逆の、温かな救いの言葉となって僕の胸に返ってきたのだ。
「僕の……おかげ?」
思わず小さく声にすると、柚希は微笑みながら優しく頷いた。
……その瞬間、漆黒の夜空を打ち破るように、巨大な大輪の花火が弾けた。
(あ……もう、そんな時間か……)
柚希の視線が、吸い寄せられるように夜空へと向く。すっかり闇に包まれた海岸。大音響とともに花火が花開くたび、赤や金、紫の光が柚希のどこか儚く美しい横顔を色鮮やかに照らし出す。
(……わかってはいたけど、柚希って、こんなにも美しくて、消えてしまいそうな顔をするんだ)
その瞬間、僕の胸の奥で、絶対に生まれるはずがないと突っぱねてきた感情が静かに産声を上げた。
胸の奥がじんじんと響いて、大きな音と光が夜空に広がるたびに、嬉しそうに笑う柚希の表情。その横顔から目が離せなくなって、本気で呼吸の仕方を忘れてしまいそうになる。
(嘘だろ……僕が、柚希に……)
こんなベタなライトノベルみたいな展開に、心が揺さぶられるなんて。これは、シチュエーションの雰囲気に酔わされているわけじゃない。
柚希という、憂いも弱さも、強さもすべて抱えた一人の美しい女性に……僕の瞳と心は、完全に奪われてしまったのだ。
「倉科君……?」
「……う、うん?」
ずっと夜空を見上げていた柚希が、ふと視線を落とし、横に立つ僕の顔をじっと見つめてきた。
「今日は倉科君を誘って……本当によかった!」
弾ける花火の光に照らされた柚希の笑顔は、きっと一生僕の脳裏に焼き付いて離れない……と、そんな自信を持たせてくれるくらいの美しさだった。
僕は押し寄せる猛烈な照れくささを隠すように、一度だけ深々と頷いてみせる。
(僕も……来てよかった)
絶え間なく夜空を彩る、季節外れの大花火。
心臓を揺らすほどの大きな音を感じるたびに、柚希は嬉しそうに笑う。
そして僕は、そんな柚希の横顔を隣で見つめながら……生まれて初めて知る甘くて苦い感情を、静かに胸の奥へ秘めていた。
――そうか。
こんな僕でも、人に対して本気になれることがあるのか。
散々嘲笑っていた僕が、いざ自分にもその熱いものが心の底から湧き上がってくるのを感じたら、これは認めざるを得ない。
これは恥ずかしい感情ではなかったと、今ハッキリと断言できる。青春は、恥ずかしいものではなかった……と。
まさか……。
(冷笑系の僕が、花火を見る君の横顔に恋をするなんて……)
〈了〉

