波に消えたラブレター

 暑くて目が覚めた。
 天井の明かりは付いていない。窓の外から差し込む日差しが、部屋を明るくしている。
 背中にうっすら汗をかいている。枕もとに置いたエアコンのリモコンを、手に取る。タイマー設定していたから電源は切れていた。

 起き上がり部屋を見回し、一瞬とまどう。

 ——寝ぼけてるな。

 もうここに来て一週間になるのに。
 都心のマンションの自分の部屋ではなく、湘南の友達の別荘の部屋。南向きの窓のカーテンは開けっぱなしで、ひときわ明るい。ベッドから出て窓の外を見る。陽を反射して輝く海が見えた。


 ——ああ、そうか。


 懐かしい夢をどうして今になって見たのか分かった。そういえば私は高校生の頃、海辺の街に住んでいた。そして高校生の時、初めて付き合った彼に振られた時もこんな夏の日だった。


 ——青春だったな。
 

 夏休みに入ってすぐ、バイトを辞めた。
 バイト先はホテルのバーで接客をしていた。
 大学四年、就活に向けて辞め時、ということもあったけれど、常連客が来なくなってつまらなくなったし、バイト仲間たちとの付き合いが次第に面倒になった。毎日、話すことは仕事の愚痴とか給料の話とか男の品定めの仕方とか。ある日、まかないのパスタを食べながらふと、うんざりして辞めようと思った。

 バイトを辞めた後に待っているのは卒論と就活。卒論は進んでいないし、就きたい仕事もない。現実から逃げようと思って海に行こうと思った。しばらく海を見てぼんやり暮らそうと。

 大学のサークル友達、ユイの親の別荘が湘南にあるのを思い出した。一度、サークル仲間数人で泊まって遊んだことがある。ユイに電話をしてみたら、快く別荘の鍵束を貸してくれた。週末にはユイと彼氏が一緒に来るっていうから、それまで私一人でのんびりしよう。

 七月末でバイト先を辞めて、八月初めには、砂浜に立っていた。
 私にしては珍しく早起きをし、始発の電車に乗っていた。早朝の海が見たかった。
 汗でTシャツの背中が濡れて気持ち悪いし、荷物は肩にくいこんで重かったけれど、気分は最高だった。そのまますぐに荷物を放り出して海に飛び込みたいのをぐっと我慢して、先に別荘に向かった。

 ユイの別荘は海岸から道路を挟んで目と鼻の先、短い石段を登った上にある。小さな前庭には桜の木もあって、前に来た時は、桜の木の下で花見をした。
 建物は白い板を横に重ねて貼った壁で、海風のせいでペンキが所々剥げている。モスグリーンの窓枠にレトロな窓、煉瓦色の屋根。可愛らしい洋館の外観はユイのお母さんの趣味で、すごく素敵だ。
 
 門扉にはツタのように曲がった鉄の飾りがついている。その鍵穴に鍵束から出した古めかしい鉄の鍵を差し込んで回すと、音を立てて鍵が外れた。門扉を押し開け、前庭に入っていく。普段は使われていないのに、庭の手入れはちゃんと行き届いていて綺麗だった。鍵束から玄関の扉の鍵を選んで開け、中に入る。
 他人の家なのにどこか懐かしいような感覚。玄関横の棚に飾られた油絵、年季の入った床。
 家中の窓を開けて空気を入れ換えて、二階の私が寝泊まりする部屋に荷物を持っていった。


 ——これが学生最後の自由な生活かもね


 指を折り数える。あれから一週間か。

 窓を開けると、蝉の鳴き声がうるさいほど聞こえてくる。前庭の桜の木にミンミン蝉がとまっているんだろう。