お別れの会の翌日、熊野の席に、一輪挿しに挿した菊の花が飾られていた。ドラマとかアニメで見たことがあるけれど、本当にやるんだ、なんて、他人事みたいに思った。
誰が置いたのかは分からなかったけれど、誰もが気にかけてはいる感じで、気付いた人が、散った花びらを片付けたり、水を取り替えたりした。私も何度かやった。
花が枯れてしまうと、やはり、誰かが片付けた。そのうち、熊野の席も片付けられて、最初からいなかったみたいになった。
熊野のいない教室は少しだけ静かになったけれど、だんだんとみんなはその状態に慣れ始めて、余所余所しい雰囲気は次第になくなっていた。私だってもう、熊野がいたときの教室が、どれだけ騒がしかったか思い出せない。
誰も、熊野のことを忘れたわけではないだろう。でも、誰もがこの話題には触れないでいた。やはり、早く忘れてしまった方がいい、というのがみんなの共通見解なのだ。
でも、自分が死んだときにも、こういうふうに、うまく日常から隠されてしまうのだと思うと、私の心はちょっとざわつく。生きている人に、いなくなった人のことをいつまでも引きずってほしくはないけれど、全く話題に出てこなくなるのも寂しい気がする。それって、人生が丸ごと、なかったことにされてしまうみたいだ。死んでしまえば、そんなことを自分が認知することはないと、分かってはいても。
熊野はどう思っているんだろう。みんなは、本当はどう思ってるんだろう。こういうの、誰かと話せたらいいのに――そう思いながらも、結局誰とも話せない私は、放課後を図書室で自習して過ごすようになった。話せなくても、家で一人で過ごすよりは、周りに人がいた方が落ち着くと思ったからだ。毎日続けていたら、新しい習慣は、だんだんと私の生活に馴染んできた。
図書室に通う生活を続けて、二週間ほど経った日のことだった。勉強道具を机に広げたとき、私は、ノートを一冊、教室に忘れてきてしまったことに気が付いた。仕方なく、一度教室に戻る。すると、理子が一人でいた。誰もいないと思っていたので、驚く。今日、彼女が学校に来ていたことさえも忘れていたから、なおさらだった。
「こんな時間に、一人でどうしたの?」
「スクールカウンセラーとの面談があるから、約束の時間まで待ってるの」
俯き加減で、理子が答える。
中学校から一緒だが、当時から彼女は、学校を休みがちだった。物静かなせいか、昔から男子にからかわれやすいのだ。私の目からは、いじめというほど激しいものには見えなかったけれど、当事者の理子からすれば、悩んでしまうものだったようである。時折、スクールカウンセラーや担任の先生に相談していたのを知っていた。
そして、今のクラスで理子をよくからかっていたのは、誰でもない、熊野だった。
ただ、熊野は意地悪な奴ではなかったし、決して、理子をいじめたかったわけではないのだと思う。きっと、いつも表情が固い彼女を、笑わせたかっただけだ。
でも、理子はあまりに真面目で、能天気な熊野とは合わなかった。皮肉なことだが、あいつが死んでから、理子がからかわれることは少なくなり、彼女は前より学校に来るようになった。
だから、不謹慎にも、私は考えてしまう。
――熊野が死んだのに、どうしてまだ、スクールカウンセラーが必要なのだろうか、と。
「わたし、熊野くんがいなくなって良かったって思ってる」
私の心を読んだみたいに、理子が突然言った。鋭い視線は、熊野の席があった場所を見つめている。
「嫌だったもん。ちょっかい出してきて、煩わしかった。正直、つらかった」
「うん、そうだよね……」
私は曖昧に微笑んで、無難な相槌を打った。理子は笑わない。それどころか、表情を一層険しくして、言葉を続ける。
「だけど、何だか変なの。気が付くと、わたし、あいつのことばっかり考えてる」
意外な打ち明け話に、私は首を傾げた。
「本当は、好きだったってこと?」
理子は、とんでもない、と大きく首を横に振る。
「まさか! でもね……」
理子の声が、微かに震えた。
「嫌いだって言ってやりたかった。そういうことをされるのは嫌だって、はっきり伝えたかった。死なれちゃったら、もう、文句言えないじゃん……」
理子が声を詰まらせ、涙を流す。私は口をつぐんでしまった。何を言ったらいいか分からない。居心地の悪い沈黙が流れ、理子が洟をすする音ばかりが教室に響く。
「……ごめん、時間になったから、行くね」
私が何か言う間もなく、理子は早足で教室を出ていった。
私はしばらく、その場に立ち竦んでしまう。理子の気持ちは、理解できるような気がした。でも、簡単に「分かるよ」だなんて、言ってはいけない気もしていた。
誰が置いたのかは分からなかったけれど、誰もが気にかけてはいる感じで、気付いた人が、散った花びらを片付けたり、水を取り替えたりした。私も何度かやった。
花が枯れてしまうと、やはり、誰かが片付けた。そのうち、熊野の席も片付けられて、最初からいなかったみたいになった。
熊野のいない教室は少しだけ静かになったけれど、だんだんとみんなはその状態に慣れ始めて、余所余所しい雰囲気は次第になくなっていた。私だってもう、熊野がいたときの教室が、どれだけ騒がしかったか思い出せない。
誰も、熊野のことを忘れたわけではないだろう。でも、誰もがこの話題には触れないでいた。やはり、早く忘れてしまった方がいい、というのがみんなの共通見解なのだ。
でも、自分が死んだときにも、こういうふうに、うまく日常から隠されてしまうのだと思うと、私の心はちょっとざわつく。生きている人に、いなくなった人のことをいつまでも引きずってほしくはないけれど、全く話題に出てこなくなるのも寂しい気がする。それって、人生が丸ごと、なかったことにされてしまうみたいだ。死んでしまえば、そんなことを自分が認知することはないと、分かってはいても。
熊野はどう思っているんだろう。みんなは、本当はどう思ってるんだろう。こういうの、誰かと話せたらいいのに――そう思いながらも、結局誰とも話せない私は、放課後を図書室で自習して過ごすようになった。話せなくても、家で一人で過ごすよりは、周りに人がいた方が落ち着くと思ったからだ。毎日続けていたら、新しい習慣は、だんだんと私の生活に馴染んできた。
図書室に通う生活を続けて、二週間ほど経った日のことだった。勉強道具を机に広げたとき、私は、ノートを一冊、教室に忘れてきてしまったことに気が付いた。仕方なく、一度教室に戻る。すると、理子が一人でいた。誰もいないと思っていたので、驚く。今日、彼女が学校に来ていたことさえも忘れていたから、なおさらだった。
「こんな時間に、一人でどうしたの?」
「スクールカウンセラーとの面談があるから、約束の時間まで待ってるの」
俯き加減で、理子が答える。
中学校から一緒だが、当時から彼女は、学校を休みがちだった。物静かなせいか、昔から男子にからかわれやすいのだ。私の目からは、いじめというほど激しいものには見えなかったけれど、当事者の理子からすれば、悩んでしまうものだったようである。時折、スクールカウンセラーや担任の先生に相談していたのを知っていた。
そして、今のクラスで理子をよくからかっていたのは、誰でもない、熊野だった。
ただ、熊野は意地悪な奴ではなかったし、決して、理子をいじめたかったわけではないのだと思う。きっと、いつも表情が固い彼女を、笑わせたかっただけだ。
でも、理子はあまりに真面目で、能天気な熊野とは合わなかった。皮肉なことだが、あいつが死んでから、理子がからかわれることは少なくなり、彼女は前より学校に来るようになった。
だから、不謹慎にも、私は考えてしまう。
――熊野が死んだのに、どうしてまだ、スクールカウンセラーが必要なのだろうか、と。
「わたし、熊野くんがいなくなって良かったって思ってる」
私の心を読んだみたいに、理子が突然言った。鋭い視線は、熊野の席があった場所を見つめている。
「嫌だったもん。ちょっかい出してきて、煩わしかった。正直、つらかった」
「うん、そうだよね……」
私は曖昧に微笑んで、無難な相槌を打った。理子は笑わない。それどころか、表情を一層険しくして、言葉を続ける。
「だけど、何だか変なの。気が付くと、わたし、あいつのことばっかり考えてる」
意外な打ち明け話に、私は首を傾げた。
「本当は、好きだったってこと?」
理子は、とんでもない、と大きく首を横に振る。
「まさか! でもね……」
理子の声が、微かに震えた。
「嫌いだって言ってやりたかった。そういうことをされるのは嫌だって、はっきり伝えたかった。死なれちゃったら、もう、文句言えないじゃん……」
理子が声を詰まらせ、涙を流す。私は口をつぐんでしまった。何を言ったらいいか分からない。居心地の悪い沈黙が流れ、理子が洟をすする音ばかりが教室に響く。
「……ごめん、時間になったから、行くね」
私が何か言う間もなく、理子は早足で教室を出ていった。
私はしばらく、その場に立ち竦んでしまう。理子の気持ちは、理解できるような気がした。でも、簡単に「分かるよ」だなんて、言ってはいけない気もしていた。
