孤独で最強の龍人が、盲目の私を、義務的な護衛対象から妻にするまで


 ◇

 時は少し遡り、花野が季美へ絵葉書を届けようと思い立った頃。

 時雨は、帝都にある軍の本部へ来ていた。

 軍には、獣人だけ集められた「特異獣人護衛隊」なる組織があり、特級獣人の時雨はそこの大尉を務めている。
 この度、珍しく上官から招集がかかったため本部に赴いた、というわけだ。

「して、時雨大尉。秋之橋家の娘さんは、どんな感じかな?」

 いかにも弱々しい見た目の男が、大きな椅子に鎮座している。
 名を水落(みずおち)といい、軍の少佐を務めている。時雨が属する特異獣人護衛隊を管轄しており、言わば直属の上官である。

 広い机に両肘をつく水落は、両腿にピタリと手をつけ背筋を伸ばす時雨を見ている。獣人に興味がある、というのは彼の口癖だが、しかしそうかと言って、まるで大道芸を見ているかのような眼差しは不快そのもの。

 何より、この楽しそうな顔だ。何を含んでいるか分からない笑みは、いつも時雨の神経を逆なでする。

 とはいえ……先述した通り上官なので、だんまりというわけにもいかない。
 時雨は胸の内を明かし始める。

「どうもこうも護衛が必要ないくらい平和です。若干、きな臭い家ではありますが……」

 時雨は、長房とあや子を思い出す。
 娘思いではあるが上流階級ばかりに固執して、その度に娘の心の傷を増やす行為。あれでは一体、誰のための結婚なのか。

「それに、なにも俺が配属されなくても良かったのでは?」

 最強と謳われる特級獣人は、軍に二人しかいない。であれば赴任先も、然る場所であるべきだ。
 けれど秋之橋家は平和そのもの。他の獣隊員を派遣しても、何の差支えもないだろう。

 しかし水落は「でもねぇ」と、どうにも煮え切らない返事だ。

 虫をも殺さないような笑みを浮かべ、肩肘をつく。もう一方の手は、一枚の書類を掴んでいた。そこに上から下へ走らせた視線は、最後に時雨へ戻ってきた。

「それでも上から、『君』が秋之橋家に行くようにってお沙汰があったんだよ。上からの命令は、さすがに覆せない」
「……」

 だとしたら、どうして上は自分を向かわせたのか。水落の采配かと思っていただけに、時雨の胸の内にわずかな疑問が浮かぶ。

 あの家に、自分を向かわせた意味――それは、あの家に時雨と同等な力の持ち主がいる、ということだろうか。しかし、誰がそれほどの力を?

「現当主の秋之橋長房は異能を満足に使えない、でしたよね?」
「そうそう。君たちと戦ったせいで負傷したからね。急な退役で、僕もビックリだよ」
「……そうですか」

 水落少佐のちくりとした言い分は昔からで、今はもう慣れたものだ。……もちろん、全く無視できるものでもないが。

「君たちと戦ったせいで」とは言うが、それはお互い様だろう。獣人側だって戦って怪我をした者、再起不能になった者の数は多い。

(しかし反論できない……)

 これが、戦に負けるということだ。悔しくても言い返せない。いくら憎たらしい人間にだって、従順になるしかないのだ。

 胸にモヤモヤしたしこりを抱いていると、水落が興味深い話を始めた。

「退役するとね、当たり前だけど給料が入らないんだよ。戦で負傷したという理由で退役してるから、そりゃ少しは見舞金がいくけどさ」

 そうしてフッと、ろうそくの火を消すように、水落は掴んでいた紙を吹き飛ばす。

「だけどしょせんは見舞金。給料とは比べ物にならないんだよ。
 そこに異能の力も満足に使えないとなると、異能者としては『落第』なんだ」
「落第、とは?」
「君たちには知らされていないけど、異能者はね、異能者であるからこそ、給料とは別の『異能金』が入っているのさ。毎年、多額の異能金がね」
「!」

 水落の話を繋げると……
 異能者には多額の金が入っていた。しかし異能者として「落第」を突きつけられ、異能金は打ち切り。更には退役し、給料がなくなった。
 であれば――

「長房が上流階級とばかり縁談を組んだのは、金のため……?」

 時雨は愕然とした。何かきな臭い、裏があるとは思っていたが、まさか娘の花野を裏切るような事実が潜んでいたとは。

 信じたくない。
 しかし信じてしまえば、全ての辻褄があう。

 可愛がってる? 大切にしている?
 違う。
 あの両親は、家と家を結ぶための道具にしか、娘を思っていないのだ。

「……あんまりだな」

 嫁ぐことは恩返しだと、親孝行だと、そう言っていた花野を思い出す。

 正直なところ、昨日の花野に、時雨はガッカリしていた。

「もっと自分を大切にする」と約束したのに、舌の根の乾かぬ内に作り笑いを浮かべて「幸せになります」と花野が言ったから。

 傘を差し伸べた時は、確かに自分の思いが彼女に届いたと思っていたが……全くの勘違いだった。無力な自分を、心底恨んだ。

 けれど水落の話を聞いて、自分だけでなく彼女の両親をも恨んだ。
 だって、あまりにも自己中心的すぎるだろう。
 どれほど花野が両親を思い、今まで自分を犠牲にしてきたか知らないのか。

(花野は健気だ)

 目が見えなくとも、毎日を自分の力で必死に生きようとし、ささいな日常に耳を傾け、変わらぬ日々を慈しみ過ごしている。

(あれは、幸せになるべき人間だ)

 そう思っていたからこそ、今まで無慈悲な運命に抗わない花野が歯がゆかった。
 だから帝都へ出かけた日、後押しした。もっと幸せになれと、ありったけの願いをこめて。

 ……どうして、そこまで花野のことを思うのかは分からない。帝都に買い物へ出かけた日など、

 ――あなたの身だけでなく心もお守りしたいと思っていることは、忘れないでほしい

 あんなことを言ってしまった。さすがに三つ上の自分からこんなことを言われたら気持ち悪がられるかと思いきや、意外にも花野は喜んだ。そのことに安心したのか、いくら軍服の上からとはいえ……だ、抱きしめるなんて。

 その後、傘を買って渡し「笑いたくない時は笑わなくていい」と言った。その時の花野の反応を、今でも鮮明に覚えている。

 ――ありがとうございます、時雨さんっ

 あの時の花野は間違いなく、本物の笑顔を浮かべていた。だからこそ魅了された。
 きれいな笑顔だと、そう思ったのだ。
 ずっとこうして笑ってくれればいいのにと、そんなことを願った。

 その願いは、今も時雨の胸にあり続ける。
 なんとかして彼女を助けたい――
 そんなことを、昨夜からずっと考えている。

 考えすぎて、いざ花野と話した朝食時は言葉少なになったほどだ。

(それにしても、数奇な運命だな)

 花野を助けられないことを、これほど恨めしく思う日がこようとは。初めて秋之橋家を訪れたあの日の自分が知れば、ひっくり返って驚くに違いない。

「もういいかな? どうやら情が湧いたらしいが、今日はこっちが本題なんだ」
「――、はい」

 脳裏に焼き付いた花野を慌てて消し去る。
 時雨の目は瞬時に、軍人のそれに戻った。

「今日君を呼んだのは、気になる情報を手にしたからなんだ。件の枯元家についてだ」

 広い机にバラバラ出されたのは報告書だった。
 写真つきで、花野の婚約者になる「枯元忠司」について書かれている。

「不必要な異能の行使が、相次いで目撃されている。その中の一つが枯元家だ。ここで不気味な閃光を見たと、何人かが証言してね。しかもこの辺りでは最近、行方不明者が出ている。一人じゃない、複数人のね」
「それは……」

 枯元家で何かが行われている、ということだろうか?
 そういう思いをはらんだ視線を送ると、水落も賛同するように頷いた。