孤独で最強の特級獣人が、盲目の私を、義務的な護衛対象から妻にするまで

 目の前はいつも真っ暗で、何の味気もない世界が広がるばかり。
 しかし視覚が閉ざされた環境では、不思議と他の感覚が研ぎ澄まされていく。

「花野の縁談だが、またダメになった」
「まぁ……やはり、目が見えないことが原因で?」
「いくら秋之橋家とはいえ、盲目の令嬢を引き取っては負担が大きい、とのことだ」

 あぁ――と、三歳から盲目の秋之橋 花野(あきのはし はなの)は、自身の着物をキュッと握った。

 私はいつまでお荷物なのだろうか。そんなことを思い、顔が下を向く。
 花野が見ているのは、元々暗闇の世界。しかし彼女の心までも、どろりとした黒い何かに飲み込まれ、光を失っていく。

 この「気」は、ダメな気だ。早くいつもの自分に戻らなきゃ、戻らなきゃ――

 十七年間、開くことのない目を、花野はさらに固くつむった。
 そんな彼女の前に、偶然にも両親が現れる。さっきの会話が聞こえていないと思っている父・長房と、母・あや子は、さっきとはうって変わって明るい声色に切り替えた。

「まぁ花野。ここにいたのね、どうしたの?」
「……少し、お腹が空いてしまって」

 花野は視力を失っている分、聴覚が優れている。何かが不足すれば、それを補足するように他の器官が優れていくというのは聞き及んだことがあるが、本当らしい。おかげで聞きたくもない話にまで、こうして自ら触れてしまう。とはいえ、それを知られないよう振る舞うことにも、もう慣れてしまったが。

「それなら、あとで使用人にお菓子を届けるよう伝えておくわね」
「まだ何か不足はあるか? 花野」

 花野には、両親に愛されている自覚があった。
 その認識は間違っていなかったし、実際に花野は守られ、大事にされていた。盲目ゆえに他の令嬢と同じように学校に通えなくとも、金を積んで教師を家に呼び勉強を教えてもらえたし、視覚に頼らない習い事もさせてもらえた。食事も三食与えられ、衣服も高級な生地をいつもあてがってもらえた。

 そう。花野は幸せなのだ。
 しかし――と彼女は思う。

(この目が私の周りを不幸にしていく)

 なんとも歯がゆいことだ。いや、そんな思いははるかに通り越して、いっそ恨めしい。
 優しくしてもらった分、恩返しをしたい。しかし、この目ではそれさえも叶わない。

「何も不足はないわ。いつもありがとう、お父さまお母さま」

 とはいえ。自分の意のままに事が進まないからといって、嘆き悲しむのも違う――と花野は思っていた。自分が悲しみに暮れれば、それこそ両親を傷つけてしまうと分かっていたからだ。
 だから彼女は、いつも笑みを浮かべている。

「いつもありがとう、お父さま、お母さま」

 不自然にならないよう滑らかに口角を上げた後、花野はこの場を立ち去る。
 目が見えないとはいえ、家の中で花野が不自由することはなかった。どこに何があるか、どの歩幅でいけば足りるのかが分かっているのだ。後はその通りに合わせて動けば、付き添いがなくとも最低限の生活はできる。

 ……とは言いつつも、両親も驚くほど自然に動けているのは「何も返せない自分はこれくらいのことはできて当たり前」とがむしゃらに生きてきた、花野の努力の成果かもしれない。

「あぁ、そうだ。花野」

 長房の声が、花野の華奢な背中にぶつかる。
 弱々しい彼の「話があるんだ」という声に、花野は心臓が締め付けられた。

(さっきの縁談のことね)

 断られたと、娘に伝えるための両親の胸中は、いかばかりだろうか。
 花野は申し訳ない気持ちを抱えながら、両親へ向き直る。着物の前で両手を合わせ、きれいな角度でお辞儀した。

「わかりました、後にお部屋へ伺います。……あの、お父様」
「なんだ?」
「も……」

 謝ろうとしたけれど、そうしたところで、縁談が元通りになるわけではない。
 花野は思い直す。
 謝罪は、自分の責を軽くするだけの、独りよがりの無意味な行為だと。

「……なんでもありません。それでは、また後で」

 長房に甘えそうになった自分を叱責し、花野は再び笑みを浮かべる。
 ここで縁談の結果を聞いてしまっても良かったが、廊下には幾人かの使用人が行き来している。「破談になった」ことはいずれ知られるだろうが、使用人らが直接聞いてしまっては、不安になるというものだろう。ただでさえ落ちぶれている秋之橋家の娘がこの調子で、これから大丈夫だろうか、と。

 秋之橋家は、異能を持つ名家だ。長房が炎の異能を使え、娘の花野にも遺伝している。

 ――異能とは、人が「戦うため」に進化した武器である。
 では、何と戦うか。
 それは、古の言い方では動物――現代では、人の形を成した「獣人」である。

 古来より、人と動物は住処を求め争ってきた。その中で人は異能を宿すようになり、動物は人型「獣人」へと進化し、獣力を操るようになった。その争いは明治時代まで続き、大正時代に入った今、やっと終焉したのだ。

 人間側の勝利、という結果によって。

 それを機に、獣人はみるみるうちに数を減らした。元の動物に戻ったと言った方が正しい。しかし動物に戻らず、獣人の姿のままの者もいた。それらは獣力を宿したままで、国から「危険因子」とみなされた。故に、獣力を監視する名目で「獣人は必ず軍に入るように」と掟が定められた。

 しかし国を支える軍の仕事に携わらせるほど、人間は獣人を信用していない。そのため獣人には、ある特定の仕事のみが与えられた。
 それが「異能を持つ名家の子供を守ること」である。

 獣人と同じく異能者も、終戦を機に数を減らした。しかし異能者は、敵国との開戦になった際に「なくてはならないもの」として国から特別視されている。
 だから守るのだ。異能の血を絶やさないために、生きた武器を作り続けるために――

 そこで体よく使われるのが獣人だ。国の宝を元敵に守らせるのもどうかと思うが、しかし国に反逆する者も、この時代は多い。
 反逆者の中には異能者もおり、それに対抗する異能者も、また国は必要としている。そういったところに軍の異能者が従事しているため、異能者の子供を守るだけの人員を裂けないのだ。そこで獣人に白羽の矢が立った、というわけだ。

 獣人が持つ獣力には、国が制限をかけている。戦いを経て、獣人の実力をいやというほど知ったからこその、国の策だった。
 人と獣人は元敵同士。仲良く手を繋いで国を支えよう、とならないのも頷ける。
 しかし、これではまるで獣人は奴隷だ。実際、そうした思いを持つ獣人は多かった。

 それでも獣人が暴れず統率がとれていたのは、獣人の中でも最強の、とある存在があったからだ。彼らは、軍に属する獣人の中で、最も位の高い「特級獣人」と呼ばれる。
 特級獣人は獣力も並外れていて、人間の異能者の非ではない。「本気を出せば、異能者十人が相手してやっと勝てる」と、戦いを記した書物にそう残っているほどだ。

 それほどの力を持っていながら、なぜ特級獣人は大人しく国に従うのか。

 力のほとんどを国に制限され、そもそも反逆できないのが一因ではあるが、特級獣人は特に仲間意識が強く、この戦で多くの獣人が命を落としたことを嘆いている。だからこそ獣人たちが謀反を起こし再び戦が始まらないよう、統率をとっているという。

 そんな特級獣人は、この世にたった二人しかいない。
 その一人の名を、時雨(しぐれ)という。

「改めまして――
 本日から秋之橋花野様の護衛を務めることになりました、時雨と申します。
 花野さまの命をお守りするため、精一杯のことに務めてまいります」
「は、ぃ……?」

 毛羽立っていない黄金の色をした、手入れの行き渡った畳。その上座に父の長房、母のあや子、そして娘の花野が一列に並んでいる。そして下座には、端正な顔を持つ軍服を着た男性が、額が畳につくまで頭を下げていた。