許斐と話すようになってそれなりの時間が過ぎ、その間、私たちの居場所は転々と移り変わった。
非常階段はあくまで非常階段、常日頃から居座っていい場所じゃない。生徒指導の見回り範囲内だし、この学校にいるはずれ者は私たちだけじゃない。二人になって、足が四本になった私たちは、ひとりぼっちの誰かより、もう少しだけ遠くに行ける。
公園やショッピングモールの喫煙所なんて場所でも私たちは座り込んだ。とにかく他の人間がいない場所がいい、というのが暗黙の了解で、となると必然、段々外の世界に居場所を見いだせなくなる。
結果的に、学校が終わったあとは私の家に集まることが定番となった。許斐の家は常に人がいて、私の家には常に人がいなかったから、自然とそうなった。友だちを家に呼んだことなんてなかったけれど、許斐ならよかった。むしろこんな殺風景な六畳間が許斐の居場所になるのなら、明け渡してあげてもいいとさえ思えた。
殺風景な六畳間は、許斐の手によって次第に色を増していった。二人で苦労してとったゲーセンの不細工なぬいぐるみ、古本屋でお互いに選び合った色褪せまくった文庫本も、私の本棚に並べておいてあった。許斐は家じゃ本なんか読めないって言ってた。深く聞くのが怖くて、それ以上は知らない。
「ねえ、いさちゃん」
なんでもない日だった。
特にすることもなくて、やる気も起きなかったから、いつも通り許斐は私の家に来て、いつも通り私のベッドに横並びで座っていた。袖と袖が触れるかどうか、というこの距離が、私たち二人のいつもの距離感だった。
それが、今日はいつもよりも少し近かった。私がスマホを触るとか、そういう些細なきっかけで許斐との距離が離れると、その分だけ許斐が私の近くに寄った。居心地悪いとか、そういうのはないけれど、なんとなく、普段とは違う雰囲気が流れていた。
「何?」
私は多分、知らないふりをしていたかったんだと思う、距離とか、言葉とか、その端々から感じる、違和感に対して。
「私ね、いさちゃんのこと、好きかも」
「好きって、どういう?」
もうこの時点では、なんとなく勘づいていた。この後に続くであろう、許斐の言葉を。
「恋愛感情で。付き合いたいとか、そういう意味で、私、いさちゃんのこと好き」
「……そっか」
こういうとき、どういう反応をしていいのかわからなかった。
私に配られたプラカードの中に、『友だちから告白されたとき』なんて名前のついたものはなかったから。これは、私が自分で考えないといけないことだ。
でも、どうやって? だって私はそんなこと、考えたこともなかったし。何より、許斐とはこのままでいたかった。恋人だとか、賞味期限の見えた関係になりたくなんてなかった。でも。許斐が望むなら。別にいいのかもしれない。でもでも、それって、本当に許斐の気持ちに向き合えたって言えるんだろうか。
いつか自分の狡さを許してくれた、この世界で唯一の人に、そんな無責任な返事をしていいんだろうか。
「……ごめん。少し、考えさせて」
やっとの思いで口から出た言葉は、それ以上でもそれ以下でもない先送りだった。
私は狡い人間だ。
こういうとき、心底そう思う。
許斐からすれば、告白の返事はなるべく早い方が気が楽になるに決まっているのに。
「うん」
平坦な、そうであるように努めているような声だった。むしろ私の後ろめたさの分だけ、どこか私を責めているような気もする。
「いさちゃん、この漫画、そろそろ終わるんだって」
スマホの画面を見せながら、許斐はまるでなんでもないようなふうに話を変えた。
「うわ……。私それ、三話だけ読んで切っちゃってたな。面白い?」
「面白かったよ、私は」
そんな切り離すみたいな言い方しないでよ。いつもならそう言えるのに、今はいつもよりも言葉に体重が乗ってしまうような気がして、喉の奥につっかえる。引っかかって、そこで腐ってしまうかもしれない。
こんなの、嫌だな。
「……あのさ、やっぱ返事しとく」
「え、いいよ。本当にいいから、ね?」
「でも、多分変わんない、と思うから」
違った。
このときの私に確信めいた考えなんて数ミリグラムもなかった。
ただこのモヤモヤが嫌だった。許斐といる空間にこういう雰囲気が生まれてしまったことに耐えられなかった。
全部私のためだった。
「ごめん。許斐のこと、友だち以上には見れないよ」
言ってしまった。
よりも、
言えてよかった、の気持ちの方が大きかった。ちゃんと言えた、と思った。これも相手が許斐だからだ。これがクラスの適度に不愉快じゃない男子だったら、人生経験だとかありきたりな理由をつけて承諾していただろう。恋愛に憧れてないわけじゃなかった。でも、消耗品だとははっきり認知していた。だって、私の親も、許斐の両親も別れてる。それが答えでしょ? いつか別れるものになりたくなんかないんだよ。
「そっか」
許斐は手元のスマホを見たままそう言った。
え、何それ。
「いいんだよ、そんなに罪悪感感じないで。私もさ、いさちゃんと付き合えたら気とか使わなくて済むしって、始まりはそれだけだから」
なんだよ、それ。
気づくと私は立ち上がっていて、スマホに夢中な許斐を睨みつけていた。
「私、本気で考えたんだけど」
「だからいいって言ってんじゃん!」
珍しく、許斐が声を張り上げた。
ここでようやく、私は許斐の瞳に滲んだ透明な液体に気づく。許斐はスマホなんか見てなかった。他に目のやりどころがなかっただけだ。
許斐はそのままベッドから降りると、荷物を持って部屋を出ようとした。
「待ってよ」
私は許斐のスカートを掴んだけれど、その手はあっさりと振り払われる。
「本気って、いさちゃん言うけどさ」
許斐の涙がフローリングに落ちる。
「逃げたいだけに、見えたよ。私から、目を、逸らしたいだけに、見えたよ」
「……そんな」
図星だった。
私の語る『本気』は、許斐のそれの足元にも及ばない。現に泣いてる許斐を見て、『何泣いてんだよ』って思ってる。泣かないために、めんどくさくならないために振ったんじゃん。なんでこうなるの、そんなことばかり考えている。
「いさちゃんのそういうところ、大好きだけど大嫌い。一生そのままでいてほしいけど、それとおんなじくらい、くたばっちまえって思ってる」
なんだよ。
そんなん、わかってるよ。
それでも一緒にいてくれたじゃん。「本当いさちゃんは狡いよね」って、笑ってくれたじゃん。私、嬉しかったのに。救われたって思ったのに。
「ばいばい、いさちゃん」
バタン、と閉じたドアの音が、今でも耳に残っている。
非常階段はあくまで非常階段、常日頃から居座っていい場所じゃない。生徒指導の見回り範囲内だし、この学校にいるはずれ者は私たちだけじゃない。二人になって、足が四本になった私たちは、ひとりぼっちの誰かより、もう少しだけ遠くに行ける。
公園やショッピングモールの喫煙所なんて場所でも私たちは座り込んだ。とにかく他の人間がいない場所がいい、というのが暗黙の了解で、となると必然、段々外の世界に居場所を見いだせなくなる。
結果的に、学校が終わったあとは私の家に集まることが定番となった。許斐の家は常に人がいて、私の家には常に人がいなかったから、自然とそうなった。友だちを家に呼んだことなんてなかったけれど、許斐ならよかった。むしろこんな殺風景な六畳間が許斐の居場所になるのなら、明け渡してあげてもいいとさえ思えた。
殺風景な六畳間は、許斐の手によって次第に色を増していった。二人で苦労してとったゲーセンの不細工なぬいぐるみ、古本屋でお互いに選び合った色褪せまくった文庫本も、私の本棚に並べておいてあった。許斐は家じゃ本なんか読めないって言ってた。深く聞くのが怖くて、それ以上は知らない。
「ねえ、いさちゃん」
なんでもない日だった。
特にすることもなくて、やる気も起きなかったから、いつも通り許斐は私の家に来て、いつも通り私のベッドに横並びで座っていた。袖と袖が触れるかどうか、というこの距離が、私たち二人のいつもの距離感だった。
それが、今日はいつもよりも少し近かった。私がスマホを触るとか、そういう些細なきっかけで許斐との距離が離れると、その分だけ許斐が私の近くに寄った。居心地悪いとか、そういうのはないけれど、なんとなく、普段とは違う雰囲気が流れていた。
「何?」
私は多分、知らないふりをしていたかったんだと思う、距離とか、言葉とか、その端々から感じる、違和感に対して。
「私ね、いさちゃんのこと、好きかも」
「好きって、どういう?」
もうこの時点では、なんとなく勘づいていた。この後に続くであろう、許斐の言葉を。
「恋愛感情で。付き合いたいとか、そういう意味で、私、いさちゃんのこと好き」
「……そっか」
こういうとき、どういう反応をしていいのかわからなかった。
私に配られたプラカードの中に、『友だちから告白されたとき』なんて名前のついたものはなかったから。これは、私が自分で考えないといけないことだ。
でも、どうやって? だって私はそんなこと、考えたこともなかったし。何より、許斐とはこのままでいたかった。恋人だとか、賞味期限の見えた関係になりたくなんてなかった。でも。許斐が望むなら。別にいいのかもしれない。でもでも、それって、本当に許斐の気持ちに向き合えたって言えるんだろうか。
いつか自分の狡さを許してくれた、この世界で唯一の人に、そんな無責任な返事をしていいんだろうか。
「……ごめん。少し、考えさせて」
やっとの思いで口から出た言葉は、それ以上でもそれ以下でもない先送りだった。
私は狡い人間だ。
こういうとき、心底そう思う。
許斐からすれば、告白の返事はなるべく早い方が気が楽になるに決まっているのに。
「うん」
平坦な、そうであるように努めているような声だった。むしろ私の後ろめたさの分だけ、どこか私を責めているような気もする。
「いさちゃん、この漫画、そろそろ終わるんだって」
スマホの画面を見せながら、許斐はまるでなんでもないようなふうに話を変えた。
「うわ……。私それ、三話だけ読んで切っちゃってたな。面白い?」
「面白かったよ、私は」
そんな切り離すみたいな言い方しないでよ。いつもならそう言えるのに、今はいつもよりも言葉に体重が乗ってしまうような気がして、喉の奥につっかえる。引っかかって、そこで腐ってしまうかもしれない。
こんなの、嫌だな。
「……あのさ、やっぱ返事しとく」
「え、いいよ。本当にいいから、ね?」
「でも、多分変わんない、と思うから」
違った。
このときの私に確信めいた考えなんて数ミリグラムもなかった。
ただこのモヤモヤが嫌だった。許斐といる空間にこういう雰囲気が生まれてしまったことに耐えられなかった。
全部私のためだった。
「ごめん。許斐のこと、友だち以上には見れないよ」
言ってしまった。
よりも、
言えてよかった、の気持ちの方が大きかった。ちゃんと言えた、と思った。これも相手が許斐だからだ。これがクラスの適度に不愉快じゃない男子だったら、人生経験だとかありきたりな理由をつけて承諾していただろう。恋愛に憧れてないわけじゃなかった。でも、消耗品だとははっきり認知していた。だって、私の親も、許斐の両親も別れてる。それが答えでしょ? いつか別れるものになりたくなんかないんだよ。
「そっか」
許斐は手元のスマホを見たままそう言った。
え、何それ。
「いいんだよ、そんなに罪悪感感じないで。私もさ、いさちゃんと付き合えたら気とか使わなくて済むしって、始まりはそれだけだから」
なんだよ、それ。
気づくと私は立ち上がっていて、スマホに夢中な許斐を睨みつけていた。
「私、本気で考えたんだけど」
「だからいいって言ってんじゃん!」
珍しく、許斐が声を張り上げた。
ここでようやく、私は許斐の瞳に滲んだ透明な液体に気づく。許斐はスマホなんか見てなかった。他に目のやりどころがなかっただけだ。
許斐はそのままベッドから降りると、荷物を持って部屋を出ようとした。
「待ってよ」
私は許斐のスカートを掴んだけれど、その手はあっさりと振り払われる。
「本気って、いさちゃん言うけどさ」
許斐の涙がフローリングに落ちる。
「逃げたいだけに、見えたよ。私から、目を、逸らしたいだけに、見えたよ」
「……そんな」
図星だった。
私の語る『本気』は、許斐のそれの足元にも及ばない。現に泣いてる許斐を見て、『何泣いてんだよ』って思ってる。泣かないために、めんどくさくならないために振ったんじゃん。なんでこうなるの、そんなことばかり考えている。
「いさちゃんのそういうところ、大好きだけど大嫌い。一生そのままでいてほしいけど、それとおんなじくらい、くたばっちまえって思ってる」
なんだよ。
そんなん、わかってるよ。
それでも一緒にいてくれたじゃん。「本当いさちゃんは狡いよね」って、笑ってくれたじゃん。私、嬉しかったのに。救われたって思ったのに。
「ばいばい、いさちゃん」
バタン、と閉じたドアの音が、今でも耳に残っている。
