「ひよりん、それ新しいやつ? 前はつけてなかったよね?」
週明け。学校に行くと、優依がひよりの鞄にぶら下がっているモンスターのぬいぐるみを指差してきた。
「うん。遠足の時にもらって」
「誰に?」
「え、えっと……」
目を泳がせるひよりを見て、優依はにやつく。
「その顔は、彼氏でしょ」
「か、彼氏じゃ……」
言い淀んでいると、教室の出入口から歓声と共に、女子に囲まれた隼人が入ってきた。
「キャーッ!」
「王子!」
「おはよう」
爽やかな王子スマイルで手を振る。国民的アイドルのような人気ぶりだ。
「あんなに愛想振りまいちゃって。ひよりんは嫉妬しないの?」
「嫉妬?」
「自分以外の女子に笑いかけないで、とか、他の女子と話さないで、とか思ったりしない?」
「……どうかな」
「彼女の余裕だねえ」
本当の彼女じゃないからかな。
それに、あの王子スマイル、無理してるの知ってるから。無理して笑わなくてもいいと思うんだけど。
「王子、そのぬいぐるみ何?」
「キモカワなんだけど!」
隼人の鞄にぶらさがっている、ひよりと同じモンスターのぬいぐるみに注目が集まる。
隼人の横から、あかりが強ばった笑顔で声をかける。
「それ、買ったんだね。ひよりもつけてた」
「え、マジで? 学校にもつけてきてくれたんだ」
隼人は、はにかんでひよりの席に目を向ける。ひよりと目が合い、口角を上げる。ひよりの方に行きかける隼人を、あかりが呼び止める。
「あの、隼人くん」
「そうだ。アドバイス、ありがとな。おかげで喜んでもらえたよ」
「ひより、喜んでたの?」
「さすが、“妹”だな」
明らかに妹を強調して、隼人はひよりの席へ向かった。
「妹って……」
あかりの頬がぴくりと引きつる。隼人と笑い合うひよりを睨みつけ、教室を出て行った。
「おい、あのかわいい子誰だ?」
「知らねえの? 1年3組の双葉あかり。彼氏いないらしいぜ」
朝練の片づけをしているサッカー部員たちが、グラウンドの隅に立っているあかりを見てにやけている。
「双葉あかりって、双子なんだろ? 姉の方は地味らしいけど、あの鵜野森と付き合ってるって」
「噂になってるよな。そういえば若松、双葉姉妹と鵜野森と同じクラスだよな?」
「まあ、うん」
誠はコーンを片付けながら頷く。
「誠くーん!」
あかりが笑顔で誠に手招きをする。
部員たちの鋭い視線が一斉に誠に集まる。
「若松、おまえどういう関係だよ!」
「ただの幼馴染だけど」
「羨ましすぎる!」
「紹介しろ!」
「……うるせえ」
誠はコーンを他の部員に押し付けて、あかりの方へ駆けて行った。
「誠くん、部活終わった?」
「終わったけど。どうしたんだよ。わざわざ来るなんて」
「ちょっと、ひよりのことで話したくて」
あかりは声を落として眉を下げた。
『協力してあげようか』
遠足の時、あかりに言われた言葉が誠の脳裏に蘇る。
「ひよりのことで、協力してもらう必要ないから」
「違うの。その話じゃなくて。私、ひよりのことが心配で」
「何が?」
「隼人くんと付き合うようになって、変わったっていうか。私にもお父さんとお母さんにも、冷たい態度とるようになって」
「ひよりが?」
「うん。それに、隼人くんとひより、なんか違和感ない? 無理に付き合ってるみたいな感じがして」
「何が言いたいんだよ」
「ひより、何か隠してるんじゃないかな。私たちに言えないことがあって、苦しんでる、とか」
「……あいつのせいか?」
誠は拳を握りしめる。
あかりはその手を取り、潤んだ瞳で誠を見上げる。
「お願い、誠くん。ひよりを助けてあげて。妹の私じゃ、力不足で……」
誠はあかりの手をほどき、眉間に深く皺を刻む。
「話してみる」
「ありがとう。誠くん」
あかりは三日月形に目を細めて微笑んだ。
昼休みに入ってすぐ、隼人がひよりの前に掌を出してきた。
「この手は何?」
「何って、弁当だよ。作ってくれる約束だろ」
「自分から言う? ……作ってきたけどさ」
鞄から弁当の入った巾着袋を出して隼人に渡す。
「やった」
隼人は子どものように無邪気な笑顔で袋を受け取る。
中身も見てないのに、そんなに喜ぶなんて。
大きな子どもみたい。
「鵜野森くん、愛妻弁当じゃん。いいなあ」
「いいだろ」
「愛妻じゃないから!」
優依に茶化され、顔を赤くして立ち上がるひよりに、隼人はこそっと耳打ちをした。
「部室行こう」
低い囁き声が鼓膜を震わす。
ひよりは熱くなった耳を押さえ、自分の弁当箱を持って教室を出て行った。
「ひより」
廊下に出てすぐ誠に呼び止められ、振り向く。
「誠?」
「話がある」
神妙な面持ちの誠に真っすぐ見つめられる。
「今? お弁当食べてからじゃ」
「すぐすむから」
誠はひよりの言葉を遮り、ひよりの手を掴む。
「ちょっと待てよ。人の彼女勝手に連れて行くな」
「勝手じゃない。ひより、いいよな」
「あ、うん。すぐすむなら。ごめん、先に食べてて」
「おい、ひより!」
隼人の制止を聞かず、誠はひよりの手を引いて早足で廊下の奥に消えていった。
「くそっ。あの野郎、たかが幼馴染のくせに。それに、ひよりのやつ、彼女の自覚全然ないだろ。彼氏より他の男優先させやがって」
ぶつぶつ不満を漏らしながら、誠とひよりの後を追いかけた。
人けのない体育館裏に来て、ようやく誠はひよりの手を離した。
「話って何? こんなとこまで来て」
「あいつのことだよ」
「あいつって、隼人のこと?」
隼人の名前に、誠の表情が曇る。
「本当に付き合ってるのか?」
「まだ疑ってるの? 本当だってば」
付き合ってるふり、なんだけど。言えないことが心苦しい。
「あいつのこと、本当に好きなのかよ」
刺々しい声がひよりの胸に突き刺さる。
好きなわけない。
好きにならないことが、ニセ彼女の条件なんだから。
あいつのことなんか別に、なんとも思ってない。
……なんとも。
けど、ちゃんと彼女のふりしなきゃ。
「う、うん」
ひよりは目を伏せて頷く。誠はひよりの両肩に手を置き、真剣な眼差しで見つめた。
「本当なのか」
「えっと……」
真剣な眼差しで射抜かれ、ひよりは言葉に詰まる。
「あいつ、ひよりのこと弄んでるだけだろ」
「そんなことないよ」
「じゃあ、何であいつといる時、いつも困った顔してんだよ」
「え?」
「手引っ張られて、抱き寄せられて。嫌がってる時もあるだろ」
「それは……」
「ひよりがあんな男、自分から好きになると思えない」
誠の言葉が突き刺さる。本当のことを言えない苦しさで胸が痛む。
「あいつに無理やり付き合わされてるんじゃないのか」
「そんなことない!」
思わず即答してしまった。
誠がひよりの肩から手を離し、ため息をつく。
「そうは思えないけど」
「隼人のこと、誤解してるよ」
「ひよりは、あいつのこと本気なのか? 他の女子に愛想ふりまいてるようなやつだぞ。その内、裏切られるかもしれない。それでもいいのかよ」
「隼人は、そんな人じゃない」
「そんなの分かんねえだろ。まだ会ったばっかなのに。……あんなやつ、やめとけよ」
「何で、そんなこと言うの」
「ひよりのことが心配なんだよ。あんなやつのせいで、傷ついてほしくない。だったらいっそ……」
誠は口を閉ざし、真剣な表情でひよりの瞳を見据える。
「俺にしとけよ」
「……っ!」
ひよりは息を呑んで目を見開く。
「俺は絶対に裏切らない。俺にはひよりしか見えてないから」
ひよりの胸が大きく跳ね上がる。
こ、これって、もしかして、もしかしなくても、こ、こ、こ、告白⁉
「おいおい、何勝手なことしてんのかなあ、若松くん」
突然、ひきつった笑顔の隼人が現れ、ひよりと誠の間に割って入ってきた。
隼人! 何でここに?!
「鵜野森、ひよりのこと本気じゃないんだろ。俺は本気だ。ずっと前から」
誠、本当に私のこと……。
「だったら、とっとと告白すればよかっただろ。俺みたいに」
あんたは告白してないでしょ!
ニセ王子の顔になってるし。
何でそんなにどや顔してんのよ。
「う、うるせえ。ひよりのこと弄びやがって。本気じゃないやつに言われたくねえよ」
「さっきから決めつけてるけどさ」
隼人の目に鋭い光が宿る。
「俺、ひよりのこと本気で好きだから」
す、好き!?
本気なわけない。”ふり”だって分かってる。
なのに、何でこんなに顔が熱くなるの!
心臓もうるさい!
「それに、ひよりも俺のこと本気だから。な、ひより」
「へ? わ、私も?」
「自分の口から言うのは恥ずかしいよな」
隼人はひよりの肩に手を回し、誠に冷たい視線を送る。
「てことだから、これ以上ひよりに近づくな」
「なっ……!」
絶句する誠に見せつけるように、隼人はひよりをきつく抱き寄せ、大股で部室に向かった。
この光景を、木の陰に隠れて覗いていたあかりは顔をしかめた。
「隼人くんが本気だなんて、信じられない」
あかりは足音を立てないようその場を離れ、隼人とひよりの背中を追いかけた。
校舎の中に入ると、隼人とひよりは美術室や音楽室などがある1階の奥まで歩いていく。
途中、ひよりが隼人の腕を叩いて引きはがそうとするが、隼人はひよりの肩から腕をどかさない。
「やっぱり、あやしい。本気で好きならあんなに嫌がらないはず」
尾行していたあかりは疑いの眼差しを2人に向ける。
美術室と準備室に挟まれるようにして並んでいる扉を開けて、隼人とひよりは中に入った。
「何ここ。……民俗学研究部(仮)?」
あかりは気づかれないよう、扉を少しだけ開ける。
長机とパイプ椅子、ホワイトボードだけで埋まっている狭い部屋で、ひよりと隼人が向かい合わせに座って弁当を広げている。
「2人でこっそり部活もやってるの? ……許せない。ひよりのくせに」
笑い合う2人を見て、あかりはスマホを握る手に力を込めた。そして、隼人とひより、扉に貼られている部活名が書かれた紙を撮影する。
不敵な笑みを浮かべ、そっとその場を離れた。
「うまっ」
卵焼きを頬張りながら隼人が目を丸くする。
「ほんと? ならよかった」
「明日から毎日な」
「毎日?! 何でよ」
「ペナルティ」
「何それ」
「俺の彼女のくせに、他のやつに告られやがって」
「だ、だって、誠がまさかあんな……」
ひよりの顔が耳まで赤くなる。
「鈍すぎるんだよ。しかも彼氏置いてあいつについていくとか。とんだ彼女だな」
隼人にねちねち責められ、ひよりはだんだん苛ついてくる。箸でウィンナーを刺して口に放り込んだ。
「彼女のふりしてあげてるのに、文句ばっかり。私はあんたみたいに、簡単に嘘つけないから。何が、本気で好き、よ」
「仕方ないだろ。疑われてたんだから。これ以上疑われないよう彼女のふり、本気でやれ」
「本気で彼女のふりするって、どういうこと?」
隼人は立ち上がり、ひよりの方に一歩近づく。
「俺より他の男を優先するな」
「え?」
また一歩近づいて、ひよりの隣に立つ。
「他の男に、簡単に触らせんな」
「は?」
ひよりの顎に手を添え、引き締まった表情でひよりの瞳を見つめる。
「……俺の傍にいて、俺だけを見てろ」
隼人の揺らがない瞳に射抜かれ、ひよりの胸がきゅっと締め付けられる。
ふり、なのに。
何でそんな真剣な顔するの……。
「本物っぽく見せるためだ。彼女の条件、追加な」
顎から手を離し、ふっと口元を緩める。
「それ、条件っていうか束縛じゃん!」
「疑われないためだって」
「隼人の方ばっかりずるい。私も条件追加する」
「何だよ」
「部活、本気で復活させたい」
「人数集めたいんだっけ?」
「うん。地道でもいいから、民俗学研究部の活動内容を学校に広めて、本当に興味のある人たちを見つけて一緒に活動したい」
「でも、俺が入ってるって知られない方がいいだろ」
「だって、隼人目当ての人たちばっか来ても困るし」
「ははっ」
隼人はにやけ顔で頬をかく。
「何で笑うのよ」
「さっきから、隼人って呼んでるから」
「だ、だって、呼べっていうから」
「ちょっとは彼女の自覚、出てきたみたいだな」
「ニセの彼女、だから。公平な契約なんでしょ。ちゃんと私の願いも叶えてよね」
「分かってるって」
隼人はふっと自然な笑みを浮かべる。
ひよりの胸の奥に小さな”期待”の光が灯る。
今度こそ……。
口に出したら叶わなくなりそうで、胸の中に願いを静かにしまい込んだ。
その日の夜——。
あかりは暗い部屋の中で、スマホに目を落としてにんまりとほくそ笑んだ。
匿名投稿アプリの画面には、「民俗学研究部(仮)」の張り紙と、その奥にいる隼人の姿が写っている。
そして。
『王子、部活入ってるらしいよ』
一行の投稿文。
次々にいいねの数が増えていく。
「明日が楽しみ」
あかりはスマホを枕元に置いて眠りについた。
週明け。学校に行くと、優依がひよりの鞄にぶら下がっているモンスターのぬいぐるみを指差してきた。
「うん。遠足の時にもらって」
「誰に?」
「え、えっと……」
目を泳がせるひよりを見て、優依はにやつく。
「その顔は、彼氏でしょ」
「か、彼氏じゃ……」
言い淀んでいると、教室の出入口から歓声と共に、女子に囲まれた隼人が入ってきた。
「キャーッ!」
「王子!」
「おはよう」
爽やかな王子スマイルで手を振る。国民的アイドルのような人気ぶりだ。
「あんなに愛想振りまいちゃって。ひよりんは嫉妬しないの?」
「嫉妬?」
「自分以外の女子に笑いかけないで、とか、他の女子と話さないで、とか思ったりしない?」
「……どうかな」
「彼女の余裕だねえ」
本当の彼女じゃないからかな。
それに、あの王子スマイル、無理してるの知ってるから。無理して笑わなくてもいいと思うんだけど。
「王子、そのぬいぐるみ何?」
「キモカワなんだけど!」
隼人の鞄にぶらさがっている、ひよりと同じモンスターのぬいぐるみに注目が集まる。
隼人の横から、あかりが強ばった笑顔で声をかける。
「それ、買ったんだね。ひよりもつけてた」
「え、マジで? 学校にもつけてきてくれたんだ」
隼人は、はにかんでひよりの席に目を向ける。ひよりと目が合い、口角を上げる。ひよりの方に行きかける隼人を、あかりが呼び止める。
「あの、隼人くん」
「そうだ。アドバイス、ありがとな。おかげで喜んでもらえたよ」
「ひより、喜んでたの?」
「さすが、“妹”だな」
明らかに妹を強調して、隼人はひよりの席へ向かった。
「妹って……」
あかりの頬がぴくりと引きつる。隼人と笑い合うひよりを睨みつけ、教室を出て行った。
「おい、あのかわいい子誰だ?」
「知らねえの? 1年3組の双葉あかり。彼氏いないらしいぜ」
朝練の片づけをしているサッカー部員たちが、グラウンドの隅に立っているあかりを見てにやけている。
「双葉あかりって、双子なんだろ? 姉の方は地味らしいけど、あの鵜野森と付き合ってるって」
「噂になってるよな。そういえば若松、双葉姉妹と鵜野森と同じクラスだよな?」
「まあ、うん」
誠はコーンを片付けながら頷く。
「誠くーん!」
あかりが笑顔で誠に手招きをする。
部員たちの鋭い視線が一斉に誠に集まる。
「若松、おまえどういう関係だよ!」
「ただの幼馴染だけど」
「羨ましすぎる!」
「紹介しろ!」
「……うるせえ」
誠はコーンを他の部員に押し付けて、あかりの方へ駆けて行った。
「誠くん、部活終わった?」
「終わったけど。どうしたんだよ。わざわざ来るなんて」
「ちょっと、ひよりのことで話したくて」
あかりは声を落として眉を下げた。
『協力してあげようか』
遠足の時、あかりに言われた言葉が誠の脳裏に蘇る。
「ひよりのことで、協力してもらう必要ないから」
「違うの。その話じゃなくて。私、ひよりのことが心配で」
「何が?」
「隼人くんと付き合うようになって、変わったっていうか。私にもお父さんとお母さんにも、冷たい態度とるようになって」
「ひよりが?」
「うん。それに、隼人くんとひより、なんか違和感ない? 無理に付き合ってるみたいな感じがして」
「何が言いたいんだよ」
「ひより、何か隠してるんじゃないかな。私たちに言えないことがあって、苦しんでる、とか」
「……あいつのせいか?」
誠は拳を握りしめる。
あかりはその手を取り、潤んだ瞳で誠を見上げる。
「お願い、誠くん。ひよりを助けてあげて。妹の私じゃ、力不足で……」
誠はあかりの手をほどき、眉間に深く皺を刻む。
「話してみる」
「ありがとう。誠くん」
あかりは三日月形に目を細めて微笑んだ。
昼休みに入ってすぐ、隼人がひよりの前に掌を出してきた。
「この手は何?」
「何って、弁当だよ。作ってくれる約束だろ」
「自分から言う? ……作ってきたけどさ」
鞄から弁当の入った巾着袋を出して隼人に渡す。
「やった」
隼人は子どものように無邪気な笑顔で袋を受け取る。
中身も見てないのに、そんなに喜ぶなんて。
大きな子どもみたい。
「鵜野森くん、愛妻弁当じゃん。いいなあ」
「いいだろ」
「愛妻じゃないから!」
優依に茶化され、顔を赤くして立ち上がるひよりに、隼人はこそっと耳打ちをした。
「部室行こう」
低い囁き声が鼓膜を震わす。
ひよりは熱くなった耳を押さえ、自分の弁当箱を持って教室を出て行った。
「ひより」
廊下に出てすぐ誠に呼び止められ、振り向く。
「誠?」
「話がある」
神妙な面持ちの誠に真っすぐ見つめられる。
「今? お弁当食べてからじゃ」
「すぐすむから」
誠はひよりの言葉を遮り、ひよりの手を掴む。
「ちょっと待てよ。人の彼女勝手に連れて行くな」
「勝手じゃない。ひより、いいよな」
「あ、うん。すぐすむなら。ごめん、先に食べてて」
「おい、ひより!」
隼人の制止を聞かず、誠はひよりの手を引いて早足で廊下の奥に消えていった。
「くそっ。あの野郎、たかが幼馴染のくせに。それに、ひよりのやつ、彼女の自覚全然ないだろ。彼氏より他の男優先させやがって」
ぶつぶつ不満を漏らしながら、誠とひよりの後を追いかけた。
人けのない体育館裏に来て、ようやく誠はひよりの手を離した。
「話って何? こんなとこまで来て」
「あいつのことだよ」
「あいつって、隼人のこと?」
隼人の名前に、誠の表情が曇る。
「本当に付き合ってるのか?」
「まだ疑ってるの? 本当だってば」
付き合ってるふり、なんだけど。言えないことが心苦しい。
「あいつのこと、本当に好きなのかよ」
刺々しい声がひよりの胸に突き刺さる。
好きなわけない。
好きにならないことが、ニセ彼女の条件なんだから。
あいつのことなんか別に、なんとも思ってない。
……なんとも。
けど、ちゃんと彼女のふりしなきゃ。
「う、うん」
ひよりは目を伏せて頷く。誠はひよりの両肩に手を置き、真剣な眼差しで見つめた。
「本当なのか」
「えっと……」
真剣な眼差しで射抜かれ、ひよりは言葉に詰まる。
「あいつ、ひよりのこと弄んでるだけだろ」
「そんなことないよ」
「じゃあ、何であいつといる時、いつも困った顔してんだよ」
「え?」
「手引っ張られて、抱き寄せられて。嫌がってる時もあるだろ」
「それは……」
「ひよりがあんな男、自分から好きになると思えない」
誠の言葉が突き刺さる。本当のことを言えない苦しさで胸が痛む。
「あいつに無理やり付き合わされてるんじゃないのか」
「そんなことない!」
思わず即答してしまった。
誠がひよりの肩から手を離し、ため息をつく。
「そうは思えないけど」
「隼人のこと、誤解してるよ」
「ひよりは、あいつのこと本気なのか? 他の女子に愛想ふりまいてるようなやつだぞ。その内、裏切られるかもしれない。それでもいいのかよ」
「隼人は、そんな人じゃない」
「そんなの分かんねえだろ。まだ会ったばっかなのに。……あんなやつ、やめとけよ」
「何で、そんなこと言うの」
「ひよりのことが心配なんだよ。あんなやつのせいで、傷ついてほしくない。だったらいっそ……」
誠は口を閉ざし、真剣な表情でひよりの瞳を見据える。
「俺にしとけよ」
「……っ!」
ひよりは息を呑んで目を見開く。
「俺は絶対に裏切らない。俺にはひよりしか見えてないから」
ひよりの胸が大きく跳ね上がる。
こ、これって、もしかして、もしかしなくても、こ、こ、こ、告白⁉
「おいおい、何勝手なことしてんのかなあ、若松くん」
突然、ひきつった笑顔の隼人が現れ、ひよりと誠の間に割って入ってきた。
隼人! 何でここに?!
「鵜野森、ひよりのこと本気じゃないんだろ。俺は本気だ。ずっと前から」
誠、本当に私のこと……。
「だったら、とっとと告白すればよかっただろ。俺みたいに」
あんたは告白してないでしょ!
ニセ王子の顔になってるし。
何でそんなにどや顔してんのよ。
「う、うるせえ。ひよりのこと弄びやがって。本気じゃないやつに言われたくねえよ」
「さっきから決めつけてるけどさ」
隼人の目に鋭い光が宿る。
「俺、ひよりのこと本気で好きだから」
す、好き!?
本気なわけない。”ふり”だって分かってる。
なのに、何でこんなに顔が熱くなるの!
心臓もうるさい!
「それに、ひよりも俺のこと本気だから。な、ひより」
「へ? わ、私も?」
「自分の口から言うのは恥ずかしいよな」
隼人はひよりの肩に手を回し、誠に冷たい視線を送る。
「てことだから、これ以上ひよりに近づくな」
「なっ……!」
絶句する誠に見せつけるように、隼人はひよりをきつく抱き寄せ、大股で部室に向かった。
この光景を、木の陰に隠れて覗いていたあかりは顔をしかめた。
「隼人くんが本気だなんて、信じられない」
あかりは足音を立てないようその場を離れ、隼人とひよりの背中を追いかけた。
校舎の中に入ると、隼人とひよりは美術室や音楽室などがある1階の奥まで歩いていく。
途中、ひよりが隼人の腕を叩いて引きはがそうとするが、隼人はひよりの肩から腕をどかさない。
「やっぱり、あやしい。本気で好きならあんなに嫌がらないはず」
尾行していたあかりは疑いの眼差しを2人に向ける。
美術室と準備室に挟まれるようにして並んでいる扉を開けて、隼人とひよりは中に入った。
「何ここ。……民俗学研究部(仮)?」
あかりは気づかれないよう、扉を少しだけ開ける。
長机とパイプ椅子、ホワイトボードだけで埋まっている狭い部屋で、ひよりと隼人が向かい合わせに座って弁当を広げている。
「2人でこっそり部活もやってるの? ……許せない。ひよりのくせに」
笑い合う2人を見て、あかりはスマホを握る手に力を込めた。そして、隼人とひより、扉に貼られている部活名が書かれた紙を撮影する。
不敵な笑みを浮かべ、そっとその場を離れた。
「うまっ」
卵焼きを頬張りながら隼人が目を丸くする。
「ほんと? ならよかった」
「明日から毎日な」
「毎日?! 何でよ」
「ペナルティ」
「何それ」
「俺の彼女のくせに、他のやつに告られやがって」
「だ、だって、誠がまさかあんな……」
ひよりの顔が耳まで赤くなる。
「鈍すぎるんだよ。しかも彼氏置いてあいつについていくとか。とんだ彼女だな」
隼人にねちねち責められ、ひよりはだんだん苛ついてくる。箸でウィンナーを刺して口に放り込んだ。
「彼女のふりしてあげてるのに、文句ばっかり。私はあんたみたいに、簡単に嘘つけないから。何が、本気で好き、よ」
「仕方ないだろ。疑われてたんだから。これ以上疑われないよう彼女のふり、本気でやれ」
「本気で彼女のふりするって、どういうこと?」
隼人は立ち上がり、ひよりの方に一歩近づく。
「俺より他の男を優先するな」
「え?」
また一歩近づいて、ひよりの隣に立つ。
「他の男に、簡単に触らせんな」
「は?」
ひよりの顎に手を添え、引き締まった表情でひよりの瞳を見つめる。
「……俺の傍にいて、俺だけを見てろ」
隼人の揺らがない瞳に射抜かれ、ひよりの胸がきゅっと締め付けられる。
ふり、なのに。
何でそんな真剣な顔するの……。
「本物っぽく見せるためだ。彼女の条件、追加な」
顎から手を離し、ふっと口元を緩める。
「それ、条件っていうか束縛じゃん!」
「疑われないためだって」
「隼人の方ばっかりずるい。私も条件追加する」
「何だよ」
「部活、本気で復活させたい」
「人数集めたいんだっけ?」
「うん。地道でもいいから、民俗学研究部の活動内容を学校に広めて、本当に興味のある人たちを見つけて一緒に活動したい」
「でも、俺が入ってるって知られない方がいいだろ」
「だって、隼人目当ての人たちばっか来ても困るし」
「ははっ」
隼人はにやけ顔で頬をかく。
「何で笑うのよ」
「さっきから、隼人って呼んでるから」
「だ、だって、呼べっていうから」
「ちょっとは彼女の自覚、出てきたみたいだな」
「ニセの彼女、だから。公平な契約なんでしょ。ちゃんと私の願いも叶えてよね」
「分かってるって」
隼人はふっと自然な笑みを浮かべる。
ひよりの胸の奥に小さな”期待”の光が灯る。
今度こそ……。
口に出したら叶わなくなりそうで、胸の中に願いを静かにしまい込んだ。
その日の夜——。
あかりは暗い部屋の中で、スマホに目を落としてにんまりとほくそ笑んだ。
匿名投稿アプリの画面には、「民俗学研究部(仮)」の張り紙と、その奥にいる隼人の姿が写っている。
そして。
『王子、部活入ってるらしいよ』
一行の投稿文。
次々にいいねの数が増えていく。
「明日が楽しみ」
あかりはスマホを枕元に置いて眠りについた。


