(おかしいのは香ではないわ)
「少し確かめてみたいので、協力してくれますか?」
珠那の行動を不思議そうに眺めていた別の女官へ声をかける。
「え? もちろんですけど何を」
「別の香を焚いてみたいの。以前こちらへ届けた練香は残っていますか?」
「はい。少しであるならば」
女官は棚から別の香合を取り出して珠那に渡す。
珠那は蓋を開け、中の練香を確かめた。
覚えのある香だった。
今日持参したものとは香料も配合も違い、仕込んだ時期も、調香女官も違う。
ただ最終確認は頼まれて珠那も行っていた。
(これなら、原因を切り分けられる)
「他の香炉はあるかしら? 出来れば炭も灰もまだ使っていないものが望ましくて」
「今、準備いたしますね」
女官が用意している間、珠那は先ほどの香炉を再び確認した。
(やはり、おかしいわ)
別の香炉の準備が整い、同じ方法で以前の練香を香り立たせる。
濃厚で幻想的な伽羅の香りが、立ち込めた。
今日のものとは違う強さを持つ間違いのない香り。
女官たちも香に陶酔するような表情をしている。
そうして部屋を満たし、余韻へと香りが移った時。
先ほどのあの青臭い匂いが珠那の鼻を擽った。
水の底で草木が腐りかけているような、そんな独特の青臭さ。
「……さっきのものと同じだわ」
「同じ?」
二つの香は全てが違っているはずなのに、最後に残る微かな香りだけが同じなのだ。
調合部屋では感じられなかった混じり気。
偶然だとは思えなかった。
珠那は別の香合に入っていた練香も念のため確かめる。
「香が傷んでいるわけではなさそうね」
「どういうことなのでしょうか?」
女官たちが怪訝な顔をしている。
返事をする代わりに珠那は二つの香炉や灰の状態にいたるまで隅々調べ上げた。
「香炉や灰が原因でもないわ」
「珠那さん……」
「これは、もう焚くのは一旦やめたほうが良さそうね」
珠那は香炉の蓋を閉ざす。
共通しているのは一つだけ。
「ここ……北の御殿で焚いた時だけ異臭が混じる……?」
珠那は独り言ちた。
他の御殿にも香は種々届けている。
しかし、このような話を聞くのは正妃が居住する北の御殿だけだ。
「同じように倦怠感を訴えている女官がいらっしゃるとお聞きしましたが」
「ええ。皆がこの北の御殿でお務めをしております。いくら休んでも身体が重いと」
珠那はこの北の御殿に足を運んだ理由を思い出す。
(正妃様が疲れがとれないから安眠したいと……)
珠那は、すっと血の気が引いた。
「正妃様は?」
「あ、ええ。今日はまだお休みになっているかと……」
女官はそこまで言ってはっと口許を手で押さえた。
自分が口にした事実の意味に、ようやく気付いたのだろう。
北の御殿で女官たちだけが倦怠感を訴えているのではない。
「今すぐ正妃様の状態を確認していただけませんか? 正妃様が眠っているだけなのか、呼びかけに応じることが出来る状態なのか。必ず2人以上でお部屋に入っていただけますようお願いします」
「は、はい!」
正妃付きの女官が控えの間から足早に飛び出していく。
控えの間で成り行きを不安そうに眺めていた女官たちへ珠那は依頼をしていく。
「上の方への報告を頼めるかしら? もしかしたら守護官の派遣を要請したほうがいいかもしれません」
「しゅ、守護官……男性を後宮に入れるのですか?」
「人の生気を食らう妖異もいると聞きます。念のため、北の御殿を隈なくお調べになっていただいたほうがいいかと。何もなければ、それまでですし。もちろん、ご判断はお委ねいたします」
「はい。報告してきます」
珠那の指示に女官たちが慌てた様子で散っていく。
守護官とは宮廷に仕え、妖異の調査・討伐を担う専門の官吏たちの総称であった。
(妖異の影響ではないと信じたいけれど)
この北の御殿だけで発生する説明のつかない怪現象。
ただの季節替わりの体調不良として扱うには、異常が重なりすぎていた。
「いったい、この北の御殿で何が……」
一人残された珠那は香炉を見つめて呟いた。
***
北の御殿から守護官への派遣要請は間もなく出された。
女官たちが夜具に横たわる正妃へと呼びかけても、すぐに目を覚まさなかった。
ようやく目を開けたものの、顔色は悪く、上半身を起こすことすら難しい状態で周囲も異変を察したようだ。
医師にもすぐに診せたが、特に異常はないという。
珠那は仕事場へと戻るつもりだったが、異変に気づいた者として守護官の調査へ協力するよう頼まれ、北の御殿へ居残っている。
守護官と顔を合わせたことなどない。
むしろ後宮で調香女官となってから、殿方との接触は皆無だった。
(うまく話せるかしら……)
珠那は聞かれるであろうことを簡潔、明瞭に答えられるよう頭の中で整理していた。
「珠那さん、守護官の方々がいらっしゃったようです」
「少し確かめてみたいので、協力してくれますか?」
珠那の行動を不思議そうに眺めていた別の女官へ声をかける。
「え? もちろんですけど何を」
「別の香を焚いてみたいの。以前こちらへ届けた練香は残っていますか?」
「はい。少しであるならば」
女官は棚から別の香合を取り出して珠那に渡す。
珠那は蓋を開け、中の練香を確かめた。
覚えのある香だった。
今日持参したものとは香料も配合も違い、仕込んだ時期も、調香女官も違う。
ただ最終確認は頼まれて珠那も行っていた。
(これなら、原因を切り分けられる)
「他の香炉はあるかしら? 出来れば炭も灰もまだ使っていないものが望ましくて」
「今、準備いたしますね」
女官が用意している間、珠那は先ほどの香炉を再び確認した。
(やはり、おかしいわ)
別の香炉の準備が整い、同じ方法で以前の練香を香り立たせる。
濃厚で幻想的な伽羅の香りが、立ち込めた。
今日のものとは違う強さを持つ間違いのない香り。
女官たちも香に陶酔するような表情をしている。
そうして部屋を満たし、余韻へと香りが移った時。
先ほどのあの青臭い匂いが珠那の鼻を擽った。
水の底で草木が腐りかけているような、そんな独特の青臭さ。
「……さっきのものと同じだわ」
「同じ?」
二つの香は全てが違っているはずなのに、最後に残る微かな香りだけが同じなのだ。
調合部屋では感じられなかった混じり気。
偶然だとは思えなかった。
珠那は別の香合に入っていた練香も念のため確かめる。
「香が傷んでいるわけではなさそうね」
「どういうことなのでしょうか?」
女官たちが怪訝な顔をしている。
返事をする代わりに珠那は二つの香炉や灰の状態にいたるまで隅々調べ上げた。
「香炉や灰が原因でもないわ」
「珠那さん……」
「これは、もう焚くのは一旦やめたほうが良さそうね」
珠那は香炉の蓋を閉ざす。
共通しているのは一つだけ。
「ここ……北の御殿で焚いた時だけ異臭が混じる……?」
珠那は独り言ちた。
他の御殿にも香は種々届けている。
しかし、このような話を聞くのは正妃が居住する北の御殿だけだ。
「同じように倦怠感を訴えている女官がいらっしゃるとお聞きしましたが」
「ええ。皆がこの北の御殿でお務めをしております。いくら休んでも身体が重いと」
珠那はこの北の御殿に足を運んだ理由を思い出す。
(正妃様が疲れがとれないから安眠したいと……)
珠那は、すっと血の気が引いた。
「正妃様は?」
「あ、ええ。今日はまだお休みになっているかと……」
女官はそこまで言ってはっと口許を手で押さえた。
自分が口にした事実の意味に、ようやく気付いたのだろう。
北の御殿で女官たちだけが倦怠感を訴えているのではない。
「今すぐ正妃様の状態を確認していただけませんか? 正妃様が眠っているだけなのか、呼びかけに応じることが出来る状態なのか。必ず2人以上でお部屋に入っていただけますようお願いします」
「は、はい!」
正妃付きの女官が控えの間から足早に飛び出していく。
控えの間で成り行きを不安そうに眺めていた女官たちへ珠那は依頼をしていく。
「上の方への報告を頼めるかしら? もしかしたら守護官の派遣を要請したほうがいいかもしれません」
「しゅ、守護官……男性を後宮に入れるのですか?」
「人の生気を食らう妖異もいると聞きます。念のため、北の御殿を隈なくお調べになっていただいたほうがいいかと。何もなければ、それまでですし。もちろん、ご判断はお委ねいたします」
「はい。報告してきます」
珠那の指示に女官たちが慌てた様子で散っていく。
守護官とは宮廷に仕え、妖異の調査・討伐を担う専門の官吏たちの総称であった。
(妖異の影響ではないと信じたいけれど)
この北の御殿だけで発生する説明のつかない怪現象。
ただの季節替わりの体調不良として扱うには、異常が重なりすぎていた。
「いったい、この北の御殿で何が……」
一人残された珠那は香炉を見つめて呟いた。
***
北の御殿から守護官への派遣要請は間もなく出された。
女官たちが夜具に横たわる正妃へと呼びかけても、すぐに目を覚まさなかった。
ようやく目を開けたものの、顔色は悪く、上半身を起こすことすら難しい状態で周囲も異変を察したようだ。
医師にもすぐに診せたが、特に異常はないという。
珠那は仕事場へと戻るつもりだったが、異変に気づいた者として守護官の調査へ協力するよう頼まれ、北の御殿へ居残っている。
守護官と顔を合わせたことなどない。
むしろ後宮で調香女官となってから、殿方との接触は皆無だった。
(うまく話せるかしら……)
珠那は聞かれるであろうことを簡潔、明瞭に答えられるよう頭の中で整理していた。
「珠那さん、守護官の方々がいらっしゃったようです」



