【三】 聖夜
クリスマスイブの朝。
チャイムが鳴り響き、ドアを開けるなりチカが雪崩れ込んできた。そしてリビングでユキの姿を捉えた瞬間、ピタリと固まる。
じーっと穴が開くほど見つめられ、ユキはおろおろと立ち尽くしていた。
「……可愛い」
チカがぽつりと呟いた。
「なにこれ、本当に可愛い! どうしよう、私の完敗かも……」
ひとしきり大騒ぎしたあと、チカはじっと私の顔とユキの顔を見比べた。
「それにしても、なんかマユに似てるー」
「似てないよ」
私とユキが? そんなわけない。私、こんなにお人形さんみたいに可愛くないもの。
なおもキャーキャーと騒ぐチカを、ユキは呆然と見つめている。そんなユキの前に、チカがくるりと回り込んで右手を差し出した。
「私の名前は上条千華(かみじょうちか)。マユとは小学校からの腐れ縁! よろしくね、ユキちゃん」
「こちらこそよろしく、チカちゃん」
差し出された手を握り返し、ユキもふわりと花が咲くように笑った。
*
チカも加わり、総出でクリスマスパーティーの準備が始まった。
「レイコさん、ケーキの生クリームもっと盛りましょうよ!」
「これ以上乗せたらあんた豚になるわよ?」
「豚になっても本望! ね、マユ?」
ケーキ作り担当のチカが同意を求めてくる。
「どうだろ、自己責任でどうぞ」
苦笑しながら答える。それにしても、チカとレイコさんは本当に気が合う。昔から女の子らしい可愛いものが大好きで、二人揃うとまるで本物の姉妹みたいにマシンガントークが止まらない。チカがうちに入り浸っているのも、私に会いに来ているのかレイコさんに会いに来ているのか怪しいくらいだ。
「すごいね……私、七面鳥を丸ごと焼くなんて初めて」
隣でユキが目を輝かせている。私とユキは料理担当だ。メインディッシュのローストターキーをオーブンへ放り込む。
「普通の家にこんな業務用みたいなオーブンないよね。これもレイコさんのこだわり」
普段は台所に立ちたがらないくせに、変なところで徹底的に凝り性なのだ。
「ねえマユ、この香草バターってどうやって塗るのが正解なの?」
ユキが真剣な顔でスプーンを握りしめている。
「皮と身の間に指を入れて、こう、優しく揉み込む感じ」
「え、そんな器用なこと私にできるかな……」
恐る恐る手を伸ばすユキに、私は横から手を添えて一緒に塗り込んだ。バターの香りが台所いっぱいに広がっていく。
「わあ、なんかお料理番組みたい……!」
「大げさだなあ」
笑いながらも、こうして誰かと台所に並んで料理をするのが、こんなに楽しいことだったんだと初めて知った気がした。
オーブンの中で皮がチリチリと音を立て始めると、ユキはおっかなびっくり二、三歩後ずさりした。
「ば、爆発しない? 大丈夫?」
「しないしない、大丈夫」
笑っているところへ、チカがやってきた。
「ケーキ完成! こっちもいい感じじゃん」
「うん、もうすぐ焼けるよ」
「ねえ、チカちゃんって毎年クリスマスをマユたちと過ごしてるの?」
ユキの素朴な疑問に、チカはあっけらかんと答えた。
「そうだよ。家にいても誰もクリスマスなんて祝ってくれないからね」
「あ……」
ユキが申し訳なさそうに表情を曇らせた。完全に何か家庭の事情を察して気を遣っている。
「違う違う、ユキ、誤解しないで。チカの家、神社だから」
「神社?」
「うん。うちのお父さん神主さんなの」
チカが得意げに胸を張る。
「ちっちゃい頃は一応やってくれてたんだけどさ。小二のとき、境内のご神木に電飾とモールを巻きつけてギンギラギンにライトアップしたら、お父さんが大激怒しちゃって。それ以来、うちではクリスマスの『ク』の字も禁句。だからマユの家に避難してるってわけ」
「……それ、本当の話?」
「本当だよ。すっごく綺麗だったんだけどなあ。お父さんの目を盗んで、いつか絶対もう一回やってやるんだから」
目を丸くするユキの横で、レイコさんが深いため息をついた。
「あんたね、いい加減にしないと本気で勘当されるわよ……」
*
日が暮れる頃、すべての料理がテーブルに並んだ。
「さあ、パーティーの始まりよ!」
レイコさんが木箱から取り出したのは、高級ワインと見紛うばかりの細身のガラスボトルだった。コルクを抜くと、繊細で華やかな果実とハーブの香りがふわりと広がる。
「あれ? これ、フレンチ・ブルームのプレミアム・ノンアルコールスパークリングじゃないですか?」
ラベルを見たユキが驚いたように声を上げた。
「なにそれ、有名なお酒?」
「ううん、本物のオーガニックワインからアルコールだけを丁寧に抜いて作った、最高級のノンアルスパークリング。おいしいかは分からないけど……一本で一万円以上する、すごく高いやつだよ」
思わずレイコさんをジト目で見る。
「そんな目で見ないの! 生活費じゃなくて私のポケットマネーよ。未成年にアルコールは論外だけど、聖夜くらい最高の一杯で気分を味わいたいじゃない。いいものを少しだけ嗜む、これが大人の粋ってもんよ」
細長いフルートグラスに注がれると、きめ細やかな黄金色の泡が立ち上った。
「それじゃあ、乾杯しましょうか。何に乾杯する?」
「もちろん、ユキがうちに来てくれたことに!」
「異議なーし!」
『かんぱーい!』
カチン、と涼やかなグラスの音が重なり合う。
口に含むと、爽やかな炭酸とともに上品な酸味がパチパチと弾けた。大人の味……なんだか背伸びしたような、くすぐったい美味しさだ。
「おいしーい!」
「当たり前でしょ、私とユキの共同作業なんだから」
グラスを揺らしながら、レイコさんがふと思い出したように呟いた。
「そういえば、あんたたちももうすぐ十七、十八でしょ? 今年あたり、このパーティーを脱落する子が出ると思ってたんだけどねえ」
わざとらしく肩をすくめるレイコさんに、チカが噛みついた。
「なによー! なら宣言します! 来年のイブは辞退させていただきます!」
「へえ、そんないい人いるの?」
「相川くんでしょ? まだまともに喋ったこともないくせに」
私がからかうと、チカはぐっと胸を張った。
「バレンタインがあるもん! 次のバレンタインで、絶対彼のハートを射止めてみせるんだから!」
「意外と古風なんだから」
「神主の娘だからね、そこは伝統重視よ。まあ、頑張りなさい」
レイコさんと私にいじられ、チカは頬を膨らませた。けれどすぐに表情を緩めて、今度はユキに視線を向ける。
「そういえば、ユキちゃんは? 気になってる男の子とかいないの?」
私の脳裏に、昨日の夕暮れの公園――剣崎くんの顔がよぎった。
けれど、ユキから返ってきたのは予想もしない言葉だった。
「私、高校に行ってないの」
テーブルの空気が一瞬で止まった。
「小中学校もまともに通えなくて、ずっと休んでて……だから、友達も一人もいなくて」
消え入りそうな声。俯くユキの肩が小さく震えている。
私は迷わず、その顔をまっすぐに見つめた。
「友達が一人もいない? ここに一人、忘れてない?」
ユキがハッとして顔を上げる。
「ここにも忘れてるわよ」
「私も仲間に入れなさい」
チカとレイコさんも笑顔で続いた。
「みんな……ありがとう」
ユキの瞳から涙がこぼれ、けれどその唇には最高の笑顔が戻っていた。
「約束しよう。私たちはずっと友達。おばあちゃんになっても、ずっとね」
「うん! このパーティーも毎年続けようよ。来年も再来年も!」
……あれ?
「チカ、来年は相川くんと過ごすんじゃなかったの?」
「そうだった! じゃあ来年は相川くんもここに呼べばいいじゃん!」
ケロリと言い放つチカに、全員でどっと吹き出した。
十六歳と十七歳。子供と大人のちょうど真ん中で、私たちは手探りのまま、でも確かに温かい時間を共有していた。
*
お腹いっぱいチキンと特大デコレーションケーキを食べ尽くしたあと、待ちに待ったプレゼント交換が始まった。
トップバッターはレイコさんだ。
「まずは、チカから」
差し出された小さな小箱を開けると、繊細な天使の羽をかたどったシルバーリングが入っていた。
「見た瞬間、あんたに似合うってピピーンときたのよ」
「かわいい! レイコさん、センス最高!」
チカはさっそく指にはめて大はしゃぎしている。
「で、あんたたち二人にはこれ」
渡された二つの平たい箱を開けて、私とユキは息を呑んだ。
中に入っていたのは、ピカピカの最新型スマートフォンだった。色違いのおそろいだ。
「えっ……嘘でしょ、レイコさん!? ずっと欲しくて頼んでた最新モデルじゃん!」
「まあ、機種変更の時期だったしね。それに――」
レイコさんは、箱を抱きしめたまま固まっているユキに視線を向けた。
「ユキは今まで自分専用のスマホ、持ってなかったでしょ。これから色々連絡も必要になるんだから、持っておきなさい」
「いいんですか……? 私、こんな高価なもの……」
「遠慮しないの。その代わり、ギガの使いすぎと課金は自腹だからね!」
ユキはおっかなびっくり電源ボタンを押している。初めてのスマートフォンに、どう触れていいか分からないようだ。
「ユキ、初期設定一緒にやろっか。アプリのアカウント作って……はい、これで私のLINE繋がった!」
「わあ……すごい。マユのアイコンが出てきた」
「ふふっ、ユキのスマホの登録番号、記念すべき第一号は私ね」
「うん! すっごく嬉しい!」
画面を見つめながら、ユキは花がほころぶように笑った。
次はチカの番。取り出したのは手編みのマフラーだった。
赤、青、黄色の三色。赤が私で、黄色がレイコさん、青がユキ。
「ちょっとチカ、ユキのこと知ったの昨日だよね? なんでユキの分まで編んであるの?」
「えっ、あ、それは……」
マフラーの端に刺繍されたイニシャルを見る。
私のは『M・K』、レイコさんは『R・K』。そしてユキの青いマフラーには――『H・A』。
「……これ、相川くんのイニシャルでしょ」
「バレた?」
チカがてへっと舌を出した。
「ごめんねユキちゃん、急すぎて編めなかったの! バレンタイン本番までにもう一回編み直すから、それは練習用!」
「ううん、すごく嬉しいよ。チカちゃん、ありがとう」
ユキが胸元で大事そうに抱きしめる。ちゃっかりしているのか健気なのか、チカの行動力には脱帽する。
そして、私の番。
「私の今年のプレゼントは、本」
レイコさんには、ずっと探していた宮沢賢治の『ポラーノの広場』。コレクションの中で一冊だけ装丁が違っていたのを、古書店で見つけてきたものだ。
「よく見つけたわね!」とレイコさんが目を丸くする。
チカには、ピーターラビットの豪華な挿絵集。
「きゃー、かわいい!」とこちらも大好評だった。
そして最後に、ユキへ包みを手渡す。
中身はディッケンズの『クリスマス・キャロル』。私が小学生の頃に読んで大好きになった、とっておきの物語だ。
包みを開けたユキは、なぜかぽかんと固まってしまった。
「……マユ、これ開けてみて」
ユキがおずおずと差し出してきた包みを、不思議に思いながら開く。
中から出てきたのは――全く同じ本、『クリスマス・キャロル』だった。
「私の大好きな本なの。昨日、本屋さんで見かけて……どうしてもマユに読んでほしくて」
「私もだよ……!」
お互いに同じ本を贈り合っていたなんて。
「ふふっ、『賢者の贈り物』ね」
レイコさんが笑った。聖夜に起きた小さな奇跡に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
ちなみにユキからレイコさんへは、映画化されて社会現象になった純愛小説の話題作『永遠の青を、君と渡る』。レイコさんは「これ、脚本の参考に読みたかったのよ!」と大喜び。
そしてチカへの贈り物は、世界中で大ヒットしている長編ファンタジーの金字塔『星詠みの魔法使いと銀の鍵』の特装版ハードカバーだった。辞書のように分厚い鈍器のような一冊に、チカは「う、嘘でしょ……読めるかな……」とリアルに引きつった悲鳴を上げていた。
*
夜が更けるにつれ、リビングのテンションは最高潮に達していた。
チカとレイコさんが身振り手振りを交えながらマシンガントークを繰り広げている。
「だからねレイコさん! 人生っていうのは勢いとパッションなのよ!」
「あんたねえ、アルコール一滴も入ってないのになんでそんなに出来上がってんのよ」
「いいの! 私はこの聖夜の雰囲気に酔ってるの!」
「ただ自分に酔っ払ってるだけでしょ!」
お腹を抱えて笑いながらふと隣を見ると、ユキがソファの端でスヤスヤと可愛らしい寝息を立てていた。朝からの買い出しと料理、そして初めて尽くしのパーティーで、すっかり疲れ果ててしまったらしい。
「ねえ、そろそろお開きにしない? ユキ、寝ちゃったし」
「あら、本当ね。チカ、あんたどうするの? 泊まってく?」
「泊まるー! こんな時間に帰ったらお父さんに滝行させられちゃう!」
相変わらずテンションの高いチカを笑いながら、私はユキを見る。
「ユキ、起こしたほうがいいかな……」
「いいわよ、私が運ぶから」
レイコさんはすっと立ち上がると、眠るユキの体を軽々と持ち上げた。
――お姫様抱っこだ。
長い栗色の髪がさらりと零れ落ち、レイコさんの腕の中に収まるユキは、まるで絵本のお姫様みたいに儚くて綺麗だった。
「マユの部屋のベッドに寝かせておくわね」
「うん、ありがとう」
階段を上がっていくレイコさんの背中を見送りながら、チカがぽつりと呟いた。
「普段あんなだけど……レイコさんって、やっぱり男の人なんだね」
その通りだ。普段は完全に「綺麗なお母さん」として暮らしているけれど、ふとした瞬間に圧倒的な男性の骨格や筋力を感じてドキリとする。
「マユ、レイコさんがどうして女の子の格好するようになったのか、理由知ってるの?」
「ううん、知らない。物心ついたときにはもうこうだったから」
「そっか……」
パタパタと足音がして、レイコさんが階段を降りてきた。
「さ、洗い物手伝いなさいよー」
「レイコさん遅かったじゃん。何してたの?」
「何って、寝顔があまりに可愛かったから、ちょっと眺めてただけよ」
「うわ、やらしー! 女の子の寝顔を盗み見るなんて!」
茶化すチカを、レイコさんはあっさりといなした。
「女の子の寝顔? あんた何言ってるのよ」
「え? ユキちゃんの寝顔でしょ?」
きょとんとするチカ。私も意味が分からずレイコさんを見つめる。
レイコさんはケーキ皿を重ねてシンクへ向かいながら、極めて平然と、とんでもない爆弾を落とした。
「ああ、あんたたちには言ってなかったかしら」
「何を?」
「ユキは、男の子よ」
しれっと言い放ち、レイコさんは鼻歌交じりに台所の奥へと消えていった。
クリスマスイブの朝。
チャイムが鳴り響き、ドアを開けるなりチカが雪崩れ込んできた。そしてリビングでユキの姿を捉えた瞬間、ピタリと固まる。
じーっと穴が開くほど見つめられ、ユキはおろおろと立ち尽くしていた。
「……可愛い」
チカがぽつりと呟いた。
「なにこれ、本当に可愛い! どうしよう、私の完敗かも……」
ひとしきり大騒ぎしたあと、チカはじっと私の顔とユキの顔を見比べた。
「それにしても、なんかマユに似てるー」
「似てないよ」
私とユキが? そんなわけない。私、こんなにお人形さんみたいに可愛くないもの。
なおもキャーキャーと騒ぐチカを、ユキは呆然と見つめている。そんなユキの前に、チカがくるりと回り込んで右手を差し出した。
「私の名前は上条千華(かみじょうちか)。マユとは小学校からの腐れ縁! よろしくね、ユキちゃん」
「こちらこそよろしく、チカちゃん」
差し出された手を握り返し、ユキもふわりと花が咲くように笑った。
*
チカも加わり、総出でクリスマスパーティーの準備が始まった。
「レイコさん、ケーキの生クリームもっと盛りましょうよ!」
「これ以上乗せたらあんた豚になるわよ?」
「豚になっても本望! ね、マユ?」
ケーキ作り担当のチカが同意を求めてくる。
「どうだろ、自己責任でどうぞ」
苦笑しながら答える。それにしても、チカとレイコさんは本当に気が合う。昔から女の子らしい可愛いものが大好きで、二人揃うとまるで本物の姉妹みたいにマシンガントークが止まらない。チカがうちに入り浸っているのも、私に会いに来ているのかレイコさんに会いに来ているのか怪しいくらいだ。
「すごいね……私、七面鳥を丸ごと焼くなんて初めて」
隣でユキが目を輝かせている。私とユキは料理担当だ。メインディッシュのローストターキーをオーブンへ放り込む。
「普通の家にこんな業務用みたいなオーブンないよね。これもレイコさんのこだわり」
普段は台所に立ちたがらないくせに、変なところで徹底的に凝り性なのだ。
「ねえマユ、この香草バターってどうやって塗るのが正解なの?」
ユキが真剣な顔でスプーンを握りしめている。
「皮と身の間に指を入れて、こう、優しく揉み込む感じ」
「え、そんな器用なこと私にできるかな……」
恐る恐る手を伸ばすユキに、私は横から手を添えて一緒に塗り込んだ。バターの香りが台所いっぱいに広がっていく。
「わあ、なんかお料理番組みたい……!」
「大げさだなあ」
笑いながらも、こうして誰かと台所に並んで料理をするのが、こんなに楽しいことだったんだと初めて知った気がした。
オーブンの中で皮がチリチリと音を立て始めると、ユキはおっかなびっくり二、三歩後ずさりした。
「ば、爆発しない? 大丈夫?」
「しないしない、大丈夫」
笑っているところへ、チカがやってきた。
「ケーキ完成! こっちもいい感じじゃん」
「うん、もうすぐ焼けるよ」
「ねえ、チカちゃんって毎年クリスマスをマユたちと過ごしてるの?」
ユキの素朴な疑問に、チカはあっけらかんと答えた。
「そうだよ。家にいても誰もクリスマスなんて祝ってくれないからね」
「あ……」
ユキが申し訳なさそうに表情を曇らせた。完全に何か家庭の事情を察して気を遣っている。
「違う違う、ユキ、誤解しないで。チカの家、神社だから」
「神社?」
「うん。うちのお父さん神主さんなの」
チカが得意げに胸を張る。
「ちっちゃい頃は一応やってくれてたんだけどさ。小二のとき、境内のご神木に電飾とモールを巻きつけてギンギラギンにライトアップしたら、お父さんが大激怒しちゃって。それ以来、うちではクリスマスの『ク』の字も禁句。だからマユの家に避難してるってわけ」
「……それ、本当の話?」
「本当だよ。すっごく綺麗だったんだけどなあ。お父さんの目を盗んで、いつか絶対もう一回やってやるんだから」
目を丸くするユキの横で、レイコさんが深いため息をついた。
「あんたね、いい加減にしないと本気で勘当されるわよ……」
*
日が暮れる頃、すべての料理がテーブルに並んだ。
「さあ、パーティーの始まりよ!」
レイコさんが木箱から取り出したのは、高級ワインと見紛うばかりの細身のガラスボトルだった。コルクを抜くと、繊細で華やかな果実とハーブの香りがふわりと広がる。
「あれ? これ、フレンチ・ブルームのプレミアム・ノンアルコールスパークリングじゃないですか?」
ラベルを見たユキが驚いたように声を上げた。
「なにそれ、有名なお酒?」
「ううん、本物のオーガニックワインからアルコールだけを丁寧に抜いて作った、最高級のノンアルスパークリング。おいしいかは分からないけど……一本で一万円以上する、すごく高いやつだよ」
思わずレイコさんをジト目で見る。
「そんな目で見ないの! 生活費じゃなくて私のポケットマネーよ。未成年にアルコールは論外だけど、聖夜くらい最高の一杯で気分を味わいたいじゃない。いいものを少しだけ嗜む、これが大人の粋ってもんよ」
細長いフルートグラスに注がれると、きめ細やかな黄金色の泡が立ち上った。
「それじゃあ、乾杯しましょうか。何に乾杯する?」
「もちろん、ユキがうちに来てくれたことに!」
「異議なーし!」
『かんぱーい!』
カチン、と涼やかなグラスの音が重なり合う。
口に含むと、爽やかな炭酸とともに上品な酸味がパチパチと弾けた。大人の味……なんだか背伸びしたような、くすぐったい美味しさだ。
「おいしーい!」
「当たり前でしょ、私とユキの共同作業なんだから」
グラスを揺らしながら、レイコさんがふと思い出したように呟いた。
「そういえば、あんたたちももうすぐ十七、十八でしょ? 今年あたり、このパーティーを脱落する子が出ると思ってたんだけどねえ」
わざとらしく肩をすくめるレイコさんに、チカが噛みついた。
「なによー! なら宣言します! 来年のイブは辞退させていただきます!」
「へえ、そんないい人いるの?」
「相川くんでしょ? まだまともに喋ったこともないくせに」
私がからかうと、チカはぐっと胸を張った。
「バレンタインがあるもん! 次のバレンタインで、絶対彼のハートを射止めてみせるんだから!」
「意外と古風なんだから」
「神主の娘だからね、そこは伝統重視よ。まあ、頑張りなさい」
レイコさんと私にいじられ、チカは頬を膨らませた。けれどすぐに表情を緩めて、今度はユキに視線を向ける。
「そういえば、ユキちゃんは? 気になってる男の子とかいないの?」
私の脳裏に、昨日の夕暮れの公園――剣崎くんの顔がよぎった。
けれど、ユキから返ってきたのは予想もしない言葉だった。
「私、高校に行ってないの」
テーブルの空気が一瞬で止まった。
「小中学校もまともに通えなくて、ずっと休んでて……だから、友達も一人もいなくて」
消え入りそうな声。俯くユキの肩が小さく震えている。
私は迷わず、その顔をまっすぐに見つめた。
「友達が一人もいない? ここに一人、忘れてない?」
ユキがハッとして顔を上げる。
「ここにも忘れてるわよ」
「私も仲間に入れなさい」
チカとレイコさんも笑顔で続いた。
「みんな……ありがとう」
ユキの瞳から涙がこぼれ、けれどその唇には最高の笑顔が戻っていた。
「約束しよう。私たちはずっと友達。おばあちゃんになっても、ずっとね」
「うん! このパーティーも毎年続けようよ。来年も再来年も!」
……あれ?
「チカ、来年は相川くんと過ごすんじゃなかったの?」
「そうだった! じゃあ来年は相川くんもここに呼べばいいじゃん!」
ケロリと言い放つチカに、全員でどっと吹き出した。
十六歳と十七歳。子供と大人のちょうど真ん中で、私たちは手探りのまま、でも確かに温かい時間を共有していた。
*
お腹いっぱいチキンと特大デコレーションケーキを食べ尽くしたあと、待ちに待ったプレゼント交換が始まった。
トップバッターはレイコさんだ。
「まずは、チカから」
差し出された小さな小箱を開けると、繊細な天使の羽をかたどったシルバーリングが入っていた。
「見た瞬間、あんたに似合うってピピーンときたのよ」
「かわいい! レイコさん、センス最高!」
チカはさっそく指にはめて大はしゃぎしている。
「で、あんたたち二人にはこれ」
渡された二つの平たい箱を開けて、私とユキは息を呑んだ。
中に入っていたのは、ピカピカの最新型スマートフォンだった。色違いのおそろいだ。
「えっ……嘘でしょ、レイコさん!? ずっと欲しくて頼んでた最新モデルじゃん!」
「まあ、機種変更の時期だったしね。それに――」
レイコさんは、箱を抱きしめたまま固まっているユキに視線を向けた。
「ユキは今まで自分専用のスマホ、持ってなかったでしょ。これから色々連絡も必要になるんだから、持っておきなさい」
「いいんですか……? 私、こんな高価なもの……」
「遠慮しないの。その代わり、ギガの使いすぎと課金は自腹だからね!」
ユキはおっかなびっくり電源ボタンを押している。初めてのスマートフォンに、どう触れていいか分からないようだ。
「ユキ、初期設定一緒にやろっか。アプリのアカウント作って……はい、これで私のLINE繋がった!」
「わあ……すごい。マユのアイコンが出てきた」
「ふふっ、ユキのスマホの登録番号、記念すべき第一号は私ね」
「うん! すっごく嬉しい!」
画面を見つめながら、ユキは花がほころぶように笑った。
次はチカの番。取り出したのは手編みのマフラーだった。
赤、青、黄色の三色。赤が私で、黄色がレイコさん、青がユキ。
「ちょっとチカ、ユキのこと知ったの昨日だよね? なんでユキの分まで編んであるの?」
「えっ、あ、それは……」
マフラーの端に刺繍されたイニシャルを見る。
私のは『M・K』、レイコさんは『R・K』。そしてユキの青いマフラーには――『H・A』。
「……これ、相川くんのイニシャルでしょ」
「バレた?」
チカがてへっと舌を出した。
「ごめんねユキちゃん、急すぎて編めなかったの! バレンタイン本番までにもう一回編み直すから、それは練習用!」
「ううん、すごく嬉しいよ。チカちゃん、ありがとう」
ユキが胸元で大事そうに抱きしめる。ちゃっかりしているのか健気なのか、チカの行動力には脱帽する。
そして、私の番。
「私の今年のプレゼントは、本」
レイコさんには、ずっと探していた宮沢賢治の『ポラーノの広場』。コレクションの中で一冊だけ装丁が違っていたのを、古書店で見つけてきたものだ。
「よく見つけたわね!」とレイコさんが目を丸くする。
チカには、ピーターラビットの豪華な挿絵集。
「きゃー、かわいい!」とこちらも大好評だった。
そして最後に、ユキへ包みを手渡す。
中身はディッケンズの『クリスマス・キャロル』。私が小学生の頃に読んで大好きになった、とっておきの物語だ。
包みを開けたユキは、なぜかぽかんと固まってしまった。
「……マユ、これ開けてみて」
ユキがおずおずと差し出してきた包みを、不思議に思いながら開く。
中から出てきたのは――全く同じ本、『クリスマス・キャロル』だった。
「私の大好きな本なの。昨日、本屋さんで見かけて……どうしてもマユに読んでほしくて」
「私もだよ……!」
お互いに同じ本を贈り合っていたなんて。
「ふふっ、『賢者の贈り物』ね」
レイコさんが笑った。聖夜に起きた小さな奇跡に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
ちなみにユキからレイコさんへは、映画化されて社会現象になった純愛小説の話題作『永遠の青を、君と渡る』。レイコさんは「これ、脚本の参考に読みたかったのよ!」と大喜び。
そしてチカへの贈り物は、世界中で大ヒットしている長編ファンタジーの金字塔『星詠みの魔法使いと銀の鍵』の特装版ハードカバーだった。辞書のように分厚い鈍器のような一冊に、チカは「う、嘘でしょ……読めるかな……」とリアルに引きつった悲鳴を上げていた。
*
夜が更けるにつれ、リビングのテンションは最高潮に達していた。
チカとレイコさんが身振り手振りを交えながらマシンガントークを繰り広げている。
「だからねレイコさん! 人生っていうのは勢いとパッションなのよ!」
「あんたねえ、アルコール一滴も入ってないのになんでそんなに出来上がってんのよ」
「いいの! 私はこの聖夜の雰囲気に酔ってるの!」
「ただ自分に酔っ払ってるだけでしょ!」
お腹を抱えて笑いながらふと隣を見ると、ユキがソファの端でスヤスヤと可愛らしい寝息を立てていた。朝からの買い出しと料理、そして初めて尽くしのパーティーで、すっかり疲れ果ててしまったらしい。
「ねえ、そろそろお開きにしない? ユキ、寝ちゃったし」
「あら、本当ね。チカ、あんたどうするの? 泊まってく?」
「泊まるー! こんな時間に帰ったらお父さんに滝行させられちゃう!」
相変わらずテンションの高いチカを笑いながら、私はユキを見る。
「ユキ、起こしたほうがいいかな……」
「いいわよ、私が運ぶから」
レイコさんはすっと立ち上がると、眠るユキの体を軽々と持ち上げた。
――お姫様抱っこだ。
長い栗色の髪がさらりと零れ落ち、レイコさんの腕の中に収まるユキは、まるで絵本のお姫様みたいに儚くて綺麗だった。
「マユの部屋のベッドに寝かせておくわね」
「うん、ありがとう」
階段を上がっていくレイコさんの背中を見送りながら、チカがぽつりと呟いた。
「普段あんなだけど……レイコさんって、やっぱり男の人なんだね」
その通りだ。普段は完全に「綺麗なお母さん」として暮らしているけれど、ふとした瞬間に圧倒的な男性の骨格や筋力を感じてドキリとする。
「マユ、レイコさんがどうして女の子の格好するようになったのか、理由知ってるの?」
「ううん、知らない。物心ついたときにはもうこうだったから」
「そっか……」
パタパタと足音がして、レイコさんが階段を降りてきた。
「さ、洗い物手伝いなさいよー」
「レイコさん遅かったじゃん。何してたの?」
「何って、寝顔があまりに可愛かったから、ちょっと眺めてただけよ」
「うわ、やらしー! 女の子の寝顔を盗み見るなんて!」
茶化すチカを、レイコさんはあっさりといなした。
「女の子の寝顔? あんた何言ってるのよ」
「え? ユキちゃんの寝顔でしょ?」
きょとんとするチカ。私も意味が分からずレイコさんを見つめる。
レイコさんはケーキ皿を重ねてシンクへ向かいながら、極めて平然と、とんでもない爆弾を落とした。
「ああ、あんたたちには言ってなかったかしら」
「何を?」
「ユキは、男の子よ」
しれっと言い放ち、レイコさんは鼻歌交じりに台所の奥へと消えていった。
