恋じゃないふりをして

「足、出して」

ひよりは隼人をベンチに座らせてしゃがむ。

「自分でやる。タオル貸して」
「私のせいで濡れたんだから拭いてあげる」
「ちょっ……」

隼人が止める間もなく、ひよりはズボンの裾を捲り、脱いだ靴と靴下を脇に置いて濡れた足を拭き始める。
 行き交う人たちが、くすくす笑いながらこちらを見ている。隼人は気恥ずかしくなって顔をしかめた。

「やめろって」
「あっ……」

ひよりからタオルを奪って反対側の足を拭き、濡れたままの靴に足を突っ込んだ。靴底にたまった水がぐしょっと不快な音を立てる。隼人の顔が歪む。

「うへえ」
「濡れた靴って気持ち悪いよね」
「そのうち乾くだろ。タオル、新しいの買って返す」
「いいよ。持って帰るから」

ひよりは手を出すが、隼人はタオルを折り畳んでポケットに突っ込んだ。

「足拭いたんだぞ。汚いだろ」
「別にいいって。返してよ」
「これ、気に入ってるやつ?」
「そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、新しいのやるよ」
「何でそうなるの。洗えばいいんだから。もったいないでしょ」
「もったいない? たかがタオル1枚で?」

ひよりは呆れ顔を隼人に向ける。

「……御曹司だって忘れてた」
「それ関係ないだろ」
「はあー」

大袈裟にため息をついて肩をすくめる。
 そこへ、両手にペットボトルを持った優依と誠がやってきた。

「ひよりん、飲み物買ってきたよ」
「ありがとう。これ、好きなやつだ」

優依から炭酸レモネードをもらったひよりの表情が明るくなる。

「若松くんから教えてもらったんだ」

優依の言葉に隼人の耳がぴくりと反応する。
 隼人の前に、誠がペットボトルを2本見せた。

「炭酸とスポドリ、どっちがいい?」
「えっ、俺に? 負けたの俺だけど」
「さっきのは、無効ってことで」
「いいのか?」

隼人は目を丸くして、炭酸ジュースを受け取った。

「決着つけたいなら、他の勝負するか?」

挑発するように誠が目を光らせる。

「張り合わないで楽しんだらいいのに」
「ひよりん、それは難しそうだよ」

優依がくすくす笑いながら、睨み合う隼人と誠を交互に見る。
 
「もう。まだ時間あるんだから、下の方行ってみよう。鏡の迷宮とかおもしろそうだよ」

下り坂の向こうを指差し、ひよりは歩き出す。その隣に、優依と誠が並ぶ。

「いいね」
「そこならひよりも楽しめそうだな」

誠がひよりの頭をポンと叩く。
 一歩後ろを歩く隼人は顔をしかめ、ひよりの腕を掴む。

「ひより」
「何?」

ひよりは足を止め、振り向く。

「ベンチにタオル置いてきたかも。一緒に来て」
「しょうがないなあ。優依、誠、先行ってて」

隼人と一緒に踵を返すひよりを、誠は呼び止めようとする。

「ひよ……」

だが、隼人の隣を歩くひよりの表情を見て顔が固まる。
 呆れ顔なのに、自然な笑みを隼人に向けている。
 幼い頃よく見たひよりの笑顔だ。
 最近は誠の前ですらそんな顔で笑わなくなった。
 誠は呆然と立ち尽くす。
 
「若松くん、行こう」
「……あ、うん」

優依の声に動かされるように、誠は歩を進めた。
 
「まったく、タオル置き忘れてくるなんて……。ん?」

隼人のズボンのポケットから見覚えのあるタオル生地がはみ出ているのが目に入った。

「あ! タオル持ってるじゃん」
「そうだった?」
 
隼人はとぼけてベンチの前を通りすぎる。

「どこいくの?」
「こっち」

隼人が向かう先には、高台に上るためのリフトがある。

「これ、乗るつもり? 優依と誠のところに行かないと!」
「ちょっとぐらい、いいだろ。ほら、リフト来るぞ」
「っ!」

ひよりは慌ててリフトに腰を下ろす。
 ふわりと足が浮く。
 地面が徐々に遠ざかっていく。
 心もとないシンプルな座面が、震動で揺れる。
 ひよりは無意識に、隼人の腕を掴む。

「怖いのか?」

隼人が斜め上からいたずらっぽい笑みを浮かべる。
 
「こ、怖くないし」
「俺の腕、掴んでるのに?」 
「あっ……」

ひよりは顔を赤らめ、手を離した。

「残念。でも、やっと2人になれたな」

ふっと笑う隼人の声がひよりの鼓膜を震わせる。

「な、何言ってんの。基本は班行動でしょ」
「基本は、な。少しぐらいいいだろ、彼女さん」
「ニセの彼女、だから」
「いちいちニセっていうなよ。ひより、彼女の自覚足りなすぎ」
「自覚って言われても」
「せっかくデート向けのところに来てるんだから、彼女の練習しないとな」
「遠足、なんだけど!」
「下りるぞ」

隼人は聞き流し、ひよりの手を取って一緒にリフトを下りる。
 ひよりはすぐに手を離して周囲を見回す。
 施設が一望でき、その向こうには山々が連なっている。さらに遠くにはビル群が立ち並び、同じ市内に都会と田舎の風景が混在しているのがよく分かる。
 
「ひより、あれなら乗れるだろ?」

隼人が目の前の巨大な観覧車を指差す。
 
「乗れるけど。乗るの? あんたと?」
「練習にはうってつけだろ。行くぞ」
「練習って、ここに来てまでやる?」
「デートにはうってつけだろ。カップルだらけ」

隼人の言う通り、列には手を繋いで笑い合っている男女しかいない。

「……遠足中なのに」
「体操服なのは、雰囲気出ないな」

ははっと笑う隼人はゴンドラに乗り込む。
 ひよりは肩をすくめて、隼人の向かいに座る。

 何で遠足に来てまでこいつと2人きりにならないといけないの。優依と誠、待ってるだろうな……。

 徐々に上っていくゴンドラから、下を見る。さすがに遠すぎて優依と誠は見つからない。
 連絡をしておこうとスマホを取り出すが、隼人に奪われてしまう。

「彼氏が目の前にいるのに、何してんの?」
「返してよ。優依と誠に連絡しないと」

隼人の瞳に剣呑な光が灯る。

「……名前」
「何?」
「俺、まだ名前で呼ばれてないんだけど」 
「それ気にしてたの?」
「気にするだろ。名前、呼んでみて」
「何でよ」
「これも練習。ちゃんと呼べたらスマホ返す」 
「はあー。しょうがないな」

ため息をついて小さく口を開く。

「……隼人」
「声、ちっさ」

ふっと隼人の口許が緩む。
 ひよりは気恥ずかしくなり、立ち上がって隼人を睨んだ。

「ちゃんと呼んだでしょ! スマホ返してよ」
「聞こえなかったからもう一回」
「絶対聞こえてたでしょ! 返してってば!」

ひよりは立ち上がり、思いっきり腕を伸ばす。
 その拍子にゴンドラが揺れ、ひよりは体勢を崩す。

「わっ!」
「あぶねーな。気をつけろよ」

隼人に抱き留められ、気づいたら膝の上に座らされていた。
 息がかかるほど近くに隼人の顔がある。

「……っ!?」

ひよりの心拍数が急上昇し、顔が一気に熱くなる。

「おっちょこいちょいだな」

小馬鹿にしたように口角を上げる隼人。

「あんたがスマホ返さないからでしょ!」

ひよりがスマホを奪い返して隼人を睨む。隼人の眉がぴくりと動く。

「だから、名前で呼べって」
「別にいいでしょ」
「よくない。若松は名前で呼ぶくせに」
「幼馴染みなんだから当たり前でしょ」
「……あいつのこと、どう思ってんの?」
「誠のこと? 幼馴染みだって言ってるでしょ。何でそんなに誠のこと気にするの?」
「気づいてないのか?」
「何が?」
「……鈍いんだな」
「だから、何が?」

ぷっと隼人は吹き出し、ひよりの頭をポンポンと軽く叩いた。

「なんでもない」
「なっ……!」

隼人の手を払いのけ、唇を尖らせる。
 
 ガタン。

 ゴンドラが揺れる。
 いつの間にか頂上の一歩手前まできていた。
 向かいの窓から、頂上に達した隣のゴンドラが見える。
 大学生ぐらいの男女がキスを交わしている姿を目撃してしまう。
 ひよりは顔を真っ赤にして、遠くの景色を見る振りをしながら隼人の向かいの席に戻った。

「見たか? すげーな、あの人たち」
「み、見てない」
「見てたくせに。顔真っ赤だぞ。キス見たぐらいでそんなに照れるなよ」
「別に、照れてない!」
「へえ。じゃあ、してみる?」
「は、はあ?! 何言ってんの! 彼女のふりなのに、あんなことまでするわけないでしょ!」
「むきになるなよ。冗談だって。好きじゃないやつとあんなことしねえよ」

ひよりは、ほっと胸を撫で下ろす。

「好きになんか、ならないから」

本心のはずなのに、口にした言葉が妙に胸に引っかかる。
 その違和感に気づかないふりをして、窓の外に目を向ける。頂上はとっくに過ぎ去り、地上が近づいてきていた。

「……それでいい」

隼人はひよりの横顔を見ながら、少し寂しそうに微笑んだ。

 観覧車から下りてひよりがスマホを見ると、優依と誠からの着信履歴がいくつもあり、慌てて優依に電話をかけた。

「優依、ごめん!」
『やっと繋がった! 鵜野森くんと一緒だよね?』
「……うん」
『ならよかった。彼氏と2人になれてよかったね』
「よ、よくないよ! 班行動なのに勝手なことしてさ」
『あはは。鵜野森くん、よっぽどひよりのこと好きなんだね』
「何でそうなるの?!」
『とにかく、若松くん心配してるからさっきのところで合流しよう』
「あ、うん」

誠にも謝っておかないと。まったく。あいつのせいで……!
 
 ひよりは隼人を睨むが、当の本人は気にも留めず、眼下に広がるアトラクションを指差す。

「ひより、あの虹色の滑るやつ、おもしろそうじゃね?」
「2人とも待ってるんだから、早く合流しないと」
「もうデート終わりかよ」
「デートじゃないってば!」
「じゃあ、今度デートしよう」
「何でそうなるの?」
「練習足りないから。名前呼びも慣れてもらわないと。約束な」

隼人がひよりの額をつん、とつつく。
 
「えっ! 約束って……」
「行くぞ」
「ちょっと、待ってよ!」

リフトの方に向かう隼人の後を、ひよりは慌てて追いかけた。


「鵜野森、勝手な行動するなよ」

合流した途端、誠が苛立った様子で隼人に突っかかった。

「ごめん、ごめん。彼女と2人になりたくてさ」

飄々とした態度でひよりの肩を抱く。
 ひよりはぎょっとして隼人の腕をどかした。

「ちょ、ちょっと!」
「嫌がってるだろ」

誠はひよりを引き寄せ、眉を寄せる。
 隼人は張り付いた笑顔で誠と向き合う。

「照れてるだけだって」
「そうは見えない。ひよりのこと振り回すなよ」
「俺とひよりのことに口出さないでくれない? 若松くんはただの幼馴染みでしょ?」

ニセ王子のような影のある笑顔を浮かべる。

「だったらなんだよ」

誠は歯を喰いしばり、握りしめた拳を震わせる。  

 また!?
 この2人、なんなの!
 
「いい加減にしてよ! 優依、行こう」

ひよりは優依の腕を掴んでアトラクションのある方へ歩き出す。

「ひよりん、もうすぐ集合時間だよ」
「もうそんな時間?」 
「みんなでお土産見に行こう」

ひよりはまだ睨み合っている隼人と誠を呆れ顔で見て、頷いた。

「……うん。行こっか」


 お土産店に行くと、同じ体操服姿の生徒たちであふれ返っていた。ごった返すなか、優依がくまのキャラクターのキーホルダーを手に取り、ひよりに見せた。

「これかわいくない? お揃いで買うのどう?」
「お揃いして、いいの?」
「いいに決まってるじゃん」

……私もあかりみたいに、友達とお揃いのものを持てるなんて。
 なんだかキーホルダーが輝いて見える。
 優依と同じ物を持ってるってだけで、心が踊る。

「ひより、おじさんとおばさんに買ってくのか?」

施設名の入ったクッキーを手にした誠から聞かれ、ひよりは首を横に振った。

「あかりが買うと思うから。そうだ、れいちゃんに何か買っていこうかな」
「わざわざ妹に買わなくてもいいよ」 
「妹って、若松くんの?」
「うん。小5で、すっごくかわいいの。私にとっても妹みたいな感じ」
「うちの弟も小5だよ。生意気でかわいくないけど」
「れいも一緒。俺の前では口悪いし、クソ生意気」

妹、弟の話で盛り上がる誠と優依を見ながら、ひよりは苦笑する。

 一方、隼人は壁際のぬいぐるみコーナーで、腕組をして多種多様なぬいぐるみたちとにらめっこしていた。
 
「あ、隼人くん。ぬいぐるみ買うの?」

通りがかったあかりが声をかける。隼人は真剣な目でぬいぐるみを吟味しながらあかりに問いかけた。
 
「……女子ってこういうの好きだよね?」
「うん。あっ、これかわいい~」

あかりは、山を模したピンクとブルーのキャラクターが抱き合っているキーホルダーを手に取った。

「見てみて。これ1個ずつ分けて、お揃いにできるみたいだよ」
「女子はお揃い好きなんだな」
「だって、好きな人と同じ物持ってたら、離れていても一緒にいるって思えるんだもん。だから、はい」

あかりが笑顔でピンクのキャラクターを隼人に差し出す。

「こうやって、お互いの物を交換して持っておくんだよ」
「へえ。そうなんだ」

隼人は受け取らず、他のぬいぐるみへ視線を向ける。あかりの顔が強張り、キャラクターを握る手に力が入る。

「ねえ、妹だったらさ、ひよりがどういうの好きか分かる?」
「妹……」

あかりは愕然として、キーホルダーを取り落とす。隼人はそれを拾って元の場所に戻した。

「あっ、ごめん。……ひよりだったら、こういうの好きだと思う」

あかりは下段の、目立たない場所を指さす。

「えっ、これ? マジで?」
「あの子、ちょっと変わってるから」
「確かにこれは変わってるな。でも、あいつらしいかも」

ははっと自然に笑う隼人の顔を、あかりは呆然と見つめた。


「ひより」
 
ひよりが優依と誠と駐車場に向かっていると、背後から隼人に呼び止められた。

「ひよりん、私たち先行ってるね」
「えっ、一緒に行けば……」
「若松くん、いいから。行こう」
「ちょっと、大野さん!」

優依は耳を貸さず、バスの方へ誠の背中をぐいぐい押していった。

「行っちゃった」
「気遣いのできる良い友達だなあ」
「気遣いって……。で、何?」
「これ」

隼人はお土産店のショッパーをひよりに渡す。

「私に?」
「タオル、買っといた」

ショッパーの中を見ると、施設名が堂々と入ったフェイスタオルが入っている。
 それともうひとつ、紙の小袋がある。
 
「別によかったのに。……これは?」
「それもやるよ。開けてみて」

袋を開けてみると、キモイともカワイイとも言い難い形容のぬいぐるみが出てきた。
 目が3つあって歯がむき出しになっている、紫と黒を基調にしたモンスター。ふわふわの毛は案外触り心地が良い。

「えっと……。何これ?」
「こういうの好きなんだろ?」
「別に、好きじゃないけど。何でそう思ったのよ?」

ひよりはぬいぐるみのやわらかい毛を指先で撫でる。
 
「ひよりの妹から、こういうの好きだって聞いたんだけど」
「あかり……。嘘つかれたんだよ」
「嘘?! なんだよ、それ。いらなかったら返せ」
「いらないなんて言ってないでしょ」

ひよりはぬいぐるみのフックを鞄につける。

「……つけるんだ」
「せっかくだからもらっといてあげる」
「じゃあ、俺も」
「俺も?」

隼人はポケットから同じモンスターのぬいぐるみを取り出して鞄につけた。

「お揃いだな」
「自分のもあるの?!」
 
隼人が真面目な顔でこのぬいぐるみを選んでいる姿を想像してしまい、ひよりは笑いが込み上げた。

「あはははっ。こんな変なぬいぐるみ、よく買ったね」
「笑うなよ」
「だ、だって、その顔でこれ買ってるの想像したらおかしくて」
「……こんなことで、そんなに笑うのか。変なやつ」

頬をぽりぽりかいてそっぽを向く隼人は小さく笑った。

 バスの乗り口の前で、隼人とひよりを待っていた誠は、笑い合う2人を見て顔を歪ませる。
 友人たちとバスに乗ろうとしたあかりが、誠に声をかけた。
 
「誠くん、どうしたの?」
「……別に」
「ひよりのこと?」
「なっ……」
「協力してあげようか」
「は? 何言ってんだよ」

誠は眉を寄せてバスに乗り込んだ。

「やっぱり誠くん、ひよりのこと……」

あかりは口元を手で隠し、不敵な笑みを漏らして呟いた。

「使えるかも」