今度会ったらキスしよう

 それから、私と許斐は二人で会わなくなった。
 教室にいても目ひとつ合わせないで、言葉すらほとんど交わしていなかったと思う。
 そのままの状態が一ヶ月ほどすぎ、気づいたときには、許斐はクラスの上位グループの一員になっていた。
 元々素質はあったのだ。私より顔立ちがはっきりしてるし、他人に優しくできるし、空気も読める。むしろ今まで、私が独り占めできてたのが奇跡だったんだ。
「このみん、今日もカラオケ行く?」
 私の知らないあだ名で呼ばれた許斐は、二つ返事で「行く!」と返した。
 そっか、カラオケとか、私といると絶対行かなかったもんね。
 我慢、させちゃってたな。本当はずっとそうだったんだろうな。
 孤独は妄想を加速させる。そうして膨れ上がった妄想は、また大きな孤独の種となる。
 私が学校に行けなくなったのは、それからすぐのことだった。

「姉ちゃん、学校は?」
 扉の向こうから妹の声がする。
「休む」
 とだけ返すと、
「あっそ。母さんに怒られないうちに行きなよ」
 とだけ返ってくる。
 お母さんが私の心配なんかするわけないじゃん。あんた私より可愛いし、色々、上手だし。あんたが学校に行ったら喜ぶ人がいるでしょ。
 私の気持ちなんて、許斐以外の人間はわかってくれない。いや、こういう気持ちがもう既に腐ってるんだ。私は許斐と知り合ってから、許斐以外の人間を無意識にシャットダウンしていた。そうやって寄りかかった先の許斐の言葉から、私は逃げた。
 どうしたらいい? どうしようもない。どうやったらよかった? どうやってもダメだった?
 濁った気持ちの宛先がなくて、ただスマホの中の写真を整理していた。
「もう一年前か」
 私の写真フォルダの中身は、一年前から急速に圧迫され始めた。
 許斐と初めて話した日、あの踊り場で、勝手に撮られた無愛想な顔の私。削除ボタンに親指が触れかかって、慌てて左手がそれを制止する。
 大抵許斐の撮る私の写真はブレている。それはいつも笑いながら彼女がシャッターを押すからで、私の撮る許斐の写真も、日付が新しくなるにつれてブレていった。
 ついついとスクロールしていった写真の中には、五秒くらい足元を映しただけの意味分かんない動画とかもあったりして、さすがにこれはいらないかって削除。
 そうだ。
 こうやって、ほんの少しずつ、痛みの小さい場所から削っていくみたいに、私は許斐との思い出を忘れていくんだろう。
 ふと指が止まった場所に、真っ黒なサムネイルの動画があった。他にもこういう意味のない事故動画はあったけれど、これだけが妙に長い時間録画されていた。
「五分三十三秒、ってなんだっけ」
 録画時間に意味なんてないはずなのに、妙に引っかかりを感じて再生のアイコンを押す。『命がいくらあっても仕方ない』
 私は小さく「わ」と声を出して動画を止めてしまった。
 これ、歌だ。それも、私の声と許斐の声が混ざってる。
 やばいなこれ、消すの確定。
 でも、な。
 消す前に、一度だけ。
『だって僕らまた巡り会えるかもわからない』
 安いイヤホンの向こう側で、いつかの私と許斐は歌う。ときどき二人のうちのどっちかが音程を外して、どっちかがそれにつられたりしながら、歌詞だけは間違えない。だってこれは、歌詞が最高の曲だから。私が許斐に教えて、なんでか許斐の方が先に歌えるようになってた。それまでそんなに聴き込んでもなかったくせに、私も必死になって歌えるようになった。ほんの一週間くらいの間だけど、私たちの間でこの曲は合言葉みたいになってた。
「飛んでしまって構わない」
 ほら、まだ歌える。
「だっ、て……また……」
 私はそこでイヤホンを外した。
 まだ再生を続けていたスマホの電源を切って、枕の下にしまい込んで、何回もベッドに頭を打ち付けながら、叫ぶみたいに泣いた。多分一生分泣いたんじゃないかってくらいに泣いて、頭も割れそうなくらいに痛くて、もうこのまま、死ぬんじゃないかと思った。この思い出の中でなら、死んだっていいと思った。
 それでも日は沈んで、朝は来た。
 知らない間に眠っていて、なぜか学校に行く時間には目が覚めた。
 重たい体を起こして、制服に着替えて顔を洗った。なんでだろう。誰も私のこと、待ってないのに。
 違う。ただ、会いたかった。
 散々喚き散らして、一番簡単なことに気がついた。
 私は、許斐に会いたい。