【短編】宮廷最強の守護官は、調香宮女にだけ惑わされる~七年ぶりに再会したお嬢様と年下従者の恋模様~

『仁、ごめんね……』

 足を両腕で抱き込みながら、仁太朗の横顔へ語りかけると、弾かれたように仁太朗も珠那へ顔を向けた。

『お嬢様、今朝からどうしたんですか?』
『私、変?』
『少なくとも、いつものお嬢様とは違います』

 珠那は自分が完璧な少女であろうとする余りに仁太朗の気持ちに向き合えていなかったのではないかと思い当たる。

『私、仁にとって迷惑だった?』
『……』

 すぐには返答せず、仁太朗は視線を前方へ戻してしまった。

『……迷惑ではありませんけど』
『けど?』
『お嬢様の存在がたまに重荷でした。先回りばかりされて、少し鬱陶しいと思ったこともあります』
『言葉を選んでよ』

 珠那は苦笑いを零した。
 
『ですが、それは……』
『それは?』
『……何でもできるお嬢様の傍にいると、自分の弱さを突きつけられているようで嫌だっただけです』

 仁太朗は交差した腕へと自分の顔を埋めて隠してしまう。
 
『……全て失った僕を家族同然に受け入れてくれて、お嬢様には感謝しかしていません……』

 知らなかった仁太朗の本音。
 
(私がそう思いたいだけかもしれない……)

『珠那、仁太朗。昼餉にしましょう』
『2人とも何してるんだ』

 庭に面した屋敷の廊下から父と母が揃って呼びかけてくる。

『お嬢様、行きましょうか』

 すくっと立ち上がった仁太朗は沸騰したように顔が朱かった。
 羞恥心を隠すように足早に珠那の父と母の元へと進んでいく。

『……私、行かないわ』

 立ち上がった珠那は仁太朗の華奢な背中に向かって告げた。

『お嬢様、どうされました?』
『……ここは今の私が居る場所じゃないもの……』
『何を言っているんですか?』

 珠那はわかっていた。
 すでに父も母も亡くなっている。
 その事実は変わらない。
 甘えて、守られるだけの場所なんて、この世に存在してこなかった。
 何より今は後宮に上がって、調香女官として務めている。

(どんな時でも、必死に生きてきた私を私が否定したくない……)

『仁に会いたいの……』
『ここに居るでしょう』
『違うの……』
 
 今、目の前にいる仁太朗とは同じであって違う。
 
『珠那』

 その響きは7年後に再会した守護官の仁太朗からでないと聞けない。
 自分よりずっと高くなった背丈。
 妖異を前にしても揺らがない鋭い眼差し。
 からかってくるくせに、珠那が素直に称賛すれば余裕を失って昔の仁太朗を垣間見せるところ。

『あなたも、とても大切だったわ。でも、今の仁に会いたい……』

 昔の仁太朗に対する感情と、再会した仁太朗に芽生えた感情は違う。
 ここにいれば、もう何にも傷つかず、何も失わずに済むのかもしれない。
 安穏と暮らしていけるのかもしれない。
 例え苦しさを伴うとしても、珠那は今の仁太朗を見上げたかった。

『私、帰るわね』
 
 珠那が告げた瞬間、庭を渡っていた涼風が止まる。
 小鳥の囀りが途切れ、音が消える。
 珠那の世界は、ひび割れていた。

「お嬢様!」

 聞き覚えのある低い声色が鼓膜を叩く。
 はっと珠那が瞼を上げると、仁太朗の綺麗な容貌は冷静さを欠き、珠那を覗き込んでいた。

「仁……?」
「珠那、無事で良かった」

 絞り出すような僅かに震えた低い声だった。
 切実で真剣な眼差しを注がれるのは初めてで。

(ああ、今の仁だわ……)

 珠那が口を開きかけた時、つんざくような悲鳴とともに、珠那の身体から黒い靄が飛び出してきた。
 珠那から引き剥がされ、黒い靄が空中で渦を巻く。
 夜を迎えたわけでもないというのに、室内が一気に暗くなった。

(私、妖異に夢を見せられていて……)

 珠那が状況を理解する前に、仁太朗は動いていた。

「――珠那に手を出して、無事でいられるわけがないだろう」

 仁太朗は軽やかな足捌きで身を翻し、白刃が振り下ろされる。
 妖異は大きく膨れ上がり、断末魔のような叫びを轟かせた。
 黒い靄は細かな灰となって広がり消えていった。
 後には静寂だけが残される。
 珠那は茫然としたまま、一瞬の出来事を見つめていた。
 正妃から珠那へと夢を媒介として宿主を移し人間の生気を啜っていた妖異は仁太朗の手によって討伐されたのだった。

「珠那!」

 仁太朗は鞘に刀を収めると、珠那の元へとすぐさま駆け寄った。

「大丈夫ですか?」
「え、ええ。だいじょう……」

 答えている途中で珠那の膝から力が抜けて、崩れ落ちそうになった。

「――珠那」

 仁太朗が咄嗟に珠那の腰へと腕を回して支えてくれる。
 
「俺の前では強がらないでください」

 珠那が見上げなければ確認できない仁太朗の美貌。

(改めて比較すると随分と逞(たくま)しくなっちゃって……)
 
「うん。強がらないわ」

 仁太朗の硬い胸へと珠那が頬を寄せると、珠那を抱きとめていた力強い腕が僅かに震えた。

「珠那……?」
「さっき、私のこと”お嬢様”って呼ばなかった?」

 仁太朗の腕の中で問いかけてみる。
 返答には間があった。

「珠那の気のせいじゃないですか」
「そうかしら。確かに仁の声で聞こえたような気がしたんだけど」
「珠那は妖異に取り込まれていましたので」