ありがとうの形

 次の日のお昼休み。友人が話に花を咲かせている隙に、私は一人抜けた。彼のいる隣のクラスに行くなんて勇気はもちろんなく、代わりに階段を駆け下りてゆく。そうして行き着いたのは、中庭だった。
 昨日氷上さんが掃除していたのに、地面はもう落ち葉で埋め尽くされている。でも今日の彼なら、楽しくそれらを集めてくれるんだろうなぁ。
 そう思うと、紅葉狩りに誘ったことはちゃんとお礼になれたのだと自信がついてくる。


 と、かさり音が大きく響いた。


 枯れ葉が踏まれる音。誰かが来たんだと、音のする方へ振り返ると。


 「え?」


 驚きで声が思わず漏れる。だって。


 「水城さん、そんなところで何してるの?」
 もう会うことのない氷上さんが目の前にいたから。


 「えっと。紅葉を見に来たの。氷上さんこそ、どうしてここに? 掃除の時間じゃないのに」


 「昨日紅葉見たら、また見たくなって」


 その言葉に、純粋な嬉しさが生まれた。ここに来た目的が氷上さんと同じことに。だけど彼は肩を落としていた。まさか私がここにいたから? と今度はショックを受けかけた時。


 「残念だなぁ。昨日来た時は気づかなかったけど、ここって紅葉してる木がないんだね。枯れ葉はこんなに落ちてるのに」  


 彼の視線が枯れ葉へと落ちる。よかった私が原因じゃないことにと安心し、だけどこのまま彼の落ち込む姿を見るのも……と思ってつい口にしてしまった。


 「だったら探しに行かない?」


 「え?」


 彼が急にこっちを見たから、今度は私が枯れ葉を見る番となった。でも先に提案したのは私だから責任持って、話の続きをする。
 「け、結構落ちてるんだからあるよ、近くに。嫌だったら、いいんだけど……」


 「行きたい!」


 本人にとっても予想以上の声量を出しすぎてしまったのか、再び彼が下を向いた。私も視線は枯れ葉だけど、上目遣いで見えた。


 「じゃあ、行きましょうか」


 「うん」


 氷上さんの頷きと歩き出したのは同時だった。私もついていき、気づけば横に並んでいた。
 不意に夏が蘇ったのかと、錯覚してしまう。それくらい、陽が照っていて風も暑いと思って。きっとそうなのだろう。隣を歩く氷上さんがワイシャツの袖を肘まで上げていたから。けれどひゅっと枯れ葉を追い出す鋭い風がそうではないと教えてくれた。


 「中庭、ないみたいだね」


 中庭はそこまで広いわけじゃなく、すぐに捜索は終わってしまう。すると。


 「じゃあ、今度は敷地内くまなく探そう」


 そうやって氷上さんは積極的に探し始める。昨日までの彼が嘘みたい。むしろ今の彼は私よりも紅葉が好きになっているかもしれない。
 大きく頷いて、私も辺りをキョロキョロする。色んな意味でこの時間を味わっていた。
 彼と探すこの時間を、探し当てた時に見せてくれる笑顔を想像するこの時間を。
 そしてついにその時が来た。色をつけた木は、テニスコート近くにあった。中庭からそこまで近くないけど、風がよく通るから運ばれてくるのも納得する。
 想像通り、彼は朗らかに笑みを浮かべていた。私が見たいと強く願った表情。


 「よかった、あって」


 さらに笑みを強める彼。と、すぐに音が鳴ってしまう。先生が勉強を教える時間を告げるチャイムの音。
 名残惜しそうな彼の表情が目に映る。多分私も同じ顔をしてるのだろう。でも理由はお互い違う。氷上さんは紅葉して色が豊かな景色を見ていたいから。私は景色よりも彼との時間に名残惜しさを感じているから。
 幸い隣のクラスということもあり、すぐに別れとはならず、些細な話をしながら校舎を歩いた。


 「じゃあね」


 「うん、またね」


 またね、次を作りたくてこの挨拶にした。もう一度でも会えるように。でも今度は本当に会えるかどうか……。
 隣の教室へと入っていく彼を見ていると、自分がどんどん弱気になってゆく。
 ううん、いけない。時の運に任せてばかりじゃ。私からも、次を作らないと。
 それから決意する。放課後、中庭でまた彼に話しかけると。
 なのに、いざ放課後来てみると彼はまだ来ていなくて。途端にせっかくの決意が脆くなる。
 ふと、テニスコートへと足が向かった。さっきはあまり見れなかったから。
 ほどなくして着いたけれど、近くまでは行けない。だって。


 「あぁ、もう練習始まってたのかぁ」


 「え! 氷上さん?」


 なんと後ろに氷上さんがいた。どうしよう、何を話せば……。勇気は崩れたばかりだというのに。


 「いや、さっき全然見れなかったから。掃除する前にちょっとと思って。そしたら、水城さんがいて……」


 言葉を止めて、すっと彼が視線を逸らす。どんな意図でそうしているか分からなくて不安になる。
 このまま掃除しに行ってしまったら、次がなくなる。その焦りは、勇気とか関係なく私を素直にさせてくれて。


 「明日、お昼休みまた見に行きませんか?」


 「……明日も、いいの?」


 「え?」


 「会っても……水城さんに」


 「いいよ。ううん、私が会いたい」


 口にいっぱい力を込める。これ以上喋らないように。
 といっても遅い。会いたい、なんて大胆なことを既に口にしてしまったから。
 上目遣いでちらっと、彼の方をみるとやっぱり目は逸れたままだった。
 私たちを照らす夕陽が眩しすぎて、彼の顔の色が分からない。もっと光をおさえてほしかった。もし赤くなってくれてたら、なんて夢みたいな妄想をしなくても済むのに。


 「わかった」


 急に目を合わせてきて、今度はこっちが視線を外す。
 あぁ、この気持ちはきっと……。
 ううん、きっとじゃない。もう分かりきってる。
 バケツをひっくり返したあの日から、私はずっと。  


 「じゃあ、僕は掃除してくるから」


 「あ、私も手伝うよ」


 「え、いいよ」


 「手伝いたい!」


 次断られたら、もっと一緒にいたいから、とか言わないといけないのかな、と不安になっていると。
 「わかった、いいよ」
 あっさりと折れてくれた彼は、やっぱり優しい笑みを浮かべていて。
 私もつられて表情を和らげる。
 それを合図に、二人並んで中庭へと戻った。とめどなく溢れてくる『好き』を抱きしめながら。
 それから何か口実をつけては、彼と毎日会うようになっていった。
 テニスコートの色づいた木を眺めたり、中庭の枯葉をかき集めたり。私の家近くの紅葉たちも見に行った。
 日が経つにつれ、彼のことを考える時間が長くなっていった。にこり微笑む彼と会うたびに。そして同時に困ってしまった。
 これからもずっと続いてほしい。そんな特別な日々を、氷上さんは私にくれた。


 また返さないと。それもとびきりのありがとうを。


 紅葉じゃ、お返しにならないくらい、彼に恋している日々は私にとって大事なものになっていた。


 でも、それもこれも嵐が全て終わらせてしまった。


 大雨や強い風が、色づいた葉を容赦なく襲って。私たちを繋げてくれた葉たちを。
 もう会えなくなってしまう。紅葉を口実に使えないのだから。紅葉を使わずして、どうやって氷上さんに会えばいいのだろうか。
 そしてどんなありがとうを伝えるか。
 空気がすっかり冷え切った通学路を、そんなことを思いながら歩いてゆく。見慣れた校舎がほどなくして姿を現す。
 憂鬱な気持ちで下駄箱を開けて、薄汚れた上履きを取り出した時だった。


 ひらっと、何かが舞う。白く、素早い何かが。


 不規則な動きをするから苦戦したけど、何とか落ちる寸前で掴めた。
 長方形の紙で、よく見るとそれは手紙で。何だろう、とはてなを頭に詰めながら封を開くと。


 『放課後、バケツをひっくり返したところで待っててください。生徒が誰もいなくなってから、伝えたいことがあります』


 氷上よりまで読み終えて、心臓が形を変えるために大きく動いた気がした。だって、それって。
 期待してもいいよね。今日の放課後告白されるかもしれない、そんな妄想したって。
 どんなシチュエーションなのかな、もし付き合えることになったらどんな風に日々が変わってゆくんだろう、とか。
 そんなことばかり考えていたからか、いつの間に約束の時間がやって来た。
 終礼により、生徒たちが一斉に教室から飛び出してゆく。一緒に帰ろ、と誘ってきた友人にはごめん、と断った。
 そして私以外に誰もいなくなった教室から廊下へと出る。バケツで水をひっくり返してしまった光景が幻として蘇る。その時の氷上さんも。
 その彼がもうすぐ来てくれる。期待通りだったら、恋人になれるかもしれない。そして。


 「おまたせ」


 「氷上さん」


 見上げて彼と目を合わせようとする。でもなかなか合わない。きっと緊張で。


 「あの……」


 一度区切って氷上さんが深呼吸を始める。それから。


 「僕……人を殺したことがあるんだ」


 「……」


 なんて言ったのだろう、彼は。言葉は通じるのに、意味は通じない。


 「殺したことがある」


 私があまりにもぼんやりとしていたからか、もう一度彼は強い言葉を口にした。やっと理解する。でもしたくなかった。
 そして彼はさらに。


 「水城さんのお父さんのこと」


 「お、父さんを!? え……」


 声が荒らんだり、弱ったり。息をするのが難しくて。まさに今の私の心を映している。
 ひゅっと風が吹いた。もう秋じゃなくて冬の温度になっている。
 ふとあの時の情景が浮かんだ。


 お父さんがこの世からいなくなってしまった日を。


 紅葉を見に行くたび見ていた笑み。


 それを永遠に見られなくなった日。


 見慣れた坂に見慣れないお父さんの姿。


 電柱のそばで仰向けに倒れ、その周りのアスファルトが赤くて。


 でも、あれは事件じゃない。事故でお父さんは……。


 「僕が自転車でひいた」


 足音が小さくなっていた。気づくのが遅すぎて、彼が去るところを見ることができなかった。
 またね、もさよなら、もなかった。気づいてたとしても、私も多分言えなかっただろう。
 特別だった人が特別だった人によって奪われたのだから。
 それから家に帰るためだけに私は歩き始めた。
 そしていつの間にか、坂を上っていた。かつてお父さんが倒れていたところに差し掛かった頃、やっとその真実に納得した。出会ってからの彼を思い返せば、そうだったのかもしれないと。
 氷上さんがお父さんをひいた。その時から彼は計り知れないほどの罪を抱えて。
 だからこそ、困っていた私をあの時無条件に助けてくれたんだ。自分が傷つけた人の家族だから。
 償いだからこそ、お礼を拒んでいたんだ。私が飲み物を渡そうとしたらいなくなっていたり、渡してもいい顔してくれなかったり。
 ザクッとまた冷たい風に身体を煽られる。刃物で刺されたような、そんな痛みが襲う。でもきっと彼の方がもっと痛かったはず。それも長い間。
 小学六年生の時だから、もう五年ほど、彼はこの罪と闘っていることになる。罪?
 さっきから私はそう呼んでいるけれど、果たして本当に? 
 ずっと違和感があった。そしてふと気づいてしまった。
 まだ、彼が好きだということに。おかしいって自分でも思ってる。彼によってお父さんはいなくなったのに。
 その事実がショックなのには変わりない。それでも、どうしても彼に対して、好き以外の感情を抱けなかった。
 たとえ、私に引け目を感じて近づかれていたとしても。


 好きだから、一緒にいたい。


 お父さんのことで、責めないでほしい。


 今すぐにでも、そう伝えたかった。告白したかった。


 そもそも事故だから、彼を恨む必要なんてこれっぽっちもない。すぐじゃなくても、少しずつ受け入れてもらえるように伝えていきたい。
 さっきよりも容易く坂を駆け上がり、てっぺんまで辿り着く。


 「お母さん、車すごい汚れてるよ」


 私の真正面の家に住む女の子が車を指さして、そばにいるお母さんに訴えかけていた。その車とは対照に、雲をも映してしまいそうなくらい澄んだ瞳で。


 「そうねぇ。落ち葉で、だいぶ車砂で汚れちゃってるね。じゃあ、明日は車のお世話の日にしよっか!」


 「私も手伝う! 車きれいにしたげる!」


 『私も手伝う!』


 女の子は一回しか言ってないはずなのに、なぜか二回聞こえた。しかも声がその子のものではなくて。
 すっと、目の外側の皮膚から何かが垂れてる感じがした。こんなに冷え切っているのに汗はそのまま乾いたアスファルトを一滴の面積分濡らす。
 それは二滴、三滴と数を増やしていった。ついには涙までもが、黒くなった道にさらに上塗りしてゆく。


 そうだった。あの日、私は……。


 坂を上っていた時より、もっと凍てついた空気が身を包む。
 その冷たさを利用して、私は決意を固める。


 明日、私は告白をする。


 大好きな氷上さんが、これ以上苦しまないため。


 明日、明日でなければいけない。
 視界の端で楽しそうに笑う女の子をしっかり見る。告白した後、きっと私は彼の代わりに重たいバケツを持っている。だからいずれ、よろけて転んでしまうだろう。いつかの日みたいに。
 そんな私を救ってくれる存在にあの女の子がなってくれるのは明日しかないから。
 片方の口の端が上がるのを堪えられなかった。やっと見つけられたのだから。


 この告白こそが、私のできる『ありがとうの形』だって。