【短編】宮廷最強の守護官は、調香宮女にだけ惑わされる~七年ぶりに再会したお嬢様と年下従者の恋模様~

 仁太朗にごまかされたような気がしなくもなかったが、これ以上の追及は野暮だった。

「ありがとう、仁」
 
 珠那は仁太朗の胸の中で顔を上げる。

「仁が私を守ってくれたんでしょ」

 顔を綻ばせて珠那が伝えると、仁太朗は一瞬動揺に双眸を見開いた。

「――それは俺の台詞です」
「え?」
「珠那が戻ってきてくれなければ、俺にはどうしようもありませんでした」
「仁でも?」
「妖異を斬ることは出来ても、守護官は夢の中まで迎えに行けません」

 仁太朗の手が珠那の頬に触れる。
 
「だって……」

(今の仁に会いたかったから……)

 珠那の胸の奥に温かい何かが広がっていく。

「……んっ……」

 寝台のほうから小さな声が漏れる。
 仁太朗と珠那は我に返り同時に振り返った。

「正妃様……!」

 女官が感嘆の声を上げて正妃へと駆け寄る。
 ぼんやりとした様子で正妃が周囲の様子を確認していた。
 随分と顔色が良くなっている。

(良かったわ……)

 医師の診断はこれからだが、目覚めなかった正妃が意識を取り戻したのは事実だった。
 ふと周囲を見回す。
 珠那と視線が重なる前に守護官2人から、それぞれ目を逸らされてしまった。
 しかも、居心地が悪そうにだ。

(私、知らないうちに仁と2人の世界を作り上げていたかもしれない)

 珠那の頬が火照る。

「珠那、どうかしましたか?」

 しれっとした表情で綺麗な顔を接近させてくる仁太朗を軽く睨み上げる。

「珠那に、そんな目で見つめられると欲情してしまいますけど」

 珠那にだけ届くよう、仁太朗に耳元で低く囁かれ、ますます顔中に熱を帯びてしまった。

「――さて、残りの仕事を片付けましょうか」

 守護官2人に声をかける仁太朗は既に任務を完遂する男の顔に戻っていた。

***

 北の御殿に穏やかな日々が戻ってきた。
 正妃の健康状態は良好で、女官たちの倦怠感も消え、今日も務めに徹しているという。
 珠那も調香女官としての日常を取り戻していた。
 調合部屋で香木を削り、香料を量り、丁寧に練り合わせる。
 香合に収めた練香を眺め、珠那は満足そうに頷いた。

「出来た……」

 各御殿からの注文を引き受ける傍らで、何度も調合を繰り返し、ようやく納得のいく仕上がりになった練香。
 甘さを控えめにして、清涼感を香らせつつ、華やかすぎず、どこか安心できるような。

(数え切れないほど香を調香してきたけど、一人の人だけを心に想い描いて造ったのは初めてかもしれない……)

 香合の蓋を閉じ、目的の人物に渡す場面を想像して、落ち着かない気持ちになる。
 今から不安と緊張で珠那はおかしくなりそうだった。
 
***

 珠那が仁太朗を呼び出したのは宮中の庭園だった。
 守護官だとしても、後宮に仁太朗が立ち入っていたのは妖異の調査・討伐のため。
 任務が終了し解決すれば、当然ながら仁太朗と珠那が顔を合わせることはなくなった。
 珠那は事前に使いを送り、約束の日時、場所を仁太朗へ伝えたのだった。

(仁が来ない可能性もあるのよね……)

 仁太朗の使者を通じて承諾の意は受け取っているものの、懸念が勝ってしまう。
 まるで耳元で自分の心音が鳴り響いているのではと錯覚するほど、騒がしい。
 夕刻の庭園は、ただただ静かで。
 橙色に草木が染まり上がっている。
 珠那は香合を包んだ布を両手で抱き締めた。

「――珠那」

 仁太朗の低い声が気配より先に届き、振り返る。
 守護官の黒い装束を纏い、腰には鞘に収まった刀。
 庭石を踏み、現れた仁太朗の姿を視認するだけで、心が乱れた。

(北の御殿の妖異の件が解決して、久々だから……)

 頭で思い描いていた仁太朗と対面して、種々の感情が込み上がってきたのを悟られないよう、自然と頬が綻ぶままに笑いかけた。

「待たせてしまいましたか?」
「いいえ。呼び出して、ごめんなさい」
「俺に会いたかったんですか?」
「ええ。仁に会いたかったの」

 素直に珠那が答えると、仁太朗は端麗な顔に浮かぶ余裕げな笑みこそ崩さないまま、双眸を瞬かせた。
 相変わらず珠那の真っ直ぐな言葉に、仁太朗は調子を狂わされるらしい。

「そういうの普通に言ってくれるんですね」
「だって、仁に嘘をついても仕方ないでしょ」

 仁太朗は開きかけた口を手で覆い隠す。
 すっかり可愛いという表現が似合わなくなった仁太朗だが珠那には可愛く映ってしまう。
 
「仁。照れてるの?」
「理解しているなら聞いてこないでください。俺に何の用だったんですか?」
「仁に渡したいものがあって」

 珠那は包んだ香合を差し出した。
 受け取った仁太朗は包みを開く。

「――香ですか?」
「新しく調合したの」
「俺に?」
「今回の事件で仁が私を守ってくれたお礼」
「どちらかと言えば俺が珠那に協力してもらった礼をしなければならないかと」
「あとは……」

 珠那は迷いながらも、視線を逸らさずに続ける。

「仁のために調香してみたくて」
 
 珠那に視線を注いでいた仁太朗が手元の香炉へと移す。
 蓋を開いて、そっと香りを確かめていた。

「――俺の好きな香りです」
「焚いてみてほしいの。本来の匂いは練香の状態だと……」
「もちろんです。ありがとうございます」