冷笑系の僕が、花火を見る君の横顔に恋をした

「陸斗君、君は根っからのシニシズムだね」

 コンピューター室の隣にある、小さな資料室。それが僕たち文芸部の部室だった。
 椅子に深く腰掛けた三年の宮崎(みやざき)先輩が、レンズの分厚い眼鏡のブリッジをクイッと指で押し上げながら、皮肉めいた笑みを見せた。今日は他の部員たちが取材や資料集めで不在のため、狭い部室には僕と先輩の二人きりだった。

「シニシズム……冷笑主義、ですか?」
「そうだよ。ずっと言おうと思ってたんだけどね、今日確信に変わった」

 宮崎先輩とは、入部した瞬間から妙に波長が合った。普通ならプライドを逆撫でされたと感じるような物言いも、僕には不思議と不快じゃなかった。
 さっきの昼休みに清岡と交わした会話を、何気なく打ち明けただけだったのに……先輩は僕がこれまで自分の中に溜め込んできた違和感を、容赦なく、けれど正確に解剖してみせたのだ。

「今流行ってるだろう? 俗に言う『冷笑系』ってやつだ」

 言い得て妙だな……と、すんなり腹に落ちる感覚があった。宮崎先輩は学ランの首元のホックを気怠そうに外し、自分の洞察力に満足したような得意顔を見せる。

「いつからそんな性格になったんだ?」

 宮崎先輩が、眉間に軽くシワを寄せながら問いかけてくる。こんな捻くれた僕に対して好奇心混じりの興味を向けてくれている……ただその事実だけが、僕の重い口を開かせた。

「……きっと、小学六年の頃です」
「きっかけは?」

(……話したくないけど、しょうがない)

 思い出すだけで、今でも胃の奥がキュッと縮み上がる。あの放課後の教室に響いた、クラス全員からの冷たい罵倒と、一筋の決定的な言葉。

『――倉科君のせいだよ』

 あれほど、自分の苗字が倉科なんだって、自覚した日はない。
 脳内で嫌なほど鮮明に再生されるのは、当時のクラスで一番可愛くて、誰もが憧れていた女の子の静かな声だ。

「ありがちな話ですよ。運動会のときです。まあ簡単にいったら、僕のせいでクラス対抗リレーに負けたんです」
「リレー?」
「はい。結構な大差がついて僕にバトンが渡ってきたんですけど……僕、思い切り転んじゃって。元々足も遅かったので、一気に最下位まで落ちました」
「それが、陸斗君の性格をそこまで捻じ曲げたの?」

 僕はゆっくりと頷いた。あの日グラウンドで味わった絶望は、僕のトラウマとして根深く刻み込まれている。
 クラスのボス格だった男子の怒り狂った顔。普段は優しいスポーツ万能な男子が浮かべた、苦虫を噛みつぶしたような失望の表情……。
 あの日、明確に戦犯としてクラス全員から見捨てられた瞬間……僕の性格は不可逆的に歪んだのだ。

「それ以来、何というか……何かに一生懸命になっているやつとか、中心で輝いている陽キャとか、そういうのが全員愚かに思えるようになったんです」
「なるほどね。まあ、気持ちはわからんでもないよ。最初から、頑張るだけ無駄だと冷めておけば、もう二度と惨めな思いをしなくて済むからね」
「そういうことです。言ってしまえば、自己防衛かもしれないですね」

 宮崎先輩は僕の言葉に深く共感するように、何度も「うん、うん」と重々しく相槌を打った。自分の歪んだ過去を理解してもらえている……その感覚だけで、柄にもなく打ち明けてよかったと思えた。

「陸斗君がそれでいいなら、別に止めはしないよ。ただ……人と深く交わらないと、本当にいい小説は書けないと思うけれどね」
「……そうですかね」
「妄想だけで創作を続けるのは、想像以上にしんどいよ。他人と感情をぶつけ合ったり、何かを共有したりする実体験があって初めて、生きた言葉や新しい発想が生まれるんじゃないかな」

 でも別に……人と関わるのを最小限に抑えている今の状態だって、僕はちゃんと小説を書けている。どれだけ尊敬している宮崎先輩の言葉とはいえ、こればかりは素直に首を縦に振ることができなかった。
 僕の文章は、僕一人の孤独と妄想の中だけで十分に完成しているはずだ。

 ――そのとき、部室の引き戸がわずかに音を立てた。

「おい、倉科ー」

 顔だけをひょこっと覗かせた西澤先生が、僕と目が合うと何故かにやりと笑った。突然の顧問の襲来に、僕と宮崎先輩は思わず顔を見合わせる。

(一体……何事だ?)

「西澤先生、どうしました?」
「いやさ……例の短編原稿、俺ってもうもらったっけ?」

 そのどこかとぼけた表情を目にした瞬間、僕は愕然とした。絶対に、ホームルームが終わった直後に自分の手で手渡した記憶がある。

「……はい。確実に、角形一号の封筒に入れて渡しました」
「……よし、了解」

 短くそれだけ言い残すと、西澤先生は部室に入ろうともせず、そそくさと廊下の奥へ去っていった。
 嫌な予感が、一瞬で全身の毛穴を駆け抜ける。

「宮崎先輩すいません。ちょっと行ってきます」

 あからさまに焦りを隠そうとしていた西澤先生の表情。その表情を目にしたら、嫌でも背中に冷や汗が流れる。あの顔は間違いなく、原稿をどこかに置き忘れて行方不明にしたときの顔だ。
 僕は直感を頼りに部室を飛び出し、自分の教室に向かって早歩きで廊下を急いだ。

「……え?」

(嘘だろ……あれは、一軍グループの女子、船越(ふなこし)柚希(ゆずき)じゃないか……)

 スラリとした高身長に、すっと通った綺麗な鼻筋。クラス一の美人として男子からの人気を独占している柚希は、文字通りスクールカーストの頂点に君臨する存在だ。
 そんな柚希が、オレンジ色の夕日が差し込む誰もいない教室で、教卓の前にぽつんと立っていた。

(頼む、気のせいであってくれ……)

 祈るような思いで視線を向けたものの、悪夢のような直感は無慈悲にも的中する。その細い指先で大切そうに抱えているのは、原稿用紙の束。そして教卓の上には、見覚えがありすぎる角形一号の茶封筒が置かれていた。

(何であいつが、僕の原稿を読んでいるんだ……!?)

 いつもは軽やかでノリの良い柚希が、今まで見たこともないほど真剣な眼差しで活字を追っている。
 自分の内面を曝け出した文章を、よりによって一番関わりたくなかった陽キャのマドンナに読まれているなんて……。
 その事実に対する恥ずかしさと焦燥感で、頭がどうにかなりそうだった。

「あ、あの!」

 思い切り教室の引き戸を開け、普段の僕からは想像もつかないような大きな声が口から飛び出した。