時雨と共に行動するようになって数日が経った今日。花野は、華やかな着物に身を包んでいた。
というのも、先日新しい縁談が舞い込み、今日はさっそく見合いの日なのだ。花野は振袖に身を包み、髪を結い上げている。
着付けを手伝ってくれたのは使用人の季美で、「お嬢さまお綺麗です!」と。それはもう花野の耳にタコができるほど口にした。そんな花野の苦笑に気づいたか気づかないフリをしたか。季美は最後の仕上げにと、鼈甲の簪を一指挿す。いつもとは違う重さをまとった髪に、花野の背筋がしゃんと伸びた。
そうして身支度を終えると、時間も時間なのでさっそく応接室に移動する。後ろには、いつものように時雨が控えていた。
「今日の私は、どうでしょうか?」
移動するまでの間。手持無沙汰になったので時雨に尋ねる。すると背中に視線を感じた。きっと時雨が見ているのだ。そのことに少しの気恥ずかしさを感じていると、ポツリと返事があった。
「花野さまに、よくお似合いです」
「そうですか」
「……楽しみですか?」
何気なく聞かれた言葉に、花野は思わず足を止めた。
「どうして、そう思われるのですか?」
「いつもより、少しそわそわしているように見えたので」
時雨は「勘違いだったらすみません」と花野の後ろで、彼女と同じく足を止める。
「勘違いではありません。私は、嬉しいのです」
花野は、時雨へ振り返る。その顔に浮かぶのは、いつもの笑顔。
「やっと両親に恩を返せるかと思うと、嬉しいのです。
私は今までたくさん迷惑をかけてきました。縁談も何度も断られ……両親には、心配をかけてしまいました」
「今回の相手は、千田家ですね。異能もちで有名な上流階級です。きっと花野さまの不便がないよう迎えてくれることでしょう」
そう。目が見えないことは、上流階級の者たちにとって、さして問題ではないのだ。家のことは使用人がするし、料理だって料理人が作る。子供が生まれたとて、乳母を雇えば解決するのだ。そのため花野が上流階級の家へ嫁ぐことは有意義であり、時雨も納得だった。
縁談は、父の長房が決めているという。なるほど、嫁いだ娘の好待遇を望めば、「縁談は上流階級に」と固執する理由も分かる。動けない娘に代わり使用人を雇うには、それなりの資金がいるからだ。だから長房は上流階級に声をかけ続けた。その努力が今日、実ったというわけだ。
心優しい父を思い浮かべ、花野は胸に手を寄せる。
「身上書を送れば、あとは断られるだけ。それが当たり前でした。今日のように見合いまで辿り着くことはなかった……だから嬉しいんです。
これは、私の親孝行なのです」
「……そうですか」
時雨の返事はいつもそっけない。しかし今回ばかりはどこか優しい声色であることに、花野は気づいていた。両親から何度か「獣人は怖いものだ」と聞いていたが、それは違うのでは? ということも。
「上手くいくといいですね」
「はいっ」
時雨にそう言われ、花野の気分はさらに上を向いた。このまま縁談が上手くいくに違いないと信じて止まなかった。
千田家が使者を寄こしただけで家に来ないと知った、その時までは――
千田家は、見合い当日に「この縁談はなかったことに」と。あらぬことに使者のみ寄こして、それを告げた。こういった非礼には直々に当主が詫びるのが常だが、それさえもなかった。当然、秋之橋家は納得がいかない。長房なんて、千田家に乗り込まんとする勢いだった。
しかしそれを止めたのが、誰でもない花野である。
「お父さま、このお見合いはなかったことにしましょう」
「だが、花野」
「いいのです。誰も、悪くありませんから。
それより、今回もお役に立てなくてごめんなさい」
一番傷ついているだろう花野にそう言われては、長房も、そしてあや子もこれ以上追求する気が起きないようだった。「お前がそう言うなら」と、長房は硬く握った拳を緩めた。
(見た目は、ただの娘思いの父親だが……)
時雨は、長房の態度にどこか引っかかりを覚えていた。というのも、聞けば縁談を始めて、もう三年の月日が経っているという。裏を返せば、花野は三年に渡り縁談を断られ、その度に傷ついているということだ。
(いくら嫁ぎ先で娘を苦労させないためとはいえ、これでは本末転倒だ)
異能もちの秋之橋家と繋がりを持ちたいと思っている家は多い。そのため最初から秋之橋家よりも下流の家と縁談を組んでいれば、今ごろ婚約はおろか、結婚さえも済ませていたことだろう。子供さえいたかもしれない。
それでも長房は三年の年月を費やした。
断られる度に花野が傷つくと分かっていても、上流階級との縁談に縋った。
それが愛娘に対する愛情だとは、とても思えなかった。
(……不気味だな)
長房が何を思い、何を狙いとしているのか。妙な憶測が、胸をざわめかせる。
まず使者が応接室を出て、次に花野の両親が退室する。
誰もいないのに、いつまでも座ったまま花野の小さな背中を、時雨は見つめていた。
(この女も、変だ)
心中では、そんなことを思いながら。
(使用人の前では優しいお嬢様、両親の前では気丈な娘。使者一人寄こして縁談を断る無礼な千田家にも悪態をつかない。表面上は穏やかだが、この娘の腹の中、どれほどのものが溜まっているか。そして、なぜそれを表に出さないのだ)
花野はいつも笑みを浮かべていた。お見合いを反故にされた時もそうだった。
期待していた千田家からの、あまりにむごい仕打ち。両親へ恩を返せると思っていたのに、再び重荷となって戻ってきた時の心中はいかばかりか。察するに有り余る。
すると花野が「あの」と、小さな声で時雨を求める。
「私は目が見えないから……代わりに見てくださりますか? 今日の私のお着物を」
「……かしこまりました」
花野はお礼を言って、その場に立つ。そうして時雨の声がする方へ、すらりと体を向けた。
「着物は何色ですか? 描かれている模様まで教えて下さると嬉しいです」
「目をひく赤色に、大柄の牡丹の花が咲いています。帯は朱赤色。類似色なので統一感があります。花野さまによくお似合いですよ」
嘘ではなかった。よく笑う花野に、明るい赤はぴったりのような気がした。
しかし花野は「そうですか」と。今にも消え入りそうな声で返事をする。
「以前、縁談で使う用にと写真撮影をしました。その時に聞いたお着物と違うから、両親が張り切って準備してくれたんですね。それなのに、私が不甲斐ないばかりに……」
花野は自分の着物に触れながら、結われた頭を下げた。
その姿から「私なんかのためにもったいない」と、彼女の心が言っているような気がした。
しかし心中穏やかでないのは、むしろ時雨の方かもしれなかった。なぜなら獣人は、人の慰め方を知らない。いつ泣くかもしれない花野を前に、時雨は今にもため息が口をついて出てきそうだった。
人の慰め方なぞ知らないし、興味もない。先の戦では、死の淵にたった人間が泣く様を見て悦に浸ったくらいだ。そんな自分が、か弱い令嬢を慰めるなど――頑張って慰めの言葉を考えてみたが、しかしやはりできなかった。今までの価値観をそう簡単に変えることができないように、獣人が人の気持ちに寄り沿うことも、また難しい。
そんな悪戦苦闘をしているとも知らない花野が、パッと顔をあげる。その顔には、なんと笑みが浮かんでいた。
「次に使うため、大事に取っておかなければ。着替えるので、自室に戻ります」
「……かしこまりました」
一拍遅れて返事した時雨は、シャキシャキ歩く花野の後ろにつく。こんな時だって、花野は「手を退いてください」とは決して言わない。
立っているのもやっとではないのか? 婚約破棄された令嬢に遭遇したことがある。その時は意気消沈のため倒れ込み、数日間は床に伏せっていた。それに比べれば花野の、なんと逞しく強かなことか。
(本当に、この女は変だ)
時雨は、もう一度思った。
(まさか、あそこで笑うとは)
泣くだろうと思っていたのに、まさか笑顔を向けられ自分がたじろぐことになろうとは。慰めの言葉なぞ、いくら絞り出したところで「そうですか」と笑われて終わりだろう。
花野を見ていると、時々自分が情けなくなる。最強などと聞いて呆れる。あのか弱い娘の方が、よほど強く見えるのだ。人に左右されない自身の尊厳が、彼女の胸の内にしっかり根付いている。その姿はたくましく、そして眩しい。
そう思ってしまったせいだろうか。気づけば時雨は、珍しく花野に話しかけていた。
「……立派だな」
話しかけていた、と言っても。胸から湧いて出た声は、蚊の鳴くような小さな声。だから花野の耳に届いているかは分からない。というより、聞こえていない可能性の方が高い。
けれども、聞こえてない方がいい気がした。花野が欲しがっているのは、きっとこんな言葉ではないからだ。自分が役に立てる瞬間の言葉を、彼女はずっと待っている――
「……」
しゃんと伸びた花野の背中を、時雨は見つめ続ける。
気づけば秋之橋家に来てから、とうに五日がすぎていた。
というのも、先日新しい縁談が舞い込み、今日はさっそく見合いの日なのだ。花野は振袖に身を包み、髪を結い上げている。
着付けを手伝ってくれたのは使用人の季美で、「お嬢さまお綺麗です!」と。それはもう花野の耳にタコができるほど口にした。そんな花野の苦笑に気づいたか気づかないフリをしたか。季美は最後の仕上げにと、鼈甲の簪を一指挿す。いつもとは違う重さをまとった髪に、花野の背筋がしゃんと伸びた。
そうして身支度を終えると、時間も時間なのでさっそく応接室に移動する。後ろには、いつものように時雨が控えていた。
「今日の私は、どうでしょうか?」
移動するまでの間。手持無沙汰になったので時雨に尋ねる。すると背中に視線を感じた。きっと時雨が見ているのだ。そのことに少しの気恥ずかしさを感じていると、ポツリと返事があった。
「花野さまに、よくお似合いです」
「そうですか」
「……楽しみですか?」
何気なく聞かれた言葉に、花野は思わず足を止めた。
「どうして、そう思われるのですか?」
「いつもより、少しそわそわしているように見えたので」
時雨は「勘違いだったらすみません」と花野の後ろで、彼女と同じく足を止める。
「勘違いではありません。私は、嬉しいのです」
花野は、時雨へ振り返る。その顔に浮かぶのは、いつもの笑顔。
「やっと両親に恩を返せるかと思うと、嬉しいのです。
私は今までたくさん迷惑をかけてきました。縁談も何度も断られ……両親には、心配をかけてしまいました」
「今回の相手は、千田家ですね。異能もちで有名な上流階級です。きっと花野さまの不便がないよう迎えてくれることでしょう」
そう。目が見えないことは、上流階級の者たちにとって、さして問題ではないのだ。家のことは使用人がするし、料理だって料理人が作る。子供が生まれたとて、乳母を雇えば解決するのだ。そのため花野が上流階級の家へ嫁ぐことは有意義であり、時雨も納得だった。
縁談は、父の長房が決めているという。なるほど、嫁いだ娘の好待遇を望めば、「縁談は上流階級に」と固執する理由も分かる。動けない娘に代わり使用人を雇うには、それなりの資金がいるからだ。だから長房は上流階級に声をかけ続けた。その努力が今日、実ったというわけだ。
心優しい父を思い浮かべ、花野は胸に手を寄せる。
「身上書を送れば、あとは断られるだけ。それが当たり前でした。今日のように見合いまで辿り着くことはなかった……だから嬉しいんです。
これは、私の親孝行なのです」
「……そうですか」
時雨の返事はいつもそっけない。しかし今回ばかりはどこか優しい声色であることに、花野は気づいていた。両親から何度か「獣人は怖いものだ」と聞いていたが、それは違うのでは? ということも。
「上手くいくといいですね」
「はいっ」
時雨にそう言われ、花野の気分はさらに上を向いた。このまま縁談が上手くいくに違いないと信じて止まなかった。
千田家が使者を寄こしただけで家に来ないと知った、その時までは――
千田家は、見合い当日に「この縁談はなかったことに」と。あらぬことに使者のみ寄こして、それを告げた。こういった非礼には直々に当主が詫びるのが常だが、それさえもなかった。当然、秋之橋家は納得がいかない。長房なんて、千田家に乗り込まんとする勢いだった。
しかしそれを止めたのが、誰でもない花野である。
「お父さま、このお見合いはなかったことにしましょう」
「だが、花野」
「いいのです。誰も、悪くありませんから。
それより、今回もお役に立てなくてごめんなさい」
一番傷ついているだろう花野にそう言われては、長房も、そしてあや子もこれ以上追求する気が起きないようだった。「お前がそう言うなら」と、長房は硬く握った拳を緩めた。
(見た目は、ただの娘思いの父親だが……)
時雨は、長房の態度にどこか引っかかりを覚えていた。というのも、聞けば縁談を始めて、もう三年の月日が経っているという。裏を返せば、花野は三年に渡り縁談を断られ、その度に傷ついているということだ。
(いくら嫁ぎ先で娘を苦労させないためとはいえ、これでは本末転倒だ)
異能もちの秋之橋家と繋がりを持ちたいと思っている家は多い。そのため最初から秋之橋家よりも下流の家と縁談を組んでいれば、今ごろ婚約はおろか、結婚さえも済ませていたことだろう。子供さえいたかもしれない。
それでも長房は三年の年月を費やした。
断られる度に花野が傷つくと分かっていても、上流階級との縁談に縋った。
それが愛娘に対する愛情だとは、とても思えなかった。
(……不気味だな)
長房が何を思い、何を狙いとしているのか。妙な憶測が、胸をざわめかせる。
まず使者が応接室を出て、次に花野の両親が退室する。
誰もいないのに、いつまでも座ったまま花野の小さな背中を、時雨は見つめていた。
(この女も、変だ)
心中では、そんなことを思いながら。
(使用人の前では優しいお嬢様、両親の前では気丈な娘。使者一人寄こして縁談を断る無礼な千田家にも悪態をつかない。表面上は穏やかだが、この娘の腹の中、どれほどのものが溜まっているか。そして、なぜそれを表に出さないのだ)
花野はいつも笑みを浮かべていた。お見合いを反故にされた時もそうだった。
期待していた千田家からの、あまりにむごい仕打ち。両親へ恩を返せると思っていたのに、再び重荷となって戻ってきた時の心中はいかばかりか。察するに有り余る。
すると花野が「あの」と、小さな声で時雨を求める。
「私は目が見えないから……代わりに見てくださりますか? 今日の私のお着物を」
「……かしこまりました」
花野はお礼を言って、その場に立つ。そうして時雨の声がする方へ、すらりと体を向けた。
「着物は何色ですか? 描かれている模様まで教えて下さると嬉しいです」
「目をひく赤色に、大柄の牡丹の花が咲いています。帯は朱赤色。類似色なので統一感があります。花野さまによくお似合いですよ」
嘘ではなかった。よく笑う花野に、明るい赤はぴったりのような気がした。
しかし花野は「そうですか」と。今にも消え入りそうな声で返事をする。
「以前、縁談で使う用にと写真撮影をしました。その時に聞いたお着物と違うから、両親が張り切って準備してくれたんですね。それなのに、私が不甲斐ないばかりに……」
花野は自分の着物に触れながら、結われた頭を下げた。
その姿から「私なんかのためにもったいない」と、彼女の心が言っているような気がした。
しかし心中穏やかでないのは、むしろ時雨の方かもしれなかった。なぜなら獣人は、人の慰め方を知らない。いつ泣くかもしれない花野を前に、時雨は今にもため息が口をついて出てきそうだった。
人の慰め方なぞ知らないし、興味もない。先の戦では、死の淵にたった人間が泣く様を見て悦に浸ったくらいだ。そんな自分が、か弱い令嬢を慰めるなど――頑張って慰めの言葉を考えてみたが、しかしやはりできなかった。今までの価値観をそう簡単に変えることができないように、獣人が人の気持ちに寄り沿うことも、また難しい。
そんな悪戦苦闘をしているとも知らない花野が、パッと顔をあげる。その顔には、なんと笑みが浮かんでいた。
「次に使うため、大事に取っておかなければ。着替えるので、自室に戻ります」
「……かしこまりました」
一拍遅れて返事した時雨は、シャキシャキ歩く花野の後ろにつく。こんな時だって、花野は「手を退いてください」とは決して言わない。
立っているのもやっとではないのか? 婚約破棄された令嬢に遭遇したことがある。その時は意気消沈のため倒れ込み、数日間は床に伏せっていた。それに比べれば花野の、なんと逞しく強かなことか。
(本当に、この女は変だ)
時雨は、もう一度思った。
(まさか、あそこで笑うとは)
泣くだろうと思っていたのに、まさか笑顔を向けられ自分がたじろぐことになろうとは。慰めの言葉なぞ、いくら絞り出したところで「そうですか」と笑われて終わりだろう。
花野を見ていると、時々自分が情けなくなる。最強などと聞いて呆れる。あのか弱い娘の方が、よほど強く見えるのだ。人に左右されない自身の尊厳が、彼女の胸の内にしっかり根付いている。その姿はたくましく、そして眩しい。
そう思ってしまったせいだろうか。気づけば時雨は、珍しく花野に話しかけていた。
「……立派だな」
話しかけていた、と言っても。胸から湧いて出た声は、蚊の鳴くような小さな声。だから花野の耳に届いているかは分からない。というより、聞こえていない可能性の方が高い。
けれども、聞こえてない方がいい気がした。花野が欲しがっているのは、きっとこんな言葉ではないからだ。自分が役に立てる瞬間の言葉を、彼女はずっと待っている――
「……」
しゃんと伸びた花野の背中を、時雨は見つめ続ける。
気づけば秋之橋家に来てから、とうに五日がすぎていた。



