翌朝、いつもより早く学校へ登校した。玄関で彼を見つけるために。
ただ突っ立ってるだけでは周りから不審がられるので、下駄箱をゴソゴソとしているふうを出す。私の高校が内履き制度のことに、初めて感謝した。
その効果なのか、特に周りから視線を注がれることはなく、このまま彼を見つけられたらなぁ、暢気なことを考えていたら。
「あ、澪。おはよう」
同じクラスの友人数人が声をかけてきた。昨夜、私が編み出した作戦の終礼が脳内で流れる。
「おはよう、みんな」
「今日は珍しく早いね」
「たまには、ね」
苦し紛れの言い訳をするも、友人たちはさらっと流してくれた。だけど、当然友人だから私を置いていくことはなく。
早く教室行こ~、と促される。こうなったらなされるがまま。
「内履き履き替えるのめんどくさい。土足で上がれる学校だったらなぁ」
「そうだね……」
曖昧に頷いて、その場はやり過ごした。のに。
「ちょっと澪! あの氷上さんに助けられたってどういうことなの!?」
玄関で挨拶を交わして数分後、同じ友人たちに私は取り調べられることとなった。
どうやら昨日のことが噂され、当たり前かのように今もその話題を関係のない人たちが囁いているから。
おかげで名前や学年、クラスまで知れたけど。
氷上渉。同じ学年の隣のクラスらしい。身近だったはずなのに、全然知らなかった。
女子から人気があるという、余計な情報も耳に入った。でも塩対応でクール系だと聴いて、なぜかほっとする。
昨日はそんなことなかったから。
「もう、ちゃんと話してよ」
望んでいた知り方じゃなかったなぁ、と落胆する間もなくさらに詰め寄られて、仕方なく説明する。お母さんの時とは違って、氷上さんのことも。でも私情は隠して。
本当に? と明らかに納得してなさそうな友人の表情。それでも本当だよ、と根気強く伝えると何とか引き下がってくれた。信頼があってこその友だちだと実感できた。
始業のチャイムが鳴り、友人が散る。途端に、また彼が頭の全部を占めた。
氷上渉。その響きにすら感銘を受けてしまう私は、どうかしてしまっている。
お礼できる機会がたくさんできた、と無理に気持ちを切り替えた。
それでも、気づけばまた氷上さんが脳裏にこびりついて、その葛藤は身体を動かす体育ですらやってしまう。
走って酸素不足の脳は上手く働けないはずなのに、どうしてか彼のことだけは思い出させてくる。
何とかそれも乗り越えて、友人たちと体育館を出る時だった。
ぱちりと、視線が交わる。
あの澄んだ大きな瞳と。
頭の中の想像じゃない。私の真横を通りすぎようとしているのは、本物の氷上さんだった。でもそれだけだった。
何も見なかったかのように、彼の目は一緒に歩いている友人に向けられて。
もしかして、私のこと忘れてる?
ううん、とすぐに首を横に振る。だったら、目が合うはずない、と。
これは言い訳。緊張して氷上さんに話しかけられないから、と。
このままじゃ、いけない。せっかく氷上さんに会えたのに。
けれど、どんどん彼からは離れてゆく。当たり前。彼は体育館、私たちは教室、とそれぞれ反対方向へ歩いているのだから。
やがて渡り廊下が終わりに差し掛かったところでふと、光る箱が目に入る。昨日彼のために紅茶を買った自動販売機。
「ちょっと、先行ってて。喉乾いちゃって」
友人たちは、光る箱を見て納得してくれた。それから急いで私はそこへ近づき、同じく紅茶を二本買う。
それを抱えながら体育館へ引き返すと、出入り口で思わず立ち尽くしてしまった。
先生が来るまで、皆自由にしている。鬼ごっこをしたり、キャッチボールをしたり。
そして氷上さんは、さっき共に歩いていた友人とバスケをしていた。私が見てしまったのは、彼がちょうどシュートを決めるところだった。
リングへと美しく向かうバスケットボール。
放物線を綺麗に描いて、少しのブレもなく。それだけじゃない。
一番綺麗なのは、それを放っている彼だ。
表情も姿勢も全てが。
入るぞって確信めいて唇の片方の端を緩く上げているところまで見えた。彼を包む埃さえ、舞台を彩る紙吹雪に思える。体育館のギャラリーにある窓から陽光が射すことによって。
ドン
リングをすり抜けてボールが床を跳ねたことで我に返る。今私は何を見てしまったのだろう、と顔が温かくなるのを感じる。すぐに手にある紅茶のせいにした。
でもそのせいにもできなくなって。シュートを決めた氷上さんと目がぴたり合ってしまったから。
今度は目を逸らさず、じっと私を見ている。いないはずの私がどうしてここにいるのか、気になっている顔をしていた。
ずっと見られるのも恥ずかしくて、それならと意を決して体育館に足を踏み入れる。さっきもいた場所なのに、まるで異世界に来てしまったかのように思えた。そう見えるのは違うクラスだから、とはならない。氷上さんがいるから。
周りの視線が刺さる中、何とか氷上さんの目の前まで辿り着くことができた。陽光で照らされた彼の顔は、やっぱり困惑の色をしている。それでも構わず、私は。
「これ、昨日のお礼です。受け取ってください」
「そんな、お礼されるほどのことしてないし……」
「いえ。本当に助かったので」
紅茶の一本をさらに近づける。それでもなかなか受け取ってくれない。氷上さんには救われたというのに。
やがて、折れたように躊躇いながらも取ってくれた。同時に予鈴が鳴り、ありがとうございました、と最後に感謝を伝えて体育館を出る。
渡り廊下を越えたところで、ふと気づく。
これは自己満足なのでは? と。
紅茶を渡すこと。それは相手に感謝されると思っていることをしたにすぎない。
本当はもっと相手の救いになることをちゃんと考えなければいけないのではないか。
それこそがちゃんとありがとうを返すという意味になるのではないか。
だとしたら私……何をやってしまったのだろう。
感謝される行為どころか、表情から察するに困らせていたかもしれない。助けてくれた人に、そんな想いをさせてしまうなんて。
あぁ、お礼って難しい。どんなありがとうの形なら、彼が喜んで受け取ってくれるだろうか。
だけど、いくら考えても都合よくそんな方法は思いつかなかった。
ただ突っ立ってるだけでは周りから不審がられるので、下駄箱をゴソゴソとしているふうを出す。私の高校が内履き制度のことに、初めて感謝した。
その効果なのか、特に周りから視線を注がれることはなく、このまま彼を見つけられたらなぁ、暢気なことを考えていたら。
「あ、澪。おはよう」
同じクラスの友人数人が声をかけてきた。昨夜、私が編み出した作戦の終礼が脳内で流れる。
「おはよう、みんな」
「今日は珍しく早いね」
「たまには、ね」
苦し紛れの言い訳をするも、友人たちはさらっと流してくれた。だけど、当然友人だから私を置いていくことはなく。
早く教室行こ~、と促される。こうなったらなされるがまま。
「内履き履き替えるのめんどくさい。土足で上がれる学校だったらなぁ」
「そうだね……」
曖昧に頷いて、その場はやり過ごした。のに。
「ちょっと澪! あの氷上さんに助けられたってどういうことなの!?」
玄関で挨拶を交わして数分後、同じ友人たちに私は取り調べられることとなった。
どうやら昨日のことが噂され、当たり前かのように今もその話題を関係のない人たちが囁いているから。
おかげで名前や学年、クラスまで知れたけど。
氷上渉。同じ学年の隣のクラスらしい。身近だったはずなのに、全然知らなかった。
女子から人気があるという、余計な情報も耳に入った。でも塩対応でクール系だと聴いて、なぜかほっとする。
昨日はそんなことなかったから。
「もう、ちゃんと話してよ」
望んでいた知り方じゃなかったなぁ、と落胆する間もなくさらに詰め寄られて、仕方なく説明する。お母さんの時とは違って、氷上さんのことも。でも私情は隠して。
本当に? と明らかに納得してなさそうな友人の表情。それでも本当だよ、と根気強く伝えると何とか引き下がってくれた。信頼があってこその友だちだと実感できた。
始業のチャイムが鳴り、友人が散る。途端に、また彼が頭の全部を占めた。
氷上渉。その響きにすら感銘を受けてしまう私は、どうかしてしまっている。
お礼できる機会がたくさんできた、と無理に気持ちを切り替えた。
それでも、気づけばまた氷上さんが脳裏にこびりついて、その葛藤は身体を動かす体育ですらやってしまう。
走って酸素不足の脳は上手く働けないはずなのに、どうしてか彼のことだけは思い出させてくる。
何とかそれも乗り越えて、友人たちと体育館を出る時だった。
ぱちりと、視線が交わる。
あの澄んだ大きな瞳と。
頭の中の想像じゃない。私の真横を通りすぎようとしているのは、本物の氷上さんだった。でもそれだけだった。
何も見なかったかのように、彼の目は一緒に歩いている友人に向けられて。
もしかして、私のこと忘れてる?
ううん、とすぐに首を横に振る。だったら、目が合うはずない、と。
これは言い訳。緊張して氷上さんに話しかけられないから、と。
このままじゃ、いけない。せっかく氷上さんに会えたのに。
けれど、どんどん彼からは離れてゆく。当たり前。彼は体育館、私たちは教室、とそれぞれ反対方向へ歩いているのだから。
やがて渡り廊下が終わりに差し掛かったところでふと、光る箱が目に入る。昨日彼のために紅茶を買った自動販売機。
「ちょっと、先行ってて。喉乾いちゃって」
友人たちは、光る箱を見て納得してくれた。それから急いで私はそこへ近づき、同じく紅茶を二本買う。
それを抱えながら体育館へ引き返すと、出入り口で思わず立ち尽くしてしまった。
先生が来るまで、皆自由にしている。鬼ごっこをしたり、キャッチボールをしたり。
そして氷上さんは、さっき共に歩いていた友人とバスケをしていた。私が見てしまったのは、彼がちょうどシュートを決めるところだった。
リングへと美しく向かうバスケットボール。
放物線を綺麗に描いて、少しのブレもなく。それだけじゃない。
一番綺麗なのは、それを放っている彼だ。
表情も姿勢も全てが。
入るぞって確信めいて唇の片方の端を緩く上げているところまで見えた。彼を包む埃さえ、舞台を彩る紙吹雪に思える。体育館のギャラリーにある窓から陽光が射すことによって。
ドン
リングをすり抜けてボールが床を跳ねたことで我に返る。今私は何を見てしまったのだろう、と顔が温かくなるのを感じる。すぐに手にある紅茶のせいにした。
でもそのせいにもできなくなって。シュートを決めた氷上さんと目がぴたり合ってしまったから。
今度は目を逸らさず、じっと私を見ている。いないはずの私がどうしてここにいるのか、気になっている顔をしていた。
ずっと見られるのも恥ずかしくて、それならと意を決して体育館に足を踏み入れる。さっきもいた場所なのに、まるで異世界に来てしまったかのように思えた。そう見えるのは違うクラスだから、とはならない。氷上さんがいるから。
周りの視線が刺さる中、何とか氷上さんの目の前まで辿り着くことができた。陽光で照らされた彼の顔は、やっぱり困惑の色をしている。それでも構わず、私は。
「これ、昨日のお礼です。受け取ってください」
「そんな、お礼されるほどのことしてないし……」
「いえ。本当に助かったので」
紅茶の一本をさらに近づける。それでもなかなか受け取ってくれない。氷上さんには救われたというのに。
やがて、折れたように躊躇いながらも取ってくれた。同時に予鈴が鳴り、ありがとうございました、と最後に感謝を伝えて体育館を出る。
渡り廊下を越えたところで、ふと気づく。
これは自己満足なのでは? と。
紅茶を渡すこと。それは相手に感謝されると思っていることをしたにすぎない。
本当はもっと相手の救いになることをちゃんと考えなければいけないのではないか。
それこそがちゃんとありがとうを返すという意味になるのではないか。
だとしたら私……何をやってしまったのだろう。
感謝される行為どころか、表情から察するに困らせていたかもしれない。助けてくれた人に、そんな想いをさせてしまうなんて。
あぁ、お礼って難しい。どんなありがとうの形なら、彼が喜んで受け取ってくれるだろうか。
だけど、いくら考えても都合よくそんな方法は思いつかなかった。



