十月になった。夏休みの後も、だらだらと暑い日が続いていたけれど、ようやく秋の気配がして、過ごしやすくなってきた。
熊野が死んで、もう二ヶ月近く経つ。やっぱり、誰もあいつのことは話題にしない。教室で話題になるのは、もっぱら、進路のことばかりだった。時間が止まってしまったあいつと違って、まだ生きている私たちは、何があろうと未来に目を向けないわけにはいかないのである。
受験を意識して、放課後の図書室で勉強するクラスメイトも増えてきた。私はまだ、進路を決めきれていないけれど、とりあえず勉強しておけ、というスタンスでやり過ごしている。毎日図書室に行っていれば、誰も文句は言わないし、ひとまず大丈夫そうだと勘違いしてもらえるから、都合が良かった。実際は、問題集の同じページを開いたまま、ぼんやり物思いにふけっていたりするのだけれど。
最近は、こうして進路に悩むことに、罪悪感みたいなものを覚える。未来を歩けなかった熊野のことが、脳裏にちらつくのだ。少なくとも自分は生きて、どんな選択をしようと、未来はやってくる。熊野のことを思うと、それはすごく贅沢なことで、きちんと将来の計画を立てられていないことが、生きられなかったあいつに申し訳なく思えてくるのだ。
ぐるぐると考えていると、いつの間にか窓の外が暗くなっている。私は勉強道具を片付けて、席を立った。すると、ちょうど図書室を出るタイミングが、クラスメイトの烏山と重なる。彼が図書室にいるなんて珍しい。いつも誰かと一緒に騒いでいるイメージの人だから、一人で、それもこんな静かな場所にいる姿が、私には新鮮だった。私が気付いていなかっただけで、実は前から来ていたのかもしれないけれど。
烏山は、熊野と一緒にいることが多かった。ご近所同士で、小さいころからの幼馴染みだったのだと聞いている。下の名前が、真吾と敬吾で語呂が良いから、将来は「しんご・けいご」という芸名を付けて、お笑いコンビになるのだと言っていた。過去には、真吾と敬吾のどちらを先にするかを巡って、大げんかしたことがあるそうだ。結局、じゃんけんに勝った烏山の名前を先にするということで、まとまったのだという――このエピソードは、二人の持ちネタの一つだった。
鞄を持った烏山は、私と同じように、このまま帰るつもりだろう。昇降口に向かうまで一緒になるから、無言が気まずくて、私は自分から話しかけた。
「熊野のこと、整理ついた?」
自分で切り出しておきながら、言ってすぐに後悔した。いくら熊野と仲が良かった相手だとはいえ、いきなり踏み込み過ぎたかもしれない。
「ああ、うん。まあ……」
どぎまぎしている私の前で、烏山も困惑したような顔をする。それから、少し間を置いて、私の顔をじっと見つめた。
「ちょっと変なこと言うけど、いい?」
「何? 変なことなら、いつも言ってると思うけど……」
「そういうのじゃなくて」
烏山の真面目な顔つきに、空気が変わったと感じる。私は思わず、背筋をぴんと伸ばした。
「どうしたの?」
「俺、実は、ちょうど良かったと思ってるんだ。あいつが死んで」
衝撃的な告白に、私は目を瞠る。ブラックジョークかと思ったが、顔が笑っていなかった。
「どういうこと?」
「あいつ、将来のこと、すごく悩んでたからさ……。これでもう、悩まなくていいな、って思ったんだ」
私はぽかんと口を開けてしまった。いつも笑顔だった熊野が何か悩んでいたなんて、想像がつかない。烏山は続ける。
「俺たち、小学生のときから、お笑いコンビになるって言ってた。お笑いの専門学校に行くんだ、なんて言って、一緒に調べたこともあった。でも、薄々気が付いてたんだ。なれるはずないって。少なくとも俺は、もう本気にしてなかったよ。大学に行くつもりで、受験勉強だって本腰入れ始めてたし」
確かに、二人が放課後いつまでも騒いでいる姿は、夏休みが近づくにつれて、見なくなっていたように思う。
「あいつは、そんな感じじゃなかったね」
休み時間に、熊野が烏山の参考書を取り上げて、馬鹿騒ぎしていたことを思い出した。ただのふざけ合いに見えたけれど、もしかしたら、熊野は烏山を引き留めようと必死だったのかもしれない。自分一人だけ、取り残されてしまうような焦燥感に駆られていて。
「ああ。どこまでも逃げようとしてる感じだった。だから、逃げられて良かったんだよ。熊に殺された熊野、なんて、死に様までネタになって、最期まであいつらしかったし」
烏山も私と同じことを考えていたのか、とはっとする。でも、さすがに笑えなかった。
昇降口に着くと、じゃ、と片手を上げて、烏山は足早に去っていった。
熊野が死んで、もう二ヶ月近く経つ。やっぱり、誰もあいつのことは話題にしない。教室で話題になるのは、もっぱら、進路のことばかりだった。時間が止まってしまったあいつと違って、まだ生きている私たちは、何があろうと未来に目を向けないわけにはいかないのである。
受験を意識して、放課後の図書室で勉強するクラスメイトも増えてきた。私はまだ、進路を決めきれていないけれど、とりあえず勉強しておけ、というスタンスでやり過ごしている。毎日図書室に行っていれば、誰も文句は言わないし、ひとまず大丈夫そうだと勘違いしてもらえるから、都合が良かった。実際は、問題集の同じページを開いたまま、ぼんやり物思いにふけっていたりするのだけれど。
最近は、こうして進路に悩むことに、罪悪感みたいなものを覚える。未来を歩けなかった熊野のことが、脳裏にちらつくのだ。少なくとも自分は生きて、どんな選択をしようと、未来はやってくる。熊野のことを思うと、それはすごく贅沢なことで、きちんと将来の計画を立てられていないことが、生きられなかったあいつに申し訳なく思えてくるのだ。
ぐるぐると考えていると、いつの間にか窓の外が暗くなっている。私は勉強道具を片付けて、席を立った。すると、ちょうど図書室を出るタイミングが、クラスメイトの烏山と重なる。彼が図書室にいるなんて珍しい。いつも誰かと一緒に騒いでいるイメージの人だから、一人で、それもこんな静かな場所にいる姿が、私には新鮮だった。私が気付いていなかっただけで、実は前から来ていたのかもしれないけれど。
烏山は、熊野と一緒にいることが多かった。ご近所同士で、小さいころからの幼馴染みだったのだと聞いている。下の名前が、真吾と敬吾で語呂が良いから、将来は「しんご・けいご」という芸名を付けて、お笑いコンビになるのだと言っていた。過去には、真吾と敬吾のどちらを先にするかを巡って、大げんかしたことがあるそうだ。結局、じゃんけんに勝った烏山の名前を先にするということで、まとまったのだという――このエピソードは、二人の持ちネタの一つだった。
鞄を持った烏山は、私と同じように、このまま帰るつもりだろう。昇降口に向かうまで一緒になるから、無言が気まずくて、私は自分から話しかけた。
「熊野のこと、整理ついた?」
自分で切り出しておきながら、言ってすぐに後悔した。いくら熊野と仲が良かった相手だとはいえ、いきなり踏み込み過ぎたかもしれない。
「ああ、うん。まあ……」
どぎまぎしている私の前で、烏山も困惑したような顔をする。それから、少し間を置いて、私の顔をじっと見つめた。
「ちょっと変なこと言うけど、いい?」
「何? 変なことなら、いつも言ってると思うけど……」
「そういうのじゃなくて」
烏山の真面目な顔つきに、空気が変わったと感じる。私は思わず、背筋をぴんと伸ばした。
「どうしたの?」
「俺、実は、ちょうど良かったと思ってるんだ。あいつが死んで」
衝撃的な告白に、私は目を瞠る。ブラックジョークかと思ったが、顔が笑っていなかった。
「どういうこと?」
「あいつ、将来のこと、すごく悩んでたからさ……。これでもう、悩まなくていいな、って思ったんだ」
私はぽかんと口を開けてしまった。いつも笑顔だった熊野が何か悩んでいたなんて、想像がつかない。烏山は続ける。
「俺たち、小学生のときから、お笑いコンビになるって言ってた。お笑いの専門学校に行くんだ、なんて言って、一緒に調べたこともあった。でも、薄々気が付いてたんだ。なれるはずないって。少なくとも俺は、もう本気にしてなかったよ。大学に行くつもりで、受験勉強だって本腰入れ始めてたし」
確かに、二人が放課後いつまでも騒いでいる姿は、夏休みが近づくにつれて、見なくなっていたように思う。
「あいつは、そんな感じじゃなかったね」
休み時間に、熊野が烏山の参考書を取り上げて、馬鹿騒ぎしていたことを思い出した。ただのふざけ合いに見えたけれど、もしかしたら、熊野は烏山を引き留めようと必死だったのかもしれない。自分一人だけ、取り残されてしまうような焦燥感に駆られていて。
「ああ。どこまでも逃げようとしてる感じだった。だから、逃げられて良かったんだよ。熊に殺された熊野、なんて、死に様までネタになって、最期まであいつらしかったし」
烏山も私と同じことを考えていたのか、とはっとする。でも、さすがに笑えなかった。
昇降口に着くと、じゃ、と片手を上げて、烏山は足早に去っていった。
