***
それからの数日、守護官が代わる代わる派遣され、正妃の護衛や北の御殿の巡回と潜伏する妖異に対する警戒を高めていた。
妖異は一度、仁太朗と珠那に見つかったからか、姿を現さない。
正妃や女官たちの具合は悪くはならない一方で回復にも向かわない均衡状態が続いていた。
妖異は確実に存在し、影響を及ぼしている。
仁太朗と珠那も北の御殿の調査を進めているが、常に一緒にいるわけではない。
仁太朗は宮廷お抱えの守護官として幾つも案件を抱えているらしく、珠那にも調香女官として後宮の日常は続いている。
それでも、一日に一度は仁太朗と珠那は顔を合わせ、調査を進めていた。
「珠那さん、こちらの香の最終確認をお願いします」
「わかりました。こちらは南の御殿に届けるものかしら?」
「はい」
「少しひび割れが目立つわね。南でしたら、こちらの香を先に使ってもらえますか? 後でこの香は私が調えておきます」
「はい」
調合部屋で珠那が調香女官たちと仕事をしていた時だった。
「――珠那」
仁太朗が前触れなしに姿を現した。
室内にいた調香女官たちが、小さく「きゃっ」と歓声を上げた。
珠那は作業をいったんそのままにして、仁太朗を連れて部屋から出る。
「直接、入ってこないで。人を介して私を呼んでもらってって伝えたでしょ」
声を潜めて仁太朗に伝える。
「待っている時間が無駄ですし、面倒ですので」
しれっと悪びれもせず返してくる見目の良すぎる男。
守護官である仁太朗が妖異調査のために後宮に出入りしていることは女官たちの間で話題になっており、どういうわけか珠那も抱き合わせで一緒に名前が挙がっているらしい。
「珠那さんって、守護官一お強い仁太朗様と親密なんでしょう?」
北だけではなく、どこの御殿に香を届けに行っても、聞かれるのだ。
今のところ、それが原因で嫌がらせを受けたり、嫌味を言われたりすることはないが、平和と安寧を望む珠那は自分が噂になることすら避けたかった。
(後宮に殿方が出入りしているってだけじゃなくて否応なしに仁は目立つのよ)
珠那は複雑な心境を言葉に出来ずにいる。
「それに仕事中の珠那を見たかったので」
こちらが声を潜めたせいか、耳元で囁くように低い声と吐息を吹き込まれる。
珠那の新雪のような白い肌が一瞬で紅潮した。
「あれ、これだけで感じてしまいました?」
(この男は……)
珠那は耳に片手を置いて、仁太朗への視線を尖らせる。
極上の美しい顔で酷薄な笑みを仁太朗に注がれるのにも慣れそうもなかった。
「今のを済ませてくるから、少し待ってて。今日も北の御殿の調査の続きよね?」
「はい。正妃様たちの容態が悪化していかないとはいえ、討伐に時間を要するわけにはいきません」
「もちろんだわ」
珠那は部屋へと戻り、仕事を再開した。
細かくした香料を鉢に合わせ、蜜を少しずつ加えて練っていく。
匙を動かすたび、甘く深い香りが立ちのぼった。
いつもと変わらない作業のはずなのに、今日は妙に落ち着かない。
(仁に見られているから)
仁太朗を視界にいれないようにしているものの、部屋の戸の傍で自分に視線を向けられているのは承知していた。
意識しないよう努める時点で仁太朗を意識している。
珠那は平常心を保とうと決めながら、仕事だけは真摯に務め上げた。
***
仁太朗と珠那は今日も香炉を確認しながら北の御殿を回ったが、手掛かりはなしだった。
確かに青臭い異臭は香るし、揺らぎも出る。
ただ妖異の場所を特定できる程、香りが膨らんでこないのだ。
(確実に居るはずなのに、どうして……?)
珠那は渡殿の途中で立ち止まった。
「珠那、どうしました?」
珠那を護衛するように傍についていた仁太朗も足を止めて問いかける。
「最初に北の御殿の裏手で妖異の居場所を特定出来た時のことを覚えてる?」
「はい」
「あの時は近くなるほど明確に青臭い香りが強くなっていったから辿りやすかった」
「珠那は見事に妖異を見つけていましたね」
「今は強くなりきらないの……」
珠那は胸元に両手で掲げている香炉を見つめて、首を傾げる。
「確かに、これほど気配が掴み切れないのは俺も初めてかもしれません」
仁太朗と珠那の間に沈黙が落ちる。
(守護官たちが出入りし、北の御殿全体の警戒状態が高まっている今、妖異は身動きがとれないはず。そもそも潜伏できる場所なんてないはずなのに……)
相変わらず正妃や女官たちは倦怠感がとれないというが、北の御殿に出入りしている仁太朗や珠那、その他の守護官たちは体調の変化を感じていない。
「場所……じゃないとか」
珠那が呟くと、仁太朗の瞳に鋭利な光が宿る。
そこへ珠那と顔見知りの女官が通りかかった。
それからの数日、守護官が代わる代わる派遣され、正妃の護衛や北の御殿の巡回と潜伏する妖異に対する警戒を高めていた。
妖異は一度、仁太朗と珠那に見つかったからか、姿を現さない。
正妃や女官たちの具合は悪くはならない一方で回復にも向かわない均衡状態が続いていた。
妖異は確実に存在し、影響を及ぼしている。
仁太朗と珠那も北の御殿の調査を進めているが、常に一緒にいるわけではない。
仁太朗は宮廷お抱えの守護官として幾つも案件を抱えているらしく、珠那にも調香女官として後宮の日常は続いている。
それでも、一日に一度は仁太朗と珠那は顔を合わせ、調査を進めていた。
「珠那さん、こちらの香の最終確認をお願いします」
「わかりました。こちらは南の御殿に届けるものかしら?」
「はい」
「少しひび割れが目立つわね。南でしたら、こちらの香を先に使ってもらえますか? 後でこの香は私が調えておきます」
「はい」
調合部屋で珠那が調香女官たちと仕事をしていた時だった。
「――珠那」
仁太朗が前触れなしに姿を現した。
室内にいた調香女官たちが、小さく「きゃっ」と歓声を上げた。
珠那は作業をいったんそのままにして、仁太朗を連れて部屋から出る。
「直接、入ってこないで。人を介して私を呼んでもらってって伝えたでしょ」
声を潜めて仁太朗に伝える。
「待っている時間が無駄ですし、面倒ですので」
しれっと悪びれもせず返してくる見目の良すぎる男。
守護官である仁太朗が妖異調査のために後宮に出入りしていることは女官たちの間で話題になっており、どういうわけか珠那も抱き合わせで一緒に名前が挙がっているらしい。
「珠那さんって、守護官一お強い仁太朗様と親密なんでしょう?」
北だけではなく、どこの御殿に香を届けに行っても、聞かれるのだ。
今のところ、それが原因で嫌がらせを受けたり、嫌味を言われたりすることはないが、平和と安寧を望む珠那は自分が噂になることすら避けたかった。
(後宮に殿方が出入りしているってだけじゃなくて否応なしに仁は目立つのよ)
珠那は複雑な心境を言葉に出来ずにいる。
「それに仕事中の珠那を見たかったので」
こちらが声を潜めたせいか、耳元で囁くように低い声と吐息を吹き込まれる。
珠那の新雪のような白い肌が一瞬で紅潮した。
「あれ、これだけで感じてしまいました?」
(この男は……)
珠那は耳に片手を置いて、仁太朗への視線を尖らせる。
極上の美しい顔で酷薄な笑みを仁太朗に注がれるのにも慣れそうもなかった。
「今のを済ませてくるから、少し待ってて。今日も北の御殿の調査の続きよね?」
「はい。正妃様たちの容態が悪化していかないとはいえ、討伐に時間を要するわけにはいきません」
「もちろんだわ」
珠那は部屋へと戻り、仕事を再開した。
細かくした香料を鉢に合わせ、蜜を少しずつ加えて練っていく。
匙を動かすたび、甘く深い香りが立ちのぼった。
いつもと変わらない作業のはずなのに、今日は妙に落ち着かない。
(仁に見られているから)
仁太朗を視界にいれないようにしているものの、部屋の戸の傍で自分に視線を向けられているのは承知していた。
意識しないよう努める時点で仁太朗を意識している。
珠那は平常心を保とうと決めながら、仕事だけは真摯に務め上げた。
***
仁太朗と珠那は今日も香炉を確認しながら北の御殿を回ったが、手掛かりはなしだった。
確かに青臭い異臭は香るし、揺らぎも出る。
ただ妖異の場所を特定できる程、香りが膨らんでこないのだ。
(確実に居るはずなのに、どうして……?)
珠那は渡殿の途中で立ち止まった。
「珠那、どうしました?」
珠那を護衛するように傍についていた仁太朗も足を止めて問いかける。
「最初に北の御殿の裏手で妖異の居場所を特定出来た時のことを覚えてる?」
「はい」
「あの時は近くなるほど明確に青臭い香りが強くなっていったから辿りやすかった」
「珠那は見事に妖異を見つけていましたね」
「今は強くなりきらないの……」
珠那は胸元に両手で掲げている香炉を見つめて、首を傾げる。
「確かに、これほど気配が掴み切れないのは俺も初めてかもしれません」
仁太朗と珠那の間に沈黙が落ちる。
(守護官たちが出入りし、北の御殿全体の警戒状態が高まっている今、妖異は身動きがとれないはず。そもそも潜伏できる場所なんてないはずなのに……)
相変わらず正妃や女官たちは倦怠感がとれないというが、北の御殿に出入りしている仁太朗や珠那、その他の守護官たちは体調の変化を感じていない。
「場所……じゃないとか」
珠那が呟くと、仁太朗の瞳に鋭利な光が宿る。
そこへ珠那と顔見知りの女官が通りかかった。



