恋じゃないふりをして

 翌朝、いつもより早く登校したひよりは、ひとり部室にこもって机に向かっている。画用紙にペンを走らせ、『民俗学研究部、部員募集中!』の文字を書く。民俗学関係の資料を見ながら、神社や祠、狛犬や狐の像のイラストを描きあげる。完成したポスターを掲げ、満足げに頷く。写真を撮ると、そのまま隼人に送った。

「ポスター作った、これから掲示板に貼るよ、と」

トークに送信すると、すぐに既読がつき、返信が来た。

【ニセ王子:もう学校いんの? 早くね?】
【ひより:善は急げっていうでしょ】
【ニセ王子:部長、張り切ってるな。今、部室?】
【ひより:うん】

猫が紙袋の中に突っ込んでいき、『いく!』という文字付きの動くスタンプが送られてくる。

「いつもの猫、動いてる! ほんと、どんな顔してこんなかわいいスタンプ送ってるんだろ」

ひよりは、ぷっと吹き出す。
 ポスターの『部員募集中』の文字を指でなぞる。胸の中の小さな灯が、昨日よりも強くなる。

「……本当に、部活にできたらいいな」

ふと、廊下から話し声が聞こえてくる。

「あ、やっぱりここだ!」
「誰かいるかな?」

扉が少し開いて、女子2人と目が合う。
 ひよりの胸がドキッと跳ねる。
 
 まさか、入部希望者!?

「ビックリした! 人いるじゃん」
「あれ、王子の彼女じゃない?」

胸元のリボンの色が、ひよりとは違う青色だ。
 学年ごとに色分けされており、1年生は黄色、2年は青色、3年は赤色だ。

「あ、あの、入部希望ですか?」
「まあ、一応」
「本当ですか?!」

ひよりはポスターを2人に見せて、瞳を輝かせる。

「今はまだ人数がいなくて、愛好会なので仮になってるんですけど、フィールドワークとか資料を調べてまとめたりする活動をしていて……」
「へえ」
「そうなんだ」

女子2人は、ひよりの話を聞き流して、狭い部室を眺め回す。
 急に廊下の外が騒がしくなり、次々に1年生から3年生の女子たちが部室に入ってきた。

「本当にあった!」
「何ここ、部室なの?」
「狭くない?」

すし詰め状態の部室で、ひよりは人数を数える。

 1、2、3、……8、9、10!
 これだけいれば部活になれる!
 これなら……。

 入学前、見学に来た時に出会った民俗学研究部の先輩たちの顔が思い浮かぶ。

『民俗学、好きなんだね。入学したら、一緒に活動しよう』

 好きなものを誰かと語り合う喜びを教えてもらった。
 その先輩たちと語り合うことはできないけど、諦めていたことが現実になるかもしれない。

「ひより、ポスター見せ――」

ひしめき合う部室に、隼人が入ってきた途端。

「キャーーー!!」

女子たちが甲高い歓声を上げて隼人を取り囲んだ。
 
「……え?」

ひよりの笑顔が固まる。

「よかった、やっぱり王子いるじゃん!」
「王子も部員なんだよね?」
「うちらも入るからさ、一緒に部活しよー」

ひよりの表情が、みるみる曇っていく。

「何で、隼人が部員なの知ってるの……」

1年生女子がひよりに、SNSの画面を見せる。

「だってこれ見て来たんだもん」

そこには、隼人と部室名の貼り紙の画像と、『王子、部活入ってるらしいよ』の文字。

「これ、誰が……?」
「誰かなんて、分かんないよ。裏アカなんじゃない?」

そんな……。これじゃあ、隼人目当てで入部する人ばかりになっちゃう。

 ひよりの胸の中に灯っていた光が弱まる。

 ひよりは、女子の輪の中で困ったような王子スマイルを浮かべる隼人を見た。誰も机の上の資料や、本棚に並ぶ民俗学の本には興味を示さない。みんな、隼人に夢中だ。

 けど、隼人目的だとしてもこれだけの人が集まった。この中の1人だけでも民俗学に興味を持ってもらえるかもしれない。

 胸の中の灯が再びぽうっと淡く光る。

「あの! 皆さんの中で民俗学に興味のある人、いますか?」

ひよりが声を張り上げる。ざわめきは少しおさまったが、誰も返事をしない。

「じゃ、じゃあ、せっかくなので、一回だけでも活動してみませんか?」
「えー、王子とだけ活動したいんだけど」
「部活のときぐらい王子譲ってよ」
「彼女だからって、ずっと王子独り占めとかずるーい」

話がまるで噛み合わない。
 この中に、民俗学そのものに興味がある人は一人もいない……。

「部長差し置いて活動できないんですけど」

隼人が温度のない笑顔を先輩たちに向ける。

「えー。別にいいじゃん」
「あたしら、王子といたいだけだし」

隼人の顔からすっと笑顔が消える。

「なんだよ、それ」

空気が張り詰め、女子たちは口を閉じる。 

「俺が辞めても、この部活入りたい人は?」

その場がしん、と静まる。誰も手を挙げない。

「じゃ、俺辞める」
「……え?」
「俺がいる限り、ずっとこうなるだろ」

何で隼人が辞めるの。
 私の願いはどうなるの?

「王子がいないなら入る意味なーい」
「私、入らない」
「うちも」
「あたしも」

次々と女子たちは部室を出ていく。
 ひよりは腕の中にあるポスターにしわができるほどきつく抱き締める。
 隼人に、ひよりは尋ねた。

「本当に、辞めるの?」
「俺がいたら、ひよりの願いが叶わないだろ。悪いな。部長ひとりにしちまって……」

寂しさと罪悪感の混ざった表情で、隼人は部室を後にした。
 ポスターを掴むひよりの手から力が抜け、床の上に滑り落ちる。
 
 また、ひとり……。
 やっぱり、私の願いは叶わない。

 胸の中の灯は、完全に消え去った。

「あれ、ここってひよりの部室?」
「あかり……?」

部室の外からあかりが顔を覗かせた。

「部活ってこれだったんだ。さっき隼人くん出てくの見たけど、もしかして隼人くんも部員なの?」
「……もう、部員じゃない」
「そうなの? 他に部員は?」
「……いない」
「そっか。よかったね」

ひよりの胸の奥で、何かがぷつりと切れた。

「……は?」

ひよりは顔を上げ、拳を握りしめて立ち上がる。

「よくない!」
「何怒ってるの? ひよりは、1人が好きでしょ」
「違う。私、1人が好きなわけじゃない」
「だって、私が仲間にいれてあげるって言っても、いつも断って、1人で好きなことやってたじゃない」

中学生の時までは、確かにそうだった。
 でもそれは、1人が好きだったからじゃない。
 陽キャのあかりのグループに入りたくなかったから。
 
 『ひよりは私と違って、友だち付き合いが苦手』
 『陰キャで地味、オタク気質で変わってる』

 あかりはそうやって私にレッテルを貼ってきた。
 あかりの周囲の人たちもその言葉を信じ、いつしか私自身を見ようとしなくなった。
 だから、あかりとは離れたかった。
 あかりの傍には、私の居場所はない。
 双子なのに、他人より遠い存在。
 
 ひよりは拳を開き、力を抜く。

「じゃあね、ひより」

あかりは勝ち誇った笑みを浮かべて、去って行った。
 ひよりは部室の床に落ちているポスターを拾い、泣くのを堪えてビリビリに破り捨てた。

「隼人くん」

教室に向かっていた隼人にあかりが声をかける。
 隼人は面倒くさそうに足を止めた。

「……何?」
「ひよりと同じ部活やってたんだね」
「それなら辞めたけど」
「みたいだね。ひより、喜んでたよ」

隼人は眉をひそめる。
 
「無理してたみたい。あの子、コミュニケーション苦手だから。それに、好きなことは1人でやるのが楽しいんだって」

くすっと笑うあかりの瞳には嘲笑の色が浮かぶ。
 隼人の顔に影が落ちる。前髪をかき上げ、剣呑な眼差しであかりを射抜く。
 
「それさ、嘘ついてんの? それとも、本気でひよりのことそう思ってんの?」
「……え?」
「ひよりは、1人が好きなんじゃない。好きなことを語れる仲間を求めてる」
「隼人くん、勘違いしてない? ひよりはそんなキャラじゃないよ」
「決めつけるなよ」

隼人が一歩あかりに近づき、冷たい目で見下ろす。
 あかりの顔から血の気が引く。
 
「民俗学のこと話す時のあいつ、すげえ楽しそうな顔するんだ。見てたら分かる。無理なんかしてねえよ」
「じゃ、じゃあ、隼人くんはどうなの? 民俗学なんて興味ないから部活やめたんでしょ。ひよりに無理やりやらされてたんじゃ」
「ちげえよ」

隼人は即答する。
 あかりは言葉に詰まり、唇を引き結ぶ。

「勘違いしてるのはそっちだろ。妹なのに、ひよりのこと何も分かってないんだな」
「何で、そんな言い方するの。私はただ、隼人くんのことが心配で」

あかりは瞳を潤ませ、目を伏せる。

「だったら余計なお世話」
「……ごめん。でも、私だったら彼氏を自分の趣味に巻き込まないし、もっと大事にするのにって……」

隼人の腕にあかりがそっと触れ、上目遣いで見上げる。
 
 
 部室を出たひよりが、廊下の端で向き合っている隼人とあかりを見かけ、足を止める。
 あかりの手が隼人の腕に触れている。ひよりは目を見開き、息を呑んだ。

「何で、あかりと隼人が……」

 私、何で気にしてんだろ。
 ニセの彼女なのに。
 隼人が誰と話してたって、私には関係ない。
 ……なのに、あの2人を見てるともやもやする。
 
 ひよりは隼人とあかりから目を逸らして、背を向けて駆け出した。

 
 隼人はあかりの手を払いのけ、ふっと息を吐き出す。

「そういうことか」
「は、隼人くん?」
「悪いけど、俺、おまえのことそういう目で見たことないから。それに、俺の彼女はひよりだけだ」
「……っ!」

あかりは驚愕の顔で固まる。
 隼人は踵を返す。
 
「どうして……? 私よりもひよりの方がいいなんて、そんなのおかしい。だって私は……」  

微かに震えている自分の手を握りしめる。

「あっ、双葉あかり!」
「やっぱかわいいよなあ」

少し離れたところから、男子たち数人があかりに熱い視線を送っている。あかりは、ちらりと視線を送って柔らかく微笑む。男子たちは顔を赤らめてあかりをぼうっと見つめる。
 けれど、あかりの笑みはすぐに消えた。
 
「そう、この反応よ。これが当たり前なの」

唇を噛み、スカートの裾をぎゅっと握りしめる。

「なのに、何で……」

震える声で呟き、俯いた。