――花火大会当日。
勢いで行くと返事をしてしまったものの、よくよく冷静になって考えてみれば、あまりにも軽率すぎる選択だったと激しく後悔した。だけど一度引き受けてしまった手前、柚希の切実なSOSを今更無下に蹴り飛ばすわけにはいかない。
花火大会当日までの一週間は、大好きな読書にもまるで身が入らないような、落ち着かない日々が続いた。
学校の教室では特に柚希と直接言葉を交わすこともなく、ただ当日の約束の日を静かに待つという……奇妙でじれったい空気が二人の間に流れていた。
(言葉にしなくても、当日のことは二人でわかち合えている……)
……根拠もないのに、僕はそう信じて疑わなかった。
(……とはいえ、本当に僕は大丈夫なのだろうか)
学校では今、文化祭の行事である合唱コンクールの練習が佳境を迎えており、クラスの熱気を仕切っているのはあの一軍グループの連中だった。いつもの僕なら、クラスのために必死で声を張り上げているやつらの姿を心の中で冷ややかに見下し、冷笑を決め込んでいるはずだった。
それなのに、今の僕にはそんな心の余裕すら残されていない。
自分がどこか自分ではないような、ふわふわとした違和感を抱えたまま過ごした一週間だった。
「……倉科君。今日は来てくれてありがとう」
そして迎えた、約束の当日。集合場所である校門の前に到着した僕の耳に、静かな声が届いた。
外はすっかり、日が落ちている。
「ああ、別にいいよ。他の人たちは?」
「待ち合わせ場所は近くの公園なの。行こっか」
そう言って歩き出した柚希の姿に、僕は思わず息をのんだ。今日の柚希は、少し大人びた上品なワンピース姿だった。対する僕は、使い古したシンプルなチェックシャツにデニムという、いかにも陰キャの休日といった出で立ち……。
隣に並ぶのが気恥ずかしくなるほど、今日の柚希は特に綺麗だった。引け目を感じて少し距離を取りつつも、二人並んで待ち合わせ場所の公園へと歩みを進める。
「倉科君……今日はどうして、私に付き合ってくれたの?」
「……ええ?」
突然投げかけられた問いに、僕は言葉を詰まらせた。
(……そんな野暮なこと、改まって聞いてこないでくれよ……)
一軍のリア充イベントを影から冷やかしてやろうと思って……なんて、そんなひねくれたことが言える自信はない。だけど、何か適当に誤魔化す言い訳は、いくらでも用意できる。
それくらいの余裕はあったけど、隣を歩く柚希の真剣な眼差しから逃げることができず、僕は真っ赤になりそうな顔を必死に伏せながら、胸にある本音を口にした。
「……船越さんの小説に出てくる、あの主人公。もしあの主人公の心の叫びが、船越さん自身のものだとしたら……僕に、何かできることはないのかなって、そう思って……」
自分にしては珍しいくらい、ちゃんと血の通った本物の言葉を口にできたのではないか……そんな、柄にもない小さな自信があった。僕の言葉を最後まで静かに聞いていた柚希は、どこか硬くなっていた表情を、口元からふっと優しく緩ませていった。
「やっぱり……小説家さんってすごいね。私の心情、全部理解してくれたんだ」
その言葉を聞いた瞬間、今日ここへ来た自分の選択は間違っていなかったのだと、心から思えた。自分らしくない、誰かのために行動するという青臭い感情が胸の奥に生まれ……それが、こうして不器用ながらも実を結んだのだ。
(まあ、面白半分ではあったけど……柚希が心配だったのは事実だし……)
柚希が、自分のことを一人の小説家として認めて呼んでくれたこと。それは今まで生きてきた中で味わったことのないような、甘やかで温かい幸福感だった。
じわじわと体内を巡る温もりに、僕は密かに心地よさを抱く。
「……あのさ、倉科君」
ふっと話を切り替えた柚希の声には、何か大きな覚悟を決めたような、静かな力強さが宿っている。普段、教室の隅から眺めていた一軍グループの中で愛想笑いを浮かべている柚希とは、まるで別人のような落ち着きと佇まい。
優しい気持ちだった心の中が、一気になかったかのように無になった。
柚希が次に何を口にするのか、その一言を聞き逃したくなくて……僕は思わず、歩くスピードを緩める。
「私ね、今日みんなに……小説家になりたいって、打ち明けようと思って」
(……何だよ、そんなことか)
一瞬、冷めた独り言が喉まで出かかったけれど、僕は咄嗟にそれを飲み込んだ。隣を歩く柚希の険しい表情と、ギュッと固く握りしめられた拳を見ればわかる。
それが柚希にとってどれほど決死の覚悟を伴うものなのか……これからの学校生活をがらりと変えてしまいかねないほどの、重大な決断なのだということが……。
「……船越さんが小説家を目指すのって、みんなからしたらダメなことなの?」
気がついたら、素朴で純粋な質問が口からあふれ出ていた。どうして一軍グループの女子が小説を書いて夢を追うことが、ダメなことなのか……僕にはいまいちピンとこなかったのだ。
本当に仲間なら、夢くらい応援してくれるのが当たり前だろう。それに……小説を書くことは、決して隠したり恥じたりするようなことじゃない。誰にでも真似できることではない、尊く、誇らしい行為なのだと……自分の戦場を肯定するように、熱弁したくなった。
……けれど、次の瞬間。胸の奥が冷え込むのを感じた。
(そうか……相手はあの、一軍グループなんだ……)
異物や自分たちのノリから外れたものを「キモい」とか「変なやつ」と切り捨て、そうすることでしか仲間意識を築くことができない浅はかな連中なのだから。
柚希がその安全なレールから逸脱する覚悟を決めたということは、それほどまでに今の立ち位置や『完璧なマドンナ』という役割が耐え難く、嫌で仕方がなかったのだろう。
「あ、いや……ごめん。船越さんの気持ち、何となくわかる。だから、今の質問には答えなくていいよ」
僕が慌ててそう言い直すと、柚希は胸を撫で下ろすように、静かに目を細めた。その小さな表情の変化を目にして、僕は確信する。
今日という日は……柚希にとって、自分の人生を取り戻すための革命の日になるのかもしれない、と……。
勢いで行くと返事をしてしまったものの、よくよく冷静になって考えてみれば、あまりにも軽率すぎる選択だったと激しく後悔した。だけど一度引き受けてしまった手前、柚希の切実なSOSを今更無下に蹴り飛ばすわけにはいかない。
花火大会当日までの一週間は、大好きな読書にもまるで身が入らないような、落ち着かない日々が続いた。
学校の教室では特に柚希と直接言葉を交わすこともなく、ただ当日の約束の日を静かに待つという……奇妙でじれったい空気が二人の間に流れていた。
(言葉にしなくても、当日のことは二人でわかち合えている……)
……根拠もないのに、僕はそう信じて疑わなかった。
(……とはいえ、本当に僕は大丈夫なのだろうか)
学校では今、文化祭の行事である合唱コンクールの練習が佳境を迎えており、クラスの熱気を仕切っているのはあの一軍グループの連中だった。いつもの僕なら、クラスのために必死で声を張り上げているやつらの姿を心の中で冷ややかに見下し、冷笑を決め込んでいるはずだった。
それなのに、今の僕にはそんな心の余裕すら残されていない。
自分がどこか自分ではないような、ふわふわとした違和感を抱えたまま過ごした一週間だった。
「……倉科君。今日は来てくれてありがとう」
そして迎えた、約束の当日。集合場所である校門の前に到着した僕の耳に、静かな声が届いた。
外はすっかり、日が落ちている。
「ああ、別にいいよ。他の人たちは?」
「待ち合わせ場所は近くの公園なの。行こっか」
そう言って歩き出した柚希の姿に、僕は思わず息をのんだ。今日の柚希は、少し大人びた上品なワンピース姿だった。対する僕は、使い古したシンプルなチェックシャツにデニムという、いかにも陰キャの休日といった出で立ち……。
隣に並ぶのが気恥ずかしくなるほど、今日の柚希は特に綺麗だった。引け目を感じて少し距離を取りつつも、二人並んで待ち合わせ場所の公園へと歩みを進める。
「倉科君……今日はどうして、私に付き合ってくれたの?」
「……ええ?」
突然投げかけられた問いに、僕は言葉を詰まらせた。
(……そんな野暮なこと、改まって聞いてこないでくれよ……)
一軍のリア充イベントを影から冷やかしてやろうと思って……なんて、そんなひねくれたことが言える自信はない。だけど、何か適当に誤魔化す言い訳は、いくらでも用意できる。
それくらいの余裕はあったけど、隣を歩く柚希の真剣な眼差しから逃げることができず、僕は真っ赤になりそうな顔を必死に伏せながら、胸にある本音を口にした。
「……船越さんの小説に出てくる、あの主人公。もしあの主人公の心の叫びが、船越さん自身のものだとしたら……僕に、何かできることはないのかなって、そう思って……」
自分にしては珍しいくらい、ちゃんと血の通った本物の言葉を口にできたのではないか……そんな、柄にもない小さな自信があった。僕の言葉を最後まで静かに聞いていた柚希は、どこか硬くなっていた表情を、口元からふっと優しく緩ませていった。
「やっぱり……小説家さんってすごいね。私の心情、全部理解してくれたんだ」
その言葉を聞いた瞬間、今日ここへ来た自分の選択は間違っていなかったのだと、心から思えた。自分らしくない、誰かのために行動するという青臭い感情が胸の奥に生まれ……それが、こうして不器用ながらも実を結んだのだ。
(まあ、面白半分ではあったけど……柚希が心配だったのは事実だし……)
柚希が、自分のことを一人の小説家として認めて呼んでくれたこと。それは今まで生きてきた中で味わったことのないような、甘やかで温かい幸福感だった。
じわじわと体内を巡る温もりに、僕は密かに心地よさを抱く。
「……あのさ、倉科君」
ふっと話を切り替えた柚希の声には、何か大きな覚悟を決めたような、静かな力強さが宿っている。普段、教室の隅から眺めていた一軍グループの中で愛想笑いを浮かべている柚希とは、まるで別人のような落ち着きと佇まい。
優しい気持ちだった心の中が、一気になかったかのように無になった。
柚希が次に何を口にするのか、その一言を聞き逃したくなくて……僕は思わず、歩くスピードを緩める。
「私ね、今日みんなに……小説家になりたいって、打ち明けようと思って」
(……何だよ、そんなことか)
一瞬、冷めた独り言が喉まで出かかったけれど、僕は咄嗟にそれを飲み込んだ。隣を歩く柚希の険しい表情と、ギュッと固く握りしめられた拳を見ればわかる。
それが柚希にとってどれほど決死の覚悟を伴うものなのか……これからの学校生活をがらりと変えてしまいかねないほどの、重大な決断なのだということが……。
「……船越さんが小説家を目指すのって、みんなからしたらダメなことなの?」
気がついたら、素朴で純粋な質問が口からあふれ出ていた。どうして一軍グループの女子が小説を書いて夢を追うことが、ダメなことなのか……僕にはいまいちピンとこなかったのだ。
本当に仲間なら、夢くらい応援してくれるのが当たり前だろう。それに……小説を書くことは、決して隠したり恥じたりするようなことじゃない。誰にでも真似できることではない、尊く、誇らしい行為なのだと……自分の戦場を肯定するように、熱弁したくなった。
……けれど、次の瞬間。胸の奥が冷え込むのを感じた。
(そうか……相手はあの、一軍グループなんだ……)
異物や自分たちのノリから外れたものを「キモい」とか「変なやつ」と切り捨て、そうすることでしか仲間意識を築くことができない浅はかな連中なのだから。
柚希がその安全なレールから逸脱する覚悟を決めたということは、それほどまでに今の立ち位置や『完璧なマドンナ』という役割が耐え難く、嫌で仕方がなかったのだろう。
「あ、いや……ごめん。船越さんの気持ち、何となくわかる。だから、今の質問には答えなくていいよ」
僕が慌ててそう言い直すと、柚希は胸を撫で下ろすように、静かに目を細めた。その小さな表情の変化を目にして、僕は確信する。
今日という日は……柚希にとって、自分の人生を取り戻すための革命の日になるのかもしれない、と……。

