孤独で最強の龍人が、盲目の私を、義務的な護衛対象から妻にするまで

 ◇

 なんて面倒な――
「人間の令嬢を守れ」と上から言われた時に、時雨が思ったのはこれだった。

 そもそも戦で人に負けたことが、未だに尾を引いている。仲間の胸の内も同じらしく、強制的に軍に入隊させられた獣人は、軍の犬になったフリをしているが、いつ牙をむこうか虎視眈々と狙っている様子だった。

 しかし――と。時雨を含む、二人の特級獣人は悩んだ。

 獣人の中には家族を持つ者も多い。夫を亡くした妻と子が泣き崩れる場面を何度も見た。戦とは「そういうもの」だと分かっていても、実際に目の当たりにすると胸を締め付けられた。だからこそ戦はすべきではないと、理性で戦闘本能を抑え込む。

 しかも自分たちは獣力を制限されており、万全の状態ではない。であれば、人間に反抗することなく従順に従う他ないと、二人の特級獣人は示しを合わせた。
 幸いにも、他の獣人は納得してくれた。そもそも戦で減ってしまって、獣人の数はさほど多くない。統率は充分に取れた。

 そうしている内に「異能を持つ名家の子供を守ること」なんて命が下ったが、国と獣人の立場を考えれば妥当な判断だと思った。信用するに足りないのは、こちらも同じだからだ。
 けれども、だ。

「改めまして――
 本日から秋之橋花野様の護衛を務めることになりました、時雨と申します。
 花野さまの命をお守りするため、精一杯のことに務めてまいります」
「は、ぃ……?」

 こちらが仕方なくこなす任務に、とぼけた声で返事をする令嬢。
 盲目というが、品のいい着物を着ており、肌艶もいい。大切に育てられたきたと一目で分かった。歳は時雨より三つ若い、二十歳。長い髪は高価な日本人形みたいにさらさらで一本一本が光っている。常に閉じられた目は、事情を知らない者がみればいつも微笑んでいるように見えるだろう。洗練された教養も、一挙手一投足に行き届いている。

(しかしこの令嬢は、次々に縁談を断られている……だったか)

 とはいえ秋之橋家は名家だ。炎の異能では、上に立つ者はいないらしい。
 選り好みしなければ、嫁にほしいという家はあるはずだが――と時雨は不思議がる。
 こうして獣人が護衛につくということは、花野は異能もち。であれば、それほしさに引く手あまたな立場であるのは間違いない。それなの断られるとは、これいかに。

(この家、見た目は平穏そうだが、何か裏があるのか?)

 そこまで考えて、時雨は熟考をとめた。何を考えたところで、自分が花野の護衛をすることに変わりはないからだ。これからまた「あの日々」が始まるのかと思えば、ため息の一つでもつきたくなるというもの。

「護衛」といえば体裁はいい。しかし、用は「お世話係」である。

 しかも時雨は、今まで護衛してきた令嬢や子息と相性が悪く、五日とてもたなかった。「獣人は気味が悪い」「屋敷の敷居をまたぐな」「そばに寄らないで」――こんなことを真正面から言われるのは序の口で、令息令嬢だけでなく親や使用人からの言動も、筆舌しがたいほど冷酷なものだった。

 しかし獣人は、軍の犬。反抗せず寡黙を貫いていると、しまいには「気味が悪い。帰れ」と、任務そのものを白紙に戻すのだ。いくら国からの命令と言えど、こうなった場合は任を解かれることになっている。そのため時雨は、基地で雑務をすることが多かった。

(それはそれでよかった。面倒な任務から、早く解放されるのだから)

 そのため、今回の任務は久しぶりなのである。
 どうせ五日で通い終わる――
 そんなことを思いながら、秋之橋家へ赴いた。

 両親は罵詈雑言を吐かなかったが、明らかに嫌悪の雰囲気をまとっていた。
 しかし――その娘はうって変わって謎の態度だった。

「秋之橋花野でございます。目が見えないため何かとご不便おかけするとは思いますが、今後はよろしくお願いいたします」
「……え」

 花野のつむじを見た時、時雨は思わず声を漏らした。
 なぜなら、獣人に頭を下げる令嬢など聞いたことも見たこともなかったからだ。

 この令嬢は、自分が獣人だと気づいていない?
 いや、ちゃんと「特級獣人」と名乗った。であれば、なぜ?

「――護衛の方、ちょっと」

 不思議に思っていると、令嬢の母・あや子に呼び出された。二人きりで廊下に出る。
 向かいあっているというのに目は合わない。時雨にとって、これも慣れたものだった。

「もし花野に何かしようとしたら、主人の異能を使って、あなたの体を業火で焼くわ」

 この言葉も、はいて捨てるほど聞いてきた。ゆえに心に響かない。脅しにもならない。
 時雨はいつものように言い返さず、恭しく頭を下げる。

「心得ております。誓って、そのようなことはいたしません」

 深々と頭を下げれば、やっと満足したようだ。あや子はさっそうと身を翻し、自分の部屋へ戻って行く。
 足音がしなくなり、時雨は表を上げた。そこには「諦め」の表情が浮かんでいる。

(しょせんは軍の犬、か)

 はぁと短いため息をついた後。花野のいる部屋へ戻る。音に敏感らしい花野は、すぐに時雨へ顔を向けた。
 それから二人は、花野の部屋へ向かうことになった。
 しかし、ここでも時雨は意表を突かれる。

「では参りましょう。お手を……」
「ひゃっ」

 盲目だから手を引いた方がいいかと思ってのことだった。そっと握ると花野は声を上げ、手を退いた。しかしこの時――実のところ時雨は勘違いしていたのだ。

(やはり獣人に触られるのは嫌なのか)

 獣人を差別的に扱う人間は多い。花野の両親だってそうだった。恐らくこの娘も――
 そう思って花野を見れば、なんと彼女は頬を染め上げ、胸を押さえていた。これにより時雨は、花野が嫌悪で手を退いたのではなく、単に恥じらっていただけと知る。

 人からそんな反応をされたのは、生まれて初めてのことだった。
 はたかれたわけでもなく避けられたわけでもない手が、行き場なく宙を漂う。そうしていると、花野が申し訳なさそうに事情を話した。

「も、申し訳ありません。だけど家の中はよく知っているので、手を引いていただかなくて大丈夫です」
「……」
「あ、あの?」
「分かりました。急に触れてしまい、失礼しました」

 なんだかいつもと違う雰囲気を察しながら、時雨は花野について歩き出す。時折、窓の外を見ながら、鳥の話を交えながら。
 そんな時に、花野自ら、時雨について質問があったのだ。

「あなたは獣人なのですよね? 元は何の動物か、教えていただけますか?」
「え――」

 さすがに冗談だろうと、時雨は耳を疑った。自分たち獣人を毛嫌いする人間はあれ、興味を持つ人間はいなかったからだ。

(本心、なのか……?)

 時雨は首をかしげる。すると横髪が、自分の顔にかかった。
 髪の隙間から、花野が見える。彼女の口には、尚も笑みが浮かんでいた。
 その顔を見て、花野は自分に興味があり、本心で質問しているのだと分かった。獣人が怖くない令嬢とは、これまた珍しい。

 だから時雨も話した。自分が龍であることを。

 明らかに人と違う鱗について話しても、花野は「まぁ」とか「へぇ」とか、食いつくばかり。聞き上手というのか、そういう反応をされるとツラツラと話してしまうもので、気づけば自分のことは一通り説明し終えていた。もちろん初めてのことだった。

 いったい自分は何をしているんだと、時雨は少しばかり後悔が生まれる。手のひら返しで「やっぱり獣人は気味が悪い」と言われる可能性だって、充分あるというのに。

(人間はひどいことを平気でする。今まで受けてきた差別が、その証明だ)

 時雨の脳裏に、軍を入隊した時から今までの記憶が蘇る。戦争をしていた時は互いに敵同士だったからいがみ合って当たり前。しかし今は国を守る味方同士だ……表向きは。
 けれど人間ときたら、群れてばかりで後ろ指をさし続ける。眉間にシワを寄せて「くせぇ」と平気で言うのだ。いや、言われるだけなら、まだ、いい。

『おい、なんで軍にいるんだよ』
『さっさと山へ帰れよ、獣野郎!』

 時には隠れて異能を使われたこともあった。時雨に向けて、だ。さすがに咎めれば「当てるつもりはなかった」や、「獣力がどの程度か力試ししたかった」など許されない妄言ばかり。

 そのため時雨は、上官に頼んだことがあるのだ。「獣人の獣力を制限するのであれば、人間にも相応の措置をとってほしい。人の異能に、我々が脅かされているから」と。しかし返事は……お察しの通りだ。

 所せん人間は、獣人を軍に引き入れたからといって「仲間」に思っているわけではない。むしろ鬱憤のはけ口程度にしか思っていない。であればこちらも相応の措置を取るまで。

 人間とは馴れ合わない。
 どうせ向こうも、こちらが隙を見せるのを伺っているのだから。

(だから余計な慣れあいは不要……いや、すべきではない)

 時雨は逡巡し、意識を切り替える。
 和やかに話していたが、途端に終止符を打った。

「花野さま、そろそろお部屋に戻りましょう」と。