ありがとうの形

 二週間ほどが過ぎても、状況は同じだった。
 ただ変わったことがあるとすれば、あれ以来氷上さんを頻繁に見かけるようになった。ううん、きっと私が彼を見つけるのが上手くなったから。その理由の追求は恥ずかしくてとてもできそうにないけれど。


 すれ違う時、校舎の中で後ろ姿を見かけた時、指先から足先までかゆくなるような、そんな心地がする。


 そんなこと思ってる場合じゃないのに。


 どんな形でこの間の感謝を伝えるか、それが一番大事なことなのに。


 先生の話が終わり、放課となる。友人たちは部活に行くから、と教室を出てゆく。それを見守ってから、私も重い腰を上げて一人下校する。いつもの習慣。
 ただ掃除当番が変わって、早く帰れるようになっただけ。
 掃除当番だった間、何度か試みようとしていた。またバケツをひっくり返そうという、企み。
 正直、もう違うクラスがいる中、氷上さんに話しかける勇気なんてなくて。だから、また失敗をすれば助けてくれて、それで話しかける機会を作れる、なんて馬鹿な発想が浮かんでしまったのだ。
 冷静に考えて、すぐに却下となったけど。そんなことしたら本末転倒だし、そもそもまだ感謝を伝える術がないというのに。
 そんなことを考えながら、教室を出るとふわっと風が髪を揺らした。


 纏わりつくようなものではなく、すぐにすり抜けてゆく爽やかな風。


 もう、夏を引きずっていない、秋そのものの風だった。


 掃除の時間か、換気のため窓が開けられている。
 そこから未だ吹く風と、傾きかけた陽に誘われて私は窓に近づく。
 至近距離で踊る葉が姿を現した。色づきすぎた葉ばかり。
 それが落ちるのと同じ調子で、私の視線も下に向く。


 すると、そこで止まってしまう。


 氷上さんがいた。中庭の真ん中に。目を細めて、もっと詳細な情報を持ち帰ってみる。


 手には長いほうき。どうやら、落ちている枯葉を集めているよう。


 これだ! と閃いて、私は急いで中庭へ向かった。
 廊下を走り、階段を駆け下りてゆく。昇降口で靴を履き替え、本来ならそのまま校門へ行くところ、今は反対の出入り口へと走った。どうかまだ掃除していますように、と祈っていると神様が聞いてくれたのか、彼が掃除する姿が目に入る。


 「氷上さん」


 勇気を振り絞りすぎて、声に思った以上の力が加わってしまう。それがまずかったのかもしれない。こっちを向いた彼は怯えたような表情をしていて。


 「き、急にどうしたの?」


 「お、手伝いしよう……と、思って」


 不自然に途切れさせながらも、とりあえず最後まで言えた。
 だけど、またも氷上さんは困ったような表情を浮かべる。


 「僕、たいそれたことしてないのに。それに、掃除ももう終わるし」


 「明日手伝うので大丈夫です。今度は早く準備して……」


 「そういう問題じゃないくて。もうお礼とかやめてほしい」


 「……」


 はっきりと言われてしまって、何も返せなくなる。お礼自体が迷惑だったなんて。


 じゃあ、今まで私はずっと彼の迷惑になるために色々考えていたことになる。


 お礼を彼が拒んでいる。だとしたら私がすべきことはただ一つ。


 本当は氷上さんと繋がりたかった。


 お礼を通じて、仲良くなれたらなぁ、なんて夢みたいなことを考えて。


 でもそれはいけないことだった。


 むしろお礼をしない方が、彼にとってはいいことなのかもしれない。ありがとうの形なのかもしれない、と無理やりに割り切って足を後ろへ運ぼうとした時。


 「よ、(わたる)。掃除終わったか?」


 「うん、もう終わる」


 彼が友人に話しかけられる。二週間、見かけるたびに彼の隣にいた男子生徒。


 「大変だよな、こんな落ち葉いっぱいあってさ。この前まではなかったのに」


 「ほんとだよ。自分の当番の時にこんなことになってさ。正直この葉っぱ邪魔だよ」


 「はは、だよな。とりあえず適当にとっとと終わらせろよ? 俺は先に行って合流するから、渉も早く来い」


 それだけ言って友人は去ってゆく。彼はまたほうきで邪魔だと思っている落ち葉たちを集め始める。


 「あの……」


 私の声に、彼がこっちを見る。まだ帰ってなかったのかみたいな顔をされて、身体が萎縮しそうになった。それでも。


 「いつでもいいし、嫌だったらもちろん断ってもいい。えっと……」


 しまった、結論から言えばよかった、と思ってももう言ってしまったものは取り消せない。だから、ちゃんと整理してから再び口を開き。


 「紅葉、見に行きませんか?」


 「え?」


 ぽかんと、呆気に取られている様子の彼。明らかに動揺している。


 「わ、私の家の近くに桜並木があって。その葉が綺麗に紅葉してるから、氷上さんにも見てほしいなと」


 あぁ、絶対これつけ加えるべき情報じゃない。どこから指摘されるのか身構えていると。


 「どうして僕の苗字知ってるの?」


 何で見ず知らずのお前と行かないといけないんだよ、的なことを言われると思ったから、予想外で少しフリーズした。でもすぐに我に返って。


 「一時期氷上さんのことが噂になっていた時に、たまたま耳にして」


 あぁ、と納得したように頭を縦に何度か振っている。とりあえず彼にストーカーじみたことをしていると思われなくてよかったとホッとする。
 だけど彼はすぐに口を開こうとした。今度こそツッコまれると覚悟していると。


 「水城さんは、紅葉が好きなの?」


 これまた予想外の質問に、答えるのが遅くなる。ううん、今度はそれだけが理由じゃない。
 初めて名前を呼ばれたことに、反応してしまって。たとえそれが苗字であっても。


 「好きだよ」


 とはいえ、私にとっては答えやすい質問だったため、すらすらと答えは口に出せた。それだけだと、まるで彼のことが好き、みたいに捉えられるかもしれないから、さらに付け足して。


 「紅葉狩りは、私にとって特別なイベントなので」


 ふと、もういないお父さんが頭に浮かぶ。そう、葉に色がつくと、お父さんが毎日のように私を連れてくれて。だからこそ、今となっては特別になっているのだ。
 お父さんが、振り返る。あの写真のような笑みを見せながら。


 「いいよ」


 口を動かしているのはお父さんなのに、声は全然違う。


 でも知ってる声で。


 「紅葉、見に行きたい」


 次はちゃんと聞き取れた。同時に周りの景色から、紅葉がなくなり、枯葉と共にお父さんの姿も散ってゆく。
 代わりに現れてくれたのは、氷上さんだった。
 困ったような、でも朗らか笑みを浮かばせた不思議な表情。
 

 「いいの? さっきの友だちは? 嫌だったら行かなくても……」


 「ううん。行ってみたい」


 今度はしっかり首を縦に振ってくれた。
 それから残った枯葉を集め、掃除を進めてゆく氷上さん。
 改めて手伝うことを申し出たけれど、それは断られてしまった。
 結局、掃除しているところをじっと見ていた。
 どうしていきなり誘ってきたのか。しかも紅葉狩りに。
 気になるはずなのに、なぜか氷上さんは訊いてこなかった。
 でも訊かれていたら、もしかしたら断られていたかもしれない。
 理由は、最終的に彼へのお礼に繋がってしまう可能性が高いから。
 さっき彼は、枯葉が邪魔だと言っていた。でもそれを落としているのは、紛れもなく木を彩っている紅葉なわけで。


 だから、たくさんの桜並木で色づいている紅葉たちを見たら、思い直してくれるかもしれないと思って。


 枯葉も綺麗だね、なんて言ってくれるかもしれない。


 そしたら、枯葉の掃除のたび、その風景を思い出して、憂鬱じゃなくなるんじゃないか。
 そうなることを、今も面倒そうに掃除する彼を見ながら強く祈った。