孤独で最強の龍人が、盲目の私を、義務的な護衛対象から妻にするまで

 そうして再び、花野の部屋を目指す。その道中で、何人もの使用人とすれ違った。
 さすが名家の秋之橋家。帝都に近い場所に立つ屋敷は、昔ながらの趣を残しつつ、西洋の建築も取り入れていた。階段にはシャンデリアがついており、花野の部屋にも大きな白いドアがついている。移動しながら覗いた部屋の一室に、大きなピアノが置かれていた。

(豪邸だな)

 当たり前だが、家の大きさに比例して、屋敷に務める使用人の数も増減する。
 これだけ大きな屋敷を構えているのであれば、相当な使用人を雇っているはず――と時雨は予想していたが、中に入ると想像以上だった。

 花野の部屋に行くまでに、もう何十人と使用人たちとすれ違っている。驚くのは、その一人一人に花野がちゃんと気づき、挨拶をしているということだ。

 特に季美(きみ)という若い使用人とは、長い付き合いらしい。盲目であるはずなのに、足音を聞いただけで季美がいると分かった花野は笑みを浮かべた。

「季美、ごきげんよう」
「お嬢様、今日もお元気そうで何よりです!」

 肩までの髪をした黒髪の季美が、チラリと花野後ろへ視線を向ける。
 さすがに使用人にまで自分の存在は知られていないかと、時雨は頭を下げた。

「今日から花野さまの護衛をさせて頂きます、特級獣人の時雨と申します」
「特級……獣、人⁉」

 季美の表情が一変。水をかぶったように、ザッと青くなった。花野は「どうしたの?」と焦ったが、時雨は慣れたものだった。これが当たり前の光景だからだ。花野が特殊なだけで、季美のような反応が一般的だ。

(特級獣人と言っても、この反応だ。役職を持たない部下たちは、もっと嫌な思いをしているだろうな)

 それぞれの家で任を全うする仲間に想いを馳せながら、挨拶を済ませた時雨は顔を上げる。警戒しているのか、季美は片時も、時雨から目をそらさなかった。

 一方の花野は、笑顔で「それじゃあね」と季美の前を通りすぎる。
 その態度も、時雨にとっては不思議だった。

 獣人の自分を傍におくことで、花野が使用人から奇異の目で見られることは間違いない。それを「国から言われたから仕方なく」とか一切の訂正もせず、ばかりか笑顔でいるのだから理解できない。
 だから尋ねてしまった。

「俺と距離をとらなくてもいいのですか?」

 獣人と慣れ親しむ人間は、獣人ほどではないが、人間から差別的な視線を向けられる。
 つまり使用人が、時雨と親しく話す花野へ不信感を募らせるのも、時間の問題ということだ。

(そのことに気づいていないのか? あぁ……、そうか)

 花野は盲目だから、さっきの季美の表情に気づけないのだ。

 人間の形をしているが人間ではあらず――これが、人間が獣人に対する認識だ。
 さっきの季美も然り。まるで怪物を見る目つきだった。

 それでも花野は気づかないのだ。盲目だから。
 ゆえに「獣人と距離をとらねば自分の立場が危うくなる」と気づけないのだ。

(不憫なものだな、見えないというのは)

 一方の花野は「距離をとる、というのは?」と。やはり分かっていない様子だった。
 正直に説明した方がいいものか――と時雨は悩む。

 しかし「きゃ」という声を聞き、すぐに花野へ目を向けた。
 見ると、花野の手から異能の炎が出ていた。

 マッチのように指先から炎が出て、ゆらめいている。それを見た時雨は、自分の手で花野の指を覆った。同時にジュッと音がして、炎が消える。

「今のは……?」

 そう言ったのは、花野だった。
 どうやら自分でも、どうして異能が出たのか理解していないらしい。

(朱花の異能? いや、そんな雰囲気はなかったが)

 異能は、使う者が制御できるだけの力しか宿らない。しかし、たまにそれを越える力が出る。それが「朱花(しゅか)の異能」だ。花火が爆ぜるように異能が暴発するため、そう名付けられた。

 しかし、それは感情に大きな乱れが起こった時に発生するもので、今の花野に無縁のものだ。なぜなら花野は、時雨と話をしていただけなのだから。

「あ、手、火傷……大丈夫ですか?」

 しばし呆然としていた花野は、時雨が自ら火を消してくれたことに遅れて気づいたようだ。既に離れた時雨の手を探るように、自分の手を忙しなく動かしている。
 それを目で追うと、炎を出した指に怪我はないようだ。であれば、さっきの炎は間違いなく花野自身の異能。しかし――

 時雨の中で不信感が消えない。何が原因で、異能が発動したのだろうか。

「こういうことは、よくあるのですか?」
「いえ、初めてです……。あの、それより手は……」

 時雨は「あぁ」と、やっと返事をする。

「龍は水属性なので、水を出して消しました。これくらいで怪我なぞしません」

 そう答えた瞬間、時雨は後悔した。獣力について語ってしまえば気味悪がられるに違いない、と。
 しかし返って来た答えは、予想外のものだった。

「それは、よかったです」

 本当に安堵したような声色だから、時雨も気が抜ける。「ありがとうございます」なんてお礼まで言われ、困惑さえした。この令嬢は、自分が出会ったどの人間とも違う反応をする、と。
 深呼吸した花野は、再び凛とした立ち姿で一歩前に出て歩き始める。

「――こういうこともあるので」

 何の話だろうかと、漆黒の頭を後ろから見る。すると花野は振り向かないまま、やや早口で続きを話した。

「いくら慣れた家の中でもこういう予想外なことが起こるので、あなたがこうしてそばにいてくださると心強いです。……それ以外、何も思っていません」
「!」

 それは唐突な言葉だった。
 しかしどういう意味を含んでいるのか、時雨はすぐ理解した。

 ――俺と距離をとらなくてもいいのですか?

 あの質問の答えとして、花野はさっきの言葉を言ったのだ。

 そうか、この娘は全て分かっているのだ。獣人がどんなもので、人間からどのような扱いを受けていて、そんな獣人と一緒にいる人間が同じ人間からどのようにみられるかも分かった上で、こうして傍に控えさせているのだ。

「そう……ですか」

 そう返すのが、やっとだった。

 あまりの予想外の言葉に、頭が真っ白になってしまって。
 少しだけ心の奥で、何かが小さく弾んでしまったような気がして――
 その気配を気取られまいと、とっさに時雨は咳ばらいしたのだった。