今度会ったらキスしよう

 はずれ者にははずれ者のルールがある。他人の心に踏み込まないとか、踏み込まれないようにする、とか。それは人によって全然違うものだけれど、大抵の目的は、『自分が傷つかないようにするため』だ。
「いさちゃん、今日一緒に帰ろうよ」
 ある日、放課後の、いつもの『踊り場』で、不意に隣に座っていた許斐は切り出した。
「……何それ」
「え? いさちゃん、でしょ? 潔、なんだし」
「何が『でしょ?』なのかわかんないんだけど」
「嫌? 嫌ならやめるよ」
「嫌じゃないけど。そういう距離の詰め方、苦手なだけで」
 呼び名が変われば親密度が変わる。世の中にはそんな勘違いをしているやつが多すぎる。
 それは確かにある意味では比例しているのかもしれないけれど、私はそういうのに追いつけない。他人はいつまで経っても他人だし、体の外にあるものは、いつまで経っても私自身にはなり得ない。だから勝手に呼び名が変わるのは、無遠慮に内臓を触られているような気がして受け付けない。
「ねえ、いさちゃん」
 結局その呼び方でいくのかよ。と思いながら、私は「何」と返す。正直さ、私ってクソめんどくさいでしょ。疲れたらいつでも、好きな場所にいなくなってくれていいからね。そんな、それこそ無遠慮な言葉ばかりが口をついて出そうになる。私にもこれが、自分の本心なのかはわからない。
「別に距離とか、どうでもいいよ」
 許斐はずいっと私の方に顔を近づけ、まっすぐな瞳の中に私を閉じ込めたまま続ける。
「私がいさちゃんってなんとなく呼びたくなったから呼んでみただけ。嫌ならやめるし、もう二度と呼ばないけどさ」
 怖かった。
 許斐の目の中にいる私が、想像していたよりもずっと『私』で。
 こんなふうに、見透かされるほど他人に近づかれたことなんてなかったから。
 友だちに怒られたことなんて、これが初めてだったから。
「私と『腐った世の中の人間像』、二度と一緒にしないでくれるかな」
 じゃなきゃ寂しいよ。とか、許斐はそんな言葉で結んでいたような気がする。
 ぼんやりとしか覚えてないのは、私がすっかりいつもの『世の中全部消えちまえって思ってる女子高生』を保っていられなくなったから。
 ただ私の頭の中にあったのは、
「……ごめん」
 目の前の許斐に対する、耐えがたいほどの申し訳なさだけだった。
「えっ、ちょっ……いさちゃん?」
 許斐は驚いていた。私が咄嗟に彼女の手を握ったから。
 特に深い考えがあったわけじゃない。ちゃんと考える脳みそがあったなら、そもそもこんなことできない。
 でも、そうしなきゃって思った。そうするべきだと思った。
「いさちゃん……でいいよ。そう呼んでほしい」
「わかった。わかったよ、いさちゃん」
 許斐はそれだけ呟いて、それから私を抱き締めた。私も素直にそれに従って、彼女の背中に手を回した。
 花の匂いと、甘いシャンプーの匂い。制服越しでも許斐の体温はありありと伝わってきて、その実在感が私のことまでもこの場所に留めておいてくれるような気がした。
 許斐は、どうだったんだろう。彼女はこのとき、何を考えて私を抱き締めてくれたんだろう。ちゃんとそういうことを考え始めたころには、もう許斐は死体になってた。