恐竜王の花嫁


 あの女性からは殺意も悪意も感じられなかったので油断したが、どう考えても無理やり攫われたとしか思えない。
 ──私、誘拐された?
 認めるのが恐ろしい事実に直面しながら、日奈子は自分に「とにかく落ち着け」と言い聞かせる。
 ここで慌てて大騒ぎしても事態は好転しないと思った。
 スマートフォンを持っていないかと周囲を見回すが、見当たらない。
 そもそも持って席を立たなかったことを思いだす。もし持っていたとしても着物に着替えさせられているのだから、その時に没収されていただろう。
「皇牙が若くて活きのいいアタヴィズムを手に入れたと聞いてね、私の物にしたくて仕方なくなったんだよ」
「──っ」
「もちろん私も囲ってはいるんだ。ただ、二人共それなりの年でねぇ……君のように如何にも美味しそうなアタヴィズムじゃないし、どちらも男だ。持っていても大して自慢にならない生餌なんだよ」
 格子の向こうに立つ皇一郎は、恐竜に変容せずとも蛇のような目をしていて、酷く冷たそうに見えた。
 竜人だけあって美男ではあるが、温もりのない顔をしている。
 彼の発言も日奈子には理解し難く、生餌をなんだと思っているのかと腹が立った。
 ましてや自分を獲物として皇牙から奪う気だとわかると、怒りのあまりこめかみがひくつく。
 冗談じゃないと思った。
「わ、私……帰ります。皇牙さんが心配してると思うので、帰ります」
 日奈子は格子越しに皇一郎と向き合い、彼を見上げる。
 怖かったが「帰らせてください」ときっぱり言った。
「報酬は皇牙の三倍支払おう。私の生餌になりなさい」
「──っ、お断りします。私は皇牙さんの生餌ですっ」
 腹の内側から燃えるような怒りを込めて、日奈子は皇一郎を睨み据える。
 するとその時、皇一郎の後ろにある廊下から誰か近づいてきた。
 和服姿の皇一郎の隣に並んだのは、黒っぽい着物を着た竜王院玲華だった。
 皇牙は母親似なので、玲華には皇牙の面影がある。
 二十二歳の息子がいるとは思えないほど若々しい、長身の美女だ。