冷笑系の僕が、花火を見る君の横顔に恋をした

「……倉科君、ちょっといい?」

 ――それから一週間、僕はクラスの中で気が気でなかった。

(柚希から呼び出し? しかもみんなが見ている昼休みに?)

「あ……うん……」

 僕は開いていた文庫本の途中に栞を挟み、廊下へと向かう柚希の背中を追った。教室中に走る「何であいつが?」という刺さるような好奇と嫌悪の視線が恐ろしくて、僕は思わず俯きがちに歩を進める。

(何でよりによってこんなタイミングで……まあ、話の内容自体は見当がついているけれど……)

 廊下の突き当たりにある、ちょっとしたアルコープ。放課後にはよく男女の告白スポットとして使われているその場所で、柚希は足を止めた。
 振り返った柚希の顔には、隠し切れないほどの満面の笑みが浮かんでいる。

「倉科君! 完成したよ!」

 胸の前で小さく手を合わせ、パチパチと嬉しそうに拍手を鳴らす柚希。周囲に怪しまれないよう、僕も努めて平静を装いながら「へえ、すごいね」と驚いたフリをしてみせた。

「小説、もう書き上がったの?」
「……そう! ずっと前から頭の中にあったストーリーなんだけど、書き始めたら自分でも驚くくらい勢いが止まらなくなっちゃって」
「それはすごいな。文字数はどれくらい? 短編?」
「うん、短編。大体二万字くらいかな!」

(二万字の短編を一週間で……しかも最初の作品か……)

 正直、それだけの文字数を一気に書き上げたという執念と集中力だけは、手放しで讃えるべき事態だった。柚希のことを舐めていたと、心の中で反省する。
 ……だけど、問題は量ではなく質。右も左もわからない初心者が、ただの勢いとノリだけで書き上げた原稿が、まともな文学作品になっているはずがない。

(そうだ。書き上げたこと自体はすごいけれど……内容までまともな訳がない)

 僕はまだ、柚希が自分の聖域である創作活動へ足を踏み込んできたことを、心の底から歓迎できずにいた。
 それはまあ、しょうがない。僕がこういう性格だからというのもあるし、なんたって相手はクラスの中で最もキラキラした女子だ。
 僕の根底にある冷笑気質が、自動的に穿った見方をしてしまう……。

「倉科君、ライン教えて」
「……え、ええ?」

 何食わぬ顔でスマホを取り出す柚希。そのごく自然な仕草で、自分が今、クラスの一軍女子から連絡先の交換を求められているのだと理解した。

「短編原稿、送りたいから。書き上げたやつPDFにしておいたから、ラインで送るね」
「あ、ああ……わかった」

 完全に声が震えているのが、自分でもわかる。当の柚希はまったく意に介していない様子だったので、もしかしたらギリギリ平然を装えているように見えているのかもしれない。
 震える指先でスマホを操作し、表示されたQRコードを読み取って友達追加を押す。一軍グループでディズニーランドに行ったときの楽しそうな写真がアイコンになっている『柚希』というアカウントが、僕の友達リストに新しく加わった。

(こんな華やかなやつが、僕の友達リストに加わるなんて……)

 まさか本当にこんな漫画みたいな展開になるなんて、夢にも思っていなかった。
 遠くの教室の引き戸から顔を覗かせ、こちらを探るように睨みつけてくる一軍男子たちの視線が痛いほど気になり、僕は「放課後に読むね」と早口で告げる。
 柚希の返事を聞く間すら惜しんで、僕はそそくさとその場を離れた。

(今すぐ教室に帰ったら、きっとクラス中から針のむしろみたいな視線を浴びるな……)

 他人の動向をコソコソ気にする暇があるなら、自分たちの身の振り方でも考えていろ……と、心の中で盛大に舌打ちをかます。
 とはいえ……そんな強気な心の声とは裏腹に、堂々と教室のドアを開けるだけの度胸なんて僕にはない。結局、僕は特にこれといった用もないのに、足の向くまま図書室へと逃避した。
 昼休みは、まだ半分近く残っている。

「はぁ……」

 図書室に漂っていたのは、僕と同じように孤独を愛する物静かな生徒たちの静寂だけだった。壁際に並ぶ一人用のカウンター席に深く腰掛け、机に突っ伏すようにして長いため息を吐き出す。
 目を瞑ると、さっき至近距離で目にした柚希の無邪気な満面の笑みが、嫌でも脳裏に焼き付いて離れなかった。

(しょうがないな……読んでみるか)

 図書室にいるというのに、本棚の文庫本ではなくスマホの画面を食い入るように見つめる自分。柚希の作品は、初心者だというのに整ったフォーマットで印字されていた。段落分けやインデント、記号の使い方まで丁寧に整えられているのを見て、僕の胸に驚きと、ほんの少しの期待感が走る。

(どれどれ……肝心な中身は……)

 書き出しこそ、よくある日常のワンシーンで拍子抜けした。やっぱり所詮は初心者かと、どこか冷めた瞳でスクロールしようとした……その矢先、序盤のたった数行で物語の空気が一変する。
 言葉の選び方が、恐ろしいほどに綺麗だった。それどころか、読者の心を一瞬で抉り引きずり込むような劇的な展開作りに……僕は思わず、息を吸うことすら忘れて画面に見入ってしまう。

(面白い……な)

 認めたくないけど……柚希の作り出す主人公の毒気が、僕の好みにすごくマッチした。
 内容は全体的に暗めで、自己嫌悪に悩まされる女子高生が必死にもがく……青春モノとも言い難いヒューマンドラマが大胆に描かれている。

(この主人公のリアルな痛み……まさかこの主人公のモデルって……柚希自身なのか?)

 だとしたら柚希は、今の自分の立ち位置に満足なんてしていない、ということになる。
 作中の主人公は、周囲の顔色や空気を読むことに必死で、いつの間にか本当の自分を見失ってしまうことを心の底から恐れている、とにかく臆病な少女だった。

(柚希、本当はあのグループにいるの……嫌なのかな……)

 華やかで、誰もが羨むカーストの頂点。けれどその内側で柚希が感じていたのは、優越感なんかじゃない。自分を殺して周囲に合わせ続けなければ居場所を失ってしまうという、底なしの恐怖と虚無感だったのだ。
 それが何となく理解できたとき、自分でも驚くほどの同情の気持ちが姿を現した……。